ー亀裂の章 9- 氏真(うじざね)、傲慢に気付く
氏真は重い気持ちのまま、隊列の1番右へと移動していく。
利三は肩を落とし、とぼとぼと歩いていく、氏真の背中を見ながら、うん?と思った。
「おい。氏真。何をそんなにしょぼくれているでござるか。そんな気構えでどうするでござる」
氏真は背中から声をかけられ、びくっとなる。そして、力なく、はははっと自重するかのように笑う。
「私は今まで自分がしてきたことに対して、後悔しているのでおじゃる。私のために命を捨ててきたものに対して、自責の念で押しつぶされそうなのでおじゃる」
消え入りそうな声で、氏真は利三に応える。すると、利三がどしどしと歩いてきて、いきなり、氏真の背中を平手で思いっきり1発、叩く。
「いったあああ!何をするのでおじゃる。さっき、食べたものが口から飛び出しそうになったでおじゃるか」
氏真はいきなりの背中の一撃に、思わず憤慨する。利三は、ふむと息をつき
「お前は、その者たちの命によって、生きながらえてきたのでござろう?ならば、その者たちの想いを胸に生きて、生きて、生きねばならぬ。なあに、恨まれごとのひとつやふたつで、潰されてしまってはいけないのでござる」
「しかしでおじゃる。私はあの者たちに返せるものなど何もないのでおじゃる」
「はははっ。お前は今まで受けてきた恩、すべてを律儀に全部、返すつもりなのかでござるか?それは傲慢でござるよ」
利三は、腰に手を当て、空を見上げる。
「お前は農民がつくってくれた、米や野菜を喰いながら、いつでも感謝の念を抱くのでござるか?鳥や鹿や猪の肉を食すときは、いつでも感謝の念を抱くのでござるか?街行くひとびとに手を振りながら、感謝の念を抱くというのでござるか?」
「そ、それはさすがにそんなことをしているわけでないのでおじゃる」
「そうであろうよ。俺はお前がここに来るまでにどんな生活をしてきたかは知らぬ。だがな?お前の言っていることは、全ての命あるものに、責任を持たなければならないと言っているのと同義なのでござる」
氏真は、つい、うっと口から漏らしてしまう。
「お前がここに来る前は、口ぶりから察するに、どこかの小さな領地の領主だったのかも知れぬ。為政者と言うものは、民の命のおかげで生きていられるものでござる。しかしだ。その民すべてをおもんばかろうというのは、傲慢でござる」
「傲慢でおじゃるか、私は」
「ああ、傲慢でござる。せいぜい、自分のために使ってくれた命に対して、手を合わせるくらいでいいのでござる。そして、お前は前を向き、自分の夢のために生きていかなければならないでござる」
「私は自責の念に囚われるばかりに、傲慢に成り下がっていたのでおじゃるか」
「傲慢も、傲慢よ。お前は、ちっぽけな人間なのだ。それなのに、ひとの身では負いきれぬ荷を背負うつもりだったのでござる」
氏真は自分の両の手のひらを見つめる。農民たちや、家臣たちの血で染まりあがった手だと思う。だがしかしとも思う。この手で、家族を養っていくと決めたのだ。
自責の念で冷え切った身体に段々と熱が戻ってくるのを感じる。その熱はやがて、見つめる両の手にも宿っていく。
氏真は東のほうを向き、その両の手を合わせ、合掌の形をつくる。そして目を閉じ
「南無阿弥陀仏でおじゃる。皆の者、今まで良く尽くしてくれたのでおじゃる。私は家族を養う夢を持ったのでおじゃる」
利三は、氏真の姿を見、ふむと息をつく。
「故郷に別れは済んだでござるか?」
「ああ、済んだのでおじゃる。もう、過去に縛られるのはこれまでなのでおじゃる。生きて、生きて、生きぬいて見せるのでおじゃる」
氏真の眼に炎が宿る。そして、さがった肩に力をいれて、のしのしと歩いていくのである。
「おおい、そんなに肩の力を込めるなでござる。また、要らぬものを背負いこんでしまうでござるぞ」
「はははっ。それもそうでおじゃる。私は飄々としなければならないでおじゃったな」
寒風吹く冬空の下、氏真は織田家の下級兵士として、訓練を積んでいくのであった。
それから3週間が過ぎ、いよいよ、年の瀬にさしかかろうとしていた。
12月は師走と言う通り、正月の準備に皆、いそがしく過ごしていた。ここ、堺でも南蛮人たちが不思議なイベントを行おうと湧き立っているのである。
「今日、12月24日はデウスに身を捧げた、キリストの生誕祭なのですニャン。七面鳥の丸焼きを所望するニャン!」
「フロイスさん。七面鳥はこの国にはいないんだワン。鶏で我慢してほしいワン」
「どういうことですニャン!ひのもとの国をデウスの教えと七面鳥で占拠するのですニャン。ロレンソは布教力がたりないのですニャン」
「布教と七面鳥は関係ない気がするワン。それと、フロイスさんは交換用のプレゼントは準備してくれたのですかワン?」
「ふふん。聞いて驚くなかれだニャン。ワタシが特別に聖別した、聖水を準備しているニャン。泣いて喜べだニャン!」
「それ、元はただの水ですワン。まだ、そこらの井戸水を聖水だと言って、売りさばく、あこぎな商売をしているのですかワン?」
