ー反逆の章 5- 姉川の合戦 その5
「お前がこの隊の大将っすか?俺の名は前田利家ッス。その勇猛さを讃えて、死ぬ前に教えておくッス」
馬上から利家は名乗りを上げる。利家は姉川を越えてきた将に対して、槍を振り回し、突きを放つ。相対する将は突かれる槍をまともに腹に受ける。だが、そのまま槍を両手で掴み叫ぶ。
「俺の名は遠藤直経でごんす。前田利家?俺には興味がないでごんす。狙うは信長の首級だけでごんす!」
腹に突き刺さった槍をそのままに、遠藤は身を右によじる。利家は槍を持っていかれ、そのままの勢いで、馬の上で体勢を崩す。
「すごい男ッスね。腹に槍が刺さっていると言うのに、まだ行くつもりッスか」
遠藤に槍を取られた利家は、馬から飛び降りる。そして、刀を鞘から抜き出し、背中から遠藤を袈裟斬りにする。遠藤はたまらず、ぐおおおっと声を上げる。
だが、それでも、遠藤は前に進むことを諦めない。腹を貫通した槍を両手で引っこ抜き、その槍を杖代わりに、ただただ、前へ、前へと足を引きずりながらでも進んでいく。
「信長め、どこだ、どこにいる。出てこい、信長あああああ!」
遠藤はすでに焦点定まらず、口から大量に吐血する。がはっがはっと、その口の中にたまった血を吐きだしつつ、一歩、ただ一歩、足を前に出していく。
「の、ぶ、な、がああああああ!ぐふっうう」
遠藤がそう叫ぶと同時に、利家が遠藤の首に太刀を水平に叩きつける。その太刀は首の半分を切断する。頸動脈を叩き切られた遠藤のそこから、大量に血しぶきが舞いあがる。ついに、遠藤は力付き、地面につっぷすのであった。
「の、のぶ、な、が。今、おれがおまえの、く、びを…」
それが遠藤の最後の言葉であった。遠藤が倒れた辺りは血の海に変わっていく。利家はその姿を見て、手を合わせて、合掌する。
「遠藤直経。お前は真の忠臣ッス。お前の名前は忘れないようにしておいてやるッス」
そう利家が言うと、遠藤の亡骸に向かって、最後の一太刀を浴びせる。遠藤の首級はごろりと転がり、胴体とおさらばする。利家はその首級を持ち、自分の乗っていた馬にくくりつける。
その後、再び馬に乗り、利家は宣言する。
「浅井の将、遠藤直経を討ち取ったり!」
利家率いる、赤母衣衆たちが、うおおおお!と鬨の声をあげるのであった。
湧き立つ赤母衣衆たちを信長は後方の本陣より見ていた。信長の本陣は丘の上にあり、全体の推移を見守っていた。
「ふむ。のぶもりもりを抜いてきた敵は利家くん赤母衣衆が退治してくれましたか。ですが、まだ浅井の勢いが強いですね。そろそろ、のぶもりもりと勝家くんを交代させましょうか」
信長は伝令に信盛と勝家に伝令を送るようにと指示を出す。伝令の者は、はっと応え、馬に乗り、戦場へと駆けていく。
「さて、こちらはなんとかなりそうですが、家康くんのところは、今どうなっているんでしょうね?見た感じ、互角には戦っているようですが、油断はできませんね。互角と言えども、5000は5000ですから。手を打ちましょうかね。一益くんを向かわせましょう」
信長は側に控える、他の伝令のものに一益を家康の後詰に向かわせるよう指示を飛ばす。
一益4000の兵は指示を受け、西の家康の援軍に向かう。これで、朝倉の方も戦線は安定するだろう。続いて、勝家5000が姉川で戦う信盛と交代するため、動き出す。
「ん?勝家殿が俺と交代ってか。よっし、お前ら、機会を見つけて、下がるぞ!敵を抜かせないよう、注意して、移動を開始しろ」
信盛本隊5000は、後退を開始する。海北綱親は好機と見て前進を開始するが、先に川から上がった信盛隊が矢を散々に射かける。
「ぐぬぬ。我らを先に行かせぬつもりでござるか。前の者!身を盾にし、後ろの者を生かせ」
「そ、そんなあ。綱親さまは俺たちのことを何だと思っているだあ。俺は死にたくないだあ」
「このまま、綱親さまのことを聞いていたら、おらたちは死ぬだけだあ。いやだ、死にたくないだあ」
綱親の兵たちは、矢の雨により、戦意をくじかれていた。それもそうだ。川の中、矢盾を構えることも出来ずに、矢に穿たれ放題なのだ。それでも前に出ろと言われれば、誰だって嫌になる。
「逃げるだ。こんな命令、これ以上、聞いていられないだ!」
「そうだ、そうだ!いくら、家族を人質に取られているとは言え、死ねとの命令は聞けないだ」
最前線を行く、綱親の兵たちは我さきへと来た方向へと逃げ出していく。
「貴様ら!敵前逃亡は死罪でござる。ええい、戻らぬか」
