ー亀裂の章15- 朝倉攻め開始
織田家の軍は、1570年4月20日には、びわこの西沿岸を通り、次の日には田中城に入る。そこから北上し、若狭に入った。ここはもとは、若狭武田の武田元明が治めていた地であった。昨年、朝倉に攻め滅ぼされ、武田元明は、朝倉義景に従う形はとっていたものの、裏では信長と通じていた。
その甲斐もあって、織田家の軍は、若狭を無人の荒野を行くが如く、歩を進めていく。4月22日に若狭の熊川城に入り、次の日には北東の佐柿城へ入る。そしてそこで1日を過ごし、いよいよ敦賀を通過する。
そして、若狭と越前の境にある、手筒山城と引壇城を同時に攻めることとなる。
この信長の電撃作戦により、朝倉側は大いに慌てることになったのだ。まさか5日もかからず、若狭を抜いて越前の入り口、金ケ崎城までわずか1キロメートル地点まで、織田家の軍が迫っていたからだ。
まったくもって、織田家の進軍を警戒していなかったため、軍の準備もままならず、途上の城を次々と落とされてしまったのだ。肝を冷やした朝倉義景であったが、兵をまとめ、1万の軍を一乗谷に集めることにする。
4月26日昼頃には、手筒山、引壇、金ケ崎城の3城は抵抗むなしく落ちる。信長はそこで足を止めずに、一乗谷へ兵を進めようとしたのであった。
「なあ、殿。越前の入り口まで来たんだ。ここで1日か2日くらい休憩していかないか?強行軍で兵も疲れてきてるしさ」
「何を言っているのですか?のぶもりもりは。油断している相手に、わざわざ時間を与える愚を、先生に行えとでも言うんですか?」
「い、いや。だってよ。京からくんだり、近江を抜けて、若狭からここ、金ヶ崎まで6日もかけずに来たんだ。いくら速度が重要といえども、兵がついてこないんじゃ、ダメじゃないかな?かな?」
信盛は自分が発言していく内に、信長の顔がみるみる鬼の形相になっていくのに気づく。あ、やべえ。これは逆鱗に触れたわ、やっちまったあ。
「のぶもりもり。いい加減にしてください。あなたは一体、この戦を何だと思っているんですか!兵の疲れなど、なんだと言うんですか。疲れが気になるなら、曲直瀬くんの新薬でも与えておきなさい」
「いや、あれって確か、しょんべんが噴水のようにでちまう副作用があるじゃねえか。あんなの飲ませたら、疲労が飛ぶ前に、体中の水分が飛んじまうだろ」
「ほんと、ああ言えば、こう言うの典型ですね。無駄口叩く暇があるなら、敵将の首級のひとつやふたつ、のぶもりもりが直接、取ってきてください!電撃作戦なんですよ?いつものようにのらりくらりと戦をされては困るんですよ?」
信長の叱責は止まらない。信盛が泣くまで延々と信長の叱責は続くのであった。
「ふう。言いすぎました。つい、のぶもりもりの性癖についてまで、叱責してしまいましたよ。だれか水を持ってきてください」
信長がそう言うと、ぱたぱたと扇子を右手ではためかせ、熱を持った顔を冷ます。秀吉がどこからかヤカンを手にもち、信長に湯飲みを渡し、それに水を注いでいく。
「ああ、ありがとう、秀吉くん。ふう、やはり、水は命の源ですね。のぶもりもりがしつこく言うので、昼ごはんくらい、ゆっくり食べましょうか」
結局、休憩は昼ごはんの時だけかよと、信盛は言いたいのだが、これでまた何か言えば、またさらに叱責を喰らうのは目に見えている。ここは、黙って、昼ごはんを食べることにする。
「そう言えば、丹羽くんは、追いついてきていますかね?あまりにもの進軍速度ですから、もしかしたら、まだ追いついてなかったりします?」
「丹羽ちゃんなら、ちゃんとついてきていますよ?兵のみなさんがお腹をすかせてしまったら、大変なのです」
信長は背後から丹羽に声をかけられ、ひゃっと声を上げてしまう。
「びっくりさせないでくださいよ、丹羽くん。しかし、よくもまあ、3万人の兵たちの食料を遅れず、運んできてくれてますね。正直、あと3日は、丹羽くんに会えないかと思っていましたよ」
「ただでさえ、信長さまの強行軍で、みんな疲れているのです。おいしいご飯を食べさせないと、謀反を起こされちゃうのです」
丹羽の言いにふむと信長が息をつく。
「たしかに、兵糧丸は栄養たっぷりですし、疲労を取るのに、曲直瀬くんの薬を使ってみてはいますが、やはり、美味しいご飯が一番ですね」
「あれー?俺と丹羽で、殿、態度が違いすぎない?」
信盛が文句を言うが、信長が、きっとした目つきで信盛を見る。
「のぶもりもりは働きが足りないようなので、力が有り余っているんでしょうね。昼ごはん抜きで出陣してきます?先生たちが食べ終わるまでに砦のひとつくらい落としてきてください?」
「ええ!それはさすがに、厳しすぎだろお。昼飯くらい喰わせてくれてもいいじゃないか。その後だったら、砦の1つくらい落としてくるからさあ」
