ー動乱の章 3- 正月の急襲
信長たち諸将は正月の宴を岐阜で行っていた。新築した岐阜城に皆が集まり、酒と料理を楽しんでいた。昨年の上洛成功に、皆、気を良くし、大いに飲んでいたのであった。
「いやあ、酒が美味いですね。やはりこの濁り酒がたまりません。焼き鳥との相性が抜群です」
「信長さま、上機嫌ッスね。味の薄い京の都から解放された喜びッスか?」
前田利家は、信長に酌をしながら、一緒に笑う。
「いやあ、やっぱり赤味噌は最高だな。白味噌はもう、勘弁だぜ」
佐久間信盛は、子豚の丸焼きを切り分け、そこにたっぷりと赤味噌を乗せて、かぶりついている。
「寒い冬には汁かけそばと熱燗、ですね。天ぷらそばが私のソウルフード、です!」
天ぷらそばは、尾張の津島の町が発祥と言われている。ある、織田家の兵士たちが、とあるそば屋にて屋台で売っていた天麩羅をあろうことか、汁かけそばの中につっこみ、食したのがきっかけであったと言われている。
「この天ぷらそばを食べていると、織田家に仕官したばかりのことを思い出すの、です。あの頃は一兵卒で、4人相部屋で川の字で寝ていま、した。あのころが懐かしいの、です」
「しっかし、いまや、南近江に領地を持っている、秀吉からは想像できないよな。最初、お前を見たときはどこかの物もらいかと思ったもんだぜ」
「私は元は農民です。あのころは喰うに困っていま、した。山に柴かりに行ったり、針を買っては三河に売りにいったりと、生きることのみに必死な時期、でした」
「それが今や立派な織田家の誇る武将だもんなあ」
「織田家に仕官して、一兵卒からでしたから、あのころはそんなにお金は持っていません、でした。恥ずかしながら、給金の半分は遊女で使っていました、からね」
「そういえば、あの頃の秀吉は、みすぼらしかったッスねえ。お給金は出てたんッスから、ちゃんとした服くらい買っておけっていつも言ってたッスよ」
利家と秀吉の付き合いは、秀吉が織田家に仕官してからだ。もう、かれころ、10年以上も前である。だが、馬があったのか、ちょくちょく、訓練が終わったあとには、遊んでいたのだ。
その縁もあり、秀吉と利家は家族ぐるみの交流を未だに続けている。
「あの当時の他の馬鹿3人は、元気にやってるッスか?秀吉も大概だったッスけど、他のやつらも充分、馬鹿やってたッスね」
「彼らは、今、私の配下で、兵を率いてもらっています。それぞれ、結婚もし、子供に甘いお父さんになっています、ね」
「あの馬鹿たちにも子供がいるッスかあ。まあ、当然と言えば、当然ッスね。また、みんなで馬鹿騒ぎしたいッスね」
「は、はい。利家さん。今度、一緒にあの当時の皆で飲みにいきま、しょう。そして、遊郭に遊びにいきま、しょう!」
「遊郭は勘弁してほしいッスね。松が怒ってしまうッス。松は結婚した当初は12歳で、今年で21歳ッスから、まだまだ女盛りッスからねえ」
秀吉は残念そうに肩を落とす。利家は、こればっかりはしょうがないッスと返すのであった。
「秀吉殿の女好きには困ったものだぜ。ねねさんがかわいそうだわ」
「信盛さま。そんなこと言うのなら、こっそり私と遊郭に行ったことを、小春さんに言いつけ、ますよ!」
秀吉はぷんぷんと怒り顔で信盛に迫る。
「そ、それはかんべんだわ。大体、あれは秀吉が、俺を慰労するためと言って、無理やり連れて行ったんじゃないか」
「そのわりには楽しんでいたのではない、ですか。ですが、私も鬼ではありま、せん。カステーラ1本で手を打ちま、しょう」
ぐぬぬと思う信盛であったが、カステーラ1本で水に流してくれるだけ、気が優しいもんだなと思い、観念することにした。
「秀吉もなかなかずる賢くなってきたッスね。京の都でひと皮むけたんじゃないッスか」
「そう、ですね。あの嫌味地獄の中で仕事をしてきました、から、私もうつってしまったのかも、しれません」
「そういや、光秀のやつ、京に居残りなんだろ。かわいそうになあ。正月まであの義昭と過ごさないといけないと思うと、ぞっとするぜ」
「心中、察するッス。光秀こそ、遊郭に連れて行ってやったほうがいいッス」
「最近、前髪が後退してきているでございますって愚痴ってたなあ。なにか慰労会でも考えてやらんといかんなあ」
「髪の毛にはわかめや、ひじきがいいと聞きます、ね。たくさん、送ってあげたらいいんじゃないで、しょうか」
「でも、こっちから髪の毛が薄くなっているって言うのは、本人にとっては大ダメージッス。それとなく、気遣うのがいいと思うッスよ」
秀吉、利家、信盛が、ううんと唸る。
「では、こうしましょう。金柑と呼べばいいんじゃないでしょうか?」
突然、信長が3人の話の輪に入ってきた。
「え、どういうことッスか、信長さま」
「古くから、はげのひとをそう呼ぶのですよ。金柑は表面がつるっとして、光っているでしょう?」
「そうか、その手があったか!って、ないわ。光秀、お前、はげてるよって言ってるのと同じじゃねえか」
信盛がのりつっこみを信長に入れる。
「んん。良い案だと思ったんですけどねえ。ねねさんへの書状には、秀吉みたいな、はげねずみには貴女のような女性はもったいないと綴ったら、大層、おもしろがっていたんですがねえ」
