ー動乱の章10- 武田家の危機
季節は2月から3月に移り変わり、春を告げる風がひのもとの国に吹き荒れるのであった。
二条の城建設は順調に進み、ご満悦の信長に報せが届く。
「あっれ。結局、信玄くん、今川・北条に負けたんですか!」
「ん、どうかしたのか?殿。って、武田、負けたのかよ!」
信長と佐久間信盛は2人で届いた報せとともに送り付けられてきた書状を見る。
「ええと、何々。拝啓、信長さま、如何お過ごしでしょうか。武田家はもうダメです。滅びます。上杉、北条、今川と囲まれて、絶体絶命です。この危機を救えるのは信長さまだけです。どうか、どうか、助けてください。ですって。これ、本当にどうしましょう?」
「俺に言われても知るかよ!」
「先生も急にこんなこと言われても、どうしたらいいかわからないですよ!」
「あ、あの、信長さま、信盛さま、どうしたん、ですか?」
「あ、秀吉くんに竹中くん。調度、いいところに来ました。この書状を読んでくださいよ」
秀吉と竹中半兵衛が、城の材木を2人で運んでいるときに、信長のすっとんきょうな声に驚き、馳せ参じたのだ。2人は、信長から書状を受け取り、その中身を吟味した。
「んっんー、これはいけませんね。武田家、本当にほろびてしまいそうですね」
「そうなんですよ。何やってんでしょうか、信玄くんは。勝敗は兵家の常といえども、攻めておいて逆に滅びそうとかしゃれにならないのにもほどがありますよ」
「た、武田家が滅びたら、今度は徳川家が危ないの、です。これは何かしら手を打たないといけないの、です」
「でも、手を打つって言っても、俺たちになんかできることがあるのかよ」
信長、秀吉、信盛が、ううんと唸る。しかし、竹中だけは涼しい顔もちだ。
「あれ?竹中くん、意外と冷静ですね。武田家が滅びそうなんですよ」
「んっんー。わたくし、策をひとつ思いつきました」
「え?まじ?さすが、竹中だぜ。どんな策なの?」
「せっかく仕事がしたくて、うずうずしている将軍さまがいるじゃないですか。たまには仕事をしてもらいましょう」
「え?この緊急事態に、あの馬鹿を使えって言うんですか?竹中くんは。火に油を注ぐことしかできないですよ、彼は馬鹿なんで」
「そこは手綱を引く、信長さまの器量次第ですよ。馬鹿は馬鹿なりに使いこなしてこその天下人ではありませんか」
竹中の言うとおりだ。馬鹿でも使い道があるのは確かである。
「では、将軍さまにでばってもらいますか。あんまり仕事をさせると調子こくんで、使いたくないのはやまやまなんですが、そうも言ってられませんからねえ」
「んっんー。まずは武田家の敵を減らすのが上策かと思います。上杉あたりと停戦させてみては如何ですか?」
「上杉が停戦に応じるとは思えないんですけどねえ。今が絶好のチャンスじゃないですか。これを棒に振るとか、どれほどの戦音痴なんですか」
「謙信は義を重んじる方ですので、案外、すんなりと上手くいくと思いますよ。それに将軍からの停戦ではなく、帝直々の停戦にさせるのがコツです」
「ああ、なるほど。将軍を使えというのはそういうことなんですね」
「ん?よくわからんのだが、将軍と帝が何の関係があるんだよ」
「早い話、将軍さまが帝に頼んで、武田家と上杉家の停戦を宣言させるんですよ。将軍の命令は聞かずとも、さすがに帝に逆らえば、上杉家が朝敵になってしまいますからね」
「なるほどなあ。で、帝に物申せるものは将軍・足利義昭だけか。腐っても鯛とは、まさにこのことか」
「んっんー。善は急げと言います。朝廷は腰が重いところです。急がなければ、せっかくの詔も生かせません」
「その将軍さまは、今どこにいるんでしょうかね。日々、こきつかってるものだから、今日は先生の前から姿を消しているのですよね」
「殿。少々、義昭の使い方がひどいんじゃねえのか?そんなことしてたら、本当に逃げられちまうぞ」
「丹羽くんに聞いてみましょうか。彼なら将軍さまの行き先には心あたりがあるはずですから」
4人は、二条の城建築の総監督・丹羽長秀の元に急ぐことにした。
「え?義昭さまですか?仕事をさぼって逃げ出そうとしたので、たしか、二条の河原に埋めたはずなのです」
「ちょっと、丹羽くん。何をしているんですか!いくら、義昭の顔がむかつくからってやっていいことと、悪いことがあるでしょ」
「ええー。罪には罰をですよー。仕事をさぼって、御所で瓜をあほほど食べていたのです。取り過ぎた水分をしぼり出すためにも、埋めておくのが一番なのです」
「気持ちはわかりますが、一応、あれでも将軍ですからね?埋めるのはいいのですが、これからは先生の許可をとってからにしてくださいね?」
はーいと丹羽が返事をしている。許可があったら、二条の河原に将軍を埋めてもいいのだろうかと思う、秀吉であったが口には出さないでおいた。
さりとて、4人は丹羽が言っていた、二条の河原に辿り着く。そこには、首から下を地面に埋められた、将軍らしきものがいた。
「あの、将軍さま?お加減、いかがでしょうか?」
