ー進撃の章14- 霧山御所 陥落
「具房よ、何をしているのだ!もっと、果敢に敵を攻め、織田のやつらを尾張まで追いやらぬか」
北畠具教の息子である、北畠具房は父から叱責を受けていた。
「ですが、父上があまりに前に出過ぎるため、その穴を埋めるのに、こちらとしても必死なのじゃ。こちらのほうのことも考えてほしいのじゃ」
「うるさい!貴様が前に出ぬから、穴が開くのだろうが。そんなこともわからずに、名門・北畠の当主を名乗るとは、片腹痛いわ」
聞く耳を持たぬ、具教である。ふうと具房は嘆息し
「ここは和睦の使者を出してはいかがなのじゃ。そもそもが、父上が信長の上洛を支持しないことから始まった戦なのじゃ。今からでも支持を表明すれば、私たちの命は助かる見込みは大きいのじゃ」
「ならぬならぬ!なぜ、わしらが斯波家の家老のまた家老である家の出である、信長なぞに頭を下げねばならぬ。頭をさげるべきは、向こうのほうだろうが」
「しかし、このままでは、私たちは城を枕に仲良く討ち死になるのじゃ。それでも良いといわれるのかじゃ」
「まだ戦えるものたちがいると言うのに、降伏するほうが頭がおかしいのだ。そんな引き腰だからこそ、追い詰められていることに気付かぬのか!」
具教と具房の言い合いは平行線を辿る。
「大変です!城の裏手より火が上がっております。織田が背後に兵を伏せていた模様」
2人が言い合う中、伝令の者が部屋に駆け込んでくる。
「くそが!具房、俺が出る。お前は前を固めろ。決して、敵を城内に入れさすでないぞ」
そう言い、具教は部屋を飛び出すように出ていく。やれやれと言った顔をする具房である。
「この戦、もう勝負は決まったものなのじゃ。それなのに、なぜ、父上はまだ戦うことを諦めないのじゃ」
「存外に粘るもんだなあ。北畠のやつらも。完全に包囲されてから1週間は経つと言うのに。あいつら、このまま死ぬ気なのかなあ?」
そう言うのは佐久間信盛である。
「数に押されて、籠城するのは確かに気持ちはわかるんですが、各方面の城からも援軍の見込みもないのに、よくやるものですよ。もうなんでしょうかね?意地ってやつなんでしょうか」
「残っている兵は残り5000って言ったところッスかね。でも、そんな数で城に籠れば、あっと言う間に食料は底を尽きてしまうッス。人間、飢えると怖いッスからねえ。互いに身を喰いあうつもりなんッスかねえ」
比喩表現ではなく、人間、飢えれば死者の肉を喰うものも出る。それは凄惨きまわりない状態になり、戦どころではなくなるのだ。
「殿。降伏勧告の使者は出さないのか?北畠具教たちがどうなろうが知ったこっちゃないが、兵だって民には変わりねえんだ。そいつらが、無駄に死ぬのは、気分がいいもんじゃないぜ?」
「ううん。出したいのはやまやまなんですが、戦う気概を捨てないあちらが、降伏勧告に乗ってくるんでしょうかね?使者を出して、その使者が斬られようものなら、本当に、全員、餓死してもらうまで戦うことになりますし」
「使者を斬るとか、そこまで、北畠も馬鹿じゃねえだろ」
「わかりませんよ?あちらから見たら、織田家なんて虫けらなような身分ですからね。虫けらに頭を下げるようなら、最初から、戦が起きる前に、先生たちに恭順の意を示していますよ」
「んん。困ったもんだなあ。何か手がないもんですかねえ」
信長と信盛がううんと唸る。
「とりあえず、松ヶ島城と鳥羽城が落ちるまで、待ちましょうか。さすがにこの2城が落ちれば、向こうの士気はガタ落ちでしょうし。希望を総て潰してしまうしか無いでしょうね」
信長は伝令を呼び、松ヶ島城を囲む勝家と光秀、そして、鳥羽城を攻める家康に、城を落とすようにと伝える。伝令は陣幕を出、馬に乗り、各所に走っていく。
それから1週間も経たずに、松ヶ島城と鳥羽城は陥落し、いよいよ持って、霧山御所は孤立無援の状態となる。ここに至って、ようやく霧山御所では、北畠親子に対する怨嗟の声が渦巻くようになり、北畠具教は身の危険を感じるようになったのであった。
「無念である。この名門・北畠家が織田信長のようなものに頭を下げねばならぬというのか」
「これ以上の籠城は無意味ですのじゃ。城の門を開け、信長を迎え入れる準備をするのが良いのじゃ」
「ぐぬぬ。こうなれば、城の門を開け、全員で突貫するべし!」
「父上!何を馬鹿なことを言っているのですか。ええい、誰か、父上を縛り上げろ」
「何をする、具房!ええい、離せ、離さぬか」
具房の重臣たちが、具教を押さえつけ、縄で縛りあげる。すまきにされた具教はなおも罵声を浴びせかける。