「秀吉は、はげてねえからまだ冗談で済むの。実際、はげてるやつに、はげなんて言ったら落ち込むわ」
「それは先生としたことが、うっかりしていました。あまりにも良い案だと思ったので、今度から光秀くんを金柑って呼ぼうかと」
「絶対やめろよ、絶対だからな!」
信盛が信長に厳重注意をする。信長は大層、つまらなそうな顔をするので、さらにきつく言う。
正月の宴で皆が冗談まじりに光秀の髪の毛について論議をしていると、ひとりの若武者が宴の席へと駆け込んでくる。
「伝令!明智光秀さまからです」
信長たちは、はて?と疑問顔になる。光秀がついにつんつるてんになったという報告なのかとさえ思ってしまった。
「京、本圀寺にて、将軍・足利義昭さま、三好三人衆の兵により、包囲されました!」
信長はその一報を聞き、手にしていた酒の杯を落とす。そして、からんと床にそれが落ち、中身の酒が散乱する。
「皆の者、出陣です!完全に油断をしていました。先生の不手際です」
信長は、そこらにあった、水の入った瓶を手にとり、その中身を頭にぶっかける。そして、両手で頬を叩き、無理やりに酔いを覚ます。そして、側付きの小姓たちに言付けし、宴の会場から飛び出そうとする。
「おい、殿。どこへ行くつもりだ!」
「小姓を連れて、先に行きます。のぶもりもり、利家、秀吉くん。軍の準備を整えて、先生の後を追ってください」
「おいおい。京の都には、光秀と細川殿と、それに浅井長政さまがいるんだろ。すぐに本圀寺が落ちるわけがないだろ」
「伝令の者、敵の数はいかほどですか」
「約1万の軍に囲まれているとのことです!」
信盛は顔が青くなっていくのを感じる。
「やべえ。光秀、細川殿、それに長政さまが居たとしても、5千もいないはずだ。これはまじでやべえ」
信長はこれ以上、何も言わずに部屋から飛び出す。
「まて、殿!今年の冬は大雪だ。関ヶ原のほうはさらに豪雪地帯だ。少数で行っても、まともに進軍できないぞ」
信長の耳には、信盛の声は届かない。すでに鎧を身にまとい、馬屋のほうへ駆け出していた。
信長はわずか5名の供回りを連れて、岐阜城から馬に乗り、駆けていく。行く先は京の都、将軍・足利義昭が居る、本圀寺だ。
信長は駆けに駆ける。そして、雪が積もる関ヶ原を縦断する。そのさまはまさに鬼神が進むが如くである。
数時間後、遅れて、織田の諸将たちは、軍を編成し、信長の後を追うことになる。
「お前ら、急げ!殿が先に行っちまったぞ。追いつかなきゃ、殿が死ぬぞ」
信盛は事情を把握しきれていない兵たちを叱咤する。
「ここで、義昭さまが討たれようもんなら、俺たちのやってきたことは全て、無駄になる!絶対に、殿に追いつくぞ」
「お前ら、のんびりと鎧なんか着こんでるんじゃないッス!槍と弓だけ持って、集まれッス」
「じゅ、準備のできたひとたちから、走ってくだ、さい!一直線に、ただ一直線に、京の都へ走ってくだ、さい」
織田の兵たちは、鎧も着ずに、槍や弓を手に持ち、走り出す。そのばらばらな行軍は、軍とは言えぬありさまであったが、とにかく速さこそがすべてであった。
「食料はどうするかだって?そんなこと、今、構ってられねえんだよ。走れ、走りやがれ!」
「その辺の農家から、もらえッス。今はとにかく急ぐッス!」
「先発隊に私の南近江の領地で、食料を分配するよう、伝えておきま、した。皆さん、行ってください!」
岐阜から集めれるだけの兵が進発していく。織田の、このひのもとの国の命運を左右する戦に向けて、大雪を溶かす火の如く、1万の軍がひた走っていく。
「ふひっ。どうやらここが僕たちの死に場所のようでございますね。細川殿」
「ふっ。長いようで短い人生であったでござる。しかし、まだ、手にした槍は折れてはござらぬ」
「いやじゃ、いやなのでおじゃる。せっかく、将軍になれたというのに、こんなところで死ぬのはいやなのでおじゃる」
「それなら義昭さまも、刀を手に持つのでござる。童子切安綱、鬼丸国綱の出番でござる!」
ここ、京の都、本圀寺は地獄と化していた。浅井長政の3千の軍は、京周辺に居ることは居るが、三好三人衆の1万の軍を切り崩せない。
三好三人衆は半分の5千で、浅井長政の救援を阻止し、もう半分で、本圀寺に籠る、義昭たち2千を完全包囲していた。
「信長のやつめ、完全に油断しおったな。これで、義昭の首級はもらったも同然だ!」
三好三人衆のひとり、三好長逸が高笑いをする。
「ええい、まだか。まだ義昭の首級を上げれぬのか!」
岩成友通が兵たちを叱咤する。
「そ、それが、抵抗、なおも激しく、なかなか本堂にとりつけません」
「ええい、門は落ちているのであろう。火を放たぬか!」
「しかし、火を放てば、将軍ゆかりの品が焼けてしまいます。そうなれば、足利義栄さまのためにもならぬと思われぬのですが」
ぎぎぎと、岩成友通は歯ぎしりをする。
「ならば、力押しじゃ!こんな寺ひとつ、さっさと落としてしまえ」
三好三人衆の兵たちは、本圀寺の本堂へと殺到していく。将軍・足利義昭の命は風前の灯であったのだった。