ー亀裂の章 7- 個 対 集団
清正と氏真は2人仲良く、地面でもんどり返り、左右にごろごろと身体を揺らすのである。
「正則、お前、少しは手加減できないのかだぜ。危うく、耳から脳みそが飛び出るかと思ったんだぜ」
「本当にそうでおじゃる。でこぴんで殺されたとか、末代までの恥になるところでおじゃる」
清正と正則は、まだ痛いのか額をさすりながら、起き上がる。
「勝負は勝負っす。これでも手加減をしているっす。本気を出せば、両の眼が飛び出しているはずっす」
でこぴんの衝撃で、両の眼が飛び出すって、一体、どんな威力でおじゃるかと思いつつ、二度と正則先輩とは、あっちむいてほいをするのはやめるのでおじゃると思う、氏真である。
「おまえさま。痛いにしても大げさですわ。転げまわる姿がおかしくて、お腹が痛いのですわ」
早川殿が腹を抱えて、おかしそうに笑っている。まあ、早川殿が笑ってくれるのであれば、少々の痛みくらいどうっていうことはないでおじゃるかと思う、氏真である。
「朝食後の休憩は終わりだ!皆の者、次は槍の鍛錬だ。三間半の槍を与えるゆえ、取りにこい」
三間半(=約6メートル)?そんなにも長さのある槍を織田家では使うのでおじゃるか?三河の兵も長いことは長かったが、三間半となれば、扱いきれるものでおじゃるのか?そう、氏真は疑問する。
「織田家の槍は長いのでおじゃるな。東海地方で使われていた槍の倍の長さがあるでおじゃる。確かに、槍は長いほうが有利と思えるでおじゃるが、扱いきれるものでおじゃるのか?」
「扱えるようにするための訓練であろうが。お前こそ何を言っているのだ。さっさと槍を取りにこんか!」
隊長の斉藤利三が怒号を飛ばす。氏真は、そそくさと槍を取りに移動を開始するのであった。その背中に向かって早川殿が
「あなたさまー!しばしのお別れですが、頑張ってくださいねーーー」
奥方の元気な励ましを受け、氏真は誇らしい気分になる。清正と正則が心底、うらやましそうな目線を自分に飛ばしてくるが、無視するのでおじゃる。また、何か因縁をつけられたら、たまったものでないのでおじゃる。
「新入りにはわからぬであろうから、実際に、三間半の槍の威力を自分で見てもらうことにするぞ。まずは、槍を俺と同じように持って構えて見せろ」
斉藤利三に促されるまま、氏真や他の新人たちが三間半の槍を中段構えに持ち、そこから振りかぶる。そして、利三がそこから、下に向かって、槍を振り下ろす。
それにつられて、氏真もまた、槍を下に振ると、その勢いで槍がすっぽ抜ける。
「何をやっているのだ。しっかりと槍を握っておらぬか」
「す、すまないのでおじゃる。槍に思った以上に勢いが乗り、ついぞ、手からすべり落ちたのでおじゃる」
すっぽぬけた三間半の槍を拾い、再び、中段構えから振り上げ、振り下ろすと言う動作を幾度か行う。今度はしっかりと槍を手に握り、すっぽぬけないように注意する。
「よおし。大体、三間半の槍の振り上げと振り下ろしがさまになってきたな。では、試しに鎧に槍を打ち付けてみるか」
利三はそう言うと、部下たちに、竹が十字に組まれて地面に突き刺してあるものに、鎧と兜を紐で結わえさせる。しっかりと結ばれた鎧と兜を見て、氏真は、つい、ごくりと唾を飲みこむ。
「おい、氏真。三間半の槍がすっぽ抜けるくらいの勢いで、あの鎧兜に上から槍を叩きつけてみろ」
利三に促され、氏真はその鎧兜の前に躍り出る。
「少し近すぎるな。それでは、三間半の槍の真価が発揮できん。もう少し、後ろにさがって構えて、打って見ろ」
そう言われ、氏真は3歩ほど、後ろに下がり、三間半の槍を中段構えから振り上げ、勢いよく、振り下げ、鎧兜に槍の先端近くをぶち当てる。
がっこおおおおんと言う音とともに、鎧兜が支柱であった、十字に組まれた竹ごと、ばらばらになって、地面に散乱するのである。
その威力に面喰った氏真は
「なんなのでおじゃる?この威力は一体、どうやって生まれるのでおじゃる?」
「はははっ。俺にも原理はわからないのである」
氏真は利三の言に、ずっこけそうになる。
「ただ、わかっていることは、竹と木の合板で作られた、その三間半の槍は、しなやかでありながら折れにくく、さらには勢いをつければ、通常の槍とは比べものもならないほどの破壊力を生み出すということだ」
氏真は、びりびりと残る、両手の震えを感じる。
「三間半の槍など、長いだけでどうだと思っていただろう?しかし、この槍を考え付いたものは天才に違いないのである」
「一体、誰なのでおじゃる?こんな物騒なしろものを考え付いたのは」
「ふっ。信長さまぞ。しかも、考案したのは10年以上も前の話である。信長さまは、うつけものだとよく言われるが、発想が常人よりとびぬけすぎているだけである。まあ、とびぬけてしまいすぎて、誤解を生んでいるのであろうな」
