ー進撃の章 5- 武士と帝(みかど)の歴史
将軍・足利義昭を囲んでの織田家の奥方たちとの談笑は続く。
信長の小姓たちが、奥方たちと義昭が居る机に、次々と料理と酒を運んでくる。
机の上に並べられた大皿に盛られた料理を椿たちが、小皿に分けて皆に配っていく。帰蝶もそれを手伝おうとするが、信長の正室の手をわずらせるのは気が引けるとばかりに、大人しくさせている。
「なんだか、私だけ、料理を食べるだけなのは気が引けますわ」
「そんなこと言われても、帰蝶さまに手伝わせるほうが、私たちの気が引けるわよ。ここは黙って、私たちに任せてくださいね」
帰蝶と椿が言いあう。
「信長さまの正室と言えども、元は一介の油売りからのし上がったような家のうまれですよ、私は。いくら斎藤家から嫁いできたからと言って、それほど身分が高いと言うわけでもありませんし」
「そんなこと言い出したら、私なんて、農家の生まれだよ。それに夫の信盛だって、もとはただの下級兵士上がりなんだし。それと比べたら雲泥の差だよ」
「エレナは家の借金のカタで奴隷商に売られ、ひのもとの国にキマシタ。私の身分と言えば、椿サンより、低くなってしまうのデショウカ」
「ううん、どうだろうねえ?まあ、信盛はそんな身分とか気にしない性質だから、いいんじゃないの?」
「そうデスカ。それならいいんデスケド」
「まろも身分の低い女性でいいから、お嫁さんがほしいのでおじゃる。最悪、御父・信長殿の娘でも構わないのでおじゃる」
「それは歳の差を考えても、さすがに無理があるかと思いますが。将軍さまと釣り合うような家格ではありませんことよ」
帰蝶が義昭をたしなめる。
「ふう。これではいつまで経っても、まろは結婚できないのでおじゃる。独り身はさびしいのでおじゃる」
「それで思い出しましたが、朝廷の話に戻って、なんで、この国の昔の支配者である朝廷は歌ばかりを唄っていたのデスカ?」
エレナがそう、義昭に問う。
「ん?朝廷は歌を唄うことを仕事だと思っていたからでおじゃるよ」
「え?歌を唄ってることが仕事なんですか?それのどこが仕事になるのデショウカ」
ふむと、義昭が息をつく。
「貴族たちは、言祝ぎと言ってじゃな、縁起の良い歌を唄うのでおじゃる。平和を願い、民の安寧を願い、帝の、貴族の繁栄を願う歌を唄うのでおじゃる」
「やっていることの意味がよくわからないのデスガ。それをすることと、政治を行うことは別だと思うのデス」
「奴らにとっては、それが政治をすると言うことだったのでおじゃる。ひのもとの国は縁起の悪いことを言ってはいけない国なのでおじゃる。しかし、逆を言えば、縁起が良いことを言うのは喜ばれるのでおじゃる」
「縁起の良いことを歌にすれば、世の中が丸くおさまるという考えだったと言うことデスカ?確かに、縁起が悪いことを言うのは、はばかられるのは理解できるのですが、それと政治が結びつくのは不思議なのデス」
「しきしまの 大和の国は 言霊の さきはふ国ぞ まさきくありこそ と言う歌があるのでおじゃる」
「それは柿本人麻呂が詠んだ歌ですね、確か。意味は、日本の国は言霊が幸いをもたらす国です。どうか私が言葉で「ご無事でいて下さい」と申し上げることによって、どうぞ無事でいて下さい。でしたね」
帰蝶がそう言う。
「へえ、なんとなく、歌と意味は知っていたけど、正しくはそうなんだね」
そう言うは椿である。ひのもとの国に住むものなら柿本人麻呂の名を知らぬものなど、皆無と言っていい。
「その柿本サンがどうしたと言うのデスカ?ご無事でいてくださいと言うのは、不思議なことではないと思いマスガ」
「これがただのひとが言うのであれば、問題はないのでおじゃる。柿本人麻呂は朝廷を支える、貴族なのでおじゃる。貴族は皆、このように歌を唄って政治を行っていたのでおじゃる」
「無事を願うのは当然だと思うのですが、それを言ったり唄うことが実現するという考えなのデショウカ?」
「そういうことでおじゃる。昔から、ひのもとの国の上は帝から下は民まで、良きことを言えば、神をも、大地をも、ひとの天命すらも良き力が働き、万事、うまくいくと思っているのでおじゃる」
義昭はそう言うが、エレナは、ううんと唸り、納得がいかない様子である。
「良いことを言えば、世の中の全てが上手く回ると言うのであれば、そこには政治とかは存在する意味がなくなるのデス」
「その通りなのでおじゃる。実際には、何もしてこなかったのでおじゃる。そして、最もひどいのは朝廷は軍を持つのを放棄し、各地の警護役まで無くしたことなのでおじゃる」
「それでは、一体、誰がひのもとの国の民たちを守るというのデスカ。軍隊は戦争するだけではなく、人々を守るための欠かせない存在ナノデス」
