ー大誤算の章 3- 金ヶ崎の撤退 その3
「おい、兄者。この馬鹿たちはほっといて、話を進めてくれないか?付き合ってたら日が暮れちまうぞ」
秀吉の弟、秀長がそう秀吉に告げる。秀吉は、ううんと唸り、気を改めて身を正す。
「彦助殿、田中殿、弥助殿、四さん、そして、秀長。指令を出します。金ケ崎城から進発し、砦を建設してきて、ください」
「ん?俺たち、ここで守らなくていいわけ?ひでよしさまの中核の俺たちをそんなことに使っていいの?」
「んっんー。信頼できる、あなたたちにしか頼めないのですよ。この地図を見てください」
竹中は北近江の周辺地図を机の上に広げ、そこに10個ほど、バツ印を描きこんでいく。
「今、地図に印を描きましたけど、このあたりに、道が狭くなるところがあります。まあ、記憶が古いので確かと言われたらアレなんですけどね。ここに簡素で良いので、砦を作ってほしいわけです」
「ん?竹中殿。簡素と言われても、どれほどの規模のものを造ればいいんだぶひいか?余り、手のこんだものを作っている余裕はないのは、こっちとしても理解しているんだぶひい」
田中が竹中にそう質問する。竹中は右手に持った扇子を口に軽くあてながら応える。
「柵に矢盾、あと、騎馬の突撃を防げるように、木杭をいくつか配備して、陣幕を用意していただくだけでいいですよ?」
「そんな砦じゃ、半日も持ちこたえられないんだぶひい。本当に、そんなので良いんだぶひいか?」
「時間を稼ぐのが目的であって、相手を打ち破るためではありませんからね。あと、油と火薬も持って行ってください。砦を捨てるときには、焼いて、さらに時間を稼げるようにしましょうか」
次々と策を打ち出す竹中に、光秀は唖然としながらも嫉妬の心が芽生えてくるのを感じる。
「ふひっ。さすが竹中殿でございます。こうもぽんぽんと策を思いつくのがすごいのでございます」
「それは、5年近くも織田家を相手に戦わせられましたからね。しかもあの時は兵500でしたから、嫌でも知恵は身につきましたよ」
「竹中殿は元は斎藤家に仕えていたのでございましたね。僕は道三さまが亡くなられたときに斎藤家を出奔しましたので、竹中殿の斎藤家での戦いを見たことはないのでございます」
「光秀殿が斎藤家から出奔したあとに、私が元服して、戦に出るようになりましたからね。見たことがないのは仕方がないことですね」
「半兵衛殿の軍には、織田家がだいぶ苦しめられました、からね。半兵衛殿が斎藤家から出奔しなければ、未だに斎藤家は健在だったかも知れま、せんね」
「そんなことはありませんよ。私の知恵など、信長さまに比べれば、大したことはありません。小手先の技で、斎藤家は存命できたかも知れませんが、結局は、織田家に飲みこまれることには違いは無かったと思いますよ」
秀吉は竹中の謙遜に対して、そんなことは無いだろうと思っている。あの当時、信盛さまや、河尻さまが手玉にとられたことはよく覚えている。
500の寡兵で、信長さまと匹敵するほどの指揮能力なのだ。誉れと思えども、謙遜することはないのにと思うのである。
「あの頃の織田家と言えども、斎藤家への侵攻を防いでいたのでございましょう?その竹中殿が殿に加わっているのは僥倖なのでございます。竹中殿。秀吉殿に嫌われたら、僕が囲いますので、その時はぜひ、明智家の門を叩いてくださいなのでございます」
光秀の誘いに、んっんーと口ずさむ竹中である。
「残念ですが、私は秀吉さまに惚れていますからね。少々、袖にされても他のひとになびくことはないのですよ?」
「ふひっ。引き抜きは失敗してしまいましたのでございます。これは策を練り直さなければいけないのでございます」
「光秀殿!半兵衛殿を引き抜こうとするのはやめて、ください。代わりに四さんをあげますので、それでお引き取り、ください」
「ちょっと、待ってくれでおくんやす!ひでよしさまに見限られたら、わいは、無料メシを喰らうことができなくなるのでやんす」
「こう言うひとですが、やるときはやると思いますので、光秀殿。四さんを引き取って、ください」
ええ?と言う顔をする光秀である。四と呼ばれた人物は、ちらっちらっと横目で自分の顔を見てくる。あれは値踏みをしている顔でございます。こういう人物は利を一番に考える人物なので、信頼はできないのでございます。
「嬉しい申し出でございますが、四殿は、秀吉殿には欠かせない人材なのでございます。大事にするといいのでございます」
「そう、ですか。でも、いつでも四さんを欲しいときは言ってくだ、さいね?喜んで、光秀殿に譲りますから」
「わいはどこでも引っ張りだこやんな。人気ものはつらいんやで。秀吉さま、光秀さま、わいの取り合いで喧嘩をしないように注意しておくんなまし!」
竹中の眼から見たら、どちらも押し付け合おうとしているようにしか見えないが、いらぬツッコミで時間を取られるのも惜しいと、次の話に移ろうと思うのであった。
「さて、時間もないので5人は出発をお願いします。砦の建築に必要そうなものは、丹羽さまが置いていかれたので、そこから見繕っていってくださいね?」