「ふう。仕方ありませんね。丹羽くん。のぶもりもりの昼ごはんも用意してください。ごはんを食べるときくらい、にこやかに食べましょうかね」
「はーい。わかりましたのです。信盛さまには、めざしの干したやつを3匹でいいのです」
「ちょっとまってくれよ!めざし3匹って、小春でもそんなひどいメシは出さないぞ。再考を願う、頼むから」
「ちなみに、小春さんに出された手抜き料理で1番ひどかったのは、何です?のぶもりもり」
「えーとだな。生卵と、白いご飯と醤油だったな。最初は驚いたけど、卵をかきまぜて、白いご飯にぶっかけて、その上からさらに醤油を少したらすと、これがまた美味いんだよな」
めざし3匹も、卵かけご飯も変わりがないような気がするのだが、秀吉はつっこまずに黙っておく。
「仕方ないのです。丹羽ちゃんも鬼ではないので、ちゃんとした昼ごはんを準備するのです。信長さま。お味噌汁の具は何が良いですか?」
「そうですねー。お味噌汁とは言わず、豪華に豚汁を頼みたいところですが、信玄くんからまた贈られてきた、すいとうが余ってましたよね?あれと野菜をぶっこんだものでお願いしますね」
「はーい、わかりましたのです。あとですね、長政さまより、鮒寿司が届いてますよー?これ、おかずにしちゃいましょうかなのです」
丹羽の言いに怪訝な顔をする信長である。
「え?長政くんからなんですって?」
「だから、長政さまより、鮒寿司が届いたんですよ。陣中見舞いのつもりだと思いますのです」
「いや、そう言うことを言っているのではありません。のぶもりもり、朝倉攻めのことを長政くんになにか言いました?」
すいとうをもぐもぐと食べている信盛がそう、信長に問われ、ん?と言う顔付きになる。
「んん?んん、んぐ。ぷはあ。え?殿が今回は長政さまは農繁期の時期だから連れていかないって言ってたから、何も俺からは言ってないぜ?大体、俺が殿に何も言わずに、他の大名家に対して何かするわけがないじゃん」
何を言っているんだ、殿はと言う顔付きの信盛である。信長は、ふうむと息をつき、右手であごをさする。
「そうですよね。いくら、のぶもりもりでも、そこまで馬鹿げたことをするわけがないですよね」
「おいおい、いくらなんでも、俺は言っちゃ悪いが、織田家では殿に次いでの身分だぜ?そんな国の重鎮が、いくら同盟国相手とは言え、軍事情報を漏らすわけないじゃんか」
織田家の軍務において、信長を除けば、佐久間信盛、柴田勝家がツートップである。そのふたりのうち、1人が情報を他国に情報を売っているとなれば、大問題である。
だが、信盛の態度からは、そういったものは、まったくもって信長には感じられない。では、誰なのか?長政に今回の朝倉攻めを教えたのは。
「おかしいですね。これは非常におかしいです。ちょっと、勝家くんを呼んでくれますか?火急の件なので、食べながらでもいいから、先生のところにきてくださいと」
5分後、勝家が、信長の陣幕にやってくる。勝家は鹿肉の塊を右手に、猪肉の塊を左手に持って現れる。
「がははっ、殿。何の用でもうす?生憎、両手は肉でふさがっているため、なにか余興をと言われてもできないでもうすよ?」
「確かに、たべながら来てもいいとはいいましたけど、なんです?その高栄養な食べ物は」
「我輩の筋肉維持には、肉が必須でもうすからな。なあに、ちゃんと火は通してあるでもうす。殿も欲しいのなら、少しわけようでもうすか?」
信長は、ふうとため息をつく。
「まあ、勝家くんには、まだまだ元気でいてもらわないと困りますので、これ以上のつっこみはいれませんけど、ちょっと、食べてほしいものがあるのですよ」
勝家は、うん?と言い、丹羽が差し出してきたものを見つめる。
「ふむ。鮒寿司でもうすか。保存食ゆえ、重宝はするので丹羽が持ってきたのでもうすか?」
勝家はそう言い、右手の鹿肉の塊を秀吉にあずけ、無造作に鮒寿司を掴み、豪快に口の中に放り込む。そして、形容しがたい匂いが鼻をつんざくが、かまわず、鮒寿司をもぐもぐと噛む。
「うーむ。いつも通りの匂いでもうすが、美味さは絶品でもうすな」
そう言いながら、勝家は、小皿に乗せられた鮒寿司を完食するのであった。その勝家の姿をじっくりと眺める信長が、ふむと息をつく。
「どうやら、毒の類は混ざっていないようですね」
「ちょっと、待てや、殿!勝家殿に毒見をさせるってのはどういうことだよ」
するどいつっこみを信長に対して、信盛が入れる。
「え?じゃあ、のぶもりもりが毒見したかったのですか?じゃあ、わざわざ勝家くんを呼ぶまでもなかったですね」
「いや、問題はそこじゃねえし。毒見なら殿の小姓にやらせろよ。なんのための小姓だよ」