「ロレンソは失敬な奴だニャン!ワタシの聖なる息吹を吹きかけた、神聖なる水なんですニャン。これで悪魔も裸足で逃げ出すニャン」
「フロイスさんの息吹からは生ごみのような臭いしかしないですワン。聖水どころか、汚水しかできないのですワン」
「ワタシのフローラルな香りがする息吹を、生ごみと称するとは、ロレンソよ、言っていいことと悪いことがあるニャン!切腹を申しつけるニャン」
「残念でしたワン。デウスの教えで自害は禁じられているんですワン。フロイスさんこそ、そのイカレタ頭を治すために、磔にしてあげるワン!」
フロイスとロレンソは終わることなく、言い合いを続けるのであった。その2人の姿を近くを通った、氏真夫婦は正月のしめ飾りや、破魔矢を手に、帰路につく最中であった。
「南蛮人たちは、こんな年の瀬に一体、なんのお祭りをする気でおじゃるか?あと1週間もすれば年も明けると言うのに、言い争いをしているようでおじゃるが」
「ふふふっ、お前さま。それぞれの国には、それぞれの風習というものがあるものですわ。きっと、喧嘩祭りを行っているのに違いないのですわ」
そうでおじゃろうかと思う。目の前で言い争っている南蛮人2人のうち1人は、言い争っている相手に瓶のなかに入った水をぶっかけているし、その水をぶっかけられたほうは、水をかけたほうを鉄製の十字の形をしているもので殴っている。
「早川殿の言っていることは、あながちハズレではなさそうなのでおじゃる。ああやって、南蛮人たちは友好を温めているのでおじゃるかな?」
「きっとそうなのですわ。日頃のうっぷんを喧嘩祭りで晴らしているのですわ。よーろっぱと言うところから、わざわざ、ひのもとの国にやってきているのです。いろいろとストレスが溜まっているのですわ」
氏真と早川殿は、目の前で殴りあう、2人の宣教師っぽいものらを応援することにする。
「ロレンソめ。十字架で殴るとは、罰当たりなやつなのですニャン!ワタシの第2の聖水を喰らうといいんですニャン」
「フロイスさん。何をズボンを下ろしているのですワン。まさか、宣教師たちの間で禁じられた、あの黄金の聖水をワタシに浴びせかけるつもりなのですかワン!」
「もう後悔をしても遅いですニャン。ロレンソ、お前はワタシを怒らせたニャン。さあ、おとなしく聖水を喰らうといいですニャン」
フロイスはズボンを下ろし、いちもつをさらけ出し、今まさに黄金の聖水を発射しようとしたその瞬間、右肩をがっと掴まれる。
「だれですかニャン!ワタシの邪魔をするのは」
「おい、お前たち。いい加減にしろ。いくら南蛮人たちの祭りと言えども、いちもつを町中でさらしだすのは許さんぞ」
堺の警護の兵が、騒ぎを聞きつけ、やってきたのだった。フロイスはその警護の姿を見、いきりたっていた、いちもつは急激にしぼむのである。
「許してほしいのですニャン!聖なる日に番所につれていかれるのは汚名ですニャン。黄金の聖水はやめるから、許してほしいニャン」
「おい、お前ら、こいつらを縄で縛れ。番所につれていくぞ」
警護の兵は部下に指示を飛ばす。部下たちはお縄ちょうだいと言いながら、フロイスとロレンソをひっ捕らえる。
「ちょっと、待ってくださいワン!いちもつを衆目にさらしていたのは、フロイスさんだけですワン。ワタシまで捕まる理由はないのですワン」
「何を言っている。お前こそ、鉄製のなにかで、相手を殴っていたではないか。傷害の疑いで、お前も番所に連れていくのは当然ではないか」
やめてクダサイ、離してクダサイと叫ぶ、フロイスとロレンソは、そのまま警護の兵に連れられ、番所に運ばれるのであった。
「あらあら。喧嘩祭りは終わりなのですわ。もう少し、見ていたかったのですわ」
「うーん。あのまま放置していたら、あの宣教師、小便をまき散らしそうな勢いだったのでおじゃる。大参事を未然に防げて、よかったのでおじゃる」
「しかし、おまえさま。以前のおまえさまなら、あのような喧嘩祭りを目にしたら、慌てふためいたでしょうに。肝が太くなりましたのですわ」
「そりゃあ、毎日、利三さまにしごかれ、清正先輩や、正則先輩に、でこぴんを喰らっているのでおじゃる。あんな喧嘩祭りごときで、心みだされてるほど、余裕はないのでおじゃる」
「兵士さんたちの汚れ物を洗濯している最中、おまえさまの姿を横目で見させてもらってますが、気付けば、地面につっぷしていますのですわ。時折、はらはらとしてしまうのですわ」
「槍や弓の訓練は、だれか1人が倒れるまで終わらないのでおじゃる。まあ、大概は、私が1番最初に倒れてしまうので、皆に感謝をされていたりもするのでおじゃる」
「あらあら。そんなことでどうするのですか。せめて2番目に倒れるくらいの気概を見せてほしいのですわ」
「織田家の兵たちは、体力が有り余っておるのでおじゃる。仕官して3週間の私では、なかなかに厳しいでおじゃる」
「今すぐにとは言いませんのですわ。しっかり、身体を鍛えて、立派に家族を養ってくださいまし?」
うふふと早川殿は笑う。それにつられて、氏真も笑う。もう少しで年明けだ。来年は、良い年になるのでおじゃろうかと思う、氏真であった。




