ずっと、そばに。
リリアのもとへ。願うより早く、サラザールの体は移動していた。
そこは外庭の東側、石畳で仕切られた植栽の間で、翼を広げた黒い影が、その猛禽の爪先が、今にも小さなカエルに襲いかかろうとしていた。
「リリア!」
叫んだのと、その力が弾けたのは、ほぼ同時だった。
狙われていたカエルは、ポンと何かに弾き飛ばされ、空中に舞い上がり、猛禽の爪は空を切った。
そして、膨らみすぎた風船が割れたように、カエルが消え、リリアの姿が浮かび上がった。驚いた鳥は急旋回して飛び去っていく。
リリアは、ゆっくりと落ちてきて、駆け寄ったサラザールの腕の中に受け止められた。
ほうと息を吐いたサラザールに、閉じられていたリリアの瞼がそっと開く。
言葉もなく見つめあった瞳。リリアは、ぎゅっとサラザールの首に腕を回した。
「無茶をして……、何かあったらどうするんです?」
「きっと助けてくれるって思ってた」
サラザールが心から案じてくれたと思えば、リリアはこれまでにないくらい幸せだった。
「でも……、とうとう、元に戻っちゃったのね」
大嫌いなカエルではあったが、サラザールの肩に止まる日々に慣れ、ずっと彼のそばにいられるならと思っていた。けれど、もとの姿に戻ってしまうと、今までのようにはいかない。ミアに替え玉を頼み続けるわけにもいかない。実家に戻れば、これまでなかった縁談も待ち構えている。一転してリリアの声は沈んでいた。
対してサラザールは、
「戻っていただけなければ、困ります」
と、突き抜けたような明るさで言った。腕の中でうつむいていたリリアは、顔を上げる。
「わたしもカエルにならなければなりませんから」
何を言われたのかわからず、リリアは目を瞬かせた。
「決めました。もう手遅れかもしれませんが……、わたしは、リリア様と同じものになって一生おそばにいます」
きっぱりと言い切ったサラザールの微笑みは、これまでとは違う暖かさと愛しさにあふれていた。
「……サラザール」
「はい」
「ひとつ、間違ってるわ」
「なんでしょう?」
「様じゃなくて、リリア、でしょう?」
「そうでした」
サラザールが笑う。嬉しくて、リリアも笑った。切ないもどかしさにずっと足踏みをしていたけれど、季節が一気に廻って、春が来たようだった。
「まったく。ひとをいいように使ってくれたな」
ブラン城の主の間で、シュバルツは嘆息した。久しぶりに変身し、つい先ほど戻ったばかりで、まだ少し目の前で獲物を取り上げられたような鳥の気分が抜けない。
「そもそも人じゃないだろう?」
細かいところもおろそかにせず、突っ込むアリシアだった。
「あまり周りで動くのもどうかと思ったが、放っておくと立場だけに埋没できる性分のようだからな」
シュバルツもそれには頷いて、
「まあ、リリア嬢には、昔の借りもあるしな」
と付け加えた。シュバルツの花嫁選びの折に、リリアが率先して女性への接し方を教授したことを言っているらしい。
「王の許可は取れたのか?」
そういうシュバルツに、
「誰に聞いている?」
自信たっぷりに答えたアリシアだった。
ゼクストン新王即位ーー。
国中が、若き王の即位に沸き返る中、アンドルトン公爵邸もまた華やいでいた。一人娘のリリアが婚約式を控えているのだった。相手は、ブラン公爵の息子である。
「こんな大きな息子を持つ羽目になるとはな」
と呟く主に、
「シュバルツ様を父上とお呼びするとは思いもしませんでした」
とサラザールは言い返した。
控えの間で式服に着替えたサラザールの支度はすっかり整っていて、あとはリリアの完成を待つばかりである。
アリシアが退位する父と新王となる兄に交渉し、サラザールをブラン公爵家の養子とし、アンドルトン公爵家の婿とすることを認めさせていたのだった。リリアの縁談は、新王の肝煎りだったのである。
「人に、なるのか?」
シュバルツは聞いた。
「そうですね、2年後の挙式の頃には」
とサラザールは答えた。
「……親不孝をしてしまいますが」
2年ほどリリアの成長を待って、それからは。ひととしてリリアと共に年を重ねたい。サラザールの想いは堅かった。
「僕と違って、子とはそういうものだろう」
シュバルツは、そう言って軽くサラザールの肩をたたいた。
リリアの支度ができたとの知らせを受け、婚約式が執り行われる公爵邸の祭壇の間にサラザールたちは移動した。
ほどなく母の公爵夫人やアリシアに付き添われてリリアがやってきた。リリアは、白を基調にした繊細なレースに淡い若草色の透けるドレスに身を包み、明るい茶のツインテールに真珠をちりばめ、春の妖精のようだった。
そっとリリアの手を取り、サラザールは誓う。
「……ずっと、おそばに。黒き羽根のすべてを貴女に捧げます」
リリアの頬に、幸せの涙が輝いていた。
…Fin.