確かに、こんな槍を考え出すなど、一歩間違えれば、ただの馬鹿の処遇である。しかし、それを実践で使えるものに仕上げてあるのだ。信長殿が父上を討ったのは偶然のなせる技ではなかったのかもしれないのでおじゃる。
「よおし、三間半の槍の威力は充分にわかったであろう。では、集団戦の訓練に向かうぞ。皆と合流するゆえ、ついてくるがよい」
氏真とそのほかの新人たちは利三に促されるまま、彼の後ろを槍を手に持ち、ついて行く。そこでは20人2組が互いに向かい合うように並び、鍛錬に励んでいるのであった。
「さあ、着いたぞ。氏真、お前は、ううん。見た感じ、隊列の1番右側に位置してもらおうか」
氏真はその20人の隊列の1番、右側に配置される。しかし、氏真は利三の言葉がひっかかり、疑問が生じる。
「なんで、私は1番右側に配置されるのでおじゃる?1番左でも1個集団で固まるのであれば、関係ないのでは?」
利三は、ふむと息をつく。
「お主、長槍を用いての集団戦は初めてなのか?」
「私は兵の指揮を執ったことはあるのでおじゃるが、長槍隊にまざっての戦闘はやったことがないのでおじゃる」
「お前は、ここに来る前は、どこぞの大名家の家臣であったようだな。まあ、それなら、わからないのも無理はないかもしれないであるな」
利三は右手であごをさする。どうしたものかと思案しているようにも見える。
氏真にとっては、足軽集団が隊列をなしての集団戦自体が奇異に感じるのである。
「織田家や徳川家以外では、将とその臣下が5人1組で固まりになるものであるからな。騎馬隊であれば、将が馬に乗り、その周りを足軽4人で1つの塊となり、その塊が10や20集まり、集団と為すものだ」
氏真は、こくこくと頭を縦に振る。
「隊を率いる将自らが下馬した状態で指揮を執ること自体がめずらしいのでおじゃる。将が騎馬による突撃で、相手を崩し、他の4人が混乱している相手を叩き伏せるのが常道なのでおじゃる。このような、足軽のみが集団戦を行うこと自体、見たことがないのでおじゃる」
戦国時代前期から中期にかけては、氏真の言う通りの将と足軽たちの編成での乱戦が主体であり、氏真の言っていることはあながち間違ってないのである。
「他国から来たお前には信じられないかもしれないが、織田家は将と言えども、馬に乗れるものは少ないのである。皆、農民上がりのものたちが出世して、隊長になるものの割合が圧倒的に多いからである」
「馬にも乗れぬような身分の低いものが、将になれるとは、これいかにでおじゃる。てっきり、農民出のものが将や隊長になれるのはマレだと思っていたのでおじゃる」
利三は、はははっと笑う。
「織田軍は4万以上もの兵隊を持っているのだぞ。それに合わせて、武家の出自のもののみを厳選しようと言うのであれば、せっかくの4万が泣くではないか」
さらにと利三は続ける。
「3000もの兵を預かる、秀吉殿など、まったくもって馬に乗れないのでござる。あの方の軍は、もれなく全員、徒歩での兵隊であるぞ。しかし、それでも秀吉殿の軍は滅法、強い。なぜだかわかるか?」
そう利三に問われ、氏真は、ううんと唸る。
「今の時代の主体である、個人個人の戦いをするのではなく、集団で個人を圧倒するような戦い方が上手いからでおじゃるのか?」
「わかっておるではないか。いくら相手が騎馬を擁しようが、騎馬兵1に対して、足軽10人で挑めば、そうそうやられることはないのでござる」
「しかし、相手が騎馬兵10の集団であったら、どうするつもりでおじゃる?」
「簡単でござるよ。足軽100人で対峙すればよかろう」
「しかし、騎馬兵10も集えば、足軽100人など、簡単に蹴散らされてしまうのでおじゃる。単純に数を増やせばよいということではないのでおじゃる」
「そこは三間半の槍と、集団により隊列を組むことで対処するのでござるよ」
利三と氏真は会話を重ねるうちに師弟のような間柄に変わっていく。そのためか威圧的だった利三の口調もやわらかいものに変わっていくのであった。
「個々の集団である足軽隊というものは、たとえ、他のひと塊と合流しても、しょせん、ただの塊であり、そんなやつらが集団行動をとれるわけもないでござるよな?」
「確かに騎馬1足軽4で1つの塊が定石となっている者たちが集えど、それは個人の集まりであり、それが100人となろうとも、意味を為さないのでおじゃる」
「しかし、織田家は、その根本から違うのでござるよ。20人から50人の足軽が集団行動をとれるように日々、訓練をしているのでござる。個々が集まっただけの100人と、集団訓練を日頃から行っている100人では、違いすぎて話にならないのでござる」
なるほどと氏真は納得する。織田家の強さは集団戦法の徹底によるものだと言うことが段々、理解できてきたのである。