ー反逆の章 3- 姉川の合戦 その3
「おらおらおらおらでござる!」
直隆は175センチメートルもある太郎太刀をまるで棒切れでも振っているが如くにぶん回す。そして、間髪入れずに左手に持った次郎太刀で水平に薙ぎ払ってくる。
忠勝はその勢いに押されて、防戦一方となる。すべてを粉砕するがごとく、振り回される太郎太刀も厄介だが、その大太刀をぶん回してできるはずである隙を埋めるが如く、あてがわれる次郎太刀の所為で、反攻に転じることがなかなかできないのであった。
「真柄さまが押しているべ!そのまま、相手を叩き伏せてくれべ」
周りで見守る朝倉の兵たちが大いに湧き立つ。対して、三河の兵は皆、ごくりと唾を飲みこみ、祈るかのように両手を合わせ、忠勝が一騎打ちに勝ってくれるよう願うのであった。
直隆の右手の太郎太刀が、今まさに、忠勝の頭をかち割らんと上段から真っ直ぐに振り下ろされる。受けきれぬと悟った忠勝がすんでのところで身をよじり、直撃をかわす。
がきいいいいいん!
忠勝の兜の両脇に備えつけられていた鹿角立物の片方が豪快な音と共にへし折れるのであった。しかし、その感触に違和感を覚えたのは、直隆の方である。
「なんでござる?その鹿角は。ただの木の枝かと思ったが、違うようでござるが?」
疑問を口にする直隆である。忠勝は、ごきごきと首の骨を鳴らし応える。
「おいらの鹿角立物は、片方、10キログラムあるなのだ。普段は自分の力を抑えるために、兜に両方合わせて20キログラムの鹿角をつけているなのだ」
「ばかな!ならば、今までの立ち合い、貴様は本気ではなかったと言うのでござるか?」
直隆はごくりとつばを飲み込む。今までの相対がこいつの本気ではなかったと言うのであれば、もし、鹿角がもう1本折れればどうなるのか?疑問が直隆の頭を巡りにめぐる。
「あんたは強いなのだ。だから、おいらも半分、本気を出すなのだ」
忠勝は、残ったもう片方の兜の鹿角立物をべきっめきょっと折る。そして、地面にその鹿角の残りがどごおおんと言う音と共に落ちる。
「さあ。これではんでぃきゃっぷは無くなったなのだ。おいらの速度についてこられるか?なのだ」
直隆は、ただのコケ脅しだと思い、太郎太刀を上段から高速の動きで斜めに振り下ろす。そして、その軌道は確かに、忠勝の肩から腹にかけ、粉砕するかのように見えた。
しかし、粉々に砕け散ったのは、忠勝が肩から斜めにかけ下げていた大きな数珠であった。
「すごいなのだ。かわしきれるかと思っていたのに、まさか、数珠を壊されるとは思っていなかったなのだ」
忠勝はただただ、素直に感心する。まさか、20キログラムある鹿角を外した状態の自分の速度についてこれるものがあろうかと驚くばかりである。
「貴様。半分、本気と言ったのは、このことでござるか?」
直隆が怒りの表情を浮かべる。粉砕した数珠の残りを手に取り、その重さを知ったからだ。
「ああ、ばれてしまったなのだ。その数珠は全部で、20キログラムあるなのだ。これでは否応なく、全力で戦うことになってしまうなのだ」
忠勝の言いに、直隆は歯ぎしりをする。この男、自分を相手にしながら、まだ、本気を出していなかったのかと。怒りの表情で悪鬼羅刹の如くになる直隆は、太郎太刀を上段からの袈裟斬りで、次郎太刀を水平斬りで挑みかかる。
忠勝は、今度は蜻蛉切で払うこともせず、ただ、身をよじるだけで直隆の何もかもを粉砕しそうな業風をなんなくかわす。
ぐぬぬと唸るは、直隆である。まるで台風の凶風の如く、太郎太刀と次郎太刀を上下左右に繰り出す。しかし、全ての重きから解放された忠勝には、その凶風の切っ先すら、まるでかすりもしなくなったのである。
その凶風の間を縫うように一筋の光明に似た何かが突っ切ってくる。何事か!と思った直隆は、その光明が額に吸い込まれそうになるのを頭を右に捻じることにより、すんででかわす。
「あれ?今のをかわしたかなのだ。やはり、あんたは本当に強いなのだ」
その光明は、忠勝が手に持つ、蜻蛉切での穂先であった。続いて、忠勝は蜻蛉切の穂先を前にし、高速の突きを連打する。
押していたはずの直隆が幾筋かの光明に照らされ、思わず、忠勝との距離を開ける。
しかし、完全に忠勝の蜻蛉切をかわしきれたわけではなく、鎧の左肩の部分と、右の籠手の部分がはじけ飛んでいたのであった。
直隆は片手づつに刀を持つのは不利と考えた。この目の前の男の速度に対抗するにはどうすればいいのかと思考を巡らせる。
あろうことか、直隆は兜の緒を緩め、頭からそれを剥ぎ取り、上半身を覆う鎧を脱ぎ捨てる暴挙に及ぶのである。そして、次郎太刀を鞘に納め、太郎太刀を両手で握りしめ、幾度かその大太刀を上下に振るうのである。
感触を得たりと、にやりと直隆が口の端を上げる。忠勝がはて?と言った顔つきでその笑みを見るや、無造作に蜻蛉切で、そのむき出しの左胸めがけて穂先を吸い込ませていく。
