ー戦端の章 5- 誇りのため
「しっかし、いいものを見せてもらったぜ。事実上、決勝戦だったんじゃないのか?」
佐久間信盛がうんうんと頷く。
「わたしは光秀さんが死ぬのかと、どきどきしちまったけどねえ」
小春が感想を述べる。
「あの筋肉の悪魔を10センチメートルも動かしたんだぜ。しかも力技だけでよ。たいしたもんだぜ、光秀は」
柴田勝家と明智光秀の相撲対決は、勝家の圧勝ではあった。だが、光秀は自分の力を出し切った。あの筋肉の悪魔をひと1人の力で10センチメートルも後退させたのだ。光秀も充分に化け物だ。
「ワタシは信盛サマの勇士が見たいデス」
エレナがそう呟く。だが、信盛は
「むりむり。俺だったら逆に10メートル、俺の方が押し出されちまう。勝家殿は別格。人間じゃないからな」
「そうなのデスカ。でも、信盛サマが戦う姿をワタシは見てみたいのデス。信盛サマ、相撲大会に出てくだサイ!」
先ほどの戦いで熱に浮かされているのだろうか、エレナは信盛に無茶な要求をする。
「信盛、あんた、女房の頼みが聞けないのかい。ああ、情けないったら、ありゃしない」
「小春、お前、さっきの死合い見てたときは、止めようとしてたじゃねえか。それなのに、俺はいいのかよ」
「光秀殿と、あんたは別よ。自分の旦那の勇士が見たいのは誰でも一緒よ。ほら、びびってないで、あんたも相撲大会に出なさい」
信盛は、うへえええと声を上げる。俺は退き佐久間の異名の如く、のらりくらりとやり過ごすのが信条なのになあ。
「俺の相撲を見ても、面白いとは思わないと思うぜ?変化が俺の手だからよ」
「変化とは何デス?羽でも生えて、空を飛ぶんデスカ?」
「変化というのはですね。普通、相撲っていうのは、始まって体当たりして、がっぷりよっつが基本なんですね」
信長が説明を開始する。エレナは、ふむふむとそれを聞く。
「のぶもりもりは、この常識を逆手にとって、体当たりをしてくる相手をこう、身をよじり、半身で受けて相手の身体を流すのですよ」
信長が右手をぐうに、左手をぱあにして説明する。
「そして、相手の勢いを利用して、はたき込みや送り出しをします。まあ、相撲の通から言わせれば、嫌われる手なのですよ」
「でも、勝ちは勝ちですヨネ。なぜ、そんなに嫌われるんでしょうか。勝てばなんとかって言いマスシ」
「まあ、正々堂々、正面から戦えっていう理屈なんじゃないですか?はっきり言って、そんな手にひっかかる相手のほうが悪いのですがね」
相撲とはよくわからないというのがエレナの感想だ。
「戦だってそうだ。大昔は武将同士が名乗りを上げて1対1で戦うのが、このひのもとの文化だったんだよ」
「でも、信盛サマ。力が明らかに劣るものが、その戦い方では、不利ではありまセンカ?」
「大昔の武士ってのは、誇りを最も大切にしてたんだ。殿が大好きな幸若舞の一節、敦盛ってのがあってだな」
「ああ、それは私でも知ってるね。人生50年の元になった、平家の武将でしょ?」
「そうそれ。平敦盛ってのが、源氏との戦いで敗れて逃げたんだ。そこを源氏の武将が一騎打ちを申し出たわけだ」
「そんなの無視して逃げればいいじゃない。どうせ、戦で負けちまったんだ。今更、恥でもないでしょ?」
そう、小春が疑問する。
「だが、そういうわけにも行かなかったがあの時代だ。敦盛は平家の恥となると思って、その一騎打ちを引き受けたんだ」
「それで、その敦盛サンはどうなったんでしょうか」
「そら、負けて殺された」
「わからないのデス。命より大切な誇りとは一体。大切な人を守るために命を賭けるのはわかりマス。ワタシのいた国でもそうデスカラ。でも、誇りのために死ぬのは納得がいきマセン」
エレナの言を聞き、ふむと信盛が息をつく。そして、熱燗が入った杯を仰ぐ。
「まあ、生き恥をさらすより、いっそ名誉のために死のうというやつがいた時代があったってことだ。もちろん、織田家は違うよ。死ぬのがいやで逃げ出すやつらばっかりだ」
「お給金払ってますが、金のために死ぬまで戦う兵士は、確かに少ないですね。旗色が悪くなれば瓦解しやすいのが織田家の弱点であったりします」
「では、今の時代では、何のために死ぬまで戦おうという人がおおいのデスカ?」
「大体は、家族を人質に取られたひとたちですね。他国というか、まあ、織田家と徳川家以外と言っていいでしょう。普通は、下級兵士というのは、戦時には農民から徴兵してくるのですね」
エレナは、ふむふむと信長の説明を聞く。
「この人たちは家族の安寧のために、言わば、人質にとられて、戦に駆り出されます。だから、逃げることができない。逃げることができない兵は強いですよ。軍の練度とかは別としてですね」
「では、織田家の兵は他国に比べて、弱いと言うことデスカ」
「危機に陥ったときは、崩れやすい分、弱いと言っていいでしょう。ですが、それを補うために、そういう状況にならないように日々、訓練をしているわけです」
「強いのか弱いのかよくワカリマセン」