義昭は返事をせず、ほうけた顔をしている。
「んっんー。これはただ埋めただけではありませんね。何か他にもされたような気がします」
「てか、義昭さまの周りに銃痕と、銃弾が転がってんだけど、これ、もしかして?」
「も、もしかして、埋めて、さらに鉄砲で撃ったってこと、でしょうか」
「もしかも何も、それしか考えらえませんよ!将軍さま、信長です、助けにきましたよ」
信長は義昭の頬を数度、ぱんぱんと叩く。すると、義昭はやっと正気にもどったように見えた。
「まろが、まろが悪かったのでおじゃる!丹羽殿には2度と逆らわぬゆえ、許してたもれなのでおじゃる」
「将軍さま、落ち着いてください。丹羽くんなら、しっかり注意しときました。さあ、そんなとこで埋まっていないで、出てきてください。やってもらいたい仕事があるのです」
「あああああ、まろはしっかり仕事をするのでおじゃる。だから、もう、許してくれなのでおじゃる!」
「んっんー。これはもうダメっぽいですね。武田家のことはあきらめましょうか」
「簡単にあきらめないでください!とりあえず、義昭を掘り起こりましょう。皆さん、手伝ってください」
4人は、このまま、義昭を埋めておきたい気持ちはやまやまなのだが、そんなことをしていたら、本当に武田家が滅亡してしまう。4人はスコップで義昭を掘り起こし、ようやく、救い出す。
丁寧なことに、義昭の身体は、縄と布団ですまきにされており、丹羽の周到さにあきれ果てる。
「丹羽さんは、恐ろしいひと、ですね。私もこうならないよう、仕事に精を出さなければなりま、せん」
「いや、単に、義昭が嫌いなだけだと思いますよ、丹羽くんは。でも、ここまでするものなんですかねえ」
「俺でもここまではしないなあ。何をしたら、こんな惨状になるんだろうな」
「んっんー。もしかして、瓜を食べていただけではなかったかもしれませんね。丹羽さんは狂っているように見えますが、公平な方です。大方、女を屋敷に連れ込んで、酒席でも開いていたんじゃないでしょうか?」
「命をとられなかっただけ、ましだったと考えたほうがいいのかもしれませんね、これ。さて、とりあえず、御所に運びましょうか。こんな汚れた格好で、帝に会わせるわけにはいきませんからね」
4人は、すまきにされた義昭を、よっこいしょと、肩に担ぎ、御所に運んでいくのであった。
「で、まろに帝に頭を下げて、武田家と上杉家の仲をとりもてというのでおじゃるか?」
「そのとおりです。将軍さま。武田家の窮状を救えるのは、天下広しといえども、義昭さましかいません。ぜひ、帝から詔をたまわってください」
「そうは言っても、謙信も、信玄も、まろが書状を送ったのに、つれない返事しか返ってこなかったのでおじゃる。あんな者たちのために、まろが動かなければならないのは心外なのでおじゃる」
「え?将軍さま、今、なんと?」
「だから、両方に書状を送ったのでおじゃる。上洛して、まろに謁見し、まろに土地を献上せよと」
あちゃあと信長は思う。義昭の書状は全部、握り潰してきたと思っていたが、まさか、捜査の網をくぐり抜け、書状を送っていたのかと。
「将軍さま。各国の大名は自分の国の土地といえども自由にできるものではないのですよ」
「なぜでおじゃる?その土地の支配者ならば、好きに使っていいものでおじゃる」
なんと常識の外れたことを言うひとなのであろうかと思う。
「土地というものは、それこそ、鎌倉の時代から根付いているものたちがいるものなんですよ。その代表格が豪族たちです。例えば、武田家の場合、甲斐という地は支配していますが、自由に土地を取り上げたり、与えたりできないものなのですよ」
義昭は、ふむふむと信長の話を聞いている。
「それに、信玄は信濃を手にいれましたが、やはりそこには元から土地に根付いたものたちがいます。信濃の支配者を追いだしたからと言って、元からいるものたちから無理やり土地を奪えば、信濃の民、全員が敵に回って、領国経営どころじゃなくなるのですよ」
「だが、信長殿は、豪族たちから土地を奪っているではないのか?」
「織田家では、すべてを敵に回してでも戦う覚悟ができていますから、はっきり言って、例外なのです。普通の大名は、こんなことしません」
なるほどのうと義昭は言う。本当にわかっているのか、この馬鹿はと思うが、口を慎む信長である。
「わかったのでおじゃる。上杉、武田への書状の件は、一旦、おいておくのでおじゃる。帝から停戦の詔をもらってくればいいのでおじゃるな?」
「はい、そうです。言っときますが、貴族たちののらりくらりとした対応には、厳しく相対してください。彼らに付き合っていては、半年たっても、帝に謁見することはできなくなりますからね」
「わかっているのでおじゃる。ここは藤孝を使うのでおじゃる。奴なら、貴族のひとりやふたり、切り伏せてでも話を通してくれると思うのでおじゃる」
帝の御所を血で染めるようになりそうで、心配だなあと思う、信長であった。