ー進撃の章 8- 日乗(にちじょう)、刀を抜く
信長は意外に思われるかもしれないが、いわゆる超常現象が大好きな人間である。
池に大蛇が住んでいると言われれば、その池の水を家臣たちに桶で汲み取らせ、なかなか現れない大蛇を探しに、自ら短剣を口にくわえて池に飛び込んだりする。まあ、結局は、大蛇は住んでいなかったのだが。
さらには、信長の父、信秀が病で床に臥せていた時には、祈祷で治すという僧侶たちがいたので、多額の報奨金を約束し、喜んで祈祷をさせた。だが、その祈祷の効果もむなしく、信秀は症状は改善されず、そのまま亡くなったのだった。
しかし、僧侶たちは祈祷代をせがんできたので、効果のないものに金を渡すわけもなく、それでもその僧侶たちが金をねだってきたので、信長はキレて、寺のお堂に閉じ込め、お前たちの祈祷で自分の命を救ってみろと言い放ち、そのお堂に火をつけたのであった。
信長は超常現象が大好きなのである。ただし、それと同時に実証主義者でもあるのだ。
超常現象を謳うものがいれば、実際に試してみないことには気がすまない性質なのである。
「で、キリストくんは、今どこに?先生、試しに斬ってみたいので、是非、連れてきてください」
「オウ、ノウ。残念ながら、キリストは天の国に行ってしまわれたのですワン。あの方は、神と等しき存在になられ、神の右の座におられるのですワン。残念ながら、信長さまに会わせることはできないのですワン」
ロレンソがそう言うと、信長は非常に残念な顔をし、ふうと嘆息する。
「もし、キリストくんをこの目で見れるなら、この手で実際に、切り伏せて蘇るところをじっくり観察したかったのですが。ああ、これでは、せっかくデウスの教えを信じかけたというのに、残念です」
信長は右手を額にあて、天を仰ぐ。
「信長さま。こう言っては何ですが、デウスの教えでは、神を試すような真似をしてはいけないのですワン。神の御業を奇跡と呼びますが、奇跡を願うような真似をするのは禁じられているのですワン」
「では、ロレンソくんで試すので、ちょっと、庭にきてもらえません?」
信長はそう言うと、小姓から宗三左文字を受け取り、鞘から刀を抜く。
「ちょっと待ってくださいですワン!ワタシが復活できるわけがないですワン」
「なあんだ。ロレンソくんは蘇ることができないのですか。それでは、試し切りをすることはできないですね」
信長はつまらなそうに、ふうと嘆息する。そして、ちらりとフロイスのほうを見る。
「ワタシも無理ですニャン!復活できるのはキリストだけなのですニャン」
「可能性にかけるデウス教の人はいないんですか?今なら、宗三左文字の刀の錆にしてあげるのに」
そういうと、信長は手に持った、宗三左文字を惜し気に、刀掛けに戻す。それを見た、フロイスとロレンソは、ほっと安堵の息をつく。
「試し切りができなかったのは残念ですが、京の都の追放令は解除させておきますよ。織田家は信仰の自由をもっとうとしていますからね。でも、切った貼ったの問題を起こすのは止めてくださいよ」
「うっほん!信長さま、邪教を広めるのに加担するのは、やめるんだぶう。こやつらの世迷言に耳を貸すのは言語道断なんだぶう」
日乗が信長に意見する。
「オウ、ノウ。この方、一体、何ですかニャン。さっきからうるさいんですけどニャン」
「ああ、フロイスくん。このひとは、仏教の宗派の中でも一番の過激派である、日蓮宗の日乗くんですよ。改宗への強引さは、フロイスくんたちと遜色しないですから、仲良くなれると思いますよ?」
「伴天連のものどもと仲良くなれるわけがないんだぶう!大体、信長さまは日蓮さまを何だと心得ているんだぶう」
「え?お釈迦さまの生まれ変わりと豪語して、時の帝に拷問を受けて、さらには島流しにされたひとでしたよね?」
「日蓮さまは真に、お釈迦さまの生まれ変わりなんだぶう。帝のほうが間違っているんだぶう!」
「え?そう言われても、日蓮くんをお釈迦さまの生まれ変わりと言える証拠なんて、ないじゃないですか」
「日蓮さまは、自分がお釈迦さまと宣言すれば、迫害を受けると予言していたんだぶひい。事実、日蓮さまは帝から迫害を受けたんだぶう。それが証拠なんだぶう」
「このひと、頭がおかしいんですニャン。迫害を受けるのは、間違った教えを広めたからですニャン。ざまあないですニャン」
「あれ?迫害を受けたのはデウスの教えを広めた、フロイスくん、きみたちも同じような」
「ワタシたちデウスの教えは、正しいからこそ迫害を受けたんだワン。神は信仰の徒に試練を与えてくださるんだワン。迫害を超えた先に、今のデウスの教えがあるんだワン」
「先生から言わせれば、どっちもどっちのような気がするんですが」
「邪教に身をやつす信徒は地獄に落ちるのがお似合いですニャン。今頃、その日蓮というやからも、地獄に落ちているんだニャン」
そう言われ、日乗の顔がみるみると真っ赤になっていく。
