4-9 聖女と勇者と神と鍵(後編)
◆◇
邪神を飲み込んだ光の奔流は、結界を打ち破り帝都へと降り注いだ。
結界のあった空間に存在するのは勇者ただ一人。
他には何も残らなかった。
私の肉体も消え去った。
(何も残ってないのだとしたら……どうして私は死なずに考えていられるの?)
視界に広がっていた闇は晴れている。
リラの背後から見ていたような感覚も消えて、今は自由に見渡せる。
風任せに漂う綿毛になったみたいだわ。
死ぬのは二度目だけれど前はどんなだったかしら?
覚えてないわね。
また魂の旅をすることになるのかしら。
皆が命懸けで支えた結界が解けてしまったが、暗黒神が復活する気配はない。
全部、終わったんだ。
「勇者殿、先ほどの光は!?」
「セイカ様はご無事なのですか?」
「陛下をたぶらかした暗黒神はどこへ消えた。
まさか王国の勇者が全てを消し飛ばしたというのか……」
「神を……打ち破ったのじゃな?」
息を切らせて駆け寄る仲間たちの顔はまだ不安の色が強い。
大丈夫よ。
もう邪神の脅威は消え去ったわ。
「最後の一段と強い輝きは、一体何をなさったんですか」
「みんなと同じで、生命を燃やす秘術を使ったんだよ。
セイカと一緒に死力を尽くしたから……邪神も消し去ることができたんだ」
「限界を超える力を生んだのは、加護のおかげじゃろう?
死に瀕してもなお、力を高められたのは奇跡としか言いようがないがの」
賢者の問いにリラは頷いた。
安堵の声があがり、やがて勇者への賞賛へと変わっていく。
私まで誇らしい気分になってくる。
これでいいんだ。
リラは勇者としての役目を果たして王国は救われた。
「しかし、それでは聖女殿は……」
私の姿が見当たらないことを心配してくれるものがいた。
ユークリアやディアやロビーナ様や、将軍も新王も、皆が沈痛な面持ちでいる。
こっちまで悲しくなるからやめてよ。
しかし賢者だけは余裕そうな顔でいる。
師匠には人の心がないのかと睨みつけたら、驚くことに目が合った。
私が……見えている?
「わかっておらんものもいるようじゃし、説明してやったらどうじゃ?」
「どういうことですか勇者殿」
「見様見真似だけど、セイカにも勇者の加護を掛けてみたんだ。
わたしが貰った力を全部セイカにもあげたの。もちろん送りの加護もね。
そのおかげで邪神を倒すことができたし、セイカも死んでないの」
リラは胸を張って解説するが、疑問が増しただけだった。
「送りの加護でございますか?」
「帝国聖教会には伝承は残っておらんか。
送りの加護は、勇者を不死身たらしめる特別な秘術じゃ」
「不死身と言っても身体が消滅してしまっては……」
「勇者でないものに加護を与えるのは禁忌なのではないでしょうか」
空中に浮遊しながら皆と同じように話に聞き入る。
素質のないものが加護を受ければ身の破滅を招くと言われていた。
帝国の法皇は知らなかったが王国の聖母には知識があったようだ。
私もそのように聞いていた。
禁忌を犯した結果が今の私だ。
このまま天上へも昇れず彷徨うのだろうか。
そもそも肉体もないのに声が聞こえるのは何故だろう。
風で飛んでいかないのは何故だろう。
死んでいるのに死んでいない。
答えのない思考に夢中になってしまうほどの不思議な経験だ。
「見えぬからと言って存在せんわけではないのじゃ。
加護を受けたものの魂は不滅じゃ。今もそこに漂っておる」
指差されて心臓が止まりそうになる。
やっぱり師匠には私が見えているんだ。
身体はないが胸の中心のあたりが熱くなる。
内側から嬉しさが湧き上がって止まらない。
今まで散々いたずらしてごめんなさい。
私がどうなっているのか教えてください。
「セイカも不安みたいだし、まずは肉体の再生をしてあげられないかな?」
「死者の蘇生など聖教会にも伝承はありません。そんなことができるのですか?」
「さすがに死者を呼び戻すことはできぬ。加護を受けた魂があればこそじゃ。
まだ魔力が戻りきっておらんが、試してみるかのう……」
もったいつけるように一呼吸入れて賢者が術を唱える。
力の流れが良く見える。
複雑で緻密な魔術。さすが師匠だ。
「光の神よ、母なる大地よ、慈悲深き癒しの御手を差し伸べよ。《復活》」
「!?」
賢者の生み出した魔力の渦に引き寄せられ、体の中を熱風が駆け巡る。
急激に肉体が再生し、突然生まれた重さのせいで私は地面に這いつくばった。
全裸で。
「うぐ……」
「セ、セイカ様……」
「すまない、見る気はなかった」
男性陣からすぐに謝罪の言葉と外套が投げ込まれる。
