ー反逆の章 9- 六角の反攻
信長やその家臣たちは、舞い戻った南近江で六角義賢率いる反乱軍相手に苦戦を強いられることになる。
「くそっ。村を襲っているって言われて、兵を率いてやってくれば、着いたころには違う村を襲ってやがる。こいつら、まともにやり合う気がねえな!」
悪態を付くのは、信盛である。丹羽、利家、佐々、河尻が各3000の兵を率いて、南近江の各所の村々を守るために日夜、駆り出されることとなる。だが、六角義賢は散発的ではあるが、組織だって、南近江の各地を襲うため、織田家の諸将たちは中々、義賢を捕らえることができないでいた。
「これはどうやら、甲賀の忍者が暗躍しているみたいなのです。森深く追えば、彼らの得意なゲリラ戦法でいたずらに、こちらの兵を消耗してしまうので、追いたくても追えないのです」
丹羽はいっそのこと、山全てに火をつけ、灰塵に化したほうがいいのではないかとさえ思ってしまう。だが、南近江は貴重な木の産出地域である。やりたくてもやれないのである。
「困った話ッスね。向こうはやりたい放題って言うのに、こちらからは何も出来ないのが歯がゆいッス」
「ん…。今は被害を最小限に抑えること。これが肝心」
利家と佐々は、守る村の打ち合わせをしている。相手は何と言っても神出鬼没なのである。前もって村に兵を配置していても、その裏をかかれて別の村を焼かれてしまう。織田側は完全に後手に回っている状況であった。
「幸い、伊賀が六角に組しているわけではなかったから、良かったっすけど、油断はできないっすね。伊賀まで信長さまに逆らうようなら、伊勢からの道が完全に封鎖されてしまうっす」
一益は油断なく、伊勢と南近江の途上の伊賀を監視する。今のところ、伊賀には動きはないが、甲賀と同じく、忍者が暗躍する土地だと昔からの言い伝えがある。この地までも反乱を起こせば、南近江の統治は難しくなってしまうからだ。
勝家は5000の兵を引き連れ、京の都の警護を任されることとなる。一騎当三千と言われた勝家だ。六角の反乱軍が京の都に入り込まないように、よく守っている。
「ガハハッ!京の都に入りたくば、この我輩を越えていけ。業火一閃!」
勝家は馬に乗り、槍を次々と敵兵に投げ、串刺しにしていく。串刺しにされた六角の兵たちは、そのままにされ、京の都への道には敵兵たちの死体が転がることになる。
そこから付いた勝家のあだ名に、「串刺し筋肉公」が追加されたのは記憶に新しい。
「勝家くん、ハッスルするのは良いんですけど、さすがに京の都への途上が、串刺しされた敵兵で埋まるのはどうかと思うんですけどねえ」
「うーん。恐怖政治の象徴みたいで、俺もあの道を通るたびに、おしっこちびりそうになるでござる。敵への威嚇としては充分な威力なのでござるが、いつ、間違って、俺もああなるのではないのかと思ってしまうのでござる」
信長と家康がこれからについて、屋敷の部屋にて話し合っていた。
「ヨーロッパには実際に串刺し公と呼ばれた王様がいたそうですよ、昔。それで、宣教師たちが、勝家くんの行いを見て、【串刺し筋肉公】と揶揄しているみたいです。フロイスくんがドラキュラを織田家では雇っているのですかニャン!って驚いていましたね」
「【串刺し筋肉公】でござるか。勝家殿はいろいろと二つ名が有って、うらやましいのか、残念なのかわからないのでござるなあ」
「家康くんの二つ名は確か、狸でしたっけ?目元がなんとなく黒っぽいのでそうも言えなくはないですが、かわいらしくていいじゃないですか」
「そんな二つ名、いつの間に付けられたのござるか。俺は知らないのでござるぞ?」
「服部半蔵くんが、うちの殿は最近、天ぷらの食べ過ぎで、太ったでござる。まるで狸そっくりでござる。と愚痴をこぼしていましたよ?」
半蔵め、いつのまにそんな愚痴を信長殿に言っていたでござるか。うちの家臣は眼を離すとすぐにわけのわからんことを言いだすので困ったことでござると思う、家康である。
「うっほん。半蔵には、あとで説教でござるな。口の軽い忍者など、聞いたことがないでござる」
「ほかに、半蔵くんからは、殿がすぐおしっこちびって大変でござる。この前の金ヶ崎の撤退のときにも、おしっこをたくさんちびって、代えのふんどしを大量に消費していたので、洗濯が大変だったでござるって言ってました。家康くん、すこし、ゆるいんじゃないんですか?先生、心配になってしまいますよ」
「ああああ、ああああ!半蔵め、あとで説教確定でござる。何を言っているのでござるか、奴は。機密事項をぽんぽんと漏らしてどうするでござるか」
「漏らしているのは、むしろ、家康くんの気もしますがね」
くすくすと、信長が笑う。くっ、だれがうまいことを言えと、とつっこみを入れたくなる家康である。