その神速とも言える突きを直隆は太郎太刀を横に払うことにより、致命傷を回避する。蜻蛉切は軌道をそらされ、直隆の左の二の腕の皮膚1枚を斬り裂く。
「お?おいらの突きの速度に順応できるように、身軽になったってことなのだ?筋肉の力を大太刀1本に絞ると言うのも悪くない考えなのだ」
忠勝は自分の速度に対応できる目の前の男に関心を寄せる。
「名は何だったかなのだ?今度は忘れないように、覚えておくなのだ」
けっと直隆は口からツバを吐く。名も覚える価値もない男だと思われていたことに、カチンとくるが丁寧にも受け答えする。
「俺の名は、真柄直隆!越前で1番の豪勇を誇るものでござる。貴殿の方こそ、何と言う名でござったかな?今度は忘れぬようにいたすでござるから、ご教授願えるかな?」
あーはっはっはと忠勝は豪快に笑う。まさか、同じように返されるとは思ってもいなかったからだ。忠勝は蜻蛉切の柄を両手で握り、腰を落とす。
「おいらの名前は本多忠勝なのだ!いざ、尋常に勝負なのだ」
2人の剛の者が全力を持って、ぶつかり合うこととなる。蜻蛉切が、太郎太刀が互いの身を削らんとばかりに交差する。2人の間に幾重もの火花が飛び散る。三河の兵も、朝倉の兵も互いに戦うことを忘れ、2人の勝負に息を飲むばかりであった。
斉藤龍興は考える。目の前の敵1000の兵を前にして、自分はどう動くべきかと。数はこちらのほうが3倍、多い。だが、相手は織田軍の3倍強いと言われる、三河の兵たちである。うかつに真正面からぶつかり合えば、こちらとて損害はただならぬものになると。
あの竹中半兵衛なら、どう動くべきか?
「あいつなら、【んっんー。こういうときは数に任せて押すのは愚策です。弓矢で牽制し、相手の出方を探るのが上策なのですよ】だろうな。兵どもよ、弓を構えろ!一定の距離を保ちつつ、矢を放ち続けろ」
龍興は自分が凡将であることを自覚している。あの竹中半兵衛のように寡兵をもって倍する敵に打ち勝つような用兵はできない。だが、俺には信長の蛇蝎のようないやらしさを5年も耐えきったという自負はある。耐える戦であるなら、俺の得意分野だと。
相手が寡兵であるなら、必ず策を弄するものだ。三河の兵からの挑発に乗らないよう、龍興は朝倉の兵たちに厳命する。
事実、目の前の敵は、こちらの矢に対して、罵詈雑言しか返してこない。まともに槍合わせも出来ない弱兵どもがーーーとか、お前のご先祖さまは、まともに戦えないお前のことを嘲笑しているぞーーーなどだ。
「うるせえええ!俺は産まれてこの方、クソジジイに馬鹿にされてきたんだ。今更、そんなことで怒るわけがねえだろおおお」
龍興の絶叫が戦場にこだまする。その雄たけびを聞いた三河の兵が、え?という顔付きになり、罵詈雑言を止め、同情の視線を飛ばしてくる。あろうことか、率いる朝倉の兵までもが、龍興の顔を見、ひそひそと耳打ちしあい
「いやあ、龍興さま。世の中、そんな家庭もありますよ。龍興さまだけがつらい過去を背負っているわけではありませぬ。俺もうだつの上がらない亭主だと、嫁に馬鹿にされる毎日で」
とばかりに同情されるのである。
「う、うるせえええ。そんなことはどうでもいいんだよ。お前ら、手を休めるんじゃねえええ!」
龍興の怒号に、朝倉の兵たちは、びくっとなり、再び、手にもつ弓に矢をつがえ、次々と放つ。
龍興と相対する榊原康政の耳にも、彼の絶叫が聞こえてくる。
「我が殿もなかなかにすさまじい幼少期をすごされたのだぎゃ、目の前の兵を率いる者も、相当な仕打ちを喰らったものだぎゃ。敵ながら、哀れに思うのだぎゃ」
だがしかしと康政思う。
「ここは戦場だぎゃ。その不憫な生涯をここで終わらせてやるのだぎゃ」
康政は矢盾を持つ者たちに前進せよと指示を出す。矢盾隊は兵たちの前列に踊り出、一気に龍興の兵めがけて走り出す。その後ろを追随するかのように長槍を持った兵たちも追随していく。
「いくら距離を取るのが正しい戦法と言えども、下がるには限度と言うものがあるのだぎゃ。さあ、追い詰められたお前たちはどう動くのだぎゃ?」
康政は三河の兵1000を強引に突っ込ませる。勢いに押され龍興の軍はどんどんと下がる一方であった。だが、龍興は、これ以上、下がれば朝倉義景の本隊にぶつかると思い、兵たちに弓から槍へと持ち替えさせる。
「これ以上は下がれぬ。そして抜かせることは出来ぬ。ここを死地と定め、朝倉の底力を見せつけてやれ!」
康政1000の兵と龍興3000の兵は死力を尽くしてぶつかり合うことになるのだった。
肝を冷やすことになったのは、朝倉義景である。自分たちの兵、併せて9000が、徳川の兵3000に押されているからである。
「これでは、浅井の援軍に向かうことは不可能なので候。ええい、まずは目の前の敵、徳川を葬ってくれようで候!」