1 道具屋の危機
陽の傾きに、店を閉める頃合いを気にし始める頃、音を立ててドアが開かれた。
エリカは薬草を束ねる手を止め、顔をあげる。
夢見がちな年頃の少女にふさわしい大きな瞳が一度瞬き、その僅かな間で客の具合――冷やかしなのか、上客なのか――を見定めた。
入ってきたのは、腰に剣や斧を帯びた賞金稼ぎの2人組。
旅慣れた風であるが、疲れは見当たらない。
町の宿で休息を取りつつ、出発の用意をしているところなのだろう。
――客だ。
「いらっしゃいませー」
明るい声で彼らを迎える。
久しぶりの上客の予感に、本物の笑みが浮かんだ。
国を隔てる山脈を背にしたこの辺りで、最も豊かな町、ケアネ。
豊かといえど王都や学園都市などの名だたる都会にはほど遠く、人口規模は町の住民が互いに顔見知りになれる程度だ。
山のふもとに点在する村や集落の特産品を都市に向けて発信する交通の要、中継地点として、周囲の村よりは整備された町である。
ケアネの名物は、ジュアの蜜を使った焼き菓子と、もうひとつ。
森の奥にそびえ立つ、凶悪な魔法使いの住む塔。幾多の魔法生物が行く手を阻み、罠を越えた先には、計り知れない価値を持った魔法道具があるという。
傭兵の間では、まことしやかにこんな噂が流れている。
たどり着くための鍵は、小さな道具屋にある……と。
「おー、古ぼけた店だなぁ」
店に入るなり傭兵のひとりが、軽い声で感想を投げてきた。後から入ってきた連れの男は、大きな体を窮屈そうに縮めて戸をくぐる。
「……狭い」
ぼそりと低く落とされた声は、しっかりとエリカの元まで届いていた。
「あ、お前あんま動くなよー、そのデカイ手でなぎ倒したら、あーいうの粉々になっちまう」
「……」
「ほら、安い作りしてんじゃん。なぁ、お嬢ちゃん」
同意を求められ、エリカの笑みはじんわりと営業用に変わった。
確かに、彼女の小さな店は古びている。
使い込まれたテーブルにはいくつもの傷がつき、濁りの強いガラス窓から入る光は昼間でさえも薄ぼんやりする程だ。小さな瓶が並ぶ棚は小柄なエリカが届かない位置にうっすらほこりが積っている。
けれど。
机の傷を隠す手作りのクロスは清潔だし、小さな窓は薬草の保管のため採光量だからやむを得ない。手の届く所は毎朝掃除して、届かない所だって時折やってくる店番手伝いに拭かせているのに。
そういえば最近は、高所掃除担当の姿を見ていない。知らぬ間にクモの巣を張られているのかもしれなかった。
けれど、その位の暴言で彼女の心は挫けなかった。
(粗野で粗暴で見る目のない頭の悪い傭兵だって、客は客。あとはこっちの腕次第)
代々伝わる家訓である。
(……父さん、あなたの教えは無駄にしないわ)
傭兵相手であれば、とっておきの品が売れる可能性がある。そうすれば元を取って余りあるだろう。だから大丈夫。
「すみません、店内が狭くて」
ひとつの呼吸で内心を覆い隠して、エリカは首をかしげた。
黒いビロードの箱がいつもの通り棚の隅に鎮座しているのをチラリと横目で確認する。
「それで、今日は何をお求めですか?」
続く言葉はこの店を始めた祖父の代から引き継いでるもの。
「うちの道具屋では、傷薬から合鍵まで。必要なもの、何でも取り揃えてますよ」
合鍵、というフレーズに、傭兵たちの目の色が変わった。
「鍵……あるのか」
「噂は本当だったんだなー。こんな小さな道具屋で、まさかだけど」
――かかった!
