ー亀裂の章 5- ずっ魂(こん)ばっ魂(こん)
友達。その言葉を聞き、またひとつ、氏真の胸にどきんと言う音が鳴る。
「私には友達と呼べるひとが、ひとりしかいなかったのでおじゃる。それどころか、私の地位を狙う者のほうが多かったくらいでおじゃる」
「へえ。お武家さんにはお武家さんなりの苦労があるってんのかあ。俺も将来は偉くなりたいから、そういう苦労に出会うのかなあ」
「そんな奴ら、ぶっとばしてやれば良かったっすよ。なんなら、僕がいまからそいつら、ぶっとばしに行ってもいいっすよ?」
氏真の沈んだ気持ちを吹き飛ばすかのように、清正と正則は言う。若いっていいなあと思う氏真である。
「そのほうらに吹っ飛ばされたら昇天しそうな気がするのでおじゃるが、気のせいでおじゃるかな?」
「大丈夫だぜ。加減はするぜ?9割殺しってところだし」
「清正、物騒っすね。8割5分殺しってところが苦しみが一番強いっすよ」
うーん。9割も8割5分も、どっちも死にそうな気がしてならないのは気のせいでおじゃろうか?
「せめて、半殺しくらいで止めておいてほしいのでおじゃる。あれでも、皆、私のために働いてくれたものでおじゃる」
「氏真は優しいんだぜ。俺の産まれた村じゃ、牛泥棒なんかした日にゃ、市中ひきまわしの上、打ち首もんだったんだぜ」
「ああ、田吾作だったっけっすか。清正の家の牛にちょっかいかけた奴はっす。女子にもてないからと言って、牛をてごめにしようたあ、だいそれた奴っす」
「正則、お前、感心しているようだが、こっちは大変だったんだぜ。俺んちの花子がショックで、しばらく乳を出さなくなって、津島の町の銭湯に卸していた分が出荷できずに、【おおいお湯】が潰れかけたんだぜ」
「え?まじっすか。僕たちの憩いの場所、【おおいお湯】に、そんな大ダメージだったんっすか。それなら、9割殺しも納得っすわ」
【おおいお湯】とは何でおじゃろう?銭湯の話をしている以上、店名であろうことは想像はつくが、いまいち、つながらない。
「その【おおいお湯】と牛の乳が一体、何の関係があるのでおじゃるか?」
「大有りだぜ。【おおいお湯】は風呂上りに冷えた牛の乳を出してんだ。それを一手に請け負っていたのが、俺の出身、中村の牛たちなんだぜ。その稼ぎ頭の花子が乳を出せなくなったんだぜ。大変だろ?」
まくしたてるように清正が、氏真に言う。その勢いについ気圧されてしまう氏真である。
「まあ、なんとなく大変だったのは、わかるのでおじゃる。して、花子殿は、その後、どうなったのでおじゃる?」
「そこは正則が、あの手この手で、花子の乳を優しくもんだり、時には強くつねったりと、あらんばかりのテクニックを披露してくれたんだぜ」
「あの時は、よく事情がわからなかったら、とにかく揉んでみてくれと懇願されてやってたっすけど、結構、僕、清正んちの生命線に関わっていたんっすね」
「正則の乳の揉み方は天下逸品だぜ!嘘だと思うなら、氏真、揉まれてみろよ」
「ちょっと、待ってくれでおじゃる。嫁のおっぱいを揉む趣味はあっても、男に自分のおっぱいを揉まれる趣味はないでおじゃるよ」
「堅いこと言うなって。おら、正則、揉んでやれよ」
正則は、うーんと唸りながら
「僕も女性のおっぱいのほうが好きっすけど、場の流れに従うのは、仕方ないっすね」
何が仕方ないのか、わからないのでおじゃる。
「やめるでおじゃる。友達から恋人にステップアップしてしまうのでおじゃる!」
「それもそうだな。やっぱり、好き同士じゃなきゃ、相手が男と言えども嫌なもんだったわ。正則、氏真を惚れさせてから、おっぱい揉んでやりな」
「そうっすね。まずは、文通を通じて仲良くなって、それから手をつなぐことから始めようと思うっす。大丈夫。僕はピュアな付き合いが好きなので、いきなり手ごめにしようとは考えていないっす」
このひとたち、ひとの話を聞くつもりはあるのでおじゃるか?
