ー大誤算の章 7- 金ヶ崎の撤退 その7
「貴様たち、何者だ!名を名乗れ」
朽木砦の門番たちが、近づいてくる信長一行に向け、槍を構えて怒号を上げる。
「客人に対して失礼な奴らでござるな。こちらは朽木元網殿に会う約束をしているのでござる。さあ、早く道をあけるのでござる」
こいつは何を言っているんだと思う、門番たちである。夕暮れから夜にさしかかろうとする、この時間に客人がやってくるなどとの話は主から聞いてはいなかったからである。
それに、目の前の男たちは、汗と泥と返り血で汚れており、見るからに客とは思えないのである。
「主、朽木元網さまからは、約束の話など聞いてはおらんぞ!お前たち、嘘を言うのであれば、もっとましなことを言え」
門番たちは手に持つ槍を久秀のほうに向けながら威嚇をする。
「やれやれ。強情な奴らでござるな。仕方がないでござる」
やれやれと言った仕草を久秀は見せ、その後、猫背をまっすぐにさせ、身を正し、門番たちに告げる。
「ここにおられるのは、将軍・足利義昭さまを上洛に導いた、織田信長さまである。その信長さまが、此度の越前攻めで成功をおさめ、京へと凱旋している最中なのでござる。その途上にある朽木砦の主に、越前攻めの際に通行許可をもらえたことに関して、礼を述べに、直々に足を運ばれたのでござる」
よくもまあ、嘘をぺらぺらと並べ立てられるものだと、信盛は苦笑してしまう。
「それに、貴様らの主、朽木元網殿は、わしゃの大親友なのでござる。お前たちは主の大親友に槍を向けるとは、何事でござるか!」
あろうことか、久秀は朽木砦の主である、朽木元網の大親友だと大ぼらを吹き始める始末だ。唖然となる門番もさることながら、信長は久秀の豪胆さに、驚きを隠せないでいる。
「さあ、わかったら、道を開けてもらうでござる。信長さまに湯と夕飯を出すのでござる!」
怖気着いた門番たちは、久秀に向けていた槍を、敵対の意思はないとの如く、槍を縦に持ち直し、信長一行に道を開ける。
その一連のやりとりの後、信長たちは朽木砦内にある屋敷に通される。そして、信長たちは風呂場に通され、汗と血と泥で汚れた服を脱ぎ、湯あみをすることとなる。
「ぷはあ、生き返るぜえ。かけ湯の風呂と言えども、こんな山奥でお湯を楽しめるとは思わなかったぜ」
「本当、そうですね。しかし、久秀くんの豪胆さには驚かされましたよ。まさか、すんなり、屋敷の中へ通されるとは思いもしませんでした」
「ふははっ。朽木元網殿の父親とは、顔見知りであったのでござる。ここは元、足利義輝に仕えていた者たちでござる。それ故の縁でござるよ」
「て、ことは、息子の方は、全然、知り合いでもなんでもないじゃないですか」
信長が久秀を非難するが、久秀は禿げた頭を右手でさすりながら
「屋敷に招かれ、湯あみまでさせてもらっているのでござる。これを大親友の仲と言わずに、何と表現するのでござるか」
「ははっ!久秀さまは傾いているねえ。オジキにも、久秀さまの爪の垢でも煎じて飲んでもらいたいものだぜ」
一緒に湯あみをしている、前田慶次がそう、久秀を評価する。
「やめとけ、やめとけ。こいつの爪の垢なんか飲んじまったら、純粋な心の利家が穢れちまう。殿だって、嫌だろ?利家が、久秀みたいになっちまったら」
「まあ、利家くんは違った方向で豪胆なんですけどねえ。しかし、悪だくみに関しては今一つなので、少しくらい、爪の垢を飲んだほうが良い武将に育つと思ってしまいますね」
「さすが信長さまだぜ。今度、久秀さまの指を何本かむしり取って、小鉢ですりおろして、酒にでも混ぜておいてやるぜ」
「おお、慶次、それは良い考えじゃないか。久秀の手癖の悪さも無くなるんじゃねえの?」
「慶次殿、信盛殿。何を言っているのでござる。この手癖の悪さで、今、命が長らえているのでござる。わしゃに対して、感謝の念が足りぬでござるよ?」
慶次と信盛の軽口に、久秀が渋面で応える。信長はそんなやりとりを見て、ついおかしくなり、顔に笑みを浮かべる。
「お?殿。眉間のしわが取れてきたじゃねえか。長政の裏切りを知ってからこっち、ずっと、しかめっつらだったから心配してたんだぜ?」
「ん?そうです?そんなに先生は怖い顔をしていたのですか?自分では気付きませんでしたけど」
「逆らう者全てを火の海に叩きこんでやるって顔してたんだぜ。おかげで、いつもの軽口も叩けずに、顔色を伺いぱなしだったぜ」
信長はふむと息をつき、眉間を右手の人差し指と中指でこする。確かに、知らずに力を込めていたようで、筋肉がこわばっているのがわかる。信長は眉間を丁寧にさすりながら、筋肉のこわばりをほぐすのであった。
そう信長が眉間をこすっていると、頭から湯をざばあとかけられる。何事だ?とびっくりする信長である。
「はははっ。信長さま、湯加減どうかなのだぜ!マゲが怒髪、天をつくがの如くにいきりたっていたんだぜ」
