ー動乱の章 4- 地獄で笑い歌う者たち
足利義昭は、刀を数本、鞘から抜き、畳に突き刺す。そして、襲い掛かる三好三人衆の兵に向かって、手に持った刀を振りかざし、自らの手で部屋を血の色で染めていく。
「ふひっ。暇つぶしのための剣術の稽古が、まさかこんなところで功を奏するとは思ってみなかったのでございます」
「義昭さまの兄、義輝さまは、鹿島新當流の免許皆伝の腕でござった。血は争えぬといったところでござろうか」
「それ、かかってくるのでおじゃる、この雑魚どもが!鬼丸国綱がお前たちの血をすいたがっているのでおじゃる」
義昭は右手に刀を持ち、左手の手のひらを上にむけ、三好三人衆の兵たちを手招きする。挑発された兵のひとりが、槍を構えて、義昭めがけて突進する。だが、義昭はそれを、ひらりとかわし、両手で鬼丸国綱の柄を握り、首級をはねる。
「お、おい。聞いてないぞ。義昭のやつがこんなに強いなんて」
「たしか、秋の相撲大会で全戦全敗したんだろう、あいつ。なんで、こんなに強いんだよ」
義昭は、三好三人衆の兵がぼそぼそと言っているのを聞き、かちんと頭にくる。
「だまらっしゃい!あれは、織田家のやつらが強すぎたのでおじゃる。ええい、今、思い出しても忌々しいのでおじゃる。その口、二度と言葉が発せられぬようにしてやるのでおじゃる」
義昭は、畳に刺した刀をもう1本、抜き取り、片手に1本づつ持ち、修羅の如く、雑兵を斬り伏せていく。
「あれは、義輝さまが得意とした、二刀流でござる。まさか、義輝さまの魂が、義昭さまに乗り移ったというのでござるか!」
「ふひっ。なんであれ、戦力外だと思っていた、義昭さまが戦えるのは僥倖なのでございます。さあ、あとひとふんばりで、日が沈みます。それまで、なんとか生き延びましょうでございます」
義昭、自らの奮闘もあり、長い1日が終わろうとしていた。しかし、いまだ、浅井長政からの援軍は到着しない。本圀寺を守る兵2000は、息も絶えだえである。すっかり日が落ちたころには、その場で崩れるようにへたり込む者たちで、本圀寺の境内は埋め尽くされたのだった。
「ううむ。なんとも旗色が悪いのでござる。光秀殿が放った伝令は、岐阜には到着したのでござろうか」
「ふひっ。今日中には着いているでございます。ですが、岐阜からの援軍は早くても1週間かかるかと思うのでございます」
「この先、1週間、耐えなければならないのでおじゃるか。さすがにまろはしんどいのでおじゃる。せっかく、蔵一杯にためた金も使うことなく、ここで死んでしまうのでおじゃろうか」
「今は、一日でも早く、信長さまの到着を待つしかないのでございます。それまで、お互い、生きていこうなのでございます」
「光秀殿。私にもしもの場合が有ったときは、義昭さまを頼むのでござる。義昭さまは、このひのもとになくてはならないお方。ここで、死んでもらっては困るのでござる」
「おお、藤孝。まろのことをそんなに思っていてくれているとはなのでおじゃる。最近は、そでにしてしまい、すまなかったのでおじゃる」
「いえ、義昭さま。いいのです。そんなことより、生きてくだされでござる。義昭さまのためにも、信長殿のためにでもござる」
本圀寺を囲むは三好三人衆の兵5000。そして将軍・足利義昭を守るは傷ついたものばかりの2000である。寺に火をつけられないのは、義昭が貯めこんだ、金銀財宝であるという皮肉的な幸運であった。
明けて、本圀寺が三好三人衆に攻められて、早三日目が経とうしていた。岐阜へ送った援軍依頼も無事、たどり着けたかどうかは、足利義昭たちには知れずである。最悪の場合、その伝令が捕まっていて、援軍はこないのではないかとう懸念すらある。
だが、義昭、細川藤孝、明智光秀は、信長がやってくると信じた。それは神仏にすがる気持ちとさほど変わらぬものであった。だが、それでも、死力を尽くし、彼らは三好三人衆の兵を跳ね返す。
寺を守る兵たちは、次第に力尽き、槍折れ、弓の弦が切れる。武器のない者たちは、素手で相手を組みふし、そのものの槍を奪ってでも戦い続ける。
元来、織田の兵は負け戦に弱い。だが、このときは、一兵たりとも、その場から逃げ出すものたちは、いなかった。織田の兵たちは皆、わかっていたのだ。ここで義昭の命が奪われるということは、織田家の未来まで奪われると言うことに。
彼らは戦う。すでに寺の門は破壊つくされ、敵兵の侵入を防ぐことも不可能となっていた。だが、それでも彼らは戦う。組み伏せ、殴り、噛みつき、そして、武器を奪って、立ち上がる。
そして、また日が落ちる。織田の兵たちは、今日1日、生き延びれたことに感謝する。未だ、将軍・義昭の命が無事なことに感謝する。
疲れ切った兵たちに、ささやかながらの夕食が振る舞われる。寺ゆえ、食料が充実しているわけではない。だが、粗末な食事ではあったが、皆は笑顔を見せて、それを食す。