「あなたさま。しっかり、食べていますかですわ?残すとケツ罰刀だあああ!と隊長の方が伝えておくようにと言ってましたわ」
氏真の奥方、早川殿が、ちゃんとご飯を食べているかチェックしに、氏真の元に訪れる。
そう言えば、目の前のちょっと頭のネジの締まり具合がおかしい2人組に絡まれて、気付けば、箸がすっかり止まっていたのでおじゃる。しっかりと食べねばと思い、食を再開する。
「お、きれいなお姉さん。こんなところにどうしたの?」
「うふふ。三十路女を捕まえて、きれいなお姉さんとは、なかなか口が達者な坊やですわ」
早川殿が、にこやかな顔をして、清正に応答する。
「清正。状況から察するに、氏真のコレでござる」
正則は、右手で握りこぶしを作り、人差し指と中指の間から、親指を突き出し、清正に見せつける。早川殿はその正則の所作に、よくわからないと言った、きょとんとした顔をする。
「なにをやっているのでおじゃる、正則先輩。そういう下品なことを、うちの嫁に見せないでほしいでおじゃる」
氏真が慌てる姿を早川殿が見て、それでもわからないと言った体で
「おまえさま。これは一体、どういった意味の所作でございますかですわ?」
「ずっ魂ばっ魂って意味だぜ。いつでもお熱い仲だってことだぜ!」
清正がそう、早川殿に伝える。
「あらあらあら。ずっ魂ばっ魂ですか。なかなか言葉の響きがいいのですわ」
本当に意味をわかっているのでおじゃるのかと、自分の奥方を心配する氏真である。
「ええと、手を握って、人差し指と中指の間に、親指を通すようにっと。できましたのですわ!早川と氏真さまは、まさにずっ魂ばっ魂の間柄なのですわ」
早川殿は、正則の手の形を見よう見まねで、形作り、その右手を身体の前に突き出して言うのである。
慌てたのは、氏真である。
「やめるのでおじゃる。女性がやる所作ではないのでおじゃる!」
「ええ?でも、早川は、毎日、あなたさまとずっ魂ばっ魂では、ありませんかですわ」
意味は間違ってないのでおじゃる。昨晩もずっ魂ばっ魂してたのは確かなのでおじゃる。だが、場所をわきまえてほしいのでおじゃるよ、早川殿。
「氏真はうらやましい限りだぜ。こんなきれいなお姉さんと、いちゃいちゃできるんだからなあ。俺も嫁さんがほしいんだぜ」
にやにやした顔付きで清正が言う。
「清正。そのためにも僕たちは、織田家の軍に入ったっす。なんたって合婚があるっすからね」
正則が言う。そう言えば、ちらしに合婚と言う文字が載っていたでおじゃるな。お給金のほうに目が行って、スルーしていたのでおじゃる。
「おっほん。清正先輩、正則先輩。合婚とは一体、なんでおじゃるかな?」
「だから、その先輩ってつけるのをいい加減にやめてくれないかだぜ。こそばゆいったら、ありゃしないんだぜ」
「氏真。合婚と言うのは、信長さまが考え出したと言われている、合同婚姻会の略っす。盛大な飲み会が開かれるんっすよ。うら若き男女が結婚相手を求めて、いっしょの席で自慢話をしたり、功績をアピールしたりするっす」
氏真は、ふむふむとその正則の話を聞く。続けて、正則が
「もちろん、妾を求めて、既婚者が参加するのもありっす。信長さまは毎年のように出席して、妾を増やしているっす。精力旺盛すぎっす」
「信長殿はすごいのでおじゃるな。私は早川殿に毎晩しぼりとられて、とてもではないでおじゃるが、妾など無理だったのでおじゃる」
「ふふふっ。おまえさま、妾はいけないのですわ。他の女性と遊べないように今夜もずっ魂ばっ魂なのですわ」
氏真は早朝の5キロメートル行軍ですら、ふらふらで満身創痍なのだ。このあと続く訓練も過激なことは想像に難くない。今のうちに喰えるだけ喰って、精力を養わなければならないのでおじゃる。
そう思っていると、いつの間にか、自分の大皿に、やもりの黒焼きが3本、追加されているのである。
「あ、あの。私の大皿に、やもりの黒焼きが追加されているのでおじゃるが、一体だれが追加したのでおじゃるか?」
清正と正則は、そんなことも知らないのかと言う顔付きで、氏真の横を指さしてくる。その指さす先には、早川殿がにこにこと笑顔である。
「もう2本、追加するのですわ。さあ、たーんとお食べですわ?」
やもりの黒焼きが計5本になってしまった。とほほと言った顔つきで、氏真はその黒焼きにかぶりつくのであった。
「そう言えば、年明けの正月の合婚には、すげえ人物がくるんだぜ?」
「一体、だれっすか?信長さまはいつものことだから、すごい人物とは言えないっすよ?」
「家康殿あたりでおじゃるか?遠江を手に入れて、なかなかの大名家になったでおじゃるし」
氏真は、やもりの黒焼きをもぐもぐしながら、清正と正則に言う。
「家康さまも参加するらしいけど、違うぜ。聞いて驚くんじゃないんだぜ。なんと、将軍さまが合婚に参加するんだぜ!」
将軍さまと聞き、口のなかでもごもごしていた、黒焼きをぶぼっと吹きだす。
「ちょっ!氏真、汚いんだぜ」
「し、失敬したのでおじゃる。将軍さまと言えば、足利義昭さまでおじゃるか?」