「攻勢には滅法、強く、守勢なら弱い。それが織田家だ。それを補うのは、将の采配次第ってことさ。一長一短があるって思ってもらえばいいのかなあ」
「ですから、織田家は、まず、数で相手を勝るように戦を仕組むのですよ。あとは策ですね。常に自分たちが相手に勝っていると錯覚させるのですよ」
エレナはふうむと考え込んでいる様子だ。
「それでも勝てないときはアリマスヨネ。そういった場合はどうするのですか」
「そうなったら、さっと引くのさ。無意味に殴り合うのは双方、得策じゃあない。敵と距離を開けて、にらみ合いの戦いになるんだ」
「他国の兵は1年中、戦うことはできません。だって、元々は農民ですからね。彼らは農作物を作るといった、戦より大切な仕事があります」
「なるほどなのデス。織田家の兵は弱さをカバーする工夫を凝らしているのデスネ」
「数の理論を説きましたが、例外というのは存在します。1000の兵で10万の敵と互角に戦ったという、楠木正成という、伝説の名将もいます。単純な兵力差で勝負が決まるというのなら、とっくに織田家は天下をとっていますね」
「戦なんて、結局は力技なんだ。相手を倒すって言う点なら、策を用いて倒せるなら、それに越したことはないわけな。結局、戦で一番最初に死ぬのは、農民なんだ。農民が死ぬってことはその国の国力が下がっちまう」
「敵の国力が下がるのは良いことなんではないデショウカ」
「短絡的に考えれば、そうですね。ですけど、将来、その敵国を治めるときに殺し過ぎていれば恨みを買います。統治が難しくなるのですよ」
信長は机に運ばれてきた、笹まきの寿司に手をつける。酢と山葵が塩梅よく効き、食欲を掻き立てる。ひょいひょいと何個か口に運び、清酒で口を洗い流す。
「これが信盛が言っていた寿司ですか。つまみやすい大きさで、味も良いですね。尾張で、これがなかったことが不思議でたまりません」
「酢に魚の切り身をつけるって言うのは、エレナの発想からなんだ。魚は痛みやすいから、生食っていうのは、出回りにくかったんだろうな」
信盛とエレナも寿司に手をつける。中には山葵がききすぎたものもあり、鼻につうんとくる。
「醤油も最近、発明されたんですよね。なにやら、味噌づくりに失敗したのが元とからしいですが」
「それな。ひのもとの食文化でも発展させておこうという、神様の計らいかもしれないぞ」
「神仏の考えることは、先生たち人間にはよくわかりませんが、これはありがたい贈り物ですね」
どれどれと小春も寿司を醤油に軽くつけ、いただく。
「うほ。おいしいじゃない、これ。あんた、堺で毎日、こんなおいしいもの食べてたのかい」
「こればっかりは、岐阜に送れないから、京にきてよかったな。届けれて、京までくらいなもんだしな」
「かわいい外国人の妹もできて、わたしは幸せものだよ」
ふぐうと信盛が口に含んだ寿司を吹きかける。エレナはよくわからず、きょとんとした顔をしている。
「しかし、こんなおっさんのどこが良かったんだろうね。こんなおっさんを好きになるなんて、私くらいなもんだと思っていたんだがねえ」
ようやく、エレナは自分のことだとわかり、小春に反論する。
「信盛サマは素敵な方デスヨ。ワタシに人を好きになるって気持ちを教えてクレマシタ」
「やれやれ、こんな歳になってから、やきもちが出てくるとは思っていなかったわ」
小春は右腕でエレナの首根っこをつかみ、左手で髪の毛をくしゃくしゃにする。髪にさしてある藤の花のかんざしがやたらとまぶしい。
「お、そうだ。小春、遅れて悪いが、お前に贈り物だ。ちょっと、こっちに向きな」
信盛はそう言うと、ふところをごそごそしだす。そして、取り出したのは、桜のかんざしであった。
「小春はやっぱり、春が似合うからよ。お前には、桜のかんざしだ。どれ、つけてやるから、ちょっと顔をこっちに」
えっ、と小春はどきっとしてしまう。信盛は、小春の髪に桜のかんざしをつける。
「うわあ、小春さん。よく似あいますね」
帰蝶が声を出す。小春が気恥ずかしそうに
「そ、そう?かんざしなんて歳じゃないんだけどね」
小春は悪い気がしない。信盛はちゃんと私の分まで、考えてくれていたことに嬉しくなる。
「あの女ごころのわからなかった、のぶもりもりが今や立派に成長しましたね。先生は嬉しく思いますよ」
「うるせえ。なに、昔のことなんてひっぱりだしてやがんだ。しめるぞ」
おお、怖い怖いと信長はちゃかす。小春は突然の贈り物に、顔がにやけてしまう。
「ガハハッ。信盛殿にこんないい贈り物のセンスがあるのであれば、我輩も香奈のために堺で見繕ってもらっておくべきであったでもうすな」
「ほっほっほ。お前さん、女性への贈り物を他のものに頼むなど論外なのであります。たとえ、つまらぬものでも、女性は惚れた男が選んだものが嬉しいのでありますよ」
「そうであるか。では、相撲大会が終われば、一緒に土産物でも見て回るとしようでもうすか」
「なっちゃん!わたしもなんかほしい!」
「ん…。わかった。みんなで土産物屋に行こうか」
佐々と梅も同行するようだ。しばらくは賑やかな毎日になりそうであった。