ー戦端の章13- 真意
柴田勝家は空を見上げていた。いつ以来であろう。土俵の上につっぷし、空を見上げるのは。
ああ、そうだ。あれは殿と相撲を取っていた時だ。底抜けに晴れ渡った空が広がっていたのだった。
今もそうだ。あの時と同じ青色の空だ。土俵に寝転がったまま、顔を右に向ける。荒い呼吸をする光秀がいる。そうか、我輩は負けたのであったでもうすな。もう一度、空を見上げる。
「光秀。見事でもうす。お主の勝ちでもうす」
ただ、ぽつりと言う。返事を期待してではない。だが、光秀が応える。
「ぶひゅう。まだ引き分けでございます」
なに?と勝家は思う。
「まだ、昨夜の分を返しただけでございます。これで1勝1敗でございます。さあ、もう一番」
まだ、やるつもりでもうすか、この男は。息も絶えだえに、まだ戦う意思をもつというでもうすか。勝家は笑いだす。
「ガハハッ。そうであったな。まだ引き分けであったでもうすな。しかし、今は休め。貴様にはまだ決勝戦が残っておるわ」
光秀はぶひゅっと応える。
「再戦はお預けでもうすな。互いに怪我を治した時、万全の体勢でやろうでもうす」
「次は華麗に勝って見せるのでございます。完膚なきまでに叩きのめして差し上げるでございます」
「ぬかせ、この若造が。年上を敬う気持ちがないのでもうすか」
勝家はガハハッと、光秀はぶひゅうと笑う。空は青い。自分の筋肉がピークなどと言っている暇はないでもうすなと勝家は思う。いつまでも筋肉の同志たちの目標にならなければならぬ身でもうす。
「お前さま。いつまで寝ころんでいるのでありますか。あなたはそこで立ち止まっている暇はないのですよ」
勝家の奥方、香奈が彼に声をかける。
「おお、香奈でもうすか。我輩、負けてしまったでもうすよ」
「そんなことは見ればわかりますのよ。次こそは勝って見せまし?」
「そうでありもうすな。しかし、今は休ませてくれでもうす」
やれやれと香奈が言う。そして、光秀の方を向き
「光秀殿。立ちなさい。あなたは勝者なのですよ。勝者なら立ち上がって、皆の声に応えなさい」
ぶひゅうと光秀は応える。そして、ゆっくりと身を起こし、観客を見渡す。皆が自分に拍手喝采を送っている。そして、おもむろに右手を上げ、ガッツポーズを作る。それと同時に、さらに割れんばかりの拍手が勝者の光秀に送られる。
土俵の外を見れば、妻・ひろ子と娘・珠が泣いている。僕は生きているでございますよ。勝家さまを超え、勝ち、そして生きているでございますよ。
「なあ、これ、もう光秀の優勝でいいんじゃねえの?」
佐久間信盛が信長に言う。
「勝家くんに勝っちゃいましたね、光秀くん。でも、勝負は無情なのです。死合いはまだ続いています」
やれやれと信盛が嘆息する。
「俺と殿のどっちが勝とうが、次はぼろぼろの光秀が相手だ。あいつの状態じゃ、もう、戦うことはできないだろ」
「彼はそれでも決勝戦を棄権することはないでしょう。ならば、先生たちがすることはただひとつ。のぶもりもりと先生で雌雄を決し、彼を土俵に沈めましょう」
「因果なもんだな。俺たちは戦うことしかできやしねえ。俺たちの手は強敵たちの血で濡れてやがる」
ふっと信長が笑う。へっと信盛が返す。
信盛サマー!とエレナが土俵の外から声援を送っている。あんた、負けんじゃないわよー!と小春が声を張り上げる。信盛はその2人に土俵上から手を振り、応える。
「さて、のぶもりもり。いちもつをさらす覚悟はできましたか?」
「おい、殿。俺まですっぽんぽんにする気かよ!」
「先生は皆に平等でありたいと常々、思っているのですよ。民に笑いをもたらすこと。それが先生の使命なのです。わかりましたか?」
「わかるわけあるか!何、名言くさく言ってやがる。くっそ、ぜってえ、殿には負けないからな」
信盛はきつく、まわしを締め直す。勝ち負けよりも、衆目にいちもつをさらされる方が危険だ。
「おや、そんなにきつく、まわしを締めていいのですか?それでは、どうぞ投げてくださいと言っているようなものですよ」
「投げれるもんなら、投げてみやがれ。相撲の勝ちも、まわしの危機も全部、俺がどうにかしてやるぜ」
「わがままですね。のぶもりもりは。救うのならふたつのうち、ひとつにしなさい。それでは、本当に大事なものを守ることはできなくなりますよ」
「俺は欲張りなんだよ。救えるものは全部、救う。足りぬ身だとしても、足掻くことはやめることはないぜ」
すっぽんぽん。すっぽんぽん。そう、声を合わせて声援を送るのは、信長の奥方連中であった。くっそ、嫌な応援もあったもんだぜと信盛は思う。
信長と信盛、両者は睨み合う。睨みあったまま、腰を低く落とす。
「双方、見合って見合ってなのでおじゃる」
行司役の足利義昭が軍配を振るう。
「はっけよい、残ったのでおじゃる!」
2人の取り組みが始まる。最初に動いたのは、信長であった。左手を大きく開き、つっぱりを放つ。それを信盛が右足を下げ、直撃を避ける。
