ー進撃の章 4- 義昭はお嫁さんが欲しい
結局、二条の城建築完成祝いでは、将軍・足利義昭を織田家の諸将たちの奥方連中に扱いを任せることにして、義昭共々、織田家の皆で飲むことにしたのであった。
「ほっほっほ。織田の猛将たちの奥方たちは、きれいどころが集まっているのでおじゃる。まろもそろそろ、お嫁さんが欲しいのでおじゃる」
「あれ?そういえば、義昭さまは、ご結婚されていなかったのですか」
信長の奥方、帰蝶がそう、義昭に尋ねる。
「恥ずかしながら、嫁はもらっていないのでおじゃる。3年ほど前まで、僧籍に身を置いていた身でおじゃるゆえの。今は30才を超え、独り身は寂しいのでおじゃる」
「義昭さまが独り身では、一体、将軍家の血はどうなると言うのですか?今から遅くはありませんし、いい方を見つけて、ご結婚されてはいかがでしょうか?」
「御父・信長殿にも、お嫁さん候補を見繕ってもらってはいるのでおじゃるが、将軍の地位にふさわしいお嫁さんになると、難航しておってなのでおじゃる」
あらまあ、と残念そうに帰蝶が言う。
「奥方さまたちも知っている通り、足利家は、跡継ぎ問題で応仁の乱を引き起こした張本人なのでおじゃる。日野富子大婆さまが、日本中をひっかきまわしたのでおじゃる」
「色々と噂だけは聞き及んでいますわ。失礼ながら、なんでも守銭奴で、子煩悩な方だったと」
「守銭奴は置いておいて、子煩悩が過ぎたことは事実なのでおじゃる。将軍家をまっぷたつに割ったことは、言い逃れようのない罪なのでおじゃる」
とほほと、困り顔の義昭である。
「それが問題なのでおじゃる。その大婆さまの所為で、まろのお嫁さんは、厳選につぐ厳選をしているようなのでおじゃる。そのため、結婚話が中々、進まないのでおじゃる」
「将軍さまの奥方さまとなると、身分のこともありますからね。されど将軍さまに見合うような方が、それほど多いとも思えないのですが」
「候補としては、由緒正しき守護大名の娘となるのでおじゃるが、六角家は昨年、信長殿が滅ぼしてしまったし、北畠、朝倉が濃厚となるのでおじゃるがなあ」
義昭は、まだ見ぬ将来の嫁のことを思いながら、酒をあおる。
「身分の高さだけでいえば、皇族の方々や、貴族の方々の娘は候補には上がらないのですか?」
ん?と義昭が言う。
「失礼ながら、帝周辺のものを嫁にもらうことはないのでおじゃるよ」
「え?なぜですか?皇族ともなれば、身分ははっきりとしています。義昭さまのお相手には申し分ないと思うのですが」
「そもそも、武家の将軍は、帝の権力を否定するための存在なのでおじゃるよ。1番、嫁をもらってはいけない相手なのでおじゃる」
「よくわかりませんが、そんなにいけないことなのですか?将軍さまと帝が手を組まれれば、このひのもとの国に歯向かうものなど、いなくなると思うのですが」
「だめなのでおじゃる。もし、まろが皇族からお嫁さんをもらえば、足利の幕府の存在自体、危うくなるのでおじゃる」
「エレナには、このひのもとの国の歴史と言う物に疎くて、なんとも言えないんですが、ヨーロッパでは、普段は対立している皇帝と教皇でも利害のために手を結ぶということは歴史的にはあることなのデス」
「そちは、信盛殿の新妻であったかの?信盛殿がうらやましく思うほど、可愛いお方でおじゃるな」
エレナは義昭に可愛いと言われ、まんざらでもない気分になる。
「そちにもわかりやすく言うとじゃな。この国に侍というものが誕生したのは、朝廷のせいなのでおじゃる」
そう言うと、義昭は、手に持つ酒をあおる。そして空になった杯に手酌で酒を注ごうとする。
「義昭さま。手酌などしないで、注がせて頂戴よ」
椿は、そう言い、義昭の手からとっくりを奪い取り、義昭の空の杯に酒をそそぐ。
「これはありがとうなのでおじゃる。それででな、エレナ殿。遥か昔、朝廷は国の統治をおざなりにしてきた時代があったのでおじゃる。歌を唄い、民から税だけむしり取るといった、悪行をしてきたのでおじゃる」
「民から税をむしり取り、自分たちは歌を唄うだけでは、それなら反抗するものも出てくるのは当たり前な話なのデス」
「一応、朝廷を庇う形にはなるのでおじゃるが、貴族たちは、歌を唄えば世の中が丸く収まると思っていたのでおじゃる」
「え?どういうことデスカ?歌を唄うだけで、世の中が平和になるはずがありマセン」
「外国産まれのエレナ殿には、わからない話なのでおじゃるが、ひのもとの国の民は、縁起の悪いことを言うのは禁じる風土があるのでおじゃる」
そういうと、義昭は皿に盛られた、山盛りサラダに梅じそ汁をかけ、むしゃむしゃと食べ始める。
「梅の香りと味が良い感じで食欲を誘うのでおじゃる。この梅じそ汁を考案したのは、尾張のとある食材屋だと聞いたことがあるのでおじゃる」
「その汁は、織田家で評判でね。京の薄味に辟易していた皆が、こっちのほうにも大量に輸送しているみたいだね」
椿がそう言う。義昭は、うむうむと頷きながら、サラダを食べる。
