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ー反逆の章 8ー 姉川の合戦 その8

 織田軍が浅井の小谷城を囲んで1カ月が経ち、季節は8月に入ろうとしていた。小谷城に残された兵糧は残り少なくなっており、長政はただ、歯がみするだけである。頼みの朝倉家は徳川家5000と織田家5000に睨まれ、動くことはできない。長政には討って出るしか道は残されていないのであった。


 小谷城に招き入れた民は、民と言えども、戦えないわけではない。普段は農作業に従事するものたちであるが、槍を持たせれば立派な兵士である。この戦国時代において、女子供、老人であろうが、非戦闘員と言うわけではない。有事の際には、槍を手に持ち戦う、立派な兵士なのである。


 武士の起こりは元々、農民なのだ。足軽である下級兵士もすべて農民なのだ。戦おうと思えば、誰だって戦う。しかし、長政は決めかねていた。信長は野戦にて決着をつけようとしているのである。それは、小谷城を攻め落とせないからだ。天下の堅城と名高い小谷城を落とそうと思えば、4万の軍勢がいる。


 しかし、野戦となれば話は別だ。策のひとつで倍する敵を倒すことだってできる。現にこの小谷城を囲む信長が、桶狭間の戦いでそれを証明したではないか。その野戦上手を相手に、野戦で戦う愚は、姉川周辺での戦いでわかりきっている。


「くっ。このまま、城に籠るが上策と言えども、もう兵糧が尽きかけているのだぞ。いっそ、玉砕覚悟で、皆で突撃し、義兄・信長に一矢報いたほうがよいのではと思ってしまうのだぞ!」


 長政は落ち着きのない様子でうろうろと部屋のなかを歩いていた。海北綱親(かいほうつなちか)はその姿を見て、進言する。


「討って出ましょうでござる。小谷城を囲む、信長本隊は1万5千でござる。今、小谷城に籠るは女子供を合わせれば、織田と同じく、1万5千でござる。もしかしての場合も期待できるのでござる」


綱親つなちかの進言により、長政の腹の内は決まる。


「よし、わかったのだぞ!綱親(つなちか)よ、民たちに槍を配るのだぞ。義兄・信長を北近江の地より追い返すのだぞ」


 長政の命により、小谷城に籠る民たちに槍が配られる。槍を手渡された民たちは、うおおおお!と声を上げる。家を家族を焼かれたものたちが、憎き信長に恨みをぶつけようと、怒声を上げるのであった。


「明日の朝、織田軍に突貫するのであるぞ!皆の者、酒を振る舞うゆえ、明日は頼むのだぞ」


 長政は民や兵士たちに、城に残った酒を総て放出する。明日の決戦に向けて、英気を養ってもらうためだ。小谷城では、最後の晩餐とばかりに大いに盛り上がる。酒を喰らい、メシを喰らい、長政の浅井の栄達を願って歌を唄う。


 そして夜が明ける。小谷城に籠る皆は、眼をぎらつかせていた。織田の全てを屠れとばかりに槍を床に地面にドンドンと打ち鳴らす。今まさに、朝日が昇ろうとしていた。決戦の時は刻一刻と迫っていたのである。


 そこにひとりの男が、長政の居る部屋に飛び込んでくる。


「長政さま、大変なのでおさる!」


「どうしたのだ、雨森(あめのもり)。徳川まで、こちらに来たと言うのかだぞ!」


 朝倉を抑えていた徳川5000と織田4000が、小谷城の包囲に加わったのかと、長政は考えたのだ。だが、雨森弥兵衛あめのもりやへえが告げたのは、予測と全く違ったことであった。


「小谷城を囲んでいた織田の軍勢が1兵たりともおりません!それどころか、朝倉を抑えていた徳川までも居ないのでおさる」


「なに?何が起こったのだぞ。何故、義兄・信長は居なくなったのだぞ!」


「わ、わからないのでおさる。朝日が大地を照らした頃には、すでに織田・徳川、両方いなくなっていたのでおさる。一体、何がおきたのかわからないのでおさる」


 長政は、城の窓から小谷城城下を見る。確かに、織田も徳川の軍の姿が見えない。まさか、こちらのやぶれかぶれの突撃を見破り、どこかに兵を伏せてあるのではないか。そう疑念を抱く長政である。


「義兄・信長を探せ、探すのだぞ!きっと、どこかに兵を伏せているのだぞ。これは誘いなのだぞ」


 長政は海赤雨うみあかあめ3将に指令を下す。3将は配下の者たちに、織田軍がどこに行ったのかを探らせるために物見ものみを派遣するよう指示をする。その捜索部隊は北近江中を馬で駆けまわることになる。


「伝令!やはり、どこを探しても、織田の軍は見当たりません!横山城には若干、織田の兵たちが残って占拠を続けているようですが、それ以外の信長本隊はすでに、北近江の地には残っていない様子」


「どういうことなのだぞ。小谷城をあと一歩と言うところまで追い詰めながら、何故、義兄・信長どのは兵を下げたと言うのだぞ!」


 義兄・信長が北近江の地からいなくなったことにより、浅井が滅びることは無くなった。だが、その理由が皆目、見当がつかないのである。兵を伏せている様子もないと物見ものみから報告が上がっている。