訳もわからないままひどい羞恥を味わわされた。
「肉体を再生したらどうなるかの予想くらい……できてましたよね?」
師匠に向けて怒りを爆発させたかったがどうにも力がでない。
どんなに練り上げようとしても今までのようにはいかなかった。
「フン、邪神めの力は完全に吹き飛んだようじゃの。
おぬしの中に神が宿っておるとは、夢にも思わなかったわい」
暗黒神を倒した余韻までもすべて吹き飛んでいた。
ロビーナ様からはきれいだったよなんて追い討ちをかけられる。
今すぐ逃げ出したかった。
消え入りたくなっていた私の前に突風が舞い降りる。
美しい鱗を持った飛竜だ。
「セイカ! 行くよ!!」
リラが飛び乗り、手を差し出してくる。
白くて小さくて柔らかな勇者の手。
ためらうことはなかった。
飛竜は風を切って空を翔け抜けた。
勇者を呼ぶ声も私を呼ぶ声も置き去りにして、雲のかなたまで飛び上がった。
「ありがとうリラ。あのままだったら私、また死のうとしてたかも」
「セイカその冗談は黒すぎるよ。
それに……わたしたちってもう簡単には死ねないんじゃない?」
「そう言えばそうね。リラにも私にも送りの加護が……」
まさか私が加護の秘術を受けるなんて思ってもみなかった。
素質のないものが受ければ身の破滅を招く。
そう信じていた私の常識を、リラが何もかもひっくり返してみせた。
「セイカにも勇者の素質があったってことだよ。
神さまの力を使えてたくらいだから、勇者にだってなれちゃうよね」
「よくわからない理屈ね。本当に加護が効くと思ってたの?」
「なんとなくね。勇者の勘じゃなくてわたしの勘ができるって言ってた」
「それって根拠ないってことじゃないの……」
「セイカはわたしを信じてくれないの?」
飛竜を操る白い髪の勇者は私をからかうように唇を突き出した。
信じるけどさ。
信頼と親愛の証として唇を触れ合わせる。
少しの独占欲も含まれていて、その気持ちがキスを長いものにさせる。
私もリラのことを盲信する部分はある。
根拠はないけれど、なんとかしてしまいそうだと思わせる何かがあるのだ。
リラが私に寄せる信頼感もそんな感じなのかしら。
「セイカは面倒を嫌がるけど、それは使命感の裏返しだと思うんだよね。
やらなくちゃって気持ちがあるから物事を中途半端にできないの。
でも一旦その心に火がついたら、どんなことをしてでもやり遂げちゃう」
だから大好きなんだと言ってリラは満面の笑みで口付けをしてくる。
真正面から言われると照れくさくなる。
私はそんな使命感なんて持ってなかった。
好きな人にいい格好を見せようとしただけ。
「私はただの怠け者よ。人は簡単には変わらないわ」
でも、背伸びした不格好な私のこともリラはわかってくれていた。
知っていて期待してくれるのだ。
リラのためならこれからも頑張れるような気がした。
「ところでリラ、私たちはどこへ向かっているの?」
飛竜に乗って空の旅を続けていたが、どこへ向かっているかわからなかった。
思いのままに飛んでいるだけにみえる。
邪神も倒して王国から逃げ出して私たちの役目は終わった。
もう勇者でも聖女でもない。
リラと一緒ならどこでも嬉しいけど、できれば見晴らしのいい所で休養したい。
人生にご褒美は必要だ。
「セイカにも聞こえてるんでしょ? 助けを呼ぶ声が」
「……何を言っているの。そんなもの聞こえないわ」
「むーっ」
「そんな顔しても聞こえないものは聞こえないの」
「……」
無言で目を細めてくるリラに根負けしてしまう。
惚れた弱みだ。
「わかったわよ認めるわよ、南のほうから神にすがる声が聞こえるわよ。
でもねリラ……私たちは神様じゃないのよ?」
「助けを求められて無視する人にはなりたくないでしょ?
わたしたちは勇者なんだから、みんなに勇気をあげなくちゃ」
「私は勇者になった覚えはないのだけど……」
「それなら……聖女として、勇者を支えてよ。
見ててくれるだけでいいからずっとそばにいて?」
額をこすり合わせてじゃれついてくる。
的確に私の機嫌を取るリラの手腕に唸らされる。
「わたしは生涯、セイカのそばを離れないよ」
リラは小指を絡ませて約束をねだった。
「一緒にいるだけよ?」
「セイカ大好き」
小指を絡め返すと強めの抱擁が返ってきた。
リラは私を抱きしめたまま飛竜を急降下させる。
風で二人の髪がなびいた。
私は……聖女セイカ・ハインテルは勇者リラと新たな旅に出る。
戦い続ける運命は変わらなかった。
けれど、気持ちだけは大きく変わった。
大好きな人といられるなら破滅の運命も悪くない。




