ー進撃の章 7- フロイスとロレンソ
時は少し先のことを言うが、結局、若狭武田は朝倉家に降伏し、武田元明は朝倉家に従属することになる。しかしながら、従属した身でありながらも、武田元明は信長に対して、連絡を密にし、反抗の機会を覗うことになるのであった。
そして、もうひとつの武田である、武田信玄は5月終わりの農閑期に入ると、上杉謙信が動かぬことを悟り、今川・北条との戦を再開することになる。
だが、武田信玄が向かった先は今川家の駿府ではなく、あろうことか、北条家の小田原だったのだ。それに虚を突かれた北条氏康は慌てることになる。
「くっそ。信玄のやつ。正面から戦わずに、うちを直接、叩いてくるとは思っていなかったぜ!すまねえ、氏真。一度、俺は本国に戻る」
「いってらっしゃいませなのでおじゃる。駿府の地は私が守り切ってみせるのでおじゃる」
「謙信のやつ。俺らがこれほどの危機だというのに、まだ、動こうとしやがらねえ。あいつのどこが義の体現者なんだ。ただの能無しじゃねえか!」
北条氏康が愚痴をこぼすのも無理はない。北条からの再三の救援要請を謙信は無視をしつづけるからであった。
だからと言って、裏切り者である、謙信を攻めるほどの余裕は、氏康には存在しない。しかも、北条三郎を人質に送っている身だ。謙信を攻めたくても攻めれないのである。
「ふっふっふ。これほどうまく行くとは思わなんだわ。これは信長殿に金塊をまた贈らなければならないな」
武田信玄は陣中でほくそ笑む。帝の詔がこれほどまでに、謙信の動きを封じ込めるとは予想以上である。
「さあて。武田の誇る、騎馬軍団たちよ。主のいない北条の地など、踏み荒らしてしまえ」
信玄は配下の武将たちに下知を飛ばす。武将たちは各々にたいまつを手に持ち、北条家の村々に火を放ち、強奪や人取りを繰り返したのであった。
「があはっはっは。燃やせ、奪え、北条氏康に武田家に歯向かったこと、後悔させてやるのだ」
イナゴの群れと化した、武田軍は北条の地で凌辱の限りを尽くすのである。
「いささか、武田家のやり方は度が過ぎているのでござる。これでは、今川のみならず、北条からも相当の恨みを買うはずでござる。信玄は統治をすることをなんと心得ているのでござるか」
そう感想を言うのは、徳川家康である。その傍らに座す、酒井忠次は
「これは将来に禍根を残すことになるのでございますな。今はいいかも知れぬが、大義名分もなき、北条攻め。今に、武田家は痛いしっぺ返しをくらいそうでございますな」
「恐怖を植え付けることによる支配など、長続きはしないでござる。しかし、それをしなければならない理由が、もしやすると、信玄殿にはあるのかもしれないでござるな」
「そう、殿は考えているのでございますか。私にはただの無軌道な、恨みつらみの解消にしか見えぬでございますな」
「俺の眼には、何かに生き急いでいるように見えるでござる。果たして、俺と信長殿、そして信玄殿は同じ夢をみることができるのでござろうか」
家康は、敵ながら北条の民たちの被害を考える。しかしだ
「やっていることのひどさの違いはあれども、かつての主家である、今川家に盾突いている、俺が言うことでもないのかもしれないでござるな」
「殿は違うのでございます。信長殿の意を汲み、遠江の支配はゆるやかなものでございます。あのような畜生と同じと考えるのは、卑下しすぎなのでございます」
「そうか、そう言ってくれると安心するのでござる。忠次。俺は信長殿と同じく、民には安寧をもたらしたいのでござる。なるべくなら、無辜の民を傷つけるようなことはしたくないのでござる」
しかしながらと忠次は言う。
「もし、無辜の民を傷つけなければならないような事態に陥るとあらば、私も殿と同じく、民からの叱責を受けるのでございます。殿を1人にさせることはないのでございます」
ありがたい家臣を持ったものだと家康は思う。
「そうはならないよう、努力はするのでござる。忠次、俺を支えてほしいのでござる」
忠次は無言のまま、家康に頭を下げる。家康は忠次のその姿を見、ついで、東の空を見るのであった。
時はまた戻り、5月初週、岐阜城に珍客がやってきていたのである。
「オウ、信長殿。お招きいただき、ありがとうですニャン。ついにデウスの教えに身をやつすことに決めてくれたのですニャン?」
「はははっ、フロイスくんは冗談が好きなようですね。先生は宗派替えをする予定はありませんよ」
「オウ、シット!いまだにデウスの教えを信じてくれないというのですニャン。信長さまは地獄に落ちるのが怖くないのですかニャン?」
「さあ?地獄を実際に見たことがないので、存在自体を怪しんでいますが、本当にあると言うのなら、あまり進んで落ちたいとは思いませんけどね」
「ならば、デウスの教えを信じるのですニャン。いま、デウスの教えに加入すれば、瓦版1か月無料と、南蛮渡来の洗剤をセットにしますニャン」
「余計に益々、入信したくないですねえ。うさんくささ満点じゃないですか」
「フッフッフッ。信長さまを説得するため、今日は、愛弟子、ロレンソを連れてきたのですニャン」