「そこで誕生したのが侍でおじゃるよ。地方の農民たちは自衛のために手に武器を持ったのでおじゃる。民を守ってくれるはずの朝廷がそれを放棄したのでおじゃる。当然と言えば当然なのでおじゃる」
「そこから先はひのもとの民なら誰でも知っている、源平合戦の時代でしたわよね。帝派の平氏と、侍派の源氏の戦いですわ」
帰蝶がそう口を挟む。義昭はうむむと頷きながら、寿司に手をつける。
「源平物語なのデスネ。信盛さまから本を渡され、読んでみたのデスガ。諸行無常の鐘の音であってイマシタカ?」
「そうでおじゃるよ。侍たちが徐々に力を持ったは良いが、それでも徴税の権利は帝が占有していたのでおじゃる。それで、帝派の平氏と、侍派の源氏が戦ったのでおじゃる」
「勝った源氏が、というよりは、源頼朝が時の帝、後白河天皇と1対1で会合を開き、侍の悲願であった、徴税権を認めさせたのだったのですわ」
「帰蝶さまは勤勉でおじゃるな。侍もとい武士は国の警護権と徴税の1分権を認めさせたのでおじゃる」
「1分とは確か、1割の10分の1ですから、ヨーロッパで言えば1パーセントデシタネ、確か」
「そうなのでおじゃるか?まあ、100分の1税であったが、帝の権力に楔を打ち込むことに成功したのでおじゃる。そして、鎌倉の幕府、足利の幕府は徐々にではあるが、帝から軍事権、徴税権を完全に奪い取ったのでおじゃる」
エレナはふむふむと頷きながら、義昭の話を聞く。信盛さまが馬鹿だと罵るわりには意外な知識の豊富さに内心、驚いている。
「早い話が、武士の成立、並びに発展は、帝と朝廷との対立から始まったのおじゃるよ。まあ、その対立していた帝と再び、手を結ぼうとした、源頼朝は、配下の武士に殺されてしまったのでおじゃるがな」
「え?徴税権を確保できたのだから、帝と手を結ぶのは悪い手ではないと思うのデスガ」
「武士たちが平家と源氏に分かれて血を流したというのに、それを反故するようなことをしたのでおじゃる。例え、立役者と言えども、殺されても文句は言えないのでおじゃる」
「そもそも、平家が滅ぼされたのは、当時、武士の代表格であった平家が帝におもねり、武士の悲願である、徴税権の奪取に力を注がず、逆にその他の武士たちを圧迫したからですものね」
「そうでおじゃる。だから、武士たちは源頼朝も同じ道を歩むことを危惧したのでおじゃる」
エレナはふうむと息をつく。外国と違って、ひのもとの国の歴史は特殊すぎて、それゆえ、面白く感じてしまう。
「それで納得がいったのデス。義昭さまが、身分は高いと言えども、皇族たちからお嫁さんをもらえナイノガ」
義昭はとほほとした顔つきで
「そう言うことでおじゃる。まろが皇族から嫁をもらえば、ほぼ確実に足利の幕府は失墜するのでおじゃる。それだけならまだしも、全国の大名から命を狙われることになるのでおじゃる」
「義昭さまのお嫁さま問題は思った以上に深刻なのですね。これでは、信長さまも手をこまねいても何ら不思議でもないのですわ」
「御父・信長殿が女子をまろにはべらしてくれるのは、誠に結構なのでおじゃるが、正室となるとまた別問題でおじゃるからな。正室以外の子が産まれようが、下女の娘を嫡男に推すのは無理なのでおじゃる」
義昭は半分残った寿司を丸ごと口に放り込み、むしゃむしゃと食べる。
「そんなに心配せずとも、信長さまならきっと、義昭さまのいいお相手を見つけてくれるって。どおんと構えて待っていればいいんじゃないの?」
「椿殿。そう言ってくれるのはありがたいのでおじゃる。まだ見ぬ、まろのお嫁さんは一体、どんな女性であるのでおじゃるかなあ」
「そういえば、義昭さまってどんな女性がタイプなんですか?やはり、いくら信長さまが勧められても気がならない相手と言うのはあるじゃないですか」
義昭はふうむと言い、右手で顎をさする。
「贅沢を言える身ではないのでおじゃるが、もし願いが叶うと言うのであれば、ぼん、きゅっ、ぼーんが良いのでおじゃる」
椿が少し頭痛を感じる。あの馬鹿、いらないことを義昭さまに吹き込んだんじゃないだろうね。
「エレナにはわからないのですが、ぼん、きゅっ、ぼーんとは一体なんデスカ」
「胸がぼん。腰がきゅっ。お尻がぼーんでおじゃる。信盛殿はそれが女の醍醐味だと教えてくれたのでおじゃる」
椿はこめかみを人差し指と親指でさする。やっぱり、あの馬鹿が吹きこんでいたかと。
「あ、あの、義昭さま?うちの馬鹿旦那の言うことを真に受けるのはやめたほうがいいわよ?」
「なぜでおじゃる?信盛殿は、微乳信仰のまろの眼を覚まさしてくれた恩人でおじゃる。まろは今やすっかり、ぼん、きゅっ、ぼーん信仰に生まれ変わったのでおじゃる」
椿は頭痛がさらにひどくなるのを感じる。あの馬鹿、あとで覚えてなさいよ。小一時間は説教をしてやるわ。