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3 貴族は請う

 貴族が、来た。



 この町の貴族といえば、辺りを治める領主である。

 彼はその高貴な身分としては規格外。気の良い中年の領主は、街中でばったり顔を合わせることができるくらいに気さくな性分だった。

 夕方になれば、大きな館から抜け出して町の酒場で一杯引っかけ、常連客たちと陽気に歌い踊っている姿を見ることができる。

 さらに夜半には、有能と評判の高い怜悧な補佐の青年がやってきて領主の酒代を清算したり、時には小柄ながらもグラマラスな美貌の奥方様が怒り心頭に領主の襟首をつかんで引っ立てて行く姿すら見ることができる。

 このような親しみあふれるのが貴族のあり方……とはさすがに町の住民も思ってないが、繊細で優雅で豪奢な貴族などお伽噺にしか存在していないのは事実である。

 そんな領主が治める田舎町の、しかも小さな道具屋に、貴族がやってきたのだ。

 驚くなという方が無理な話だろう。



 日差しを知らない白い肌に包まれた小さな細面の輪郭の中に、寸分の狂いもなく神が施したに違いない大きな瞳と、形の良い鼻、淡い色をした唇が配置されている。紫のまなざしは、ひと撫でで心が蕩けそうな魅力に溢れ、ただゆるく束ねただけの髪さえ、金色の高貴な輝きを帯びた特別なものに映る。

 男とも女ともとれる、ただただ美しい姿。傾国とは、このようなものに違いなかった。

 エリカは生まれて初めて、言葉の出ないほどの美貌に圧倒された。

 繊細な刺繍の入った上着、精緻な文様に輝石をはめた銀の細剣、靴に使われている黒革の光沢は、どれほどの腕を持つ職人が心血注いだ成果だろうか。その小さな飾りひとつで、エリカの小さな道具屋を丸ごと買い上げられてしまいそうな程だ。

 ふらりと訪ねてきた客は、道具屋の薄灯りの中ですら場違いな程の輝きを放っていた。

(貴族だわ、絶対貴族。しかも超上流の、中央の人)

 酒場で飲んだくれるおっさんスレスレの領主とは、全く違う。

 エリカはおののき、固唾をのんで美貌の人の動きを見守った。


「やぁ、お嬢さんが店番かな?」

 その声はまるで、天上の楽器のよう。

 エリカはようやく、相手の性別に気付いた。少し低めの甘い声は、男性のものだ。

「なんてもったいない……」

 ついポロリと本音が漏れて、相手が首をかしげる様子にはたりと気づく。

「あ、いえいえ。なんでもないです。あの、ええといらっしゃいませ」

 今さらだが、苦し紛れの言葉をつなぐ。

 何とか笑顔らしきものが作れたのは商売人としてのプロ根性だった。

「店番というか、私が店主ですが。何をお求めですか?」

 美貌の客は、他の多くの傭兵や客と同じように、エリカの若さに驚いた顔をした。

(変わんないじゃない)

 エリカは内心胸をなでおろす。

(税金は払っているし、禁制品に当たる商品は扱って――いるけれど、見える場所には置いていないし)

 第一、売れていないから噂の立ちようもない。

 次のセリフはすでに平常心だった。

 いつものように、いつもの接客を。さぁ、何を買ってもらおうか。

「うちの道具屋では、傷薬から合鍵まで。必要なもの、何でも取り揃えてますよ」

「……鍵、というと。魔法使いの塔の?」

「ええ、塔の魔法使いの鍵です」

「塔の魔法使い」

 繰り返すように呟いて、彼は小さくうなずいた。




 結論から言うと、その客は上客カモだった。



 エリカは魔法使いの塔の「鍵」を出し、その隣に薬草を並べる。

「これは、塔の入口近くに生息するトカゲの毒消し。あると便利だそうです」

「貰おう。塔の入口に行くまでも危険があるのか」

「こないだ傭兵が言ってたのは、橋が壊れかかっていてロープが必要だとか」

「なるほど、そこのロープも追加してくれ」

「それから、こっちは疲れを取る効果がある薬草のお酒」

 茶色い小瓶をふたつ置くと、エリカは小さく笑った。

「あんまり飲むと酔っぱらっちゃうらしいですから、気をつけてくださいね」

「それも貰おう。私は酒にあまり強くないが、連れにとっては良いだろうしね」

「お酒が得意じゃない人には、こっちの薬水もお勧めですけど…ちょっと苦いですよ?」

「……ふむ、甘いのはないのかい?」

「ええと、そしたらこの薬なら――」

 やり取りがひと段落する頃には、カウンターの上にちょっとした小山ができあがっていた。


 美貌の客は、顎に手を当てて瞬いた。

「他にもお勧めはあるかな?」

「ええと、あるにはありますけど……持ち切れますか?」

 商売敵が台頭してきたこのご時世、売れるときに売ってしまいたいのが本音だが。

 ちらりと見るのは、客が身につけた道具入れ。黒い光沢のある布地に緻密な刺繍が描かれた美品だが、実用性はさほど見受けられない。かといって罠や魔獣が現れる塔の中、両手を塞いでは命取り。

 エリカは相手の許容を超える品を売るつもりはなかった。過ぎた品は足枷にしかならない。今までの客商売で十分に実感をしていることだ。

 本物の商人は、相手の懐具合を見極めるものである。財布の中も、技量も、度量でさえも。父の教えはいつも正しい。

 並べた品は、嘘偽りなく魔術師の塔を攻略するために便利な道具だが、3人で分散して持ってようやく動けるほどの量になっていた。

「今日は置いてきてしまったけれど、連れとふたりで手分けをして……も、多いかな」

「若様を入れてふたり? そうしたら、多いですね」

「おや。若様なんて呼ばれるとくすぐったいね?」 

 ありがとう、と彼が紫の瞳に甘い微笑みを乗せる。

 エリカは赤みが差した頬を隠すように俯いた。

「できれば3人で。さらに言えば、ひとりは荷物持ち担当だと探索もやりやすいと思います」

「どうしようか」

 何ともおっとりした回答。

 目線を合わせると、紫の瞳にくらりとやられてしまいそうなので、エリカはそっと視線を外した。

「そうだ」

 ぽん、と軽く手を打つ音。

 客は良案がひらめいたと、満面の笑みを浮かべる。

「お嬢さん、私と一緒に来てくれないか?」

 エリカはぽかんと彼を見上げた。

「君は塔のことを良く知っているし、道具にも詳しい。重たいものは我々が持つから、どちらかと言えば助言者として来てくれるとありがたい」

 客はエリカの沈黙を見て、安心させるように優しい声で付け加える。

「貴女の身は、私が必ず守るから」

 真摯に向けられる紫の瞳。


「数多の叡智を知る娘。どうか我々を助けてほしい」


 真っ直ぐなその眼差しに言葉を失っていると、するりと右手を奪われた。

 彼が首を傾けて、その手のひらに額をつける。

 誠意を込めて請う仕草に、エリカは内心悲鳴を上げた。

 お伽噺でしか聞いたことのない、求愛の作法。この場面にはそぐわないはずなのに、洗練された動作は寸分の狂いもない。小さな窓から差し込む光でさえ、彼のための演出のようだった。

「貴女とこの道具屋。ずっとなんて無理は言わない。数日間、私が買い上げよう」

(お、大口の客すぎる……!)



 こんな時はどうしたらいいのか。父の教えには見当たらなかった。

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