ー大誤算の章 5- 金ヶ崎の撤退 その5
29日昼。ついに浅井長政率いる1万の軍が金ケ崎城前に陣取る。
「はははっ。ついにこの時が来たのだぞ!さあ、義兄・信長殿、いざ尋常に勝負なのだぞ」
長政はまずこの金ヶ崎城を落とし、越前へと向かっているはずである織田軍本隊の撤退路を失くす作戦を取るつもりであった。果敢に金ヶ崎城を攻めたて、一気にここを落とすために、各将たちに伝令を送る。
「金ヶ崎城を攻められ、その報せを聞いた、織田の本隊が戻ってくるまでに落としてしまうのだぞ!綱親、赤尾、雨森、一気に攻めたてよ」
長政からの指令を受け取った海北綱親、赤尾清綱、雨森弥兵衛の3人は「海赤雨3将」と呼ばれる、浅井家きっての猛将達であった。
「俺も連れていってくれでごんす!信長の首級、俺がとってくれるでごんす」
威勢よく言うは、長政の家臣、遠藤直経である。彼は信長と長政が組むことを最初から毛嫌いしていた。信長が京へ上洛したあと、岐阜に戻る際に、小谷城へ市の様子を見に寄ったおり、長政に信長の暗殺を進言したほどだ。
要は反りがあわないのである。遠藤は浅井家の興隆が1番だと考えていた。浅井家は豪族からの成り上がりの戦国大名であり、家格としては、信長と大差はない。だが、実際に天下を好きにしているのは誰か?家格の変わらぬ織田家である。それが遠藤には気に喰わないのだ。
「まあ、遠藤、待つのだ。義兄・信長は金ヶ崎を攻められれば、急いでここに戻ってこよう。そこを朝倉と挟み撃ちにするのだぞ」
むむむと唸る遠藤である。はやる気持ちをそのままに、手に持つ槍を今やへし折らんばかりに力を込めている。その姿を見ながら、長政がふふふっと笑いが込み上がってしまうのであった。
「さあ、海赤雨よ。浅井の勇士を織田に見せつけてやるのだぞ!」
一方、朝倉と言えば、一向に一乗谷にやってこない織田の軍に不思議なものを感じていた。こちらは急いで兵を集めたものの、1万に足りるかどうかであった。このまま、織田の3万もの軍を相手にすれば、滅亡も免れぬものとなっていたのだ。
「おかしいので候。なぜ、信長は、攻めてこないので候」
朝倉義景は不思議に思い、物見を遣わしていた。しかし、その物見の報告では、どこにも織田家の兵たちは見つからず、何故か金ケ崎城で戦闘が行われているとの報告であった。
「何が起こっているので候。とっくに金ヶ崎城は織田の手に落ちたと聞いているので候。一体、織田家は誰と戦っているので候?」
「はっ。旗印から察するに、浅井家が織田家を攻めているようにも見えました。何故、同盟国同士で戦っているのか見当がつかないのです」
その物見の報告に、ううむと唸る朝倉義景である。もしかしたら、何かをきっかけに仲たがいしたのではないか?そう思う、義景は、これはもしや、織田家を打ち破る絶好の機会がやってきたのでは?と。
「これより、朝倉は金ヶ崎へ進発するで候。皆の者、出陣するで候!」
義景は一乗谷に集まる兵たちに号令をかける。4月29日 昼、ついに朝倉家も金ヶ崎へと軍を進めるのであった。金ヶ崎に残る、秀吉、光秀たちはついに2方向から攻められることになるのであった。
「熱した油をもってきてくだ、さい!城の塀にしがみつく敵兵に浴びせかけてください」
「ふひっ。鉄砲と矢を間断なく撃ちつづけるのでございます!これ以上、敵を近づけさせてはいけないのでございます」
「んっんー。壺に火薬を詰めてください。火縄をそこに突っ込み、火をつけて敵に向かって投げてください」
竹中は兵たちに高さ15cm程度の小壺に火薬を詰めさせる。これに火縄を差し込むことで簡易な爆弾とする。これは戦国時代に開発された焼夷手りゅう弾と言って良い。
この焼夷手りゅう弾を主に用いて戦っていたのは、毛利に属する村上水軍である。彼らは敵の船を焼夷手りゅう弾で次々と焼き、毛利の水域確保に一役買ったのである。
それを真似たのが竹中である。投げられた壺が地面に当たり割れ、中の大量の火薬がぶちまけられ、辺り一面を火の海に包む。飛散した火薬が浅井の兵たちにまとわりつく。それがまた延焼していき、金ケ崎城の周りは地獄と化していくのであった。
「ええい!火なぞ、何を恐れることがあろうなのだぞ。皆の者、つっこむがいいのだぞ」
長政は兵たちを鼓舞し、一気果敢に城を攻めたてる。だが、秀吉、光秀が守る1500の兵は中々にしぶとく、手をこまねくこととなる。落ちぬ城に歯がみするは、長政である。ここを早急に落とさねば、越前より、織田軍本隊がやってくる。
朝倉とは連絡を取っていたわけではない。城に織田軍本隊が入れば、いくら奇襲と言えども、信長は持ちこたえることになるだろう。そうなれば、逆に追い込まれるのは浅井のほうになる。
長政は焦っていた。信長が居ない城に、何故、これほど時間をかけなければならないのかと。
「破城槌を持ってくるのだぞ!矢盾隊、前に出て、城の門をぶち破るのだぞ」
「殿!北東より、大量の兵が迫ってきております」
