ー亀裂の章12- 上洛命令
信長の行動は早い。義昭に認めさせた追加の5条は、1週間もせず、瞬く間に全国の大名、民たちへ知らせられた。
あるものは将軍の傀儡化に歯噛みし、あるものは喜びの声を上げる。
京の都では、あの将軍では何もできないと諦めの声が多く、信長を支持する声のほうが次第に大きくなっていくのであった。
天下はまさに信長の手中に収まりつつあったのである。
そして、次いで、畿内周辺の大名たちに信長は上洛命令を発する。最初は各大名も困惑したものの、信長の天下を認めざるおえない状況を理解し、上洛する旨を信長に書状で返事をする。
だが、朝倉家、三好家だけは、この上洛命令を無視することになる。上洛命令の書状は、義昭と信長の連判であったが、先の追加の5条により、誰からの眼から見ても明らかに、信長の意思であることがわかるからだ。
名門・朝倉家にとって、身分の低い織田家に下げる頭なぞ、持っていないとばかりに無視の態度を決め込んだのだ。
「なんで、信長なぞの命令に従い、上洛せねばならぬで候。ええい、忌々しいで候。我から義昭を奪っておきながら、ずけずけとでかい態度をよく取れるで候」
朝倉義景の言いである。
「しかしですな。義昭をふところに飼いながら、何もせなんだは、殿ではありませんか?」
「ええい、だまらっしゃいで候。あのときは、加賀の一向宗どもと戦っていたからで候。あいつらさえ居なければ、いまごろ我が義昭を奉戴して、京に上っていたものを。泥棒ネコの織田が憎いで候」
「ならば、如何しましょうか?織田家に恭順の意を示さなかった北畠は戦で、こてんぱんにやられてしまいしたぞ。もしかすると、信長の奴はこちらにも戦をしかけてくるかもしれませんぞ」
「なあに、心配することは無いので候。名門・朝倉家を攻める理由がないで候。将軍を傀儡と化したやつらに悪名は付きまとえども、その傀儡化を反対する我のほうが、正しいので候」
義景の家臣は、はぁと返事をする。
「正しき考えは、正しき行いを生むので候。悪しき考えの信長は、悪しき行いにより、滅びてしまうので候。放っておけば、自滅をするので候」
義景は家臣の忠告も、まともに聞かず、事態を傍観することにするのであった。
「本当に、予想通りと言えば、予想通りですね。これで朝倉家を攻める大義を手にいれることができました。心置きなく、滅ぼしてあげましょうかね」
「いやあ。ここまで、こっちの思惑どおりに事が進むって、なんか怖いわあ。朝倉義景って、馬鹿か何かなわけ?」
信長と信盛が岐阜で軍の再編と訓練を行いながら、談笑しているのであった。
「知りませんよ。どうせ今頃、格下の織田家に頭を下げることなどできないで候とか言っているんじゃないですか?北畠と同じ穴のムジナってやつですね」
「で、予定通り進んで、3万もの兵の編成と訓練も無駄にならなくなって良いことづくめだけど、今回も、家康殿を連れて行くんだっけ?」
「はい、そうですよ。遠江の統治も上手く進んでいるようですし、出せる兵も多くなってきましたからね。あちらも兵を遊ばせておくよりは、実地訓練を兼ねて、遠征に行きたいと言っていましたし」
「たしか、今回も3000出してくれるんだっけ?まあ、織田家と比べるのはあれだけど、三河からわざわざ越前まで来てくれるのは、ありがたい話だな。ところで、浅井家は呼ばないのか?」
「長政くんですか?何を言っているのですか。そもそも、今、農繁期ですよ。長政くんが兵を出せるわけがないじゃないですか」
「おっと、そういや、そうだった。北近江は相変わらず、兵農分離をする気がないんだったか。最も朝倉家に近いわ、近畿で兵を出してもらいたいところが、俺らに合わせて、兵農分離をしないなんて、どうかと思うんだけどなあ」
「まあ、いいんじゃないです?彼にその気がないんじゃ、いくら言ったところで暖簾に腕おしですからね。関所撤廃も促していることにはいますが、彼は、そう言ったことには無頓着ですし」
信長がそう言うと、信盛はふうんと言い、右手であごをさする。
「殿が天下を治めれば、全国の大名たちには関所撤廃の令を出すつもりなんだろ?その時に、それに従わないやつらは、例え、浅井家と言えども、攻め込んじゃうわけ?」
「いきなり攻め込むことはしないと思いますが、圧力はかけると思いますね。というか、そこまで天下を思い通りにできるまでいけば、そういった反抗をするものを戦もせずに取り潰してしまえると思いますがねえ」
「おお、怖い怖い。号令ひとつで、お取り潰しってわけか。各大名家にとっては、殿は恐怖政治の象徴みたいになっちまうな」
信盛は笑う。信長もつられて顔に笑みを浮かべるのである。