「お、丹羽さまってことは、食料もたんまり置いていったってことだよな!どうせ、敵に持っていかれるくらいなら、俺らで持って行って食べていい?」
彦助がそう言うのを聞き、あっと言う顔になる竹中である。
「彦助さんの言う通り、そう言えば、すっかり食べるもののことを忘れていましたね。金ヶ崎城から逃げだすときは、食料を持ち運べる余裕もないので、各砦に食料も持って行ってくれますか?」
「ついでだから、もちろん喜んで持っていくんだぶひい。少し、食べちゃってもいいぶひいか?」
「はい、田中さん。必要分以上、持って行ってくれて構いませんよ?どうせ、砦を食料ごと焼いちゃう予定ですので、少々、田中さんのお腹の中におさまったところで、無駄にならない分、お米さんたちも喜んでくれるんじゃないんでしょうかね」
「やったんだぶひい。じゃあ、僕は3人分くらい、ぺろりと食べちゃうから、多めに持っていくんだぶひい」
「でも、食料を持ち運びすぎて、進軍速度が落ちては元も子もないので、常識の範囲内でお願いしますよ?」
「弥助は肉が食べたいのデス。干肉はどこにあるんでショウネ」
「ちょっと、待てよ。俺だって肉は食べたいぜ。弥助だけ、持っていくんじゃねえんだぞ!」
「喧嘩しなくても、たんまり残っていると思うので、好きなだけ持って行ってください。それよりも、砦の建設の件、任せましたからね?」
田中、弥助、彦助は、やんや言いながら、陣幕を出ていく。残った秀長は、秀吉に
「なあ、兄者。俺たちは生きて、故郷に帰れるんだよな?いくら半兵衛殿の策と言っても、所詮、2000は2000だ。朝倉・浅井とぶつかれば、死人が出るのは必定だろ?」
「秀長。私たちは死んではならないの、です。私たちが死ねば、次に死ぬのは先に進んだ、織田家の皆さまなの、です。死地を生きて生きて、生き抜かねばなりま、せん!」
「大役も大役だなあ。でも、兄者が生きろと言うのなら、生き抜いてみせますか。京に無事に着いたら、遊郭に連れていってくれよ?」
「それくらい、お安いごようなの、です。とびきり良い遊女を呼んで、みんなで騒ぎま、しょう」
秀吉の言いに、秀長は、ふぅと嘆息する。
「兄者がそう言ってくれるなら、良い女を選ばせてもらいますかね。んじゃ、行ってくるわ。俺のところに着くまで、死ぬなよ、兄者」
秀長はそう言い、陣幕を出ていく。今生の別れになるかもしれない。だが、軽口を叩きあう2人である。
「良い話でやんすな。兄弟の愛は形容しがたいんやな。見ていて、もどかしいんや」
「あ、あの、四さん?あなたも、行ってもらわないと困るん、ですよ?私と半兵衛殿の話を聞いて、いました?」
「心配しなくても、大丈夫や。この四さまの力を信じてくれんと困るやで?なんたって、わいは秀吉さまの右腕なんやからな!」
「いつから、四さんが私の右腕になったかは知りませんが、ある程度は期待していますので、頑張ってくだ、さいね?」
「まかしときい!誰もが驚く、すごい砦を作っておくやで。朝倉、浅井の度肝を抜いてやるでやんすよ」
「んっんー。四さん。立派なのは作らないでいいですからね?どうせ、燃やしちゃうんで、敵を足止めできる程度でお願いしますね?」
「なんやと!せっかく、二条の城を超えるような砦を造ろうと言う、わいの意欲をどうしてくれますんや」
秀吉と竹中は、はあと嘆息する。
「ふひっ。四殿。立派な砦を作りたいのなら、この戦いを無事に終わったときにでも、秀吉殿の領地に造ればいいのでございます。今は、速度こそが大事なのでございます」
光秀の言いに、四がううむと唸る。
「そうやんな。二条の城を超えるものは、今度、造らせてもらいまっせ!じゃあ、行ってくるんやで」
秀吉は、自分の領地に砦ではなく、ゴミの山が築き上げられそうだが、やる気を出している相手の意欲を削ぐようなことも言えず、黙って四さんを見送ることにした。
「んっんー。やっと行ってくれましたね。しかし、あの4人がそろうと、いつも無駄に時間を取られるのは、なんなのでしょうね?」
「彼ららしいと言えば、らしいの、ですが、時と場合をもう少し考えてほしいもの、です」
「ふひっ。秀吉殿は賑やかな家臣を持たれていて、うらやましいのでございます。うちの家臣どもは頭が固いものたちばかりで、少々、窮屈なのでございます」
「まあ、ただでさえ、お先真っ暗な戦になるのですから、あの賑やかしさは貴重なのかもしれませんね。あの人たちの底抜けの明るさが、この地獄から抜け出す、一条の光明なのかもしれませんね」
「私もそう思い、ます。幾度となく、厳しい戦いを生き残れたのは、彼らのおかげかも知れま、せんね」
秀吉にとって、彦助、田中、弥助、四は、織田家に仕官した当時からの仲間であった。今は秀吉が出世して、彼らは秀吉の部下になったのだが、あの当時から、彼らは変わらぬ態度で、自分に接してくれる。
桶狭間の戦いの時も、墨俣の戦いでも、彼らは、秀吉についてきてくれた。今度の撤退戦も文句も言わずについてきてくれたのだ。秀吉にとって、彼らは誇れる親友であったのだ。