ー動乱の章 9- 利家と慶次
「うお、ありゃ、信長さまでねえべか。これは草鞋を脱がなきゃ失礼にあたるべ」
京の庶民たちは、2カ月で二条に城を建てると豪語する信長に興味津々であり、こぞって、建築現場に足を運ぶのであった。
二条の城建築は、一般公開されており、誰でも見に来て自由と、信長がお触れを出していた。そのため、連日、建築現場は庶民たちも含め、賑わっていたのだった。
「あ、京の都の皆さん。わざわざ、草鞋を脱がなくていいですよ。どうぞ、好きに見て行ってくださいね?」
ひのもとの国には、偉人を見かけると、失礼がないように庶民は草鞋を脱ぐという謎の習慣があったらしい。信長はその面倒くさい習慣を良しとせず、自分の前に現れる者には、皆、草鞋を脱がなくても良いと言っていたのだ。
城の建設現場には、作業員たちが飲み食いできるようにと、屋台が立ち並び、そこは京の都の庶民たちも利用した。
「天ぷらの屋台に、そば屋の屋台、それに酒も売っているんかいな。こりゃ、城の建設というよりは、祭りでねえか」
「皆さんも屋台を利用したいのなら、ご自由にどうぞ。それに芸者さんたちの舞台も、用意しているので、そっちのほうにも足を運んでみてくださいね」
建築現場周辺には、屋台や出店のみならず、見世物屋までも出張ってきていたのだった。もちろん、小規模ながら相撲大会も行われている。
「へえ。これが尾張名物、赤味噌なのかい。かあ、これは味が濃い。舌がおかしくなっちまいそうだ」
「でも、やみつきになる味だと思うわ。私、赤味噌派に変わろうかしら」
「なになに。京のひとたちにも食べやすい、合わせ味噌ってのがあるのか。どれ、ひと樽、もらおうか」
「白菜の唐辛子和えって言うのを、織田家の方々が勧めていたけど、これは、美味しいの?」
「そうッス。俺が考え付いたッス。皆の家庭でも簡単に作れるから、ひとつ、試しに買って行ってみないッスか?」
前田利家が、こっそり、白菜の唐辛子和えを持参して、屋台で売りさばいているのだ。城の建築に忙しいはずなのに、その合間を縫って、前田家総出で出店していた。
利家は武に勇んでいると思われがちだが、商売のセンスも中々、いいものをもっている。
「オジキ。なんで、俺までこんなことをしなきゃならねえんだ。俺は店番しに来たわけじゃねえんだぞ」
「うっさいッス。慶次は背がでかくて、派手な恰好してるから、調度、売り子として目立っていいんッスよ。無駄口、叩かないでとっとと、品を包んで、客に渡すッスよ」
ちっ、しゃあねえなあと、前田慶次は言いながら
「はいよ、お客さん。白菜の漬物、5人分だね。10文(=1000円)のところを8文にまけといてやるぜ」
「あら。そんなにまけてもらっていいのかい?うふふ、また買わせてもらうわね」
「慶次にしては気が利くじゃないッスか。そんな感じでよろしく頼むッスよ」
「へいへい。ただし、小遣いは弾んでもらうからな」
「わかってるッスよ。今日の売り上げが1貫(=10万円)いったら、慶次が欲しがってた、俺のあの服をやるッス」
「お?まじかよ。話がわかるじゃねえか。オジキのあの傾奇服、欲しかったんだよな」
「というわけだから、きりきり働くッスよ」
気を良くした、慶次は客に愛想よく振り舞うのであった。現金なやつッスと思う、利家である。
前田慶次は前田家・元次期当主の前田利久の養子であった。利家の赤母衣衆の隊員であった。だが、織田家の上洛の戦の報奨で、利家が4男坊でありながら、前田家の当主に抜擢された。
それを良く思わない利久が、慶次をともなって、織田家から出奔したのだ。
それから利久親子は京に滞在しているのだが、完全に織田家と縁が切れたわけでもなく、どこの大名家に仕官することなく、日々を悠遊と過ごしていた。
利家も、前田家当主を奪う形になってしまった、うしろめたさもあるのか、利久親子には日々の暮らしに不自由がないよう、仕送りをしていたのだった。
無料メシを喰らわせているのもシャクに障るので、今回、彼らに出店の手伝いをさせているわけだが、利久と違い、慶次のほうは、別段、利家に何かを思っているわけでもなく、逆にしち面倒くさい当主をやってくれていることに感謝すらしている。
「なあ、オジキ。俺の親父は頭に血が上っちまって、勢いで織田家を出ちまったわけだが、本気で織田家に逆らおうというわけじゃないんだ」
「それくらいわかってるッス。その証拠に、利久兄貴は、他の大名家からの誘いを断ってるッスしね。いつでも織田家に戻ってきていいんッスよ。信長さまには、俺から話をつけてやるッスから」
慶次は、へっと鼻をならす。
「元は、俺は滝川益重の息子だ。養子が前田家当主となったら、そっちのほうが、お家としては危険なことは承知しているんだぜ。信長さまの計らいには、ありがたさすら感じているんだ」
