ー戦端の章 2- 精
佐久間信盛は、折衷案として、寿司とドジョウ飯の両方を平らげることになった。汁ものは、なめこ汁を選ばれ、メカブの和え物も追加された。
「とろろ昆布も、精がつくっていうから、取ってくるわね」
「小春サン。私も運ぶのを手伝いマス。信盛サマには、元気になってもらわないといけませんカラネ」
とりあえず、小春とエレナは、同盟を組むことになった。屋台から運ばれてくる料理は、机が狭く感じるほどの量である。
「あのお。これ、全部、食べなきゃダメなんですかねえ」
「当たり前じゃないの。私たちも食べるんだから、あんたもきっちり食べなさい」
「はい、あーんしてくだサイ、信盛サマ。やもりの黒焼きデス。事情を屋台の店主に話したら、2本もおまけしてくれマシタ」
やもりの黒焼きを、目をキラキラさせながら、信盛の口にねじ込んでこようとする。信盛はわずかながらの抵抗を見せるが、その抵抗をみるやいなや、エレナの顔は曇る。
「信盛サマは、エレナの差し出すものが気に入らないのデスネ。エレナは悲しいのデス」
「い、いや。そんなつもりはないぞ。ちょっと、匂いがきついから、顔を背けただけだ。喰う。喰うから、笑顔になってくれ」
「じゃあ、信盛サマ、あーんしてくだサイ?」
エレナは、ぱあと明るい顔になり、再び、ぐいぐいと、やもりの黒焼きを信盛の口につっこんでいく。信盛は、ふぐうふぐうと鳴きながら、それを口いっぱいにほおばる。
同じ机に同席する、前田利家、佐々成政、柴田勝家は、やれやれといった顔つきだ。
「天下の名将も、嫁さんにはかたなしッスね。俺も偉くなったら、こうなるんッスかねえ」
「ん…、利家は、偉くなったら妾でも作るの?」
「俺は松ひとすじッスよ。妾なんか作ったら、家に入れさせてもらえないッスよ」
「ん…。奥さん一筋なのか、そうじゃないのか、よくわからないな」
「ガハハッ。浮気の虫っていうものは、男なら誰でも、うずくものでもうす。ほれ、猿なぞ、毎夜毎夜、遊女と遊んでいるではないか」
離れた席で、和田惟政に酌をする、秀吉は、くしゅんとくしゃみをする。暦も秋になり、寒くなってきたのであろうかと秀吉は思う。
「風邪でござるか、秀吉殿。貴殿は、織田家の要でござろう。身体を冷やしてはいけませぬぞ」
和田惟政は、秀吉に言葉をかける。秀吉は寒さよけに清酒の熱燗をあおる。
「しっかし、俺たちは義昭にお呼ばれされなくてよかったな。あんなのと酒を飲んでたら、メシがまずくなっちまう」
「今頃、信長さまたちは、あいつの武勇伝を聞かされているんッスかねえ。宴の席にまで接待の仕事とは感心するッスよ」
信盛たち諸将は、奥方連中とようやく合流し、机を囲んで祝いの宴を楽しんでいた。しかし、信長、秀吉、明智光秀、村井貞勝は、義昭のお守だ。
「はーい、なっちゃん、あーんしてえ?」
「ん…。梅ちゃん、やめて。みんなが見てる」
佐々成政の嫁、梅は、信盛たちに当てられたのか、こちらも負けずと、佐々に甘えっぱなしである。
「んふふ。戦で、なっちゃんに会えなかったからねー。たっぷり、なっちゃんには可愛がってもらわないと」
「ん…。梅ちゃん、さびしくさせて、ごめんね」
「それなら、わたしにも、あーんで食べさせて?」
梅は小鳥が親鳥からご飯を食べさせてもらうかのように口をぱくぱくと開け、佐々から渡されるメシを食べていく。
「お熱いことッス。見てるこっちが恥ずかしくなるッス。戦場からは想像できない姿ッス。佐々も地に堕ちたッスね」
そういう利家の横では、松が気恥ずかしそうにもじもじとしている。
「どうしたッスか、松。もじもじして。厠にでも行きたいッスか?」
「そうじゃありません!利家さんは、女心がわかっていません」
松がぷんぷんと怒る。利家は、ぴーんとくるものが有り、箸でドジョウ飯を取り、松のほうに向ける。
松はきょとんとした顔をして、次の瞬間には顔を赤くする。
「はい、松、あーんするッス」
「利家さんは、ずるいです」
松は文句はいいつつも、あーんと口を開ける。その開いた口のなかにフェイントで、白菜の唐辛子和えを突っ込む、利家であった。
「んん、んん!辛いのです、水をください」
うひゃひゃと利家が笑う。
「松、ひっかかったッスね」
「利家さん、げほげほ。これは一体何なのです!」
「白菜の唐辛子和えッス。俺が考え付いた、新しい漬物ッス。ほら、ご飯を食べれば、辛さが和らぐッス」
次いで、利家は白いご飯を松の口にねじ込んでいく。
「んん、んん?んん。確かに、辛さが和らぎました。それにじっくり味わうと、辛さだけではなく、おいしさも引きたちますね」
松は不思議そうな顔つきだ。利家は満足したのか、酒を松に勧める。
「あとは、口の中を酒できれいにするッス。この白菜の唐辛子和えは、白いご飯にも酒にも合うッス」
