ー反逆の章11- 一向宗 蜂起
信長たちは三好三人衆にまさかの苦戦を強いられていた。戦線は膠着し、早3日が経とうとしていた。謎の念仏を唱える兵に勝家隊ですら手こずるのである。利家と佐々もしかりであった。
「どういうことッスか。これが2年前に俺らにぼこぼこにされた、あの三好三人衆の兵なんッスか?こんなのおかしすぎるッスよ!」
「ん…。利家、落ち着いて。直に信盛さまや、秀吉、光秀たちも到着する。全軍をもってすれば、手こずることはないはず」
「しかし、これほどの強さを持っているのなら、何故に2年前はあっさりとやられたでもうすか。あの時は、三好三人衆は本気ではなかったというのでもうすか?」
勝家もまた、疑問をぬぐえない。大津戦で戦ったあの時とは似ても似つかぬ強さであるからだ。
「信盛たちを待ちましょう。1両日中には、ここ摂津に到着するはずです。そうすれば、こちらは2万を超える軍勢となります。それまでの辛抱です。皆さん、頑張ってください」
信長がそう言い、諸将たちを激励する。ここで時間を取られれば、もしかすると、浅井・朝倉が北東から京の都を狙ってくるかもしれない。なんとしても、一気に片をつけねばならない。そう考える信長であった。
しかし、信長の予想は大きく外れることとなる。その日、正確に言えば1970年9月12日の昼を回ったころ、信長の運命の歯車が大きく音を立てて、回りだしたのだ。
「信長は本願寺の信仰を放棄せよと伝えてきたんやで!信徒の者たちよ、この横暴を許すことをしてはいけないんや。これは宗教弾圧やで。本願寺は信長の要望を受け入れることはできなんいんや。最後の1兵となろうとも、信長の横暴を止めるやで」
剃り揚げた頭を真っ赤に染め上げながら、頭から湯気を出し、石山御坊に集まる信徒たちの前で、ある男が演説する。
「なむあみだぶつを唱えるんや!進めば極楽、退けば地獄。おまんらの極楽往生は、わてが握っているんやで。信長の前から逃げるものは、決して、極楽へ行けないと覚悟するやで」
一向宗の信徒たちは、男の演説を聞き、極楽に行けないことを涙する。
「でも、安心せや?信長の兵を討ち殺したものには、死んだあとには、このわてがおまんらの極楽行きを認めてやるんやで。だから、安心して、ひとりでも多く、信長を、その兵を殺すんやで!」
信長を、信長の兵を殺せば、極楽行きが確定する。その言葉を聞き、一向宗の信徒たちは喜びに声を上げる。
「さあ、本願寺を潰して、おまんらの極楽行きを邪魔しようとする、あの憎き信長を殺してやろうなんやで。皆、槍を鍬を鋤を手にもってくれましたんかいな?」
一向宗の信徒たちは、手に武器となりそうなものならなんでも持った。そして、右足をダンダンダンッ!と踏み鳴らし、男の次の声を待つ。
「ほな、いこか!わてがついてるさかい、皆、安心して、極楽に逝ってくれやでええええええ」
男がそう言うと、石山本願寺の城門が開く。農家や町民の男が、女が、子供が、そして老人までもが、眼をぎらつかせ、城門から飛び出していく。摂津の入り口で三好三人衆と対峙する、信長の軍めがけて、まっすぐに出陣していくのであった。
「少々、煽り過ぎではございませんでしたかな?あれでは死ぬまで決して、退かぬ兵となりましょうでございます。信徒からどれほどの死者が出るかわからないのでございますぞ」
「下間頼廉。あんたはうるさい人でんな。これくらい焚き付けるのが調度いいんやで?なんたって、信長は、わてらに信仰を捨てろと言ってきたんや。そうなりゃ、どちらかが倒れるまで戦うしかないやろが」
「しかし、顕如さま。信長は本当にそんなことを言ったのでございますか?検地による土地の没収や、関所撤廃のお触れはありましたでございますが、信仰に関しては何も言われてないような気がするのでございます」
「あーーーん?頼廉、あんたは生き仏である、わての言うことより、信長のようなカスバエが言うことのほうが正しいと言いたいんでっか?」
「い、いえ。そのようなことは」
下間頼廉は、本願寺顕如に睨まれ、萎縮する。顕如は開祖・親鸞から綿々と受け継がれてきた由緒正しき血筋のお方だ。その血の尊さは、天皇家を覗けば、このひのもとの国、最高クラスと言ってよい。
ほかの宗派は戒律を守り、妻帯はしておらず、開祖の血などとっくの昔に途絶えている。だが、顕如は違う。まさに、一向宗が信じる神と等しき開祖の血を受け継いだ男なのだ。
「しかし、それでも信仰を捨てろと言うたぐいの嘘はいけないと思うのでございます。これでは、代々続く本願寺の汚点になりかねないと思うのでございます」
「らーいーれーん?」
顕如がジロリと蛇が蛙を睨みつけるかの如くに、ねっとりと頼廉の顔を見る。その表情に頼廉は背中に冷や汗が流れ出る思いである。