しかし、信長は右手で、つっぱりを放つ。それを信盛は左肩で受ける。しかし、その威力はすさまじく、信盛の左肩は大きく弾き飛ばされる。
くっやべえ。殿は、ここからまわしを取りに来るはずだ。後ろにさげた右足をすばやく、元の位置に戻し、がっぷりよっつになってもいいように体勢を整える。
だが、信長は組みにいくことはせず、左手でもう一度、つっぱりを放つ。信盛は右足を戻すことにより正面から、そのつっぱりを右胸に受けることになった。
やべえ、完全に殿の流れじゃねえかよ。もしかして、殿は、俺の変化を嫌って、まともに組んでくる気はないのではないか。そう思う、信盛に対して、信長はさらに左右からつっぱりを連続で放つ。
「あんた、何やってんだい!その程度のつっぱりに、負けてんじゃないわよ」
小春が大声を上げる。わかっているんだ、この状態がやばいと言うことくらい。殿は、俺に何もさせないまま、つっぱりで土俵の外まで押し切るつもりなのだと。
つっぱりを放ち続ける信長に対して、信盛は身体の正面に両腕をまわし、肘を曲げ、縦にすることにより、胸から顔にかけての盾にする。少しでも、信長のつっぱりからの猛威を減らすためだ。そして、その体勢のまま、じりじりと前へ足をだす。
暴風のように、信長のつっぱりは続く。両腕でガードをして直接のダメージを防いでいるものの、これでは一向にらちが明かない。だが、両腕の隙間から、じっくりと信長のつっぱりを見ていると、ある一定のリズムがあることに気付く。
防戦一方になることにより、信長のつっぱりの軌道が単調になってきているのだ。腹、右肩、左肩、腹、顔面、胸、そしてまた腹だ。
よし、ここだとばかりに、身体を揺らす。右肩を狙う、つっぱりが空を切る。続けて、身体を右に揺らし、左肩を狙う、つっぱりをかわす。腹にくるやつは我慢だ。腹に力を入れる。そして、顔面に来るのは、上半身をそらし、かわす。
信長がつっぱりを放ちながら、ほうと息をもらす。信盛は左右上下に8の字を描くように、ゆらゆらと身体を揺らす。
最初は信盛は信長のつっぱりを受けるのみだった。だが、身体を8の字に揺らすことにより、確実に被弾を抑えた。そして、今や、かわしたと同時に、小さく、つっぱりをし返す。
段々、コツがつかめてきたぜ。信盛はそう思う。かわす、手を出す。かわす、手を出す。腹で受ける、耐える。顔面と胸はかわすのみ。段々とだが、殿のつっぱりのキレも落ちてきている。殿だって人間だ、疲れが出てきているのだろう。
つっぱりはガードされるより、かわされるほうが疲れがます。空転が続けば、いくら体力馬鹿であろうが、底が見えてくる。そう思い、信盛は必死にかわす。
「さて、このくらいで良いでしょうか。のぶもりもり。気付いていますか?」
ん?なんだ。殿の、つっぱりが急に止んだ。どういうつもりだ?そう思った瞬間、腹に激痛が走る。
「い、いでえ!何しやがった、殿」
信長は、ふっふっふっと笑う。
「先生、別に押し出すつもりで、つっぱりを出していたわけじゃないのですよ。肩から顔面に向けての攻撃はフェイクです」
腹の激痛に顔をゆがめる信盛が、はあはあと荒い息をする。だが、呼吸をするたびに激痛が襲い掛かる。まともに呼吸ができないのだ。
「先生が狙っていたのは、最初から、腹だったんですよ。腹は内臓が詰まっています。きみは顔面への打撃を恐れる余り、大切な内臓を痛めてしまったのですよ」
それにと信長が言う。
「のぶもりもりが簡単にひっかかってしまったので、ついでにまわしも緩めさせてもらいました」
気付けば、まわしがほどきかけている。くっそ。俺は最初から踊らされていたって言うのかよ!
「さあ、腹の激痛の中、きみはこれ以上、まともに相撲が取れるでしょうか、いや、できないでしょうね」
信盛が腹の激痛に耐える中、信長がゆっくりと近づいて行く。そして、がっぷりとよっつに組まされる。
「ぐあああ。いでえ、いでえ!」
信盛は腹の激痛の中、がっぷりよっつに組むことにより、さらに痛みが増す。全身から力が抜けていくのがわかる。そして、顔面は汗でだらだらだ。
信長は、ふんふんと鼻歌まじりに信盛のまわしをつかむ。そして、よいしょっと言う声とともに、信盛のまわしを、身体をぐるんとひねる。
信盛は独楽が回るが如く、身を回される。それと同時に、まわしもはがされる。
「きゃあああ、信盛サマ、エッチなのデス!」
エレナは思わず両手で顔を隠す。小春はやれやれとばかりに頭をかいている。
回る信盛の左足を信長は、右足をひっかけ、すぱーんと跳ね上げる。回る独楽と化した信盛は土俵の上につっぷすことになった。
「勝者、信長!」
義昭が軍配を信長に向ける。信長は両腕を上げ、ガッツポーズをする。その身体はびっしょり汗に濡れている。
「きゃあああ。汗に濡れる、信長さまは、かっこいいのですわ!」
信長の正室、帰蝶が黄色い声を上げる。