ー戦端の章 9- 信長の実力
細川藤孝と柴田勝家の戦いの後も、相撲の死合いは続いていた。
前田利家と明智光秀は順調に1回戦を勝ち進む。
「まあ、いつも信長さまと相撲をとっているッス。並の相手なら負けることはないッス」
「ふひっ、足利家の方がたは、たいしたことないひとばかりでございます。訓練が足りないでございます」
彼ら2人の初戦の相手は、足利家の武断派たちのものであったが、所詮、実践を積んできたものたちではない。はっきり言って二人にとっては役不足な相手であった。
そして、続くは、佐久間信盛と和田惟政であった。
「ちっ、めんどくせえのと当たっちまったな。こいつ、まともに相撲を取る気はないのか」
「ふっ、茶坊主と思ってなめてもらっては困る。これでも細川藤孝と相撲を取ってきた間柄であるぞ」
惟政も信盛と同じく、変化の使い手であった。あの手この手で惟政は信盛を翻弄する。
「あんた、負けたら承知しないからね!」
「信盛サン。右デス。右を差してクダサイ!」
小春とエレナが必死に信盛を応援する。
「ふっ。男ひとりでおなごふたりも嫁にするとはうらやましけしからん。無様に土俵につっぷして恥をさらせばよかろう」
「へっ。俺は良い男だからな。イエスマンのお前にはわからないだろうな」
惟政が信盛の言にカチンと来る。そして強引に力技で信盛を投げに来る。
「危ない、信盛サマ。耐えてください!」
「大丈夫だよ、エレナ。信盛は変化だけが手じゃないわ。変化だけで勝てるほど、織田家は甘くないからね」
勝ったと惟政は確信する。だが、信盛は、へっとこぼす。
「あんた、変化しか手がないんだな。残念な話だ。そんな投げじゃ、俺には通用しないぜ」
なにっ!と惟政は言う。よいしょっと信盛は言い、左腕を上げ、強引に惟政がつかむ、まわしの右腕を切る。
そのまま、信盛は自分の左腕を惟政の右脇に差し込み、上手投げで惟政をつっぷす。
「きゃあああ。信盛サマの勝ちナノデス!」
「まったく、冷や冷やさせてくれるわね。格下相手にもたついてるんじゃないわよ」
惟政は土俵につっぷしたまま、宙を見る。
「惟政さま、惜しかったな。だが、普通に相撲をとる訓練を怠ったらだめだぜ」
「ふっ、ぬかせ。変化こそ、私の手だ。最も得意な手を極めることこそ、勝ちにつながるのだ。私の変化の腕が足らぬだけであったのだよ」
信盛は、へっとこぼす。こいつにはこいつなりの最善の相撲なのだろう。賢さで相撲で勝てるほど甘くはない世界なのだ。だが、それでも、こいつは止めようとはしないだろう。
続いて、第6試合、村井貞勝対、前田玄以の死合いは下馬評の2対8をひっくり返す展開となっていた。
「うっほん。玄以よ、お主、私をなめておったのじゃな?老人ひとり投げるくらいたいしたことはないのじゃと」
「ぐぬぬ。貞勝さま、一体、どこにそんな力を隠していたのでござるか。拙僧の目が節穴でござったか」
貞勝が玄以の左足をけたぐる。玄以がバランスを崩し、大きく身体を左に傾ける。ふんばること叶わぬまま、そのまま土俵に倒れ込む。
「うっほん。訓練をいちからやりなおすのじゃ。大方、政務にとらわれ過ぎて、おろそかになっていたのじゃろう」
玄以は返す言葉もない。場外からは、どんでん返しの結果に座布団が舞う。
「おやおや、玄以くんが負けてしまいましたね。観客も興奮しているようです」
「老人となめた、玄以が悪いッス。貞勝さまは、朝廷との折衝の合間にもこつこつと訓練を積み重ねていたことを、俺は知っていたッス」
解説席の信長と利家が玄以の相撲にダメ出しをする。観客は大判狂わせに、いまだ興奮が冷めやらぬようだ。前田玄以のばかやろー!金かえせなどと、罵詈雑言が飛び交う。
「ん…。玄以、次に自分の死合いがあるのに、場の空気を悪くするのはやめてほしい」
そう言うのは、佐々成政であった。続く第7試合、観客が殺気だつ中、下馬評では圧倒的優位の佐々が場に飲まれ、本来の力が出しにくい状態となった。
「ん…。やりにくいな。いつもなら、こんな相手に苦戦しないんだけど」
佐々は、幾度となく、相手のまわしを取ったが、いかんせん。強引な投げを連発してしまい、自ら姿勢を崩してしまう。相手が格下でなかったら、逆に投げられて、とっくに勝負は決まっていただろう。
「なっちゃん、落ち着いて!いつものなっちゃんを見せて」
佐々の奥方、梅が必死に声を上げる。野次が飛ぶ、その会場内で梅の声が佐々に届く。
「ん…。そうだね。いつものようにだね」
佐々は梅の声を聞き、冷静さを取り戻していく。ずっしりと体重を両足にかけ、がっぷりよっつになる。相手の動きを敏感に察知する構えだ。