「うっほん。信長殿。話を戻しましょうでござる。俺の率いる徳川の兵は、幾分か先の浅井・朝倉との戦いで傷が癒えてきたでござる。信長殿が危惧されている通り、農繁期が終わる、9月半ばまでには徳川全軍、滞りなく動けるようになるでござる」
「そうですか。それは朗報です。先生の読みだと、次、彼らが来るとしたら、直接、京の都に来るでしょうね。浅井・朝倉は小谷城を落とせなかった先生たちのさらなる威信の低下のために、京の都の占拠に乗り出すはずです」
「この地を狙ってくるでござるか。ううむ、確かに、浅井が天下を狙うのであれば、京の都の確保は必須。だが、姉川で敗れた彼らに勝算は少ないと思うのでござるが」
「当然、六角も浅井・朝倉の動きに合わせて、南近江で暗躍するでしょうね。そこに兵を割かれて先生たちが身動きできないところを襲いかかってくるのでしょう。ですが、こちらには、家康くんがいるのです。京の都には簡単に抜かせるわけにはいきませんけどね」
「南近江の守りに1万ほど割かれるとしても、その穴埋めを徳川の兵で行うわけでござるな。なあに、うちは信長どのの兵より3倍強いと豪語させてもらっているでござる。浅井・朝倉が攻めてきても難なく押し返してみせるでござる」
「頼もしい限りですね。家康くんが味方であったこと。今回以上に頼もしいと思ったことはありませんよ」
「はははっ、もっと頼ってくれていいでござるぞ。東は武田家のおかげで北条からの侵攻も抑えられているでござる。浅井・朝倉・六角が反攻にでようが、俺の眼の黒いうちは、信長どのに傷ひとつ、付けることはできないでござるよ」
家康が任せておけとばかりに胸を張る。信長がその姿を見て、うんうんと頷く。
「六角の攻勢も、8月終わりに近づけば、一旦、止むでしょう。彼の兵も稲刈りに従事しなければなりませんしね。その間に軍の再編成をしておきましょうか」
信長の予想通り、8月終わりに近づくと、六角家の攻勢は収まり、短い時間と言えども、南近江に平和が訪れる。その間に動いた男がいた。木下秀吉である。
横山城に詰めていた秀吉が、磯野員昌が籠る佐和山城を攻撃したのである。農繁期で動けぬ長政は佐和山城に援軍を向ける余裕もなく、磯野員昌は完全に孤立したのであった。小谷城から援軍の見込みもない状態で満足に戦うこともできないと察した磯野員昌は、佐和山城を包囲されてから1週間後に、秀吉に降ることとなる。
思わぬ朗報に喜々となったのは、信長である。
「秀吉くん、やりますねえ!これでまた、小谷城への圧力は増したと言えるでしょう。急ぎ、丹羽くんを佐和山城の城主として入ってもらいますかね」
「磯野の処遇はどうしま、しょうか?斬るには惜しい人材だと思い、ます」
秀吉がそう信長に尋ねる。信長はふむと息をつき
「磯野くんにはびわこ周辺の砦に配属させましょう。降れば命を助けられ、能力あるものなら重要拠点を任せられると示せば、浅井の将の中から離反者が出てくる可能性もあります。ぜひ、目立つところで活躍をしてもらいましょうかね」
磯野は助命され、横山城の近くの砦を守る任務を与えられる。信長の格別の厚遇に磯野は涙を流すのであった。
「丹羽ちゃんは信長さまから離れるのは嫌なのです。ずっと、信長さまのお側に仕えていたかったのです」
佐和山城の城主に任命された丹羽は信長に不満の声をあらわにする。
「丹羽くんもいい加減、出世してもらわないと、先生としても申し訳ない気持ちで一杯なのですよ。先生の傍らで色々とやってもらっていましたが、その恩に報いなければ、他の者たちに示しがつきません。大きな戦では必ず呼びますので、今は、佐和山城にて浅井の監視をお願いします」
信長の言いに、丹羽は不承ぶしょうだが、佐和山城への赴任を承諾する。だが、丹羽が佐和山城でゆっくりする時間は無かったのであった。
9月に入り、信長に敵対する軍が動く。しかし、その敵は信長の予想を裏切るものであった。攻めてきたのは、浅井・朝倉ではなく、三好三人衆であったからだ。
三好三人衆は淡路島から大坂へ船で一気に上陸し、その勢いはまさに京の都へ迫ろうとしていた。
「くっ。浅井・朝倉がくるものとばかり思っていましたから、西側からとは完全に油断していました。のぶもりもり、急ぎ、各地の将を集めてください!横山城の秀吉くんと、佐和山の丹羽くんにも声をかけてください」
信長は焦っていた。息の根を止めたと思っていた三好三人衆がこのタイミングで仕掛けてきたからだ。偶然にしては出来過ぎている。またもや、足利義昭が何か裏で暗躍したのではないかとさえ思えてくる。
だが、二条の城は村井貞勝により、2000の兵で包囲をし続けている。将軍が動けるわけもない。ならば、長政が三好三人衆を焚き付けたのか?可能性としては、長政が何かしたと考えた方が妥当であると思えた。
浅井・朝倉が動けぬ今、織田家を休ませないように三好三人衆を焚き付けたのだと、信長は、この時点では思っていたのだった。




