ー反逆の章 6- 姉川の合戦 その6
朝倉義景は東の方角を見ていた。姉川より撤退していく浅井の軍を見ながら、目を細めるのであった。
「浅井の軍が城へと撤退していくで候。今回の戦いはここまでで候か。しかし、このまま、我らが下がれば小谷城は包囲されるで候。出来る限りの援助はしなければならないで候」
しかし、南の眼下に広がる徳川軍の後方からは、織田側から4000ほどの援軍が来ている。このまま、小谷への援軍を絶つつもりであろうことは容易に想像できる。
朝倉景鏡、真柄直隆、斉藤龍興に3000ずつ任せたが、未だに5000ほどしかいない徳川の軍を押し返すことはできていない。さらにそこに織田軍から4000やってくるのだ。苦戦は必須である。ここは遠巻きになるかも知れぬが、少し下がり、様子を見るのが得策か。そう思う、義景であった。
義景は指令を下す。
「さて、全軍に指令を伝えてくれで候。真柄直隆を殿にして、ここより北に5キロメートルの丘へと陣を移すで候。そこにて再起を図るので候」
義景からそう言付けられた伝令たちは、陣幕から飛び出し、馬にまたがり、各方面の軍へと走っていく。
指令を伝えられた朝倉の各将は撤退を開始する。それを追わんと本多忠勝の隊がしぶとく追いすがるのであった。そして、朝倉の殿軍を務める直隆隊と再び対峙することとなる。
「しつこいやつでござる。そんなに俺の首級が欲しいでござるか?」
「おいらもその顔は見飽きてきたなのだ。いい加減、決着をつけさせてもらうなのだ」
直隆は、ふうやれやれと嘆息する。今は殿の務めを任されている。死なぬための戦いをしなければならない。直隆は、おいそれと一騎打ちを受けるわけにはいかないのである。
しかし、忠勝は眼を爛々と輝かせ、馬上で蜻蛉切を振り回しながら、直隆に詰め寄っていく。しかし、直隆は付き合うことはないと、自分の目の前に兵50を展開させ、防壁となす。
「すまないでござるな。こちらは自由に動ける身ではござらぬ。貴殿とは決着をつけれぬは惜しいでござるが、これもまた運命と思い、諦めてくれでござる」
直隆は兵の中に紛れようと、馬の向きを変え、忠勝の方に背を向ける。そして、矢継ぎ早に弓隊に矢を射るように命じるのであった。
「弓隊、矢を放て。徳川の猪武者を矢の雨でムシロにしてしまうでござる」
直隆は惜しいと思う。だが、今は個人的な戦いによって決着をつける時ではない。矢を射かけられれば、あの男とて下がるであろう。そう思い、背を向けたのであった。
だがしかし、忠勝は矢の雨にひるむことはなかった。蜻蛉切を車輪のように頭上で振り回し、次々と上空から迫る矢を叩き落としていく。結局、忠勝に降り注ぐ矢は、ひとつとして傷を彼につけることは叶わなかったのである。
それに驚くのは直隆である。50を超えるであろう矢を放ったのだ。いくら、面として射たからと言って、忠勝の身に降り注ぐ矢は10本は越えるはずだ。しかし、この男はその全てを蜻蛉切のみで叩き落としたのである。
「あいつ、何を考えているでござる。普通は矢を射かけられれば退くものでござる。命が惜しくないのでござるか、奴は!」
忠勝の勢いは止まらない。馬上にて槍を構えて、まっすぐと直隆へと接近していく。その速度は増していくばかりである。直隆は次の矢を射かけさせたが、矢は忠勝の後ろの地面に突き刺すばかりであった。
直隆は背を向けていた状態から、馬を振り向かせる。よもや、50人の壁を越えて自分の元にはやってこないだろうとは思うが、念には念を入れてである。
「弓を捨て槍を構えろ!あの男、本多忠勝を通すではない」
直隆は配下の兵に指示を飛ばす。兵たちは急ぎ、弓から槍に持ち替え、忠勝を迎え撃つ。しかし、目の前に突き立つ針の山を気にせず、忠勝は、ただ真っ直ぐに突き進んでくる。
こいつ、死ぬ気か!そう思う、直隆である。直隆の兵の槍が忠勝の馬に突き刺さる。それと同時に忠勝が宙に舞い、トリプルアクセルをかましながら、50人の壁を飛び越える。
そして、審査員がいれば全員10点満点の着地をかまし、さらにそこから、直隆に向かって、槍を下段に構え、ひた走っていく。直隆は馬上で太郎太刀をすばやく引き抜き、忠勝に対して、馬を走らせる。
忠勝は蜻蛉切を下段から斜め上に振り上げる。対して、直隆は太郎太刀を右手に持ち、忠勝の頭をかち割らんと振り下ろす。
忠勝は振り下ろされてくる太郎太刀を身を低くし、足から滑り込むようにスライディングをする。そして、馬の足元をくぐり抜けると同時に、馬の腹を蜻蛉切で振り払う。