松は利家から渡された酒を口に含む。白いご飯と、辛い漬物が酒で洗い流されていき、極上の気分を味わえる。
「利家さまはずるいのですね。京でお仕事をがんばっているフリをして、こんなにおいしいものを食べているなんて」
「し、仕事はしていたッスよ。信長さまの手伝いをちゃんとやってたッス」
「ん…。利家は仕事を嫌がって、漬物の新作に精を出していた。自分はしっかりとその姿を見ていた」
「やっぱり、仕事をさぼっていたのではないですか。そんなことでは、ご親友の秀吉さんに出世で置いて行かれますよ」
「佐々、お前、松が不安になるようなことは言うなッス。ほ、ほら。松。漬物の新作を作るのも立派な仕事だったッス。ほかにも胡瓜の唐辛子和えもあるッス」
「だまされませんからね。信長さまに後で、利家さんを注意してもらうよう、言いつけておきます」
やめてくれッスと利家は、松に懇願する。だめですと松は応酬していた。
「ガハハッ。お前たち、情けないでもうすな。女房に頭があがらないやつらばっかりではないか」
「そういや、勝家殿の女房も、宴には呼ばれてるんだよな。あんまり公の場に出てこないから、顔を知らない連中も多いけどさ」
信盛がそう言う。信盛は、何度か勝家の奥方に会ったことはある。元来、身体が弱いらしく、あまり屋敷から外に出歩くことがない女性であった。
「え。勝家さま、結婚していたんッスか?俺、勝家さまのお嫁さん、見たことないッスよ」
「ん…。自分も初耳。てっきり勝家さまは独身なのかと思っていた」
「こほんこほん。なんぞ、わらわの噂をしておるのかえ」
勝家の隣に、色白のどこぞの姫かと思えるような美麗な女性が立っていた。
「おお、香奈ではないか。京についておったでもうすか。これは出迎えせずに悪かったでもうす」
「こほんこほん。いいのぞえ。ご同窓の方がたと楽しんでおられるのに、わらわが邪魔をしては悪いと思い、こっそりときたのじゃ」
「紹介が遅れたでもうす。それがしの女房である、香奈でもうす。初めて見るものもいよう。よしなに頼むでもうす」
「香奈というのじゃ。うちのがお世話になっているようで、挨拶にきましたぞえ」
「具合が悪そうだけど、大丈夫なのかい。その、香奈さまは」
小春が心配そうに香奈に声をかける。
「今日はまだ、いいほうなのぞえ。普段は、寝込んでおるゆえ、うちのにはいつも心配をかけておるのじゃがな」
席に座った香奈に勝家が上着をかける。そして、机の料理をいくつか見繕い、皿に盛り、香奈の前に出す。
「ガハハッ。香奈よ、たくさん食べてくれでもうす。たくさん食べれば、また元気に野を走りまわれるでもうす」
「お前さま。気づかいありがたいのぞえ。しかし、この精のつきそうな料理の数々はなんなのですかえ」
机に座る面々はバツが悪そうな顔をする。なるほどと、香奈は思う。
「そういえば、皆さま方は、旦那さまたちと会うのは久しぶりであったのかえ。これは精をつけねばならぬということですわな」
女房連中はうつむき、顔を赤くする。ふふっと香奈は笑う。
「元気なことはいいことなのぞえ。女は男を元気づけさせるのも仕事。なに、どこに恥じることがありましょうぞ」
「さすが、香奈さんはわかっているな。香奈さんも今夜は勝家殿とハッスルするつもりなのか?」
ちょっと、あんた!と、小春が信盛の横腹を肘でつつく。
「そうですねえ。たまには、わらわも勝家に愛されるのも悪くないですね」
「見た目、美女と野獣とはこのことだな。どうだ、やもりの黒焼きでも喰う?余っちまってよ」
「ガハハッ。では、いただくとしよう。香奈。お前には食べやすいよう、ほぐしてやろうでもうす」
勝家は筋肉隆々であり、細かい作業は苦手なように見えるが、存外、手つきがいい。やもりの黒焼きの身を手際よく崩していき、伊勢エビの炊き込みご飯の上にぱらぱらとまぶしていき、出汁をぶっかける。
普段から、香奈が食べやすいよう、色々、工夫しているのであろう。勝家の甲斐がいしさが見れる。
「うまいのぞえ。伊勢エビなぞ、久しぶりに食べたであります。やもりの黒焼きは、くせがありますが、これは精がつきそうなのじゃ」
伊勢エビの炊き込みご飯とは、茹で上げた伊勢エビの頭をとり、その身を串でほぐしだし、炊きあがったご飯に混ぜ、出汁をぶっかけ、最後にゴマをまぶす。
普段は、正月や祝いの席でなければ食すことは出来ず、わざわざ、この宴のために伊勢から取り寄せたものだ。伊勢エビと出汁の相性は良く、匂いも食欲をそそるものであり、病弱な香奈にも食べやすい。
「ガハハッ。我輩も出世したゆえ、頼んでくれれば、毎日でも喰わせてやれるというのに、香奈は貧乏性でな。贅沢をするくらいなら、我輩の鍛錬に金を使えとうるさいのでもうす」
勝家の筋肉を支える、外来品のプロティンは値が張る。香奈は自分のことより、勝家が健康であってほしいと願うのであった。