ー動乱の章14- 信忠と氏郷
噂をすれば影だ。信長の長男、信忠が、材木を運びながら、信長、丹羽、信盛、秀吉の前をちょうど横切っていく。
「あれ?父上。こんなところで、何をしているんでござるか?お昼はとうに過ぎているでござるよ。さあ、仕事をしましょうでござる」
「お、出来のいいほうの信忠さまじゃんか。殿と違って、真面目に働いてんな。けっこうけっこう」
「これは、信盛さん。それに丹羽さんに秀吉さん、皆さん、元気そうでなによりでござる」
信忠は材木を担いだまま、ぺこりと頭を下げる。
「本当に、横に並ぶとそっくり、ですね。これで、ひげを伸ばしたら、どっちがどっちかわからなくなるの、です」
「うん?ひげでござるか。はははっ、まだ16でござる。ひげを伸ばしたところで笑い種になるのでござるよ」
信忠は、信長によく似ており、眉目秀麗である。
「あれ?信忠くん。信雄くんがいませんが、彼はどこにいるんですか?」
「ああ、あいつでござるか。大方、仕事をさぼって、どこかで女性を口説いているんではないでござるか?眼を離すとすぐこれでござる」
「はははっ、信雄さまは、そんなことだけ、殿に似ちまったか。そりゃ、殿も災難だぜ」
信盛が笑う。きっとした目つきで信盛を睨む、信長である。
「信雄くんは、後で説教ですね。まったく、似なくていいところを似るのは、どうかと思うんですよね」
「まあ、信雄には、自分から言っておくでござる。父上が言っては、また拗ねてしまうでござる。ひとには出来るできないの領分があるでござるよ」
「確かにそうなんですが、将来、信忠くんを支える立場にある人間ですよ、信雄くんは。出来ないことをできるようにしろとまでは言いませんが、日ごろの仕事をさぼるのはまた別の話です」
信長がぴしゃりと言う。
「信雄のやつは、ああ見えて、能などの文芸においては、自分が及ぶところではござらぬ。時代が時代でなければ、弟は一芸に秀でたものになったであろうでござる」
「産まれる時代を間違えたってやつかあ。信雄さまも、今川氏真も、平和な時代に産まれてばなあ」
今川氏真は、かの今川義元の跡継ぎである。彼は剣の道をいけば、鹿島新當流の秘伝を託されるほどの腕前である。そして、文芸に至っては、京の都にも通じるほどである。
だが、2人の共通点といえば、軍を率いる才能が全くもって無いことである。
「足りぬ弟の分まで、自分が働くのでござる。早く、戦のない時代を呼んで、弟には思う存分、文芸に磨きをかけてほしいのでござる」
「弟思いのお兄さんなの、ですね。私にも弟がいますが、私とは違い、よくできた弟なので、自分の座を奪われかね無くて、時々、ひやりと、します」
「秀長くんでしたっけ。秀吉くんの弟と言えば。彼は縁の下の力持ちと言ったところなので、主君を出し抜こうという方ではないですよ。その点は心配しなくても大丈夫です」
「信長さまがそう言うのであれば、そうなのかもしれま、せんね。信長さまの人の才を読む力には、時々、驚くほど、です」
「そうだよな。殿の才能を見抜く力ってすごいって思うわ。神かがっているように思えるぜ」
「ん?そうですか?自分では普通だと思っているのですが、そんなにすごいんですかね?」
「ああ、すごいぜ。あいつは軍を率いる才能があると言えば、その通りのことが多いし、あいつは裏切りやすくて信用に置けないと言われれば、それも当たるしよ。結構、殿の言うことは当てになるから、参考にさせてもらっているぜ」
信長は、ふうんと言う。自分では、当たり前のように思う、この能力である。そんなにのぶもりもりの役に立っているとは思いもよらなかったことである。
「信長さまがすごいと思う点は、経済に対する着眼点は言うに及ばずなの、ですが、それがかすんでしまうほどの、ひとの才能を見抜く点だと、思い、ます。ほら、蒲生さんとこの息子さんがいるじゃない、ですか」
「ああ、蒲生氏郷くんですか?氏郷くんは、すごいですね。仮に彼が成人してて、六角家の将として働いていたら、未だ、六角家を織田家は倒していなかったんじゃないですか?」
「そんなにすごいの?その氏郷ってやつ。殿がそれほど言うくらいなら、俺の家臣にくれよ」
「駄目ですよ。彼は将来、1国1城の主にしたいくらいの器量の持主です。先生が直接、指導して、信忠くんの右腕に育て上げる予定ですからね。のぶもりもりに任せてたら、遊女狂いになりかねませんよ」
「丹羽ちゃんも、信長さまに言われて、城の普請とかを学ばせていますが、氏郷さん、すごいですよ。信忠さんと匹敵するのです」
「それならますます欲しいわあ。秀吉もそう思わない?」
