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ー戦端の章 3- つまらぬ酒

 信長は思う。なんで、宴の席で接待なぞしなければならないのかと。しかも延々と足利義昭あしかがよしあきの武勇伝が続いている。こんなにストレスのたまる宴なぞ、初めてだ。


 ああ、のぶもりもりたちのいる席は楽しそうですね。できることなら、先生も中座して、あちらの席に行きたい気持ちです。


「であるからして、まろはあの時、自ら刀を抜いて、ばっさばっさと一向宗を斬り結んだのでおじゃる。信長殿、聞いているのでおじゃるか」


 これで、かれこれ、この話は何回目でしょうか。てか、いつまで、こんな与太話に付き合わなければならないのでしょうか。


「おお、将軍さまは、ご立派なのです。我々、家臣一同、感服でございます」


 和田惟政わだこれまさが、義昭よしあきをよいしょする。この人たちもよく飽きませんね。


惟政これまさ、お前たちは役立たずでおじゃる。まろ自らが刀を馳走しなければならないとは、恥じるでおじゃる」


「いやいや。将軍さまのご活躍を邪魔するのは悪いと思い、あのときは見守っていたのでございますよ」


「そうであったのか。それは、その方たちの活躍を邪魔して悪かったのおじゃる。だが、あの時の、まろの刀の冴え振りは、自分に鬼神が宿ったのかと思ったほどでおじゃる」


 和田惟政わだこれまさ一派が、拍手喝さいを義昭よしあきに送る。


「将軍さま、虎狩りの話を聞かせてください!」


「ほっほっほ。虎狩りでおじゃるか。あれは、越前の山の中、鹿狩りにでかけた折のことであったのでおじゃる」


 秀吉は黙って、足利家の面々の杯に酒を満たしていく。対して、明智光秀は、黙々と目の前の料理に手をつけている。


 伊勢エビの炊き込みご飯、大根の菜とシラスの炊き込みご飯、そして色とりどりの煮物たち。酒も肴もそろっている。だが、信長は食が進まない。正直、この席が死ぬほど、つまらないからである。


 人間、楽しくないと思っていると、食も進まないものだ。だが、つまらなそうにしているわけにも行かず、すきっ腹に酒だけは入れていく。酔えば少しは楽しくなるかもしれない。そう思いながらの飲酒だ。


「信長さま、少々、酒がいきすぎではございませんか」


 明智光秀が心配そうに信長に声をかける。


「飲まないではやっていけないときが男にはあるのです。先生も秀吉くんみたいな甲斐がいしさがあれば、よかったのですが」


「少しは食べてください。酒だけでは、胃がやられてしまうのでございます」


 光秀は信長の身体をおもんばってか、薬を差し出す。


曲直瀬道三まなせどうさんさまより、もらった胃薬です。これで多少は酒っぱらにも効くと思うのでございます」


「ありがとうございます。光秀くん。きみのやさしさが身にしみます」


 信長は、渡された薬の包みを開け、口の中に含み、酒で流し込む。


「げほっげほっ!なんですか、この薬は。光秀くん、きみは先生を殺すつもりですか」


「ふひっ。成分の半分は、やさしさで出来ていると曲直瀬まなせさまは言っていましたが、そんなことはなかったでございますか」


「どうしたのでおじゃる。信長殿。急に咳き込んだりして。体調が悪いのでおじゃるか?」


「げほっげほっ。心配むよ、げほっげほっ」


「信長さまは、お加減がよろしくない様子でございます。中座させていただきたく思うでございます」


 咳き込む信長の腕を自分の肩に回し、光秀は信長を連れて、よそに連れていく。



 光秀は、咳き込む信長を信盛(のぶもり)たちの席に連れて行き、信長をよっこいしょと置いて行く。


「あれ、殿(との)。どうしたの?義昭よしあきの接待してたんじゃないの?」


 信盛(のぶもり)が信長にそう尋ねる。


「げほっげほっ。光秀くんに一服もられました。曲直瀬(まなせ)くんの薬です」


 ああ、それでと信盛(のぶもり)は思う。曲直瀬(まなせ)は京の都では医聖と呼ばれるほどの腕前だ。だが、あの男の悪い癖で、新薬を試したがる。患者に使われては大変と思い、治験を信長の軍で引き受けることとなっているのだが、たまにとんでもないものがある。だが、命には別条はないだろうと信盛(のぶもり)は思う。


「ガハハッ。光秀の奴め、殿(との)を咳き込ませ、あの席から中座させるための策なのでござろう。殿(との)、光秀には感謝しないといけないでもうすな」


 柴田勝家(しばたかついえ)が笑いながら言う。


「げほっげほっ。確かに、あの席から逃げ出すことは叶いましたが、なんてものを飲ませるんですか。飲んだ酒を全部、吐き出すところでしたよ」


 信長はまだ苦しそうに咳をする。信長が中座したと同時に、信長の奥方もついてきていた。帰蝶が信長に茶を勧める。


「信長さま。お加減はいかがですか?曲直瀬(まなせ)殿には、新薬の治験を控えてもらうように言ってはどうでしょうか」


「いや、いいのです、帰蝶。先生たちが治験をやめてしまえば、この国の医療が後退してしまいますからね」


 信長の曲直瀬(まなせ)への評価は存外、高い。彼の治療薬のおかげで命を救われた兵も少なからずいる。この時代、下級兵士は傷の手当てに、馬の糞を水で薄め、傷に塗り込むといったようなものが流行っていた。それは間違った治療方法であると、曲直瀬(まなせ)は唱えている。傷口はきれいに洗い流し、これまた、きれいな布で巻くことこそ、治療の第一歩だと、彼は言うのだ。