岐阜城では、宣教師のフロイスとロレンソを一目見ようと、300人もの見物客がやってきていた。その中には日蓮宗の日乗も、伴天連どもに一泡吹かせようと、息巻いていた。
「ロレンソですワン。今日は、信長さまにお会いできて、大変、光栄ですワン。さあ、この書類に名前と印鑑をお願いしますワン」
「ロレンソくん。さすがは、フロイスくんの愛弟子なだけはありますね。強引さはうりふたちですよ」
日乗は、うっほん!と大きく咳払いをする。
「伴天連共がわざわざ異教を広めに、ひのもとの国にやってくること自体が言語道断だぶう。信長さま。こやつらを斬り捨ててしまっていいだぶう?」
「日蓮宗の日乗くんでしたっけ、きみ。きみのところの勧誘も大概だと思うんですが、斬り捨て御免を与えたつもりはありませんよ?」
日乗は、ギギギと歯を噛みしめ、顔を真っ赤にする。
「ひのもとの国にはびこる、間違った仏教徒どもを改心させるのが日蓮宗の務めなんだぶう。ただでさえ間違った教えに、この国は染まっているというのに、さらに、伴天連共の滞在を許すことも間違っているんだぶう」
信長は日乗が激昂していることに、やれやれといった顔つきだ。
「頭のおかしいひとは放っておくんだワン。これだから、宗教狂いは手に負えないんだワン。悪魔を崇拝していることにすら気付いてない愚か者は地獄に落ちてしまえばいいんだワン」
日乗を煽るようにロレンソが言う。
「貴様たちは、このたび、朝廷から京の都の追放令が出されたんだぶう。そんなものを朝廷直々に出されるようなやつらが、他の宗派を間違っているとのたまうのは、片腹が痛いんだぶう」
げらげらと日乗がフロイスとロレンソに向かって笑う。次に歯ぎしりをするのは、フロイスとロレンソなのであった。
「ちょっと、昔に帝の屋敷があばら家と言ったくらいで、追放するとは、この国の指導者たちは、何を考えているんだニャン。みすぼらしい屋敷を、あばら家と言って、何が悪いんだニャン!」
「そうですワン。屋敷の明かりが外に漏れだすような、壁もぼろぼろなところに住んでいる、帝のほうが悪いんだワン!」
「さすがにひのもとの国の元とはいえ、最高権力者の帝の屋敷を非難するのは、先生でも無理ですよ。きみたちもきみたちで悪いと思わないところがすごいですね」
「嘘をつくのはデウスに対する、罪ですニャン。思ったことを思ったままに言うことこそが、天の国への近道ですニャン」
「帝と言えども、この世の全てを創造した、デウスより偉いわけではないですワン。デウスはこの世の全てにおいての最高権力者なのですワン」
信長は、ふうむと息をつく。
「まあ、言うのは勝手なんですが、それで京の都から追放されては本末転倒なような気もしますがね」
「そうですニャン。ひどい扱いですニャン。正しき教えを説くだけで、京の都から追い出すとは、この世は間違っているのですニャン」
「ざまあないんだぶう。そのまま、ひのもとの国全てから、追い出されればいいんだぶう」
日乗が相も変わらず、げらげらと笑っている。
「信長さま、お願いがあるんだワン。帝に直談判して、追放令を撤回してほしいんだワン!」
信長は思案気に右手であごをさする。
「いや、追放令のひとつやふたつ、撤回させるのはそれほど手間でもないんですけど、問題を起こすのはやめてくれませんかね?ただでさえ、南蛮人と言うだけで、きみたち、白い眼で見られやすんですし」
「オウ。信長さまがそうおっしゃると言うのであれば、口を慎むのですニャン。今では、信長さまが帝の屋敷を改築したので、あばら屋と吹聴するわけにもいかないですしニャン」
「この国のことわざに、口は災いの元と言うのがあります。いくら、正直なのが至極と言えども、なんでもかんでも、思ったことを口にするのは、あまり褒められた態度だとは言えませんよ。郷に入れば郷に従えとも言います」
「ゴウに入ればゴウに従えとはなんですニャン?フロイスにはよくわからない言葉ですニャン」
「とある国にきたなら、その国のしきたりに従ってた方が身の安全ですよってことです。織田家の領地ならいざ知らず、もっと気性の荒い土地に行ったら、フロイスくんのような人は、命がいくらあっても足らないですよ」
「デウスの教えを広める際は、いつの時代、いつの場所でも迫害はつきものだったのですワン!今更、ひのもとの国で迫害を受けようが、デウスの教えを広める使命にそむくことはできないですワン」
ロレンソが鼻息を荒くし、まくし立てる。
「デウスの子、キリストも布教の際には、命の危険を冒してでも正しき教えを広めることには一切、手を緩めなかったのですワン!まあ、殺されてしまいましたけどワン」
「布教のために本当に命をかけて、殺されてしまうなんて、なかなか剛毅なひとですね、そのキリストという人物は」
「まあ、磔刑にされて、3日後には蘇りましたから、本当に死んだわけではないんですがワン」
「1度、死んだひとが蘇るとか、すごいですね、その人。その人をひのもとの国へ連れてきた方が、デウス教を広めるのに便利そうなんですが。あと、先生にも、一度、キリストくんを打ち首にさせてくださいよ。本当に、蘇るのか試してみたいですから」