「私なんか、あっさり、飛び越えていきそうで、少し怖いの、です。そんな、優秀すぎる家臣だと、おちおち遊んでいられなくなってしまい、ます」
「氏郷くんには、将来、先生の娘を嫁がせるつもりです。それくらい、氏郷くんには期待ができますね」
信盛は驚く。殿が自分の娘を嫁がせるほどってどれくらいだよと素直に感心する。
「氏郷ですか。よくつるんでいるんでござるが、彼の才には、自分も嫉妬をおぼえるくらいでござる」
信忠がそう言う。それほど、誰の眼から見ても、氏郷は目立つのだ。
「文武両道とは、まさに彼にふさわしい言葉でござる。将来、自分で使いこなせるか心配なほどでござる」
「信忠くん。将来、先生の跡を継ぐものが、そんな気構えではいけませんよ?主たるもの、家臣を使いこなせなければいけません」
「ですが、果たして、自分に氏郷を使いこなせる器量があるのかどうか心配なのでござる。彼はそれほどの人物でござるゆえ」
信長がふむと息をつく。
「信忠くんには自信が足りないようですね。いいでしょう。次の戦には、信忠くんを連れて行きましょうか。実地訓練をする歳になりましたしね。うじうじ言っている暇などありませんよ」
「いよいよ、信忠さまも初陣かあ。相手は果たして、誰になるのかなあ?」
「候補としては、いくつかありますが、まあ、どことなっても楽な戦では無いでしょうね。楽な戦では、信忠くんのためにもなりませんし」
「戦に楽なもんなんて、あるので、しょうか。あるのなら、私もそちらのほうに参戦したいくらい、です」
「秀吉くんは、これからは織田家を背負っていくのに、そんな後方の仕事なんて存在するわけがないでしょ。何を言っているんですか」
「才を認めてもらえるのはありがたいの、ですが、たまには弱音を吐きたいもの、です。信長さまは人使いが荒いの、です」
信長はふふんと鼻を鳴らす。
「勝家くん、信盛くん、河尻くんは織田家を代表する将です。ですが、それを追い越していかなければ、ならないのですよ。秀吉くんは。それに光秀くんの存在もあります。秀吉くんが休んでいる暇なんて、これっぽちもありません」
「光秀さんですか。彼は本当に勉強熱心な方、です。半兵衛さんのところにも、忙しい合間を縫って、策についての議論をしているの、です」
「へえ。光秀のやつがねえ。お兄さんもうかうかしてられねえなあ。利家に、佐々に、秀吉、光秀か。将来、俺、閑職に追いやられるんじゃねえのか、これ」
「一益くんのことも忘れていませんか?彼、伊勢のほうで頑張っているせいか、上洛戦では出番がなかったですが、あそこが済めば、本隊に合流することになりますよ?」
滝川一益のことである。彼は、今川義元との戦い後に、織田家へ仕官したのだが、伊勢をひとりで切った貼ったをやっており、実質、伊勢攻略は彼に頼りきりである。それほど、一益の能力は秀でているのである。
「一益くんはすでに、北伊勢で1国1城の主をやっているのですよ。存在自体、忘れがちですが、彼がいなかったら、のぶもりもりは、ずっと、伊勢で戦ってもらっていた予定でしたよ?」
「ええ?宴にも呼ばれず、伊勢で戦わされるのは嫌だなあ。一益には頭が上がらないぜ」
「そろそろ、伊勢に大事な戦力を割くのも、もったいない時期ですねえ。南伊勢の攻略に本気でとりかかりましょうか」
「次は南伊勢、ですか。今年も大変そうなの、です」
「戦の前に、二条の城を作ってしまうのです。丹羽ちゃん、張りきっちゃいますよお」
「それもそうですね。戦の前に、作ってしまわないといけません。さて、お仕事、がんばりますか」
信長、信盛、秀吉は二条の城建築の仕事を再開することにする。3月もそろそろ、終わりを迎えようとしていた。城の8割はすでに建築を終えている。
2カ月で城を建てろとの無茶振りであったが、丹羽は、普請の総監督としてよくやっている。城ひとつに2万人の人員を導入するなど、前代未聞なことであり、毎日が祭りのような騒ぎであった。
その二条の城を一目見ようと、全国からひとが集うのであった。京の都は応仁の乱で焼かれて以降、荒れ果てていた。その荒れ果てぶりは、帝が住む御所も例外でなく、南蛮人から見ても、あれがこの国の最高権力者の住む屋敷であるのかと、嘲笑されたほどである。
しかし、信長が上洛を果たして以降、京の都は様変わりしていくことになる。
信長は、京の都をかつての繁栄した姿へ戻そうとした。しかし、京の都が繁栄した時代と言われれば、一体、いつの時代を指すのであろうか。794年、平安京として、時の帝は移り住んできた。しかし、それが最後の遷都であった。