ー動乱の章11- 謙信、沈黙する
足利義昭が朝廷に取次を行って1週間後、ようやく、帝から上杉家と武田家の停戦の詔が出されることになる。
「御父・信長殿、詔勅なのでおじゃる。まろは仕事をしたのでおじゃるよ。褒めてくれなのでおじゃる」
「はい、大変良くできました。お礼にカステーラなどを将軍さまに献上しますので、存分に味わってくださいね」
「まろは、獅子屋のようかんも食べたいのでおじゃる。頼みを聞いてくれるのでおじゃる?」
「はいはい。ついでに黄金色のお菓子も準備させてもらいますね。明日までには届けさせますので、楽しみにしていてください」
やっほおおおおと義昭が飛び跳ねている。信長は仕事が達成したものには、報酬を与える。それは、普段、馬鹿だと罵っている義昭相手でも変わらない。
「さて、秀吉くん。それでは、急ぎ、この詔勅を上杉、武田両方に知らせてください」
「はい、わかり、ました!」
「あ、それと、惜しいですが、先生が所持している、南蛮製のびろーどのまんとと、京の都を描いた4畳屏風があったでしょ。あれを上杉家に送ってください」
「ええ!あのまんとを送っちゃうん、ですか?信長さまがお気に入りにされている逸品じゃない、ですか」
「本当、猫に小判とは、このことなんですが、武田家が当てにならない今、上杉とも親交を深めておかなければ危険ですからね。友好の品としては、安いくらいです」
「でも、謙信がそんな物につられるような、男なの、でしょうか」
秀吉の懸念も最もだ。金品で釣られるくらいなら、帝の詔勅など、いらなかったのではないかと。
「秀吉くんが言いたいことはわかりますよ。謙信は義で動く男です。ですが、贈り物をするということは、彼にとって、私たちに借しを作らせることになります。借しは一種の義ですからね。贈っておいて損はありません」
「そう、ですか。では、信長さまの所有しているまんとの中で一番いいのを見繕って、送っておきますね」
「え、ちょっと。一番いいのって、それは」
「一番いいものを贈るのが、一番、借しを作ることができると思い、ます。ここは下手にケチらないほうが得策なの、では?」
信長は、ぐぬぬと唸る。しかし、ふうと息をつき、観念する。
「秀吉くんも知恵が回るようになりましたね、先生としては嬉しい限りです。一番いいのを持っていってください」
秀吉は、褒められてうれしいのか、ぽりぽりと右手で頭をかく。そして、一礼し、部屋を退出していく。
「御父・信長殿、まろが言うのはなんじゃが、物欲の薄いものに、逸品を贈る必要は本当にあったのでおじゃるか?」
「それはですね。謙信自体に物欲がなかろうが、家臣たちまでそうだと限らないということです。物の価値がわかる人間にとっては、信長の厚意が伝わります。謙信がわからずとも、家臣に伝われば、それで有利となるのですよ」
「ふむ。なるほどなのでおじゃる。御父の考えが深いのでおじゃるな。まろはまだまだ勉強不足なのでおじゃる」
「将軍さまは、ここ数年前まで、こういう、人間くさい場所とは無縁の寺で過ごしていたので仕方ないかと思いますよ。これから学んでいけばいいと思います」
「ふむ、そうでおじゃるな。御父・信長殿。これからも、まろを支えていってほしいのでおじゃる」
はい、と信長は返事をする。だが、傀儡である義昭に要らぬ知恵を与えるような信長ではない。これからも、女と酒と、うまい料理。そして、金品をちらつかせようと思うのであった。
帝の詔勅は、よほど効果が高かったらしく、謙信は武田家への軍事行動を一切、とりやめてしまう。それに一番、驚いたのは、先に上杉家と同盟を結んだ、北条家であった。
「あの戦馬鹿。なんで、武田家を追撃しないんだ。これでは、なんのために三郎を人質に送ったか、わからねえじゃねえか!」
北条氏康は頭に血が昇る想いである。謙信が停戦の詔勅をまともに受け、まったく動かないからだ。
「カビの生えた権威に、何、しっぽ振ってやがんだ、あいつは。戦馬鹿なら戦馬鹿らしく、戦えっつうんだ!」
氏康は、謙信当てに何度も書状を送るが、一向に謙信は動こうとはしなかった。
「今日も北条家から戦への催促の書状が届いておりますが、いかがいたしましょうか?謙信さま」
「無視するがよい」
「ですが、同盟を結んでいる義理がございます。無視はいささか、やりすぎかと思うのですが」
「帝と、成り上がりものの北条家。どちらの言葉に従うかは明白であろう」
はあ、と謙信の家臣、斉藤朝信は言う。
「今は衰退した今川と言えども、大国である。北条と手を結んでいるのだ。奴らだけで武田を葬ることなど容易いはずである」
謙信は信長から贈られてきた、びろーどのまんとを眺めつつ
「ふむ。拙僧には品の良さがわからぬが、ほしいやつもいるだろう。朝信よ、貴様に、このびろーどのまんと、譲ってやろう」
「ありがたき幸せ。家宝にさせていただきます」
