ー大誤算の章15- 攻める側 受ける側
信長は憂い顔で家康に応える。
「なぜ、人は天下に恋い焦がれるのでしょう。なぜ、人は傷つけ合わねば戦を止めることができないのでしょう」
「その負の連鎖を止めることができるのが、信長殿でござる。信長殿だけが、この戦を止めることができるのでござる。信長殿は弱音を吐いてはいけないのでござる!」
信長は、ふうと嘆息する。
「家康くんは厳しいですね。先生に弱音を吐くのを禁じろと言うのですから」
「信長殿は民に、家臣に、天下に示さなければならないでござる。信長殿が鬼になれないと言うのであれば、俺が信長殿を鬼に仕上げるでござる。共に鬼となり、地獄の門番になり、修羅道を突き進もうでござる」
家康は毅然とした態度で、信長に言う。信長は、つい、ふふっと笑ってしまう。
「家康くん。先生と共に天下を取りにこれからも歩んで行ってくれますか?」
「信長殿の友である、俺以外に誰が信長殿を支えるでござるか。ずっといつまでも一緒なのでござる」
「では、家康くんには期待させてもらいますかね。そうですね、もし、朝倉が浅井に迎合して先生たちに歯向かってくるというのであれば、朝倉のほうは家康くんに任せますよ」
「え?徳川家だけで朝倉を抑えろと言うのでござるか?ううん、それは少々、無茶と言うものではござらぬか?」
「何を言っているのです。三河の兵は織田家の3倍強いって、宣伝しているじゃないですか。その宣伝通りの働きを期待しているだけですよ?」
信長は一転、いつものように軽口を叩くのである。家康は、その信長の姿を見
「そうでござるな。三河の兵は信長殿の兵より3倍強いのでござる。期待してくれていいのでござるよ」
「先生の予想では、朝倉は2万ほど兵を連れてくると思っているのですよ。三河の兵3000で対抗してもらうので、期待たっぷりで見守らせてもらいますよ?」
「ちょ、ちょっと待ってくれでござる。6倍以上の兵力差でござらぬか?それでは。3倍の相手ならともかく、6倍以上は無理でござるよ!」
「なあに、家康さまならできるだろ?殿といっしょに修羅道を突き進むって言ってたじゃないか。家康さまなら、きっとできるって」
信盛がどこからかひょっこり現れて、家康に言う。
「あれ?のぶもりもり、どうしたんですか?養生しておけって言っておいたじゃないですか」
「いやあ。どうせ、殿のことだから、長政さまが裏切ったことに心痛めて、今頃、沈んでいるんじゃないかって思って、声でもかけておこうと思ってさ。まあ、その役目も家康さまにとられちまったんだけどさ。出るタイミングを逃して、さて、どうしたものかと思っていたわけ」
信盛が右手を首の後ろに回して、困り顔で有りながら笑っている。
「のぶもりもりは、本当、その気づかいを女性に回せるようだったら、婚期も遅れていなかったんでしょうけどね」
「うるせえ。今は、立派に嫁さんが2人いるからいいんだよ。大体、長政さまのせいで、岐阜に戻れなくなって、その嫁さんたちに会いに行けなくなっちまったし、困ったもんだぜ」
「そういえばそうですね。皆さん、越前攻めがあっさり終わると思って、奥方たちは全員、岐阜ですからね。夜の性活に支障が出てしまいますね」
「うーん。もしかして、浅井家を滅ぼさないと、俺たち、岐阜にも三河にも帰れないでござる。せっかく、年始の合婚で妾を作ったと言うのに、会いに行けないでござるぞ。これは困った話でござる」
「まあ、伊勢路を通れば、家康くんは三河に帰れますよ?でも、今、家康くんを帰すわけには行きませんので、長政くんの件がどうにかなるまで、ずっと、ここに居てもらうことになるわけですけどね?」
「ええ?新婚なのにほっぽらかしてたら、浮気をされてしまうのでござる。若い女性と言うものは、性欲も強いと言うのでござる。これは何が何でも長政をどうにかしないといけないのでござる」
「家康さま。三十路のほうが女性は性欲が増すんだぜ?うちの小春なんて、毎晩、せがんできて大変なんだ。三十路パワー恐るべし」
「のぶもりもり、そう言う話をすると、先生が小春さんから文句の書状が届くので止めてくれませんかね?小春さんは勘がするどいので、先回りに書状がくるんで、仕事が増えるんですよ」
「さすがに長政の所為で、岐阜と南近江で連絡が途絶えてる状態なんだ。書状が届くわけがないだろ」
そう信盛が言うのと同時に、小姓が部屋にやってきて、信長に書状を渡す。信長がその書状を見て、ふうと嘆息する。
「のぶもりもり、小春さんからの書状です。大事が収まるまで遊女といちゃいちゃするのは仕方ないが、嫁は増やすなと書いてありますよ」
「ええ?なんでこっちのことが筒抜けなわけ?殿、何か、岐阜のほうに現状を伝えたりした?」
「いいえ?貞勝くん辺りが気を利かせてくれたんじゃないですか?先生は寝込んでいたので、多分そうでしょうね」
「うーん。貞勝殿め、いらんことをしてくれたもんだなあ。しっかし、小春の予想だと、長引くってことかあ。女の勘は当たるもんだから、これから大変になりそうだなあ」