綱親は崩壊していく軍を必死に止めようと奮戦する。それに手をこまねいているうちに、信盛は勝家との陣替えを成功させることとなる。
「ガハハッ!信盛殿、お疲れのようだな。後は我輩に任せてくれでもうす」
「すまねえ。勝家殿。いやあ、敵さん、まだまだ退く気はないようだぜ。それに川の中での戦いだ。うまいこと動けないもんだわ」
「ほう、それはおもしろいことになりそうでもうすな。さて、どのように攻めてみせようか」
勝家はそう言うと、自分が率いる隊に前進を命じる。弓を射かけながら、前にいる海北綱親の隊に近づいていく。
勝家は槍を十数本、抱えた配下から1本、三間半の槍を受け取り、力いっぱいそれを馬に乗る敵将めがけて投てきするのであった。
その投げられた槍はすんでのところで外れ、綱親の横にいた兵士3人を串刺しにする。それに驚いた綱親は体勢を崩し、落馬するのであった。
「な、なにが起きたのでござる!遠方より何かが飛来してきたかと思えば、側にいる兵をことごとく抜くとは」
馬の背に手を回し、支えにしながら綱親は驚きを隠せない。そして、槍が飛んできた方向を見るや、またしてもビュウウン!と言う音とともに立て続けに槍が飛んでくるではないか。
慌てた綱親は馬の尻のほうに回り、馬を盾にすることで、その飛来してくる槍を回避する。飛来してきた3本の槍が馬に突き刺さり、ヒヒイイイイン!という鳴き声を上げて、絶命するのであった。
身を守る術を失くした綱親の顔面は蒼白の色へと変貌していく。
「ガハハッ!足を水にとられて、狙いがずれてしまったのでもうす。いやあ、これほどまでに戦いにくいとは思わなかったでもうす」
勝家はさらに配下から槍を受け取り、ざぶざぶと川の中を突き進んでいく。続けて、勝家が率いる兵も遅れまいと、必死に彼の後を追う。
勝家は、隊の先頭に立ち、目の前でおろおろとしている敵兵たちを見るや
「ふむ。戦う気力を失いかけているでもうすな。だが、金ヶ崎の屈辱、我輩は忘れていないでもうす。さあ、今度は貴様らが逃げ惑う番でもうす。死にたく無い奴は今すぐ、ここから下がるがよいわ!」
勝家は、敵兵たちを一喝する。恐怖に震える綱親の兵士たちは、武器を捨て、一目散に逃げ出すのであった。
「何を逃げ出しているでござるか!目の前に敵将がいるのだぞ。討ち取って手柄にせぬか」
綱親が吼える。しかし、一度、瓦解を始めた軍に統制を戻らせるのは、どんな名将であろうが不可能である。勝家は瓦解した兵を後ろから襲い、命を屠っていく。勝家には、敵を許すような優しさを今回は捨てていた。
追撃の手を緩めぬ勝家に対して、綱親の兵たちは恐慌状態に陥る。我先にと、この悪鬼羅刹の前から逃亡を図るのみであった。綱親はついに、前線を維持することを諦める。自分の命も危ないと見るや、撤退を開始する。自分の子飼いの配下に殿を任せ、姉川から這い上がろうと必死に下がり続けるのであった。
前線を崩壊されたことにより、綱親の両脇に陣取っていた赤尾清綱と雨森弥兵衛も、これ以上戦うのは無理だと判断し、撤退を開始する。
「前線が崩れた以上、このまま戦えば全滅は必死じゃ!悔しいが、ここでの戦いは負けでござる。皆の者、下がれ、下がるのじゃ」
「綱親殿は何をしているのでおさる。しかも、赤尾殿の隊まで下がり始めたでおさる。くっ、やむをえないでおさる。こちらも下がるでおさる!」
瓦解した綱親の隊を守るかのように、雨森は殿を務めることになる。綱親が残してきた兵はすでに全員、勝家により討ち取られていた。500を越える浅井の兵たちが姉川の流れに沈んでいくこととなる。
姉川は今、浅井の兵たちの血により、赤より朱く染まっていくのであった。
「くっ、海赤雨3将が敗れたというのかだぞ!悔しいのだぞ。義兄・信長め。この借りは必ず返させていただくのだぞ」
浅井長政は本陣にて絶叫する。義兄・信長にかなわぬことに心底、恨めしい眼差しで、織田軍を睨みつけるのであった。
姉川の中での戦いは始まってから、5時間が経過しようとしていた。浅井側はこの戦いで1万1千の内の2000の兵を討ち取られることとなる。中でも遠藤直経の率いていた1000の内、500は死に絶え、将である遠藤も討ち取られることになる、多大な損害を被ることになる。残った500も織田側に捕らえられ、俘虜の身となるのであった。
長政は戻ってきた海赤雨3将と共に、本陣を引き払い、小谷城へと逃げ帰る。そして、城の門を固く閉じ、籠城の構えを見せるのであった。