長政が金ケ崎城を包囲してから、早、3時間経過していた。ついに織田軍本隊が戻ってきてしまったのかと、長政は思う。城が落ちなかったことにより、外側から織田に攻められる危機になってしまったかとそう思った。
「朝倉です。朝倉家の兵がやってきました!」
伝令がそう、長政に言う。長政は、えっ?と言う顔付きになる。何故、織田軍本隊ではなく、朝倉の兵がくるのかと。もしや、織田軍本隊は越前の地で散開してしまったのかと一瞬思った。
「誰か、朝倉に伝令を送るのだぞ!織田軍の本隊はどこに消えたのか確かめてくるのだぞ」
長政は一旦、城攻めを停止し、陣容を構え直す指示を出す。消えた織田軍本隊の行き先をまずは確かめねばならぬと、そう思ったのだ。
長政が放った伝令は、みるみる近づいてくる朝倉の軍の中へ騎馬に乗り、突っ走っていく。その伝令を迎え入れた朝倉義景もまた、怪訝な表情でその者の話を聞くのであった。
「此度の将軍傀儡化に義憤を覚えた長政殿が、織田家に反旗をひるがえしたと言いたいので候か?なるほど、私と同じ気持ちの者がまだこの国に居たとは驚きなので候。しかし、その肝心の相手はどこに消えたので候。聞きたいのはこちらなので候」
義景は長政からの伝令からの言付けに、そう感想を述べる。義景は事態をよく把握できておらず、混乱を招かないためにも、長政との合流を伝令にもうしつける。
それから30分後、長政の軍は、北へ移動し、朝倉の軍と合流を果たす。そして長政と義景は意見交換を行うこととなる。
「おお、義景殿。無事でござったかのだぞ。このたびの織田家の襲撃、よく持ちこたえてくれたのだぞ」
「うむ。長政殿、久しぶりなので候。そなたたちの救援なくば、朝倉家は滅びていたのかもしれないので候。謹んで感謝をいたすので候」
義景は長政に対して、深々と礼をする。本来なら、守護大名が豪族出の大名に頭を下げる義理などない。だが、長政の織田軍への奇襲が無ければ、その名門・朝倉家も風前の灯であったのは間違いない。
義景の眼から見れば、長政の取った行動は、将軍傀儡化に怒りを覚えた義の体現者だったのである。しかし、長政の真意は違う。信長を倒し、天下を手中に収めるための行動である。両者はこの時点で食い違っていたのだった。
「して、すでに長政殿の手により、信長は討ち取られたので候か?そうでもなければ、織田軍本隊が消えてなくなる理由が皆目、検討がつかないので候」
「違うのだぞ。こちらとしては、金ケ崎城を落とし、一乗谷に攻め入ろうとする織田軍本隊を後ろから急襲する予定だったのだぞ。しかし、北東からやってきたのは、義景殿だったのだぞ。こちらとしては、義景殿が奮戦されて、信長を討ち取ったのかと思ったのだぞ」
「残念ながら、そうではないで候。一向に信長の本隊が一乗谷に来ないので、物見を放ったら、長政殿が金ヶ崎城で織田と戦っていると知ったので、軍を進発させたので候。長政殿にわからぬこと、私にもわからぬのは必定なので候」
義景もまた、織田軍本隊の行方は知らないと言う。長政はどういうことだと思案にくれる。まさか、何かしらの方法で、自分が金ケ崎へ向かうことを知り、全軍で逃げたのかとすら疑念が湧いてくる。
長政と義景が、ううむと唸り、織田軍本隊の行方について思案しているところに、一報が届く。
「伝令!びわこ西岸にて、織田の大量の兵たちが移動を行っているとの報告が各地の農村から来ています。向かう先から推測するに、京へ逃げ帰っているのではないかと予想されます」
長政は、その報せを聞き、顔がみるみる青ざめていくのがわかる。しかし、次の瞬間には、顔に怒りの表情を浮かべ、叫び出す。
「やられたのだぞ!信長の奴は、俺の奇襲を読んで、とっくの昔に逃げ出していたのだぞ。全軍、転進なのだぞ、織田軍本隊に追いつき、京に逃げ帰られる前に全滅させてやるのだぞ」
長政が怒号すると同時に、金ケ崎城から大きな爆発音が起きる。城の屋根が爆発で吹き飛び、辺り一面を火の海へと変えたのである。もし、包囲を解かずに城を囲んだままであったら、長政の兵の損害は計りしれないものになっていたであろう。
その焼け落ちていく、金ケ崎城を呆然と眺めながら、長政は自分の幸運に、ほっと安堵しそうになる。
「殿。これから一体、どうしましょう?」
海北綱親が、そう長政に問う。
「金ケ崎城で籠る織田の決死隊は、俺らを巻き添えに死ぬつもりだったのだぞ。しかし、そうはならなかったのだぞ。全軍、これより、びわこ西岸に向けて、進軍するのだぞ。皆に列を整えろと指示を出すのだぞ!義景殿。いっしょに信長を討とうなのだぞ」
「ううむ。こちらは1万。そなたらも1万。合せて2万で尻から攻めれば、例え3万の軍相手でも勝てる戦となるで候。ここは攻めの一手で候」
長政の言いに義景は肯定で応える。
「朝倉はこれより、浅井と協力し、共に信長を討ちに行くので候。皆の者、浅井の軍の後ろに続き、越前に攻め入ったことを織田に後悔させてやるので候!」