「そうですね。もしかしたら、長政くんだけの問題ではなくなると言ったところでしょうか。伊勢路経由で先生の女房連中を呼び出そうと考えていましたが、これはちょっと気をつけないといけませんね」
夜の性活について頭を悩ます3人である。しばらく、ご無沙汰の日を過ごすのは確実となりそうなのである。武将と言うものは気性が荒いものが多いが、それに比例するかのように性欲も強いものが多い。いつも生き死にを賭けて戦っているのだ。性欲が強くなるのは自然の掟なのかもしれない。
「秀吉くんに遊郭の案内でもさせましょうか。あと、兵たちのことを考えておかないと、まずいことになりますね。3万人もの兵たちも溜まるものは溜まりますし、気に留めておかないといけませんね」
「まあ、いざとなりゃ、男同士でやってりゃいいんだ。兵士たちの絆も深まっていいんじゃねえの?」
「いやな絆でござるな。掘るのは構わないでござるが、俺、掘られる方になるのはいやでござるよ」
「案外、掘られるのも悪いものではないですよ?新たな世界が広がる感じがしますし、家康くんが好みそうな若い男を紹介しましょうか?」
「ううむ。新たな世界というより、尻の穴が広がりそうでござる。ただでさえ、忠勝のやつが俺を見る目が最近、おかしいでござる。あれは野獣に似た眼でござる」
「忠勝くんと言うのは、一体だれのことです?もしかして、本多忠高の息子ですか?」
「そうでござる。信長殿と父上、信秀殿と死闘を繰り返した、あの本多忠高の息子でござる。その息子が立派に成長し、酒井忠次に次ぐ、俺の忠臣として、今回の越前攻めに参戦していたのでござる」
「ほう、それは楽しみな将が育ったものですね。今度、その勇士を見せてもらいましょうか。きっと、美丈夫な男なんだろうなと想像できます」
「信長殿が期待しているものとは少し違うものになると思うのでござる。あいつはいつも貧乏ゆすりをしているので、槍の穂先に止まったトンボがその衝撃で真っ二つに斬れてしまったのでござる。そこから、あいつの持つ槍は蜻蛉切とあだ名されてしまったのでござる」
「貧乏ゆすりでトンボが斬れるって、それはそれですごい気がするな。ちょっと、会わせてくれよ。そいつの槍の穂先にリンゴとか餅とか乗せてみるからよ」
信盛がげらげらと笑っている。しかし、家康は渋面で
「あいつ、こわもてなのに、兜の両脇に鹿角を着けているのでござる。しかもそれがかなり大きいので、見た目がかなり怖いのでござる。それに肩から大きな数珠をぶら下げているので、さながら仁王の如くでござる」
「それはなかなかの迫力の持主ですね、忠勝くんは。家康くんの威勢を彼が補ってくれそうで頼もしい限りじゃないですか」
「それが、あの鹿角兜が邪魔なのでござるよ。あれをかぶったまま、頭を下げられると、角がガンガン、俺の顔に当たるのでござる。その兜を止めろと言っても、【拙者のあいでんてぃてぃの存亡にかかわるのでござる。いやでござる】と訳の分からん南蛮語で主張するのでござる」
「はははっ、色々、兜の装飾で目立とうとするやつは多いけど、忠勝ってやつは中々、剛毅なやつだな。気にいったぜ」
「笑い事では無いのでござる。大体、あのごついこわもてで、最近、俺を見る眼がやらしいのでござる。貞操の危機を感じてしまうのでござる」
「主君と家臣の愛と言うものは、血縁を越えた絆になります。家康くんは忠勝くんの期待に沿えるよう努力してみてはいかがですか?無二の忠臣になってくれること請け合いですよ?」
信長の言いに家康がううんと唸る。尻ひとつで、かけがえのない忠臣を得られるなら、それもそれで悪くはないのかもとさえ思ってしまう。
「ちなみに、信長殿は男相手なら、攻める派なのでござるか?それとも受ける派なのでござるか?」
「先生は大抵は攻める側ですが、たまに趣向を変えて、受ける側にもなりますので、攻め8対受け2と言ったところでしょうかね」
「ええ?殿って受けもできるの?それは意外だったぜ。てっきり、攻め10だと思ってたわ」
「受けると言っても、主導権を握るのは、先生ですからね。根本的なところは変わらないのですよ」
家康は頭の中で、信長が受けで、自分が攻めの姿を想像し、いちもつを言いようにされる姿が浮かんで、怖気が背中に走る。
「家康さまは、受けに見えるよな。本当、総受けって感じ。いつもいじられる役目は、家康殿が一身に引き受けてくれるからなあ」
信盛が右手であごをさすりながら、そう思案する。
「その総受けな家康くんが、今度の浅井との決戦で、朝倉2万を総受けしてくれるので、先生たちのお尻は危険度が大分、さがりますね。家康くん、しっかり、朝倉の想いを受け止めてくださいね?」
「いやな、役回りでござるな。しかし、徳川に任せられた仕事は重要なものになるでござる。喜んでとまでは行かないものの、立派に、朝倉と対峙してくれようなのでござる」
3人は談笑を終え、信長は静かに眼を閉じる。そして開いたその両眼には静かに炎を宿らせているのであった。