「貴様!邪教を広めるだけに飽き足らず、お釈迦さまの生まれ変わりである、日蓮さままで侮辱するとは言語道断だぶう。ええい、切り伏せてくれるぶう」
日乗は、そう言うと、あろうことか、信長の御前で腰に帯びた日本刀を抜き、フロイスに斬りかかろうとする。
慌てた信長の小姓たちは、日乗を羽交い絞めにし、動きを封じる。
その顛末を見た、信長はやれやれと嘆息をする。
「だから、力で相手を屈服させるような行為を先生は常日頃から禁じているじゃないですか。言葉で言い負かされたからと言って、それに反論できずに刀を抜くとは、何を考えているんですか」
「ええい!小童ども、離せ、離せぶう。この悪逆の徒を切り伏せさせろぶう」
信長にたしなめられても、日乗は言うことを聞く様子でもない。そもそも、信長の御前で刀を抜くこと自体、恐れ多きことなのだ。
「やーいやーい。斬れるものなら斬ってみるのですニャン。斬れば、日蓮が邪教の使いだという反証になるんだニャン」
フロイスは羽交い絞めにされている日乗を煽る。
「自分の言が通らないなら力を誇示するのは幼子と同じなんですワン。そんなこともわからないから、邪教に身をやつしても、平然としていられるんだワン」
ロレンソがさらに煽る。
「フロイスくんもロレンソくんも煽るのは、ほどほどにしておきなさい?岐阜城で宗教戦争を起こされても、困るのは織田家なんですからね」
信長はそういうと、さも面倒くさそうに立ち上がり、日乗の前に立つ。
「信長さま、後生でござるぶう。あの伴天連どもを切り伏せる許可をくだされぶう!」
まだ、諦めのつかない日乗である。その真っ赤にゆで上がった顔に向かって、信長が右手で握りこぶしを作り、おもいっきり振りかぶり、日乗の顔に目がけて、右ストレートをぶち込む。
その1撃で日乗は我に返り、刀を畳の床に落とし、はらはらと涙を流す。
「人を殴るという行為は、殴った本人のほうが痛いのです。特に心が。しかし、日乗くん。あなたは人を殴っても心の痛みを伴うどころか、喜々とする人物ですね。どうですか?殴られた気持ちは」
信長の小姓たちは、涙を流す、日乗から手を放し、どんっと背中を突き飛ばす。その衝撃で、日乗は畳の上で四つん這いになる。
「拙僧が間違っていたのですぶう。この痛みは、拙僧を改心させる痛みぶう。強いては日蓮さまが受けた痛みぶう。力はよりさらなる力で屈服させられるのみだぶう」
日乗は大粒の涙を畳の上に落とす。
「わかってもらえたようでなによりです。別に先生、日蓮宗を憎んでいるわけではありません。ただ、力を行使しての布教は許してないだけなんで。そこをわかっていただけましたか?」
「わかったのでございますぶう。これからは、言葉によって相手を説き伏せますぶう。ひとりに対して、4人で囲んで、説法を聞かせていきますぶう」
本当にわかってるのかなあと思う、信長である。
「まあ、ひとりを4人で囲むのもどうかと思うのですが、恐喝にならないように注意してくださいよ?それと、他の仏教徒に対して非難轟々な態度も、反感を持たれる1要因なんです。日蓮宗の皆さんには、くれぐれもその辺、注意を促してくださいね?」
「オウ。邪教に格別な配慮をする信長さまは、地獄に落ちるのですワン。締め上げて、弾圧して、この世から消してやればいいのにですワン」
「信長さまは、デウスの教えを広めることは認めてくださってるニャン。天の国の扉は開かれているニャン。あとは、他の宗派を認めるような行為は止めて、神社仏閣を破壊しつくしてほしいニャン」
信長は、やれやれと嘆息する。
「だれが何を信じるかは自由だと、この前も言ったでしょう?先生は、宗派同士の教えが正しい、正しくないとかの論争は学術的には興味はありますが、それぞれの言い分に利点があることを認めています。ですので、先生はより、正しい教えを説く方に心をゆだねているのですよ」
「では、デウスの教えが正しいことを証明すれば、信長さまはデウスの教えの信徒になってくれるということですかワン?」
「正確には違うんですけどね。先生は葬式は仏教に頼むし、結婚式は神道に頼みます。それぞれの宗派の利点を利用しているだけです」
「オウ、ノウ!それでは、宗教自体を信じていないと同じではないですかワン。信じる宗教はひとつであるべきなのですワン」
「果たしてそうでしょうか?宗派、それぞれに、良い点と悪い点が必ずあります。良い点からは学び、悪い点は改善すべきなのです。しかしながら、今の宗派は、悪い点の改善には取り組まず、妄信するだけです。それではいけないと思うだけです」
「正しきデウスの教えは、すべてが正しいのですワン!正しき教えに間違った点など、存在するわけがないのですワン。信長さまは間違っていますワン」
ロレンソが信長に対して、引くことはしない。正しき教えは、すべてにおいて正しいと信じている。間違いを認めること自体、デウスの教えを否定していることと同義なのだ、この男にとっては。