「皆の者、今日もよくがんばったのでございます。少ないですが、酒もあるでございますよ。火は、寺の壊れた門でも薪にして、あったまってほしいのでございます」
「光秀さま。お気持ちはありがたいのですが、壊れた門の建材といえども、立てかけておけば、少しは相手の侵入を防ぐことができます。寒さは酒でしのぎますので、建材は置いといてください」
「ふひっ、そうでございますね。では、代わりと言ってはなんですが、義昭さまに以前おくった、反物をもってくることにするのでございます。どれ、緊急時ゆえ、義昭さまもお許ししてくれるのでございます」
光秀はそういうと、蔵の門をぶちやぶり、中から反物を引っ張り出す。それを兵士たちに羽織らせる。
「光秀殿、何をしているのでおじゃる!それは、まろの絹なのでおじゃる」
「義昭さま。この者たちは命をかけて、あなたを守ってくださるのでござる。なあに反物など、また、信長殿にせがめばいいでござる」
ぐぬぬと唸る義昭であったが、細川に言われたのをきっかけに観念する。
「そうでおじゃるな。皆の者、光秀殿、すまぬのでおじゃる。命をなくせば、こんなもの、なんの役に立たないのでおじゃる。刀や槍も、蔵から出すでおじゃる。それで、まろを守ってほしいのでおじゃる」
おう、まかせとけー。将軍さま、ふとっぱらーと兵士たちが声を上げる。
「確か、秘蔵の酒も、義昭さまはもっていたのでございますね。それを皆でのみましょうなのでございます」
「ええ!それは、まろが大事にしていた、薩摩の焼酎なのでおじゃる」
「おおい、皆の者。義昭さまが、秘蔵の酒を振る舞ってくれるのでございます。飲み逃がさないように、皆、急ぐのでございます」
「誰も、飲ませるとは言ってないのでおじゃ、ええい!持っていけばいいのでおじゃる。それで士気が上がるのなら、安い買い物なのでおじゃる」
義昭は、ご立腹であったが、いきなり、ふと、大いに笑いだす。
「ほっほっほ。誠に貴殿らを見ていると、自分の器の小ささと言ったら、笑えてくるのでおじゃる」
「地獄の戦場で、笑うのでござるかな。義昭さま」
細川はおかしそうな顔をし、くっくっくと漏らす。
「いや、失礼。私も笑いが込み上がってきたのでござる」
ちゃんと、織田の兵たちの顔を見ていなかったことに、細川は気付く。この地獄のような戦場でも、彼らは食事を楽しみ、酒に酔い、歌をうたっている。
彼らは一兵卒である。しかも給金目当てに集まったものたちばかりだ。逃げ出そうと思えば、いつでも逃げ出しているはずだ。だが、そんなそぶりは一切、見せない。
今日1日、生き残った彼らは、肩を組み、身体を寄せ合い、歌いあう。明日と知れぬ身でありながら、笑うのだ。
「誠に、織田家の者は、上があれなら、下のものあれでござるな。本当に不思議な存在なのでござる」
「ふひっ。皆、信じているもののために、夢のために戦っているのでございます。信長さまという大きなかがり火に集まり、その火を大きくするために、薪をくべるのでございます」
「誠にうらやましい限りでござる。信長殿のおかげで、私もささやかな夢を持てたのござる。信長殿という、かがり火、決して消してしまってはいけないのでござる」
光秀は、そうでございますねと言うと、兵たちの輪の中に入っていき、一緒に肩を組み、酒を飲みかわす。織田家の将と一兵卒は、心のもちようは同じだとばかりに、歌をうたう。
家族の安全を願って歌う。出世を願って歌う。信長さまの未来を願って歌う。ひのもとの平和を願って歌う。
そして、彼らは泥のように眠る。明日から、また戦が再開される。まだ来ぬ、援軍の到着を信じて、眠るのであった。
「ぐっ!ぬかったでござる。光秀殿、私はここまでのようでござる。あとは頼みましたでござる」
「ふひっ、細川さま。傷は浅いのでございます。立ってくださいでございます!」
細川は、左の二の腕に流れ矢を受ける。激痛が、身体をむしばむ。ぎりぎりと、右手でその矢をへし折るが、はあはあと荒い息を上げる。
周りを見れば、昨夜、一緒に肩を抱き合い、酒を飲み、歌っていた者たちが、苦悶の表情を浮かべ、血を流し、倒れ込んでいる。
動けるものは、もはや、2000人のうち、500も居ない。その残った者たちも傷を受けていないものなどいない状態であった。
義昭自身も、着ていた服はボロボロになり、腕や太ももから出血している。だが、それでもなお、両手に持った2本の刀は、その手から落ちてはいない。
鬼丸国綱も、童子切安綱も、敵兵の血糊と脂で、汚れきっている。
将軍を守る兵は、またひとり、そしてまたひとり、力尽き、倒れていく。そして、寺の外で大きな怒声がひと際、起こる。
「ほっほっほ。まろの人生はここまででおじゃったか。30半ばまでの人生であったが、楽しいひと時であったのでおじゃる」
義昭は、両手に刀を構えたまま、ゆらりと動く。死に至る最後まで抗おう。そして、前のめりに畳につっぷし、生きた証を残そう。そう思うのであった。