直隆は、ギョッとした顔つきになり、腹を割かれた馬から飛び降りる。しかし、直隆の対応は遅かった。馬と一緒に右足の太もも内側を深く、蜻蛉切で斬られてしまったのである。
大量の血が右の太ももから流れ出る。これは太い血管を斬られてしまったかと、直隆は流れる血を見ながら思う。すぐに止血をしなければ命にかかわるほどの深手であることは容易にわかるほどである。
しかし、目の前の将・本多忠勝は、その猶予すら与えてくれる男ではあるまい。彼は寝そべった状態から、蜻蛉切を支えに宙に舞い上がり、地面に両足をつけて立つ。そして、忠勝は片膝つく直隆に向け、一直線に走ってくるのであった。
直隆は覚悟を決める。自分の命がここで尽きることをだ。それならば、最後の血の一滴が流れ落ちるまで、戦おう、この剛なる武者と決着をつけるのだ。
直隆は太郎太刀を地面に突き刺し、身を立てる。右ふとももの血がとどまることを知らず、流れでていく。段々と、自分の身体が冷えていく感覚を覚えながら、太郎太刀を自分の右肩に乗せ、上段構えとする。
1振りだ。あと1振りですべてが終わる。残された身体の血の量から考えれば、それが精一杯の力だ。迫りくる忠勝に向けて、直隆は右足を大きく踏み込む。そして、その勢いを利用し、太郎太刀を上から下に振り下ろす。
忠勝は見る。その太郎太刀にこもった想いを。直隆の決着をつけようとする、その意思を。
「これをかわすのは武人として失礼に値するなのだ」
ぽつりとそう、忠勝はひとり言う。そして、蜻蛉切を両手で掴み、横に構える。直隆の太郎太刀を真正面から受け止める気である。
がごおおおおおん!
太郎太刀が蜻蛉切の柄にぶつかり、真っ二つに立ち割る。もらった!そう思う、直隆であった。そしてその勢いのまま、太郎太刀は忠勝の鎧に叩きつけられる。
「上半身、筋肉100パーセントなのだ!」
そう忠勝が叫ぶ。その瞬間、直隆は手先に異様な感触を得る。太郎太刀が忠勝の鎧に当たったと言うのにそれ以上、先に太刀を振り下ろせないのだ。
次の瞬間、忠勝の肉体が爆ぜた。そう直隆には見えた。忠勝を覆う、上半身の鎧がはじけ飛んだからである。
そして、太郎太刀もろとも、直隆の身は、弾け飛ばされる。一体、何が起こったのだと、直隆は驚きの表情を顔に浮かべる。目の前の男が上半身、素っ裸になり、その身は盛り上がった筋肉でコーティングされているではないか。
忠勝の肩から胸、腹にかけ、あざがくっきりと浮かび上がっている。本来なら、太郎太刀で両断されているところを、筋肉100パーセントによる肉の鎧で、太郎太刀の衝撃を受けきったのだ。
「ありえぬ!なぜ、我が太郎太刀を受けて、その程度で済んでいるのでござるか。貴様はかの噂の筋肉の悪魔だというのでござるか」
「冥土の土産に教えてやるなのだ。おいらは筋肉の悪魔ではないなのだ。筋肉の悪魔こと、織田家の柴田勝家殿には、おいらでも足元には、及ばないなのだ」
直隆は信じられないことを聞いた気分である。この目の前の男の筋肉ですら、悪魔と呼ぶには遠く及ばないと言うのかと。一体、自分は、自分たちは何と戦っているのかと。
「しかし、筋肉は筋肉でござる。先ほどはたまたま、鎧のおかげで、斬れなかっただけでござる。今度はその筋肉ごと、斬ってやるでござる!」
直隆は太郎太刀を再び、右肩に乗せる。しかしだ、無情かな。その太郎太刀を支える力は直隆には残ってなかった。右太ももから流れ出る血は、とっくに致命に至るほどの量であったのだった。
直隆の意識は急激に遠のいていく。目の前にいる忠勝が2重、3重にぼやけて見える。直隆は右肩に太郎太刀を乗せたまま、身を右方向へと倒していく。
右ひざをつき、太郎太刀を落とし、右手を地面につき、それでも自分の身を支える力はもう出ない。そのまま、直隆は地面につっぷしていくのであった。
直隆は、ひゅうひゅうと呼吸をする。まぶたがすごく重く感じられる。うっすらと開いた眼の先には、死闘を繰り返した忠勝が仁王立ちしている。
「ふっ。我を討ちしこと、誉れにするのでござる。さあ、我がこと切れる前にとどめを刺すでござる」
直隆はかすれた声で、目の前に立つ、忠勝に告げる。忠勝は2つに折れた、蜻蛉切の穂先がついたほうを右手に持ち、地面に寝ころぶ直隆の心の臓めがけて、振り下ろす。その蜻蛉切の穂先は吸い込まれるように、直隆の左胸に突き刺さる。
「ふふっ。最後に、かような、剛のものと、たた、かえて、幸せな人生であ、った」
その一言を最後に、直隆の眼から光が消える。