信長のマゲは慶次により、湯をぶちかけられ、しんなりとなる。それによって、ざわついていた心も溶かされるような気分である。
信長は湯でしんなりとなったマゲをくいくいっといじりながら
「先生のマゲがいきり立つなんて、いつ以来でしょうかね?」
「んー?義昭が本圀寺で三好に囲まれた以来だと思うぞ?あのときはマゲで敵を突き殺すような勢いだったけど、今回は、マゲが飛んで行って、長政の頭をぶち抜くが如くだったぜ?」
「ほう。のぶもりもりは先生のマゲが着脱可能だと言いたいのでしょうか?いくら神仏を崇めようが、そんな機能は先生のマゲに備わることはないでしょう。あ、でも、もしできるのなら、面白そうですね」
信長は、あごに右手を当て、ううんと考え込んでしまう。
「いや、冗談だから、殿。そんなに本気で悩む必要はないと思うぞ?」
「あれ?そうなんです?飛んで行ったあと、抜け後からマゲがまたにょきっ!と生えてくるのを想像してたのですが、無駄なことに時間をとられてしまいました」
信長は真面目な顔つきで信盛に応える。あれ?なんか、いつもの殿と様子が違うぞ?本当に、落ち着いているのか、うちの殿は、と信盛は怪訝な顔付きになる。
それを察したのか、今度は久秀が信長に冗談を言ってみる。
「そういえば、夕飯は一体、何を出してくれるでござるかなあ、朽木殿は。殿は甘いものが好きだと言うことを伝えわすれたのでござる。いやあ、これは失敗したのでござる。女体盛りが出てきたら、わしゃ、切腹をしなければならないのでござる」
「女体盛りは1度、帰蝶で試しましたけれど、刺身が人肌で温められて、なかなかに味わいが微妙だったのですよね。あれ、何でしょうね?全国の大名たちは、あんなものを何故、好き好んで食べるんでしょうね?」
信長が頭を捻りながら、またもや考え込み始めている。あれれ?やっぱり、いつもの殿と様子が違うぞ。これは何かが起きる前触れなんじゃないだろうなと信盛は殿に対して、警戒心を持つことになる。
「はははっ、さすが信長さまだぜ。女房を使って、女体盛りをするなんて、なかなか傾いてやがるんだぜ」
慶次が面白そうに信長の話を聞いている。
「慶次くんも1度、味わってみるといいですよ?雰囲気を味わうものとしては悪くは無いんですが、刺身は止めておいたほうがいいですよ」
「じゃあ、俺は刺身じゃなくて、焼肉の女体盛りを楽しんでみるのだぜ。鹿肉、豚肉、猪肉とそれぞれ、3人の女性に盛らせてもらうんだぜ」
「焼肉をひとの身体に載せるのは、ちょっといただけないような気もするんですけどねえ。ちょっと、絵面が怖いことになりませんか?」
「そう言われてみれば、そうだぜ。じゃあ、天麩羅で盛り付けるとしようなのだぜ」
焼肉も天麩羅も変わりねえだろとつっこみを入れたくなる衝動に駆られる信盛である。
「ああ、でも、小春とエレナを床に並べて、野菜を盛り合わせるのも悪くない気もするなあ」
「のぶもりもり、それはさすがに変態すぎると思うのですが。胡瓜となすびを何に使うつもりなんですか。また小春さんにどやされてしまいますよ?」
「胡瓜となすび?そんなもん、一体、何に使うんだよって、おいっ!俺はそんなつもりで言ったわけじゃねえよ。俺を勝手に変態扱いにするんじゃねえよ」
「ふははっ。信盛殿。野菜をそのようなことに使うとは中々、面白い話でござるな。【本当は気持ちいい夜伽 特別号by松永久秀】で、ネタとして使わせてもらうのでござる」
そんな3人の話を聞いて、慶次は頭にハテナマークを浮かべて、首をかしげている。
「なあ、信盛さま。胡瓜となすびで一体、何をする気なんだ?俺には何がなんやらよくわからんのだぜ」
「わからないほうが良い。そのまま、純粋な慶次でいてくれ。頼むから」
「今度、彼女にでも聞いておくんだぜ。俺は頭が悪いから、頭の良い彼女ならわかるんだぜ」
ああ、これはその彼女に拳で殴られる未来しか見えないわ。まあ、これも良い人生経験になるだろうと思い、信盛はそれ以上を言うことを止める。
「ふははっ。きっと、その慶次殿はその彼女とは、熱い夜を楽しめることになりそうでござるな。ぜひ聞いてみるといいのでござる」
一連のやりとりをしながら、風呂からあがった信長一行は、屋敷の広間へと通されることになる。
広間には、夕食が盛られた膳が用意され、喰うものも喰わず、馬に乗って走り回った信長たち一行は、つい腹をぐうと鳴らしてしまうのであった。
「焼肉と野菜の盛り合わせなんて、先生たちの風呂場での話でも聞かれていたのですかね?こんなタイミング良く、用意されていると、なんだか心配になってしまいますよ」
そう言いつつも、胡瓜に味噌をつけ、ばりぼりとかじる信長である。信盛は、なんだかなあと思いつつも、味噌汁をずずいと飲み、喉を潤しながら、白いご飯に焼肉を乗せ、ばくばくと喰うのである。