だが、具房は具教の腹を蹴り上げ、彼を失神させ黙らせた。
「匹夫の勇とはまさにこのことなのじゃ。誰か、城の門を開け放ち、信長殿に伝令しに行け。あと城内の清掃を頼むのじゃ。死屍累々のこの場に信長殿を招きいれるのは失礼に値するのじゃ」
具房の指示を受け、家臣たちは動く。降伏の意を示すことに北畠の兵たちは安堵する。人の身をこれ以上、喰らう必要のないことに心底、ほっとするのであった。
「おや?城門が開いたようですね。さて、どうでてくるのでしょうか」
「さすがに、全員で玉砕覚悟で突っ込んでくるのだけは勘弁だぜ。そういう奴らは始末に負えないからなあ」
信長と信盛の心配をよそに、白装束に身を包んだ、伝令らしきものが城門を越え、ひとりやってくる。信長たちはそのものと面会し、これ以上の反抗の意思を北畠は持っていないことを聞く。
その伝令は、さらに城内の惨状を伝え、兵糧の拠出を願い出るのであった。
信長はその旨を聞き、北畠側の降伏の意を汲み取るとことした。そして、持ってきていた兵糧の一部を霧山御所に搬入することを約束した。伝令は信長の意向に涙を流し、城へまた戻っていく。
それから1時間後、信長たちと主だった将は兵1000を連れ、霧山御所に入る。
「炊き出しをするッス。飢えたものたちを救ってやるッス。降伏をした以上、敵じゃないッスから、ぞんざいに扱うのは禁止ッスよ!」
「さあ、並べ。皆の分は充分にある。慌てずとも良いから、列になるが良い」
「ん…。そんなに慌ててはダメ。すきっ腹にいきなりメシをかきこむと胃がびっくりして吐いてしまう。ゆっくり食べろ」
利家、河尻、佐々がメシの炊き出しに精を出す。北畠の兵たちは、皆、信長の恩情に涙を流しながら、久方ぶりの死体以外の全うなメシに涙を流しながら、むさぼり喰うのであった。
「やっぱ、信長さまっちは優しいっすねえ。俺っちも1国1城の主になったら、善政をしかないといけないっすねえ」
一益がそう言う。
「丹羽ちゃん思うに、信長さまは優しすぎるのです。その優しさがあだになるのではないかと心配なのです」
「げっ、丹羽っち。いつのまに来てたんっすか」
丹羽は一益にそう言われ、うーん?と言った顔をする。
「1週間ほど前から、ここに来ていたのですよー。信長さまに追加の兵糧を頼まれていたのです。随分、量が多いので何に使うのかと思っていたのですが、敵に施すためだったのですねー」
信長は霧山御所の惨状を見越し、丹羽に過分の兵糧をあらかじめ、搬入させておいたのだった。
「さすが信長さまっちっす。敵のことまで考えているなんて、思ってもなかったすよ」
「そのへんの草でも食ってろと丹羽ちゃんは思うのですが、信長さまが救えと言う以上は黙って従うまでなのです」
「丹羽っちも大概、優しいっすね。反対しようと思えば、できていたくせにっす」
「そうですか?丹羽ちゃんは、言われた仕事をこなしているだけのつもりですが」
丹羽に対して、一益は、にやにやした顔をする。きっと、丹羽なら言われなくても、飢えた敵兵たちに兵糧を分け与えることをしていただろう。
丹羽は他人とは、ずれている感性の持主だが、人間味を失っているわけではない。そう思う、一益なのであった。
炊き出しも北畠の兵たちに行きわたり、城内が幾分か落ち着いたあと、信長たち、織田家の諸将は城の大広間に案内される。そこには、北畠家の重臣たちと、具房、そして、すまきにされた具教が居た。
「信長殿。降伏の意を汲んでもらい、ありがとうございますじゃ。信長殿に逆らったこと、この身がどうなっても良いですが、兵たちにはこれ以上の危害を与えぬよう、お願いしますのじゃ」
具房が正座の状態から深く、深く、頭を下げる。
「具房!何を貴様、敵に頭を下げておる。重臣たちよ、お前たちも、敵が来ておるのだぞ。敵の首級を取らぬか」
具教が喚き散らすので、北畠の重臣たちは、すまきにされ寝ころぶ具教の腹を強く蹴り上げる。うぐぅと言う声を出し、具教はごろごろと、のたうち回る。
「なんだか、若干1名、まだ戦う気みたいですが、いいんですか、あれ?」
信長が腹を蹴り上げられた具教を見て、やれやれと言った表情をする。
「あれは放っておいてくだされ。なんなら、首級を差し上げますので、ご自由にお持ち帰りください」
「いや、いりませんよ。降伏したものの首級を欲しがるほど、こちらも飢えてはいませんからね。まあ、斬り捨ててしまったほうが、きみにとっては都合が良いのかもしれませんが」
「左様でございますかじゃ。恩情、ありがたく思いますのじゃ。では、降伏の条件などについて、話を進めていきましょうじゃ」