「わての言うことは神が言うことと等しきことやで?それに逆らうってことはどうなるか、わかって意見してるってことやで?」
顕如の言いに頼廉は額から冷や汗を流し、手ぬぐいでそれを拭く。
「頼廉。ごちゃごちゃ言うてる暇があるなら、とっととお前さんも出陣するでおま。お前さんは信徒を先に行かせておいて、お前さんはのうのうと、石山御坊で念仏でも唱えている気なんか?信徒たちが死んでいくのを黙って見てる気なんか?ああーーーん?」
その信徒を焚き付けたのは、あなたであろうとは思うが、頼廉は言うのを止める。これ以上、何か盾突くことを言えば、自分は本願寺から破門されるかも知れない。
「わかりましたでございます。顕如さまはどうされるつもりで?」
「わては各地の一向宗の寺に反旗をひるがえせと書状を送るでおます。信長の驚く顔が見れないのが非情に残念なんやで」
「顕如さま自らは出陣されないのでございますか?それでは、兵どもの士気が保てなくなるのでございます」
「まあ、待ちいな。だれも戦場に出ないとは言ってないがな。わてが出る前にやることがあるだけでおます。比叡山のほうにも話をつけなければならないやから、わて以外が代わりに出来ることでもないんやで?」
「なんと、比叡山までも動かすと言うのでございますか!確かに、比叡山に言うことを聞かせられるとしたら、顕如さま以外にこのひのもとの国において、誰もいないでございますな。顕如さまは一体、どこまで信長を追い詰めるつもりでございますか?」
「くひゃーはっはっは。そりゃあ、信長の首級を取るまで、追い詰めるに決まっているでんがな。そもそも、滅びた六角に資金提供をしているのは、わてやで?それにすでに三好三人衆には兵を提供しているやで」
「顕如さま、それはまことでございますか。そんな話、聞かされていないでございますぞ」
「それだけではないやで?浅井長政が信長に反旗をひるがえしたときに、北近江の民が南近江で略奪を繰り返したでっしゃろ?それを扇動したのもわてが裏で手を引いていたんやで?浅井の領地の一向宗たちに命令して、率先して、南近江の地を荒らしてやったんやで」
頼廉は顕如の数々の活動に驚くばかりである。織田の領土で起こる数々の扇動は、顕如さまが関わっていたことに。
「しかし、これだけではまだまだ足りないんやで。信長を織田家を滅ぼすのには、もっともっとやるべきことがあるんやで。そのためにも、わてはここ、石山御坊でやらなきゃならんことが多いんやで。わかってくれたら、頼廉、あんたはあんたの仕事をするんやで?」
「わかりましたでございます。では、信徒を引き連れて、信長めに痛い目を見せてくるのでございます。吉報をおまちくださいでございます」
頼廉はそう言うと、石山御坊の屋敷から退出する。その姿を見た顕如は、うんうんと頷き、書斎に入っていくのであった。
一進一退を繰り返す、織田軍と三好三人衆であったが、石山御坊よりの一向宗の加勢により、大きく事態が変わろうとしていた。
突然の一向宗からの奇襲により、信長は金ヶ崎での浅井・朝倉による挟撃時の倍、驚くことになる。
「どういうことですか!なぜ、石山本願寺より、一向宗どもが、先生たちを襲いにくるのですか。勝家くん、きみ、なんかしたでしょう?」
「ガハハッ!何を言っているでもうす。殿が彼らに何かしたのでござろう。我輩が京の警護で忙しかったのは、殿が一番わかっていることでもうす」
「じゃあ、利家くん、きみですか?きみが何かしたんですか?」
「ちょっと待ってくれッス。俺が何かするわけがないッス。ひとの所為にするのは、止めるッス。信長さまこそ、胸に手をあてて考えるッス!」
利家にそう言われ、信長は胸に手を当てて、考え込む。
「うーん、何も思いつきませんね?ちょっと、一向宗のひとりでも捕まえて、事情を聞きましょうか?今回ばっかりは、本願寺から攻められなければならない理由が皆目、検討がつきません」
「ん…。でも、何かを聞きだそうとしても、念仏を唱えながら死ぬまで戦う奴らを捕まえるのは困難。いっそのこと、石山御坊に直接、書状を送るほうがいいかと」
佐々が、そう信長に進言する。それもそうかと信長は書をしたため、言われなき開戦と即刻の停戦を促す書状を石山御坊に送ることになる。
しかし、その石山御坊からの返事に信長はさらに驚くことになる。
「え?先生が一向宗の信仰を捨てろと言うから、石山御坊としては戦うことを止めないって返事が来たんですけど。宗教弾圧をするような信長の言いには従えないと。なんですか、これ?」
「え、殿。本願寺に信仰を捨てろって言ったわけ?どういうこと?信仰の自由は殿の方針じゃん。それを曲げたらダメだろうが」
そう言うは、佐久間信盛である。やっと、兵をまとめて、摂津にいる信長本隊と合流を果たしたのであった。それと同時に石山御坊からの返事が来たのである。