「昔から伝わるものなので謂われはよくわからないのですが…」
よし、と内心で拳を握り、エリカは小さな箱を示す。
僅かな陽光にこそ、重たい光を放つビロードの小箱。
古めかしい細工は、よく見れば魔法使いを示す印が彫られている。知恵を授ける世界樹の枝に絡む双頭の蛇。その意味を知る者は少ないが――
2人組の傭兵は、おおと唸った。
「それが、魔法使いの…」
低く呟くのは、斧を持ったやたら背の高い方の傭兵。
茜色の光が差し込む室内に落ちる重たい声の演出に、エリカは上機嫌になる。もちろん商売人はそんなこと露とも面には出さないけれど。
漆黒の箱には、碧く輝く鍵がひとつ収まっている。
ゆらゆらと光る輝石は、魔力が込められた証。薄暗い店内だからこそ映える小さな発光に、その効果は疑うべくもない。
壁一面の棚に納められた小瓶、束ねて下げられた薬草、どこにでもあるようなペーパーウェイトまで、どこか神秘的な影を帯びた。
これが、小さな道具屋に受け継がれている魔法の鍵。
森の奥にそびえ立つ、凶悪な魔法使いが住む塔の門を開ける唯一の魔法道具。ここでしか手に入らない古ぼけた鍵が、彼らを計り知れない財宝へ導くのだ。
食い入るように鍵を見つめる傭兵に、囁くような声で続きを告げる。
「あの魔法使いは、いにしえの魔獣を操り、数々の罠を仕掛けて行く手を阻んでいます」
剣を帯びた方の傭兵がエリカの顔を見上げ、緊張した面持ちで頷いた。
「あぁ、姫君に呪いをかけたっていう」
続きを呟く傭兵に、エリカも頷いて見せる。
「森の魔法使いの塔の鍵です」
「沼の魔法使いの城の鍵かっ」
ぴたりと重なるはずの声の、不協和音。
エリカはぽろりと呟いた。
「――だれ?」
ぺかぺかと光る碧すら、何だか滑稽に思える沈黙の後。
「誰って、そりゃ魔法使いだろ。いま、流行りの」
剣の傭兵が、高い位置から見下ろして言った。
(流行りってなに)
「……隣国の、姫君に呪いをかけた魔法使い」
ぼそ、と斧の傭兵が言う。
「あの、森の魔法使いだって、その昔に姫君や王様へ呪いのひとつやふたつ」
「そんな抹香臭い昔話なんかしてねぇぜ。ついこないだ、先月」
「ず、ずいぶん最近ですね」
剣の傭兵がずずいと顔を寄せ、秘密を打ち明けるようにして告げる。
「隣の国の女王様が、そりゃもーべらぼーな賞金かけてんだぜ」
立てた指の数は3。
「金貨、3枚?」
傭兵とは誰かに雇われ戦い暮らす他、自分から仕事を探して流離うこともある仕事である。
エリカは傭兵たちを客とするため、それなりに相場を理解していた。金貨3枚もあれば、男どもは命をかけるだろう。
「あほか、嬢ちゃん。どこのお使い報酬だ」
剣の傭兵はあっさりと否定する。
そうは言っても、金貨1枚あれば都で半年は遊んで暮らせる額である。
ちなみに森の魔法使いの塔から得られる魔法道具の売却益は、おおよそ金貨2枚と言われている。
(それが金貨3枚以上だなんて!)
さすがに現役王家が関わると桁が違う。その分の困難や危険も大きいのだろうけれど。
「じゃあ、30?」
「ちっち」
気障ったらしく指を振って見せる傭兵に、エリカは息をのんだ。
(流行りの魔法使い、お姫様の呪い、高額賞金)
並ぶ単語にくらくらしながら、
「さ、さんびゃく?」
「ばーーーか、ケチくさいこと言うんじゃねえ。王家だぜ、お姫様の呪いだぜっ」
ヒートアップする軽い傭兵の隣で、低い声が答えを告げた。
「3千だ」
エリカの絶叫は、隣3件向こうにある店の奥まで響いたという。
「うちの商売あがったりじゃないのー!」
当てが外れた、とぶちぶち言いながら帰っていく客の傭兵――いや、何も買わなかったから客じゃないただの傭兵たちを茫然と見送って。
エリカはぱたりと小箱を閉じた。
碧く明滅していた弱い光がなくなると、店は薄暗く古ぼけた、それだけの様相で……。
「た、大変だわ、これは」
イチオシ商品が世間の流行から外れてきている、ということは。
鍵に伴うように売り上げが伸びる傷薬も、塔のカエル魔獣の毒に効く特殊な薬も、4階の階段を護る目玉の魔獣を倒すための手鏡アイテムすら売れなくなる。
「営業方法を切り替えるべきなの?」
大問題だった。
「隣の金物屋の旦那に好評の腰痛の薬、あれを量産するとか……」
思いつくアイディアに、すぐ否定的な要素がぶらさがる。
「ああ待ってだめ。あれは確か旦那さんの何たらかんたらっていう症状に合わせて作ったって、あの怠け者が」
薄利多売な方向では、大店である商売敵にはかなわない。
けれど何とかしなくては、生活が立ち行かなくなるのは目に見えていた。
「ああ、だからあんなに働けって言ったのに。あの怠け者!」
このままでは。3件隣の商売敵が今以上に我が物顔で「ケアネの道具屋」の看板を掲げ、祖父の代から守り継いできたエリカの小さな道具屋は……
想像の中で、がしゃんと音を立てて潰れる愛しい我が家。
ぺしゃんこになった後は、素早く大工が働いて、あっという間に店が建つ。
見たことのある葵の葉の看板に、「ケアネの道具屋2号店」の文字。
商売敵の高笑いまで聞えてきそうだった。
けれどエリカの店にとって、鍵とそれに付随する商品が売上の8割を占めているのは事実。
塔の魔法使いの人気は、彼女の生活に直結する大問題なのである。
「確実に、奴のせいだ。契約不履行だ!」
エリカはふつふつと湧きあがる怒りに立ち上がり、入口の看板を「準備中」にひっくり返す。
つむじ風のようなスピードで店に戻ると、客の入口とは反対側にある物置のドアに手をかけた。
その時――
何の変哲もないドアノブが、碧く小さく瞬いた。