謙信はにやりと笑う。そして、屋敷の庭の洞に戻り、念仏を再開するのであった。
「さて、予定通りと言えば、予定通り、謙信くんは越後に引きこもってくれたわけですが。ここまですんなり事が上手く運ぶと逆に心配になりますね」
信長が、ううんと首を捻る。
「信長さま、武田家から書状が届いて、います。読まれ、ますか?」
「ありがとうございます。秀吉くん。まあ、読まなくてもなんとなく、内容はわかるんですがね。なになに、信長さまのご尽力、誠にありがたく思う所存。将軍さまにも、感謝の念を伝えておいてください。追伸、信州味噌とほうとうを送りますので、ご賞味ください。だそうです」
「それで、こんなに山ほどと味噌の樽と、ほうとうと言うんで、しょうか、白くてもちもちしたものを送ってきたわけなの、ですね」
「ふむ。では、ありがたく頂戴しましょう。二条の城の建築作業員たちにも振る舞いましょうかね。先生たちだけだと、腐らせてしまうだけでしょうし」
信長と秀吉がよいしょと、味噌の樽を持ち上げようとすると
「あれ?この樽、なんか中から、ごつんごつんって音がするんですけど。何かやばいものでも入っているんじゃないんですか?」
え!と秀吉は言い、驚いて、味噌の樽を落としてしまう。その拍子に樽の蓋が開き、中から光り輝く石のようなものが転がったのだった。
「あ、あのこれ、すごいものが入っているん、ですが」
「こぶし大の金塊ですね、これ。甲斐の国には金山があるとは聞いていましたが、これほどの塊がごろごろ取れるんでしょうか?信玄くんが武田騎馬軍団を養えるのは、まさにこのおかげなんですね」
こぶし大の金塊が5つほど無造作に、樽の中にあったのだ。これはさすがの信長も驚く。
「立地の有利さとは言ったものですね。こんなものが取れるなら、経済政策もクソもあったもんじゃありませんよ。まあ、だからと言って、あんな山奥の土地、欲しいともなんとも思いませんけどね」
「そう、ですね。東は北条、北は上杉、南は今川です、からね。金山からいくら金が取れようが、今回のように、ちょっとしたことで滅亡騒ぎになってしまします、からね」
「まあ、織田家もひとのことは言えない立地でしたけどね。金山や銀山なんか欠片もありませんし、尾張を統一したらしたで、今川義元に有無も言わさず、殴られましたからね」
「あのときは大変、でした。兵4000で、3万を超える、今川軍と、でしたし」
「よくもまあ、あの桶狭間の戦を乗り越えたもんですよ。今、思い返しても、神の采配が働いたとしか言いようがありませんね」
「私は信長さまが勝つと信じていま、した!あのような状況が今後もし、再びやってきたとしても、信長さまなら、きっと同じように勝つと信じて、います」
やれやれと思う。ここまで信用されるのは、嬉しいものであるが、果たして、あの状況がもう1度、起きれば、自分は生き延びれるのか。いや、そうではない。勝たなければいけないのだ。
戦には、負けてもいい戦もある。最終的に大地に、自分の足で立つものが勝者なのだ。負けてはいけない戦とは、桶狭間の時のような、アレだ。
滅亡をかけた戦では、まずは大名が死んではいけない。そして、死なずかつ、死地に身を置きながら、勝ちを拾う。
「あれをもう1度でやれというのですか。秀吉くんは」
「1度では、ありま、せん!何度でも、何度、同じことがあっても、信長さまならきっと勝ってくれると信じています」
「ほんと、無茶を言ってくれますね、秀吉くんは。それほどまでに信用してくれて、先生は嬉しく思います。勝って勝って、勝ちまくりましょうかね」
信長は全幅の信頼をしてくれる、秀吉のためにも、これからも一層、がんばらなければならないですねと思うのであった。
「で、信長さま。この金塊、一体、どうするん、ですか?もらえるのは嬉しいですけど、換金するのに手間ではありま、せんか?」
「言われてみれば、そうですよね。信玄くんは、金塊とか一体、どうやって銭に換金しているんでしょうか?甲斐の国では、商業が発展しているわけでもないですから、為替もあるわけじゃないですよね?」
ううん?と信長と秀吉は頭を捻らせる。
「もしかしたら、東国は、銭が流通しているわけではなくて、金、それ自体と米などの食料と交換しているんじゃないでしょうか?」
「まさか、そんなことはないと思うの、ですが」
「だって、銭がそれほど流通していない可能性が高いのですよ。よくは知りませんけど」
「私もよくは知りません、けど、さすがに金をそのまま使って、取引はしていないと思うの、ですが」
「だけど、未開の地でしょ、東国って。鎌倉幕府がありましたけど、あそこからさらに東は魔境ですよ。暗黒大陸ですよ!」
「東国のひとが聞いたら、怒りそうな話題はやめて、ください、信長さま。確かに、奥州には中尊寺の金色堂という、金箔張りのお寺があるそうですが、さすがに今の時代に、金そのままで取引はしてないと、思います、よ?」