「義昭サマ。縁起の悪いことと言うのは、だれだれが死ぬと言ったことを指すのでショウカ?」
「ん?それは無論のこと、明日、天気は雨が降ると言ったことまで禁じるのでおじゃる」
「そんなことまで禁じられているのデスカ?それでは、会話にならないではないデスカ」
「例えば、明日が行楽や宴会だったとするのでおじゃる。そういった場合は晴れてくれるのが一番でおじゃるよね?でも、その前の日の晩に雷雲が空一面を覆うとするでおじゃるとしたら、誰の眼からも、雨が降ることはわかるのでおじゃる」
「でも、それでも、明日は雨が降ると言うことは、はばかれると言うことデショウカ?」
「そうでおじゃる。雨が降ると言えば、お前は雨を望んでいる、不届き者でおじゃるな。よって、それを言ったことによる罪に対して罰を与えることにするでおじゃる、と、このひのもとの国では、そうなるのでおじゃる」
「明日、雨が降ると忠告しただけで、罪となるならば、何も言えなくなるではありまセンカ。そんなのおかしいのデス」
義昭は、うんうんと頷きながら、今度は、焼き魚の身を手に持った箸で器用にほぐしていく。
「義昭さまって、将軍のような高い身分だから、身の回りのことは全て、従者にやらせているもんだとばっかり思ってたけど、意外と魚の身をきれいにほぐしていくもんだね」
「そんなに意外でおじゃるか?まあ、将軍と言っても、昨年、なったばかりでおじゃるから、その前は寺暮らしで、自分のことくらい自分でやるようにはしてきたのでおじゃる」
そう言うと、ほぐした身をほんの少し、醤油をつけ、ぱくぱくと食べる。
「歴々の将軍の中では、食事で自ら、箸を使うものもいなかったかも知れぬでおじゃるが、まろに限ってはそうではないのでおじゃるよ」
「あれ?でも、義昭さまって、僧籍に身を置いてらっしゃったのですよね?寺では、生臭いものは禁じられているのではないのですか?」
帰蝶がそう、義昭に問う。だが、ん?と、義昭が首をかしげる。
「誰が流布したか知らんのじゃが、僧侶が肉や魚を禁じているなんてのは建前であって、普通に寺で喰っているのでおじゃるよ。もちろん、酒も飲むのでおじゃる。酒造なんていうものは、儲かるから、寺が進んで造る権利を主張するくらいでおじゃる」
そう言うと、義昭は、濁り酒をおある。
「ぷはあ、濁り酒は美味いのでおじゃる。清酒は言うまでもないが、織田軍が京に滞在するようになったおかげで、酒もいろいろな種類が京に流れ込むようになって、食生活が充実しておるのでおじゃる」
椿がもう1杯とばかりに徳利を手に持ち、義昭に勧める。
「おお、これはありがとうなのでおじゃる。般若湯と言う言葉を知っているでおじゃるか?寺では酒とは呼ばずに、湯だと主張して、がばがば飲んでいるのでおじゃる。建前と本音は違うのでおじゃるよ」
「僧と言うのは業が深いねえ。魚や肉だけでは飽き足らずに酒まで飲むなんて」
「ほっほっほ。椿殿。人間は業の塊でおじゃる。業を飲み干してこその涅槃への修業なのでおじゃるよ」
「お釈迦さまが聞いたら、びっくりするような話だね」
「そもそも、日本の仏教は、このひのもとの国に来て、神道の神さまと合体したのでおじゃる。神道は本来、なんでも許される、寛容な宗派なのでおじゃる。それと合体すれば、仏教も自然と神道と同じ道を行くのは、至極当然なのでおじゃる」
「ヨーロッパでは、ユダヤの民の教えと、デウスならびにキリストを信仰する教えは、喧嘩をしているのデス。両者が歩みよりをすると言うこと自体、起きえないと言うのに、ひのもとの国はそれが出来ると言うのが不思議でたまらないのデス」
「よーろっぱのデウスの教えを詳しくは知らないのでおじゃるが、宣教師どもが、日夜、このひのもとの国で布教をしているのは、かつて僧籍に身を置いていた、まろにとっては、余りこのましく思わないのでおじゃる」
「そうナンデスカ?誰がどの宗教を信じるかは、そのひとの自由だと思うのデスガ」
「デウスの教えうんぬんの話ではないのでおじゃる。奴らは改宗を熱心に迫ることに問題があるのでおじゃる。しかも、日蓮宗に似るほどの強引さが問題でおじゃるな」
義昭は焼き魚をきれいに食べ終わり、今度はほぐした海老が乗せられたご飯に鰹節の出汁をぶっかける。
「確かに強引な改宗はイケマセンネ。信じること自体は自由ですが、改宗を強引に迫るのはいけないことナノデス」
「御父・信長殿がデウスの教えを広めることを領地で許可するしないの話をこの前、フロイスと言う者としていたとは聞いているのでおじゃるが、まろに言わせれば、余計な混乱をこの国にもたらすだけだと思うからやめてほしいのでおじゃるがな」
「夫の信長さまが布教を許すのは、信仰の自由からだと思いますわ。でも、何かもめ事が起きるようであれば、信長さま自身が解決に手を焼いてくれると思いますので、そこまで心配しなくとも良いと」
帰蝶がそう言う。
「それもそうでおじゃるな。信長殿なら、きっと、丸く収める方法を考えてくれるのでおじゃる。まろに仕事が回ってこなければ、何でもいいのでおじゃる」