曲直瀬(まなせ)の傷の手当てを試してから、病状が悪化する兵は減ったッスよね。馬の糞は傷口じゃなくて、畑にまくのが正しいみたいッスね」


 前田利家まえだとしいえがそう言う。


「ん…。曲直瀬まなせ殿の言うことは半信半疑だったけど、彼の言うことのほうが正しかった。正しかったほうを信じるのは、当たり前」


 佐々(さっさ)曲直瀬まなせを支持する。馬の糞を傷口に塗るなど非科学的と思うなかれ。わざと傷口を腐らせ、蛆に喰わせて結果的に傷口を癒すという方法が現代の世界にはいまだ、あるのだ。


曲直瀬まなせくんの治療方法が確立されて世間に広まれば、結果的に、薬が世の中に流通し、薬自体の値段は下がります。それによって、庶民たちも薬を手に入りやすくなり、いいことづくめです」


「でも、それで信長さまの体調が崩れては元も子もありませんよ。帰蝶は心配なのです」


 帰蝶は信長の背をさする。咳がだいぶ落ち着いたのか、信長は言う。


「さて、結果はどうあれ、あのつまらない席から抜け出すことは成功しました。光秀くんと曲直瀬まなせくんには感謝しないといけませんね。さて、飲み直しましょう」


 信長は差し出された酒の杯をつかみ、ぐいっと飲み干す。そして、机に並ぶ料理に手を付けだす。


「しっかし、この席の料理は、なんですか。見た目、明らかに精のつきそうなものばかりですね」


 信長はやもりの黒焼きをむしゃむしゃと食べ始める。それは信盛のぶもりさまのために取ってきたものなのにとエレナは思うが、信長さまも今夜はハッスルするんだろうと思って黙っていた。


「ほっほっほ。皆、今夜は楽しみなのじゃえ。なんせ、久しぶりの逢瀬ですからね」


 柴田勝家しばたかついえの奥方、香奈が横から口をはさむ。


「あれ、香奈さんじゃないですか。お加減はいいんですか?こうは言ってなんですが、あまり、勝家かついえくんの屋敷から出てこれないようでしたから」


「うちの勝家かついえの晴れ舞台なのじゃ。嫁としては、祝うのは誉れでもあるゆえね」


 ふむと信長が息をつく。


「まあ、香奈さんがそれでいいと言うなら、先生から何も言うことはありません。久しぶりの宴席でしょう?今夜は楽しんで行ってください」


「ガハハッ。殿との、気づかい感謝するでもうす。香奈のやつには、明日からの相撲大会で、我輩の勇士を見てもらうのでもうす」


「ええっ、勝家かついえくん、きみも出るのですか?きみが出たら、先生が優勝できなくなってしまうではないですか」


 勝家かついえがそう言われ、さらに盛大に笑う。


「何をもうすか。我輩に土をつけれるのは家中広しといえども、殿とのくらいでもうすよ。何を謙遜いたすか」


 信長は相撲が大好きである。見るという点だけでなく、実際に相撲をとることはしばしばである。町の相撲大会では信長が庶民にまじって腕を競い合う姿はたびたび見ることができる。


「ほう。それは初耳でござる。信長殿はそれほどまでに相撲がお強いでござるか」


「あれ、家康くん。どうしたのですか。あなたたち、徳川家にはちゃんと一席、設けてあったでしょう?何か不満があったのですか?」


「いやあ。恥ずかしながら、忠次のやつが酔っ払って、説教を始めたので抜け出してきたでござる。平時に愚痴ばかり聞かされているのに、宴席で説教とあっては、逃げるが一番でござるからな」


 はははっと家康は笑う。


「どこの家中でも説教くさいのはいるものですよ。でも、諫言をしてくれる家臣というものはありがたいものです。家康くんは忠次くんに感謝しないといけませんよ」


 忠次とは、酒井忠次さかいただつぐである。将来、徳川四天王と言われるものたちのひとりであり、徳川家の家臣筆頭とも言える。


「耳が痛い話でござる。奴は、このたびの武田家との共同戦線の反対派筆頭であるため、なかなか骨がおれるでござるよ」


「まあ、忠次くんとしては、家康くんを思ってのことでしょう。ですが、目の前の敵、今川をなんとかしないといけないのは事実なので、危うい立場ながらも、忠次くんは進言しているのでしょうね」


「それはわかっているのでござるのだがなあ。まあ、家中のことは置いておいて、信長殿が勝家かついえ殿を相撲で負かしたというのは、本当でござるか」


「ガハハッ。本当でもうすよ。普段は邪道を行うでござるが、あれは仮の姿でもうす。殿とのは、本当に相撲が強いのでもうす」


「えっ。じゃあ、俺と組んでるときにふんどしをはぎとろうとするのは、わざとだったッスか?」


 前田利家まえだとしいえが目の色を白黒させる。


「えっ。だって、利家としいえくん。普通に倒したら、泣くじゃないですか。当然、いつも手加減しているのですよ」


「普通に倒してくれたほうがましッス。毎度、ふんどしをはがされるこっちの身にもなってほしいッス」


「へえ。殿とのは相撲が強いとは思っていたけど、勝家かついえ殿に勝てるほどの腕前なのか」


 信盛のぶもりが感心する。


「ねえ、勝家かついえさまが強そうってのは、わかるけど、失礼だけど、信長さまって、そんなに強いのかい?」


 小春が信盛のぶもりに尋ねる。


勝家かついえ殿とまともに相撲がとれるって時点で相当、強いぞ?」


 ふうんと、小春は納得がいかない様子である。


「ああ、これは言ってもわからないだろうな。おい、利家としいえ。ちょっと、勝家かついえ殿とがっぷりよっつで組んで見てくれよ」


 信盛のぶもり利家としいえに話を振るのであった。

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