「理由はわからないでござるが、浅井家滅亡の危機は免れたと言っていいのでござろうか?」


 海北綱親かいほうつなちかがそう、長政に言う。


「しかし、理由がわからないのは不気味なのだぞ。物見ものみの者をもっと増やせなのだぞ。きっと、下がらなければならない理由が、義兄・信長にはあったのだぞ!」


 長政は織田の軍勢が北近江の地よりいなくなったが、まったくもって油断する気はなかった。越前攻めで4日もかからず若狭を抜け、金ヶ崎まで達した男なのだ、義兄・信長は。退いたと見せかけて、一気にまた、小谷城へ迫ってくるかもしれない。そう、長政は考えていたのだった。


 しかし、長政のこの慎重な態度が、この姉川の戦いの唯一の勝機を失う事態を招いたことを知らなかった。




 ひるがえって1日前、織田軍に激震が走る。伝令からの1報が信長たちに危機が訪れたのを知らしめたのだ。


六角義賢(ろっかくよしたか)率いる残党が南近江の各地で反旗をひるがえし、田畑を村を焼いております!」


「どういうことですか!六角には兵力は存在しないはずです。南近江の民たちがかつての主君のために動いたと言うのですか?」


「しょ、詳細はわかりませんが、南近江のさらに南から兵がぞくぞくと集まっている様子。その総数すらよくわかっていません。しかも、かなりの広い範囲で被害が出ています。いかがなさりましょうか?」


「くっ。南からと言えば、甲賀に伊賀がありますね。そのどちらかはわかりませんが、六角家に助力をしていると考えてまちがいないでしょう。これはかなりまずい事態ですね」


 信長は歯がみする。あと一歩というところまで浅井長政を追い詰めたのだ。あと1カ月も包囲をし続ければ、小谷城は干上がり、落城したはずである。しかし、南近江の反乱を捨ておくわけにはいかない。京の都にまでその反乱軍が押し寄せれば、信長の名声は地に堕ちるのは明白だ。


「おい、殿(との)。どうするよ?ここに半分ばかり兵を残して、南近江に戻るか?」


 信盛(のぶもり)がそう信長に進言する。


「いいえ。中途半端に北近江に兵を残せば、長政への抑えは利かなくなり、無駄に兵を消耗することになります。ここは口惜しいですが、京の都の安全を第一に考えましょう。全軍に撤退命令を!夜の闇に紛れて、南近江の地に戻ります」


 ははあ!と陣幕内に集まる諸将たちが返事をする。


「秀吉くん、光秀くん。丹羽(にわ)くんと美濃(みの)三人衆に代わり、横山城に入ってください。かの城は北近江攻略の重要拠点となります。くれぐれも長政に奪い返されないように注意をお願いします」


「は、はい!信長さまこそ、道中、お気をつけくだ、さい。どこに敵が潜んでいるかわかりません」


「ふひっ。北近江攻略は続けておきますので、信長さまは安心して、南近江の防御に回ってくださいでございます」


 秀吉と光秀は信長からの指令を快諾する。そして、両名は丹羽(にわ)美濃(みの)三人衆が預かる兵と併せて、5000の兵を預けられ、横山城に入るのであった。


 信長の動きは速い。朝倉義景あさくらよしかげを抑えていた、家康5000の軍と滝川一益たきがわかずます4000の軍にも撤退命令を出す。


 伊賀が此度の六角の反乱に呼応していれば、伊勢から南近江のルートを潰されることとなる。一益かずますには、伊賀の情勢を調べてもらうためにいち早く、撤退の指示を出すのであった。


 一益かずますは4000の兵を率い、昼間の内に南近江の地へ先発する。そして、夕暮れとなり辺りが暗くなってきたと同時に、信長本隊が一気に南近江へと撤退を開始する。殿しんがりには信盛のぶもりが担当し、夜が明けるころには全ての織田の軍、徳川の軍は北近江から脱出したのであった。


 これが事の顛末である。長政が六角が反逆の狼煙のろしを上げたのを知ったのは、信長が完全に撤退した3日後の昼であった。長政は好機と見て南近江まで、信長を一気に追い立てたい気持ちはあったのだが、北近江の地もまた、数多くの村々を焼かれ、その復興に手をつけねばならなくなっていた。


 しかも今は8月。そろそろ稲刈りの準備に入らなければならない。そのためにも焼け出された村民たちを救済しなければないらい。信長相手に動きたくても動けない、長政である。


「稲刈りが終われば、義兄・信長に対して、反撃を行うのだぞ!皆の者、義兄・信長への恨みを胸の内に納め、その炎で身を焦がしておくのだぞ。必ず、義兄・信長の天下を浅井長政の手に収めるのだぞ」


 そして、朝倉義景あさくらよしかげもまた、稲刈りのために1度、本国・越前に戻ることとなる。全国、どこの大名もそうなのだが、下級兵士はすべて、農民から徴兵した者たちである。その下級兵士を連れてきて、いくさをしているのだ。稲刈りの時期までにいくさを止めなければ、喰うものがなくなり、国は崩壊してしまう。


「なんとか織田・徳川を退けれたのでそうろう。これで、安心して越前に帰れるでそうろう真柄まがら親子を討ちし、憎き徳川たちよ。次はこちらの番でそうろう


 そう言い残し、朝倉の軍は越前に撤退する。浅井長政、朝倉義景あさくらよしかげ、彼らは稲刈りが終われば、また、北近江の地に集まるであろう。各々の胸の中に炎をたぎらせたまま、しばしの休戦となったのであった。

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