「さて、先生は一足先に、京へ戻りますね。各地の大名たちが上洛してきますので、その対応をします。のぶもりもりは4月に入りましたら、3万の兵を京に持ってきてください。いよいよ、朝倉攻めを行いましょう」
「殿に逆らえばどうなるか、世の中に示してやらないとな。練兵は任せておいてくれよ。しっかり鍛え上げておくからな!」
信長は、各地の大名との謁見のために3月には京に戻る。
4月に入ると、続々と波多野、一色、別所、赤松、筒井、浅井家が上洛し、将軍・足利義昭に謁見を果たす。
そして、中国地方の毛利、四国の長宗我部、越後の上杉謙信、甲斐の武田信玄、相模の北条氏康からは書状で、将軍・足利義昭への恭順の意を示す。
反抗の意思を示すのは、まさに越前の朝倉家、淡路・四国の三好家だけとなる。
「この度の上洛、誠にうれしいのでおじゃる。この足利義昭のため、ますます忠勤に励むのでおじゃる」
「ははあ!この身、将軍さまのために身を粉にする所存。何かありましたら何でも言ってくれていいのだぞ」
今、将軍に謁見しているのは、北近江の大名、浅井長政である。浅井長政は深々と義昭に頭を下げて、義昭に言祝ぎを送っている。
「長政くん、久しぶりですね。妹のお市とは仲良くやっていますか?」
「おお、お義兄さん、久しぶりだぞ!お市とは1男3女をもうけ、仲睦まじく、暮らせて頂いているぞ。出産祝いの数々、ありがたく思うんだぞ」
「6,7年で4人も子供を産ませるなんて、長政くんは、お盛んですね。今度、子供たちの顔を見に行ってもいいですか?」
「ああ、構わないんだぞ。嫡男もやっと生まれ、俺としても、ほっとしているんだぞ。鮒寿司丸と命名しようとしたら、市のやつに怒られて、万福丸にさせられたのだぞ。困ったものだぞ」
「いやいや。自分の息子に鮒寿司つけちゃだめでしょ!女の子にもてなくなったらどうする気ですか。それどころか、臭い臭いと他の子どもたちから、イジメられたら大変ですよ」
「何を言うのだ。信長殿こそ、嫡男に奇妙丸とか、他には茶筅丸とか付けているではないか。俺は信長殿の例にしたがったまでだぞ」
「一応、意味はあるんですからね。こんな名前を付けてますけど。嫡男の信忠の奇妙丸は、自分に似すぎて眉目秀麗だったのです。次男の信雄は髪を結わせたら、これまたおもしろいことに、髪の毛がぼんっ!となってしまって、ついおかしくて、茶筅丸とつけてしまったのですよ」
「俺と違いはないような気がするぞ。信長殿の妹である、お市ならば理解してくれると思っていたが、だめだったんだぞ」
「そりゃあ、鮒寿司丸は、お市と言えども、嫌でしょう。確かにおいしいんですが、匂いがきついですからねえ」
「ふうむ。しかたないのだぞ。次男が産まれれば、今度こそ、鮒寿司丸に命名するのだぞ」
こりない御仁だなあと、信長は思う。まあ、自分の息子に命名されるわけでもないので、放っておくことにする。
それにしてもと、長政が話を切り出す。
「この度の将軍さまへの謁見で気づいたのだが、信長殿は3万にも匹敵するほどの兵を京周辺に置かれているんだぞ。上洛してくる各地の大名に、信長殿の威を示すには、いささか多すぎる気がするんだぞ」
「ああ、あの兵たちですか?なかなか、威圧になっていいでしょう?1国で3万以上の兵を自在に動かせる国なんていませんから、どの大名たちも震えあがっていますよ?」
「俺も戦々恐々となってしまうのだぞ。この農繁期に3万以上の兵を自在に動かされては、畏れぬものなどないのだぞ」
「長政くんを脅すつもりなんて、ないんですけどね。もし、そのように受け取ってしまったようなら、謝罪します。まあ、織田家の軍容でも見て、長政くんの仲間だと思ってもらえば、誇らしい気分になると思いますよ」
「俺が3万の軍の仲間であるか。それは気分は良いものであるぞ。できるなら、その兵の半分ほど、浅井にくれないかであるぞ」
「はははっ。あげるのはいいですけど、その代り、ちゃんと兵たちには、お給金を支払ってくださいね?織田家は、こき使うかわりにお給金を支払っていますから、皆、喜んで働いてくれてますよ」
「お給金の代わりに、鮒寿司で手を打ってくれないかだぞ。織田家と徳川家のために増産したのはいいが、やりすぎて、余り気味なのだぞ」
「だから、あれほど、見込みで増産はやめておけと言ったじゃないですか。鮒寿司で北近江の経営が傾いたら、しゃれにならないじゃないですか!」
「失敗したのだぞ。売れ残った鮒寿司が、大量に蔵にあるのだぞ。値引きをしたら、浅井家の収入が減るから、商人たちの買い叩きには応じられないのだぞ」
浅井長政は額に手をあて、うなだれている。その姿を見て、やれやれと思う信長である。