ー大誤算の章12- 金ケ崎の撤退 その12
「信長さまは昨日、無事に京へ辿りつきました!疲れ切ってはいるものの、目立った傷もなく、命には別条はないご様子でした」
伝令が、京への途上にあった、織田軍本隊と合流する。諸将たちは歓喜に湧き立つのであった。
「さすが信長さまッス。信じてた通りッス!そうとわかれば、一気に俺らも京へ帰るッス」
「ん…。信長さまが無事で良かった。これで、田中城を守る勝家さまたちも下がれる。伝令の者、田中城にも向かってくれ」
伝令の者がははぁっ!と返事をし、田中城に向かって行く。織田軍本隊は信長の無事を聞き、下がりきっていた士気は否応にも上がっていく。
しかし、伝令の者が田中城に到達するころには、城のそこかしこから、火が上がり、煙が立ち上っていたのであった。浅井・朝倉の総攻撃がすでにはじまっていたのである。
「田中城を落とすのだぞ!義兄・信長殿には逃げられてしまったかもしれぬが、ここの城を落としておくことは、この先の戦いで優位になるのであるぞ」
長政は海赤雨3将に指令を飛ばす。3将は城に波状攻撃を加え、織田方に休ませる隙を与えないでいた。秀吉・光秀の殿を務めていた2000の兵は連戦で疲れ切っており、いまや、頼みの綱は勝家・丹羽が引きいる3000の兵であった。
「がははっ。2万を相手に3000で大立ち回りをするのも存外、楽しいものでもうすな。さあ、もっとプロティンを持ってくるでもうす。我輩に力を与えるでもうす!」
「たーんたららーん。丹羽ちゃんは籠城をぷろでゅーすするのです。勝家さま、そこの柱をへし折って、敵に投げつけてくださいなのです」
「ふんぬ、おらああああ!」
実質、3000で、浅井・朝倉の2万と戦うことになっているのだが、さすがは勝家と丹羽である。散々に敵兵を押し返し、田中城を包囲させることはなかったのである。
4月31日から5月1日に日が変わろうとする深夜、田中城の裏手より、織田方の伝令が入城する。信長が無事だと言う吉報を遂に勝家たちにもたらすこととなる。
勝家、丹羽、秀吉、光秀たちは、歓喜し、涙を流す。
「がははっ!さすがは殿でもうす。すでに4月30日の夜には京に着いていたと言うでもうすか。一体、どこを通って京へ逃げ帰ったのか、本当に、殿はとんでもないでもうす」
「それなら、これ以上、この城で粘る必要は無くなったのです。闇夜に紛れて逃げるのです」
「ふひっ。うれしいのでございます。信長さまが無事で本当にうれしいのでございます」
「光秀殿、泣いている時間はありま、せんよ!逃げましょう。私たちも生き延びま、しょう」
田中城に残った5000の兵士たちは、夜の闇に紛れて退城する。明けて5月1日、浅井・朝倉の連合軍は、まんまと織田軍全体を逃してしまったことに歯がみすることになる。
「くそっ!結局、何ひとつ、成果を上げることをできなかったのだぞ。義兄・信長殿。次こそは必ず、その首級もらい受けるのだぞ」
田中城に入った、長政は空に向かって、絶叫する。
織田家と浅井家の終わらぬ戦いは、まだまだ続くのであった。
田中城から織田軍本隊が後退して二日後の5月2日、京へと到達する。織田家の諸将たちは床に臥せる信長の元へと馳せ参じるのであった。
「信長さま。無事で良かったッス。本当に心配してたッス。一体、全体、どこをほっつき歩いていたッスか!」
利家は信長が無事な姿を確認し、涙を流して、信長にしがみつくのである。信長は利家の頭をぽんぽんと叩き
「びわこ沿岸を抜けれそうではなかったので、久秀くんの勧めもあり、山道を通り、朽木峠を抜けて、比叡山のふもとを横に見ながら、京へと返ってきたのですよ。あまりにもの強行軍だったので、さすがに疲れてしまいました」
「へへっ。本当、とんでもないところを通ってきたもんだわ。道中、熊とか出てきて、馬が1頭、喰われちまったからな。久秀の奴でも熊の餌にしてやれば良かったと思ったわ」
「ふははっ。そんなことをしていたら、今頃、朽木砦を越えれなかったかもしれないでござるぞ。いやあ、熊の餌にならなくて良かったのでござる」
信盛と久秀が包帯を全身に巻き付けた姿で、信長の横で共に寝ていた。打ち身や擦傷で、体中ぼろぼろの姿を見る限り、逃走劇がすさまじいものであったのが覗える。
「ははっ。結局、その熊も俺が退治したんだぜ?信盛さまも久秀さまも、訓練が足らないんだぜ!」
そう言うのは、前田慶次である。彼も、無事とは行かず、身体のあちこちに包帯を巻きつけている。
「慶次、良く信長さまを守りきったッス。何か欲しいものがあったら、遠慮なく言うッス」
「じゃあ、オジキの愛馬の谷風を俺にくれなんだぜ。あんな名馬は見たことがないんだぜ」
「えええ!谷風は勘弁してほしいッス。他ならなんでもいいから、それだけはいやッス」
