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ー亀裂の章 2- 家康と氏真(うじざね)

 今川氏真いまがわうじざねは船の上から、焼け落ちていく自分の城を眺めていた。栄華を誇った今川家が滅びる姿を目に焼き付けるのである。


 城が落ちてから3日後、氏真うじざね親子は三河の港に着き、家康の家臣に案内され、岡崎城に招かれる。


 そして、座敷に案内され、久方ぶりの家康との面会となる。


「元康殿。いや、家康殿。おひさしぶりでおじゃる。この度は、わたしの命を救ってもらい、感謝を言いきれないのでおじゃる」


 氏真うじざねは正座の姿勢から深々と頭を下げる。奥方の早川殿も夫と同じく、家康に向かって頭を下げるのであった。


「おお、氏真うじざね殿。そんなにかしこまれなくてもいいのでござる。かつては主君とその家臣であったのでござる。あなたの父、義元殿には大恩があるのはこちらでござる。そのようにされてはこちらが困るのでござる」


「そうは言われても、今は、治める土地もない流浪の身でおじゃるのじゃ。それに敵とは言え、わたしを保護してくださる家康殿の器量の大きさには感服するのでおじゃる」


 氏真うじざねは、はらはらと涙を流し始める。


「かつての主君と家臣が相争うは、乱世ゆえでござる。氏真うじざね殿が平和な時代に産まれていれば、きっと、名領主として語り継がれていたのでござる」


 家康の言いは、裏を返せば、乱世の時代において、氏真うじざねは無能だと言うことだ。


「さて、話は変わるでござるが、今後の氏真うじざね殿の扱いでござるが」


 そう家康が言い、右手であごをさする。


「徳川家では遠江とおとうみを手に入れた際、そなたの旧臣を何人か、うちに組み入れたでござる。悪いのだが」


 家康がそこまで言うと氏真うじざねが口を開く


「わかっておるのでおじゃる。会うなと言うことでおじゃるな。わたしが徳川家の火種になる可能性があるということでおじゃるな」


「そうでござる。理解が早くて、こちらも助かるでござる。なあに、その方たちと会わぬと言われるなら、岡崎の町を好きに歩いてもらって結構なのでござる。まあ、監視はつけされてもらうでござるが、その辺は了承してほしいのでござる」


 氏真うじざねが自由に動いていいのは、岡崎の町だけである。しかも監視つきだ。これは半ば軟禁であった。だが、氏真うじざねには選択肢などあろうはずがなかった。


「屋敷から出るなと言われると思っていたのでおじゃる。町に出向いていいと言われるとは、家康殿の心遣い、感謝をいたすのでおじゃる」


 またもや、氏真うじざねは、家康に向かい、頭を下げる。


「そう、ぺこぺこと頭を下げなくていいでござるよ。かつては俺たちは友であったではないかでござる。その友にいちいち頭を下げられては、こちらとしても困るのでござる」


「しかし、父上・義元が三河でやってきたことを思えば、自然と頭が下がる気持ちなのでおじゃる。わたしが父上を止められぬばかりに、家康殿、三河の民たちには苦労をかけたのでおじゃる」


「それはそれ、これはこれでござる。確かに恨みがないと言えば嘘になるでござる。今でも、義元に対して、恨みつらみを持っているものも居るのでござる。だが、そうだと言って、父の罪を息子に負わせようとは思うことはないのでござる」


「申し訳ないのでおじゃる。家康殿。わたしは、わたしは」


 とめどめもなく、氏真うじざねの眼から涙がこぼれ落ちる。家康の気づかいに、とてつもない恩を感じるゆえである。


「さあ、メシにしようでござる。取るものも取らず、駿府から逃げてきたのでござろう。メシでも食べながら、旧交を温めようでござらぬか」


 家康はそう言い、小姓にメシを持ってくるように伝える。少ししたあと、膳が運ばれてきて、氏真うじざねや早川殿、そしてその子供たちの前に置かれる。


 その豪華な膳に、思わず、氏真うじざね親子は面喰うのである。


「家康殿。このようなご飯を食べていいのでおじゃるか?」


 家康は、うん?と思う。


「何か嫌いなものが混ざっていたでござるか?言ってくれれば替えるでござるよ?」


「い、いえ。このような流浪の身に出すにしては豪華でおじゃる。わたしは客人と言うような身分ではないのでおじゃるよ」


 膳にあるのは、刺身、秋野菜の天ぷら、鶏のから揚げ、それに、納豆、海苔、漬物、かやくご飯、そして豚汁であった。家康が健康を考え、毎日、食しているものである。


「それに、この黄色い衣に包まれたものは何でおじゃる?キラキラとして、美味そうなのでおじゃる」


「それは天麩羅てんぷらと呼ばれるものでござるよ。油で揚げたものでござる。氏真うじざね殿は食したことがないのでござるか?試しに食べてみるといいのでござる」


 氏真うじざね天麩羅てんぷらと呼ばれたものを箸でつかみ、おそるおそる、口に運ぶ。そして、ひと口、それを噛み、目を白黒させるのであった。


「んん?んん。んんーーーーー!」


 歯ごたえはシャキシャキしており、秋野菜の匂いと油の匂いが混ざり合い、匂いのハーモニーを奏でる。氏真うじざねはしゃくしゃくと一気に秋野菜の天麩羅てんぷらを食べ終えてしまう。