相手は急に佐々の動きが変わったため、どうにも攻めづらい。だが、優位に立っているのは自分だとばかりに、差し込まれた佐々の左腕の外側から、右腕をまわし、強引に投げに出る。
「危ない!なっちゃん」
梅が悲鳴を上げる。だが、佐々は冷静だ。逆に相手の右脇を左手で抱え、投げる。
「勝者、佐々成政でおじゃる!」
行司役の足利義昭が、軍配を佐々に向ける。佐々は、ごっつあんですといい、勝利のポーズをとる。
「なっちゃん、おめでとお。危なかったけど、なんとか勝てたね!」
「ん…。心配かけてすまなかった。応援、ありがとう」
梅が佐々に抱きつく。会場から、ひゅうひゅうとはやし立てるように口笛がこだまする。佐々はうつむき加減になり、顔を少し赤らめる。
次は、1回戦、最後の試合、信長対、秀吉の対戦であった。下馬評では6対4と互角の勝負に見えかけた。
「信長さま、今日こそは私が勝たせていただき、ます」
「ふふ。秀吉くん、先生たちの戦績はどうでしたかね?」
「私の0勝、信長さまの99勝、です」
「では、記念の100戦目となるのですね。先生も本気を出していきましょうか」
義昭が、ひがあしい、木下秀吉、にいしい、織田信長と続ける。
「両者、見合って見合ってなのでおじゃる」
信長と秀吉は火花を散らすように互いを見合う。
「はっけよい、のこったのでおじゃる!」
相撲が始まった瞬間、秀吉は見た。信長さまがこちらを見ていないのだ。信長さまは、流れるように自分から見て、左方向を向いていたのだ。秀吉はそっちのほうに何かあるのかと、見てしまった。
その信長が顔を横に向けるしぐさを義昭も見ていた。なんなのでおじゃる?信長殿、そっちのほうになにかあるのでおじゃるか?
観客たちも同じく、信長が見つめる方向を見た。
会場全体が信長の視線の先を追ったのだった。だが、柴田勝家だけは、視線を変えなかった。
「ガハハッ。殿は本当に卑怯なのでもうす」
時間にして、本当に一瞬のことであった。秀吉は、はっとなる。これは信長さまの策、ですか!だが、時すでに遅し。秀吉が顔を正面に向けたとき、そこには信長の姿は存在しなかった。
「秀吉くん。先生にこの手を使わせた強者です。誇りに思っていいですよ」
信長の声は秀吉の背後から聞こえる。と、同時に背から冷や汗が滝のように流れ出る。次に秀吉が取った行動は、懸命に自分のまわしを手でおさえることであった。
「遅いですよ。すでに仕込みは終わっています」
無情にも秀吉のまわしは、はらはらと、はらはらと舞い落ちていく。秀吉の手をすりぬけるようにまわしは土俵上に落ちた。
「あれえ、お前さん。なんで、すっぽんっぽんなのよお」
ようやく、土俵上に視線を戻した、秀吉の奥方、ねねと会場の皆は、驚きを隠せない。彼らから言わせれば、信長が秀吉の背後に立っていて、秀吉が、いちもつをさらしているからだ。
秀吉は、いちもつをさらすことに一瞬、羞恥心を感じたが、それを捨てた。私のいちもつが出てようが出てまいが、そんなことは今はどうでもいい。まわしが取れただけだ。逆に、つかまれるものが無くなったのだ、有利なのは、こちらのほう、です。
秀吉は右回りに身体を回す。しかし、そこには信長の姿はなかった。秀吉は面喰う。信長が同じ方向に回り、秀吉の背後に再び回ったのだ。
信長は秀吉の背後に回り、その場でしゃがみ込み、秀吉の右太ももを両手で抱え
「よいしょっと」
そのまま、秀吉をすくい上げ、投げ飛ばした。
「勝者、信長殿でおじゃる!」
義昭が軍配を信長に向ける。信長はガッツポーズをする。だが、会場の皆は何が起こったのか未だ、わかっていない。ぽかーんとした顔のまま、まばらに拍手が起きる。
「さあ、起きてください。秀吉くん。勝負は決まりましたよ」
信長が秀吉に手を差し出し、秀吉はその手をつかみ、立ち上がる。
「信長さまは強いの、です。優勝してください、ね」
「さあて。秀吉くんに使った手は、本来、勝家くん用だったのですがね。こちらの手を見せてしまった以上、ひっかかることはないでしょうし」
「そ、そんな。勝家さま用のを私になんか使ってよかったん、ですか」
「それほど、秀吉くん、きみは強敵だったという証です。この信長に策を使わせたこと、誇りに思いなさい」
「きょ、恐縮です。次、つぎやるときは、必ず信長さまを超えて見せ、ます!」
「ふふ。その意気ですよ、秀吉くん。あなたは強い。もし、先生が初戦の相手ではなかったら、決勝まで残っていたかもしれませんね」
「決勝に残っていたとしても、信長さまとそこで当たれば、優勝は無理だったかもしれない、です」
土俵上で、信長とすっぽんぽんの秀吉が固い握手をする。観客は惜しみなく、ふたりに拍手を送るのであった。