「なんでえ、なんでえ、なんでもくれるって言ったじゃねえか。オジキは男じゃないぜ!」
「いいじゃねえか、馬の1頭や、2頭。慶次がいなかったら、殿は危なかったんだぞ。それくらい、譲ってやれよ」
「だけど、信盛さま。本当に、谷風はいい馬なんッスよ。1日千里を走ると言われれば、あの馬こそがそうだと言える馬ッス」
「利家くん。男が男の約束を破るのは傾奇者としてどうなんだと先生は思いますよ?利家くんには、他の馬を与えますので、慶次くんに谷風とやらを譲ってはどうですか?」
信盛と信長に言われ、ううんと唸る、利家である。そして、渋々であるが、利家は慶次に愛馬・谷風を譲ることになる。
「本当におしいっすけど、男が約束を破るのはいけないことッス。慶次、谷風を大事にしてくれッス」
「ははっ。そうとなれば、さっそく頂いてくるんだぜ。オジキ!今更、返せって言うのは無しなんだぜ」
慶次は部屋を飛び出し、馬屋にすっ飛んでいく。その元気っぷりに、信盛は唖然となる。
「おっかしいなあ?同じ道中を共にしてきたのに、なんであんなに元気が有り余ってるわけ?こっちは立ってられないって言うのに、人としておかしすぎない?」
「慶次は体力だけなら、勝家さまを超えているッス。なんでああなのかは、俺にもわからないッス」
信盛は利家の言いにふむと息をつく。
「まあ、その体力馬鹿のおかげで、殿が無事に京に辿り着けたんだ。感謝はしとかないとな。あれで戦闘指揮ができたら、殿が放っておかない人材に間違いないんだけどなあ」
「慶次くんはひとひとりの武勇に関しては文句のつけようがないのに、そこが残念で仕方ありません。利家くん、あなたが代わりに慶次くんの手綱をしっかり握っておいてくださいね」
「わかってるッス。ああ、戦馬鹿じゃなければ、1000の軍を任せるのに、本当におしい奴ッス。なんで、あんなに偏った男なんッスかねえ」
利家は慶次という男をおしいなあと思っている。だが、もっていない軍才に関して無いものねだりするのもアレだと思い、それ以上は口にすることは無かった。
それからさらに二日後、勝家、丹羽、秀吉、光秀が京へと戻ってくる。これでやっと、織田家の主力部隊が全員、京に帰ってこれたのであった。
「殿!ご無事でなによりでもうす。我輩、不謹慎ながら、殿がやられてしまったのかと、思ってしまったのでござるよ」
勝家は柄にもなく、両の眼から涙をぼろぼろと流し、床に臥せる信長に抱きついていた。
「痛い痛い痛い!ちょっと、本気で抱きついてくるのは、止めてください。本当に痛いんですって。先生、このままじゃ死んでしまいます」
「心配させた罰なのです。勝家さま。もっと力を込めるのです」
「ふんぬ、おらあああああ!」
勝家は120パーセント解放でもうす!と叫び、体中の筋肉を膨張させて、信長を抱きしめる。めきめきめきと信長の身体は悲鳴を上げ、信長はついぞ、口から泡を吹き、目を回す。
「いやあ、嬉しさの余り、やりすぎたのでもうす。勝家、反省するでござる」
勝家の死の抱擁は、信長を失神させるのに充分な威力であった。
「あ、あの。信長さま、口から泡を吹いて、倒れてしまったのですが、あとでお仕置きされるんじゃないで、しょうか?」
「ガハハッ!心配無用。殿はそんな器が小さい男ではないでもうす。それに殿も少なからず、怪我をしているでもうす。今はゆっくり休んでもらうのがいいでもうす」
「ふひっ。勝家さまは策士でございますね。確かに、床に臥せながらでも、気持ちは今すぐにでも長政さまに一矢報いようと動きだすように見えたのでございます。まずはゆっくり養生してもらうのが1番でございます」
「秀吉、光秀、お前らも傷の手当てをしてもらえよ。見るからにそこら中、傷だらけじゃねえか。それによく見ると、これは火傷か?お前ら、火の中でも必死に殿を務めていてくれたのか?」
信長の横で、布団の中に入っていた、信盛が秀吉と、光秀の状態を見て、心配そうに声をかける。
「こ、これは、ちょっと、壺の中に入れていた、火薬に火をつけたのが原因、でして」
秀吉が歯切れ悪く、信盛に応える。
「ふひっ。小壺に火薬を敷き詰め、火をつけて、その小壺を敵に投げて抵抗したのでございます。その小壺の威力はすさまじく、あたり1面、火の海になったのでございます」
「へえ。面白いことを考えるもんだな。じゃあ、その火にお前らまで、巻き込まれたってことか?」
「い、いえ。小壺であの威力だから、大壺なら、もっとすごいことになるのではないかと、半兵衛殿が言い出したので、金ケ崎城に残っていた火薬を総て、入れてみたの、です。そしたら、城が吹き飛ぶほどの大爆発が起こって、私たちも巻き込まれた、だけで」
バツが悪そうな顔で、秀吉は頭を右手でこりこりとかくのである。信盛は最初、口をあんぐりさせていたものの、無事である、秀吉と光秀を見て、はははっ、そりゃ災難だなと笑うのであった。