「はははっ。気にいってもらえたようでござるな。氏真うじざね殿の舌に合うかどうか心配でござったが、それも無用であったようでござる」


「こんな美味いものは初めて食べたのでおじゃる。これを毎日、家康殿は食べているのでおじゃるか?」


「ん?そうでござるよ。天麩羅てんぷらは信長殿から教えてもらったのでござるが、そんなたいそれたものではないでござる。尾張おわりや岐阜では、町の屋台で普通に食べれるでござるよ」


 氏真うじざねは家康の言っていることを信じられないような顔つきになる。さぞかし、やんごとなき人たちのみが食べれるものが、この天麩羅てんぷらだと思ったのだが、そうではない。


尾張おわりや岐阜では、こんな美味いものを庶民たちが食べていると言うのでおじゃるか?一体、どうなっているのでおじゃる?」


 氏真うじざねの頭の中はハテナマークで一杯になる。


「そういえば、氏真(うじざね)殿は自分の領地以外に行ったことはなかったのでござるな。口で説明するより、実際に目で見てもらったほうが、織田家の隆盛がわかりやすいのでござるがなあ」


 家康は自分で岡崎の町までの自由行動を許したものの、織田家の領内のにぎやかさを一度、体験してもらいたいとも思っている。氏真(うじざね)にはすでに権力はなく、問題が起こるとも思えないが、どうしたものかと思う。


「いずれ時期を見て、尾張おわりに連れていくのでござる。もちろん、奥方の早川殿もご一緒させるでござる」


「楽しみなのでおじゃる。今まで、自分の領地のこと以外、興味なぞなかったでおじゃるが、自由の身となった今、各地を見てまわってみたいのでおじゃる」


「はははっ。いずれ、京や堺にも連れていくのでござる。特に堺は面白いでござるぞ。いろいろな国からの訪問者が商売をかねてやってきているのでござる。氏真うじざね殿は肌が黒い人間を見たことはあるでござるか?」


「肌が黒い人間でおじゃるか?染料か何かで肌を塗っている大道芸人の類でおじゃるか?」


「いやいや。そうではないでござる。元々から肌が黒いでござるよ。信長殿がたわしでこすって色が落ちなかったそうなので、本当にそうなのでござる」


 氏真うじざねは驚いた表情を作る。


「なんと、本当に元から肌が黒いのでおじゃるか。にわかには信じられないのでおじゃる。世の中には面妖な者がいるのでおじゃるなあ」


 家康はふと思った。このまま三河に滞在してもらうより、いっそ、堺に移住してもらえば、家中でも火種を作ることもないのではないかと。


氏真うじざね殿。さきほどは岡崎の町で住んでもらうと言っていたが、なにかと恨みつらみが積もった町でござる。それよりかは、近い将来、堺に移住すると言うのはどうでござる?」


 氏真うじざねは家康の提案に考えを巡らせる。


「そうでおじゃるな。このまま、ここに居て、家康殿に迷惑をかけるようなら、いっそ新天地でのんびり暮らすのも悪くないかもしれないのでおじゃるな」


「なあに、家族で暮らすには不自由のないよう、仕送りはさせてもらうのでござる。それに、今や堺は信長殿の管理地でござる。心配することはないのでござる」


「なんと、信長殿が京で足利義昭あしかがよしあきさまを将軍に就けたと言う話は知っているのでおじゃるが、織田家の勢力は大坂の堺にまで広がっていると言うのでおじゃるか!」


 今川家は近年、徳川家、武田家への対策に追われ、世の中の事情に疎いというか、他のことに構っていられるほど余裕はなかった。


「あの父上・義元と戦ったときは、織田家は2000で父上を討ち取ったと聞いておったでおじゃるが、今や4万もの兵を動員しているとか。今川家の最大兵数を超えるだけでも、すごいと言うのに、堺にまでその勢力を伸ばしているとは思っていなかったのでおじゃる」


「はははっ。氏真うじざね殿は驚いてばかりでござるな。そのようなことでいちいち驚いていては、尾張おわりの地を踏むだけで、目を剥き、口から泡を吹いてしまうことになるでござるぞ」


「一体、信長殿は何をする気なのでおじゃる?尾張おわり、岐阜、南近江、京、そして堺を手にいれて。まるで、この国すべてを手に入れるつもりに見えるのでおじゃる」


 家康は、豚汁をすすり、漬物をぼりぼりと食べる。


氏真うじざね殿。箸がとまっているでござるよ。せっかくの料理が冷めてしまうのでござる」


 そうだったのでおじゃる。つい、話すことに夢中になって、すっかり箸が止まっていた。家康と同じく、豚汁の入った腕を持ち、ずずうとその汁を飲む。10月になり、冷えてきた今の時期、さらに船で海風にさらされた身に温かい汁が身体に染みわたる。


「美味い汁なのでおじゃる。これは豚肉でおじゃるか?里芋、牛蒡、長ネギなど色々と入っていて、芯から心も身体も温まるのでおじゃる」


 嫁の早川殿や、子供たちはパクパクと膳に並べられた料理の数々を食べている。よっぽど腹が空いていたのであろう。苦労をかけてすまないのでおじゃると思う、氏真うじざねであった。


 家康殿の勧めもある。近いうちに産まれた土地の駿府から遠く、堺に移住することになるかもしれないが、家族つつましく生きて行こう。そして職をみつけ、汗を流し、家族を養っていこう。そう思う、氏真うじざねであったのだった。

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