「お、傾奇馬鹿かと思っていたけど、意外と物を考えているやつッスね。形としては、俺が当主を簒奪した形になったッスけど、その分、利久兄貴には、不自由なく暮らしてほしいと思っているッス」
「俺、新しい茶器が欲しいんだよな。オジキ、いらなくなった茶器とかあったら、くれないか?」
「慶次、お前、茶の湯に詳しいんッスか?それまた意外な趣味ッスね」
「実は、こっそり、利休殿に弟子入りさせてもらってるんだぜ。あの人の茶はかぶいてて、俺に合ってるんだぜ」
「利休さんと慶次は馬が合いそうッスもんね。でも、それなら利休さんから直接、茶器を買ったほうが早くないッスか?」
「それはダメだぜ。利休殿が見繕う茶器は、高値がついちまう。俺は1つ3文の茶碗で、茶を楽しみたいのさ」
「ふうん、そうッスか。確かに、利休さんの茶器を持っているとならば、いやでも値がついちまうッスからね。でも、そんなとこまで傾く必要があるもんッスか?」
「3文程度の茶碗だが、それでも充分、風流ってのは楽しめるもんだぜ。高い茶器を見せびらかすのは風流からはかけ離れているもんだぜ」
「松永久秀が聞いたら、泡ふきそうな発言ッスね。まあ、今度、屋敷で適当に見繕ってやるッス」
「欠けた茶碗でもいいぜ。それはそれで傾いてるからな」
「基準がなんかおかしい気もするッスけど、慶次らしいといえばらしいッスね」
傾奇者・前田慶次は、利家率いる、赤母衣衆の一員であった。彼は統率力に関しては能力はそれほどのものは持っていないが、個人の武勇は高く、切り込み隊隊長として活躍していたのだった。
「慶次、お前だけでも軍に戻ってくる気はないッスか?」
「そんなことしたら、親父の立つ瀬が無くなっちまうんだぜ。俺の代わりなんざ、いくらでもいるだろ。なんたって、織田家で誉れ高き、赤母衣衆なんだからよ」
「いないことはいなくはないッスけど、慶次がいると、隊の雰囲気が良くなるんッスよ。そういうやつの存在は、結構、重要なんッスよ」
「ふうん。そんなもんなんか?俺には軍を率いる才能がないから、てんで良くわからんのだぜ」
「おしい男ッスね。せっかく、俺より武勇に関しては上だと言うのに、天は2物を与えずってやつなんッスかねえ」
ひとにはそれぞれ、才能がある。軍を率いる場合もそれが顕著にあらわれる。率いる軍の数が多ければ多いほど、その才を発揮するものがいれば、1000を率いるより、100の小勢を率いるほうが滅法、強いものもいる。慶次は後者のほうなのだ。
「おお、慶次殿。息災であったでおじゃるか。今日は今日とて、屋台で出し物でおじゃるかな?」
「お、旦那。二条の城でも見にきたのかだぜ。外を出歩くなんてめずらしいじゃないか」
「ほっほっほ。まろとて、屋敷にずっと引きこもっているわけではないのでおじゃる。次の歌会、楽しみにしているのでおじゃるよ」
「どうせ、ここまで来たんだ。白菜の唐辛子和えでも、買って行ってくれだぜ。今なら1樽、1貫にまけといてやるんだぜ」
「ほっほっほ。では、買わせてもらうのでおじゃる。付き人に運ばせるゆえ、品を後で渡しておいてほしいのでおじゃる」
貴族はそう言い、二条の城の建築現場へと向かうのであった。
「おい、慶次、今のは貴族のひとだったけど、知り合いなんッスか?」
「ああ、たまに歌会に呼ばれるんだぜ。こう見えても、歌のほうも、俺は得意なんだぜ」
「武辺ばかりかと思えば、いろいろできるんッスね。なんで、これで政治に関しては全然ダメなのか、さっぱりわからないッスね」
「俺にもさっぱりわからん。政治の話をされると、鳥肌が立っちまうんだぜ」
「武勇に秀でて、茶や歌に通じていて、さらに人望もそれなりにある。それなのに肝心な指揮能力の欠如に、政治的センスのかけらもないって、どういう天の采配なんッスかねえ」
「こう言っちゃなんだが、俺は前田家の当主になれなくて、本当に良かったんだぜ。このまま、前田家に残っていたら、親父が死んだあとに、必ず、跡目騒動が起きちまうんだぜ」
「利久兄貴の容態は、そんなに悪いんッスか」
「今は何でもないようなふりをしているが、あれはダメだ。短くて数年。長くても5年は持たないだろうな」
慶次と利家は、少し離れた、別の屋台で店員をやっている利久の方を見る。
元気いっぱいに売り子をやってはいるが、相当、無理をしているのだろう。こちらに気兼ねさせないようにとの、精一杯の意地で動いているのだ。
「利久兄貴には悪いことしたッスね」
「なあに、気にすることはないんだぜ。あれでも、重い当主の役目に身体がついてこないことには、本人は自覚があったんだ。だが、親父も傾奇者だ。主君への不服は、傾いて応える性分なんだろう」
「慶次からも説得を頼むッス。いくら仕送りをしているからと言って、慣れない京の都暮らしは、身体に毒ッス。ゆっくり生まれ故郷で余生を過ごすのも悪くないッスからね」
「オジキは優しいんだな。まあ、おいおい、言ってみることにしておくぜ」