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3.7話

コンビニ店員の同級生視点



 高校の入学式で一際目立つ生徒がいた。スラックスを履いてワイシャツから男だと分かるしなやかな筋肉と、喉仏を晒しながら、綺麗に背筋を伸ばして座る人がいた。

 女性のようなしなやかさと上品さを醸し出しながらかっこよく振る舞うその人に周りは距離を置いた。


 その人を次に見たのは雨も降っていないのにビチョ濡れで、アザだらけで、それでもなお綺麗に立つ姿を窓越しに見た。



「あきら?」



 呼ばれていたのは分かっていた。それでも目が離せなくて、焦るように言葉を口に出す。



「あの人は誰?」

「関わる気か?辞めとけよ」

「誰?」



 無駄な説教は受けたくない。そう言うように言葉を重ねれば、嫌そうなため息が聞こえる。だが、(あきら)はそれを見ていない。聞かない。



「……B組の春野宙。ホモだってよ」

「へー。ありがとね」

「おいっ!辞めとけって!」

「ごめんね」



 駆け出した空に静止の声が掛かる。心配してくれているのは分かっている。だが、空にそれは必要ない。

 最早BGMと化した友人の声に形ばかりの謝罪を残して、駆けていく。



「俺、夏井空。綺麗だね」



 声の掛け方がキモくなってしまったのはご愛嬌だ。なんで話しかければいいのか分からなかった。

 空に薄く微笑んだ宙は服の上から身体を拭きながら、軽く首を振る。



「私は春野宙。ありがとう。でもあんまり私に近づかない方がいいわ」

「…でも俺、宙と仲良くなりたい」



 驚いたように顔を上げた宙がやっとこっちを見る。その目に、空が映る。だがそれも一瞬で、再びどこか遠くを見つめながら宙は作り物の笑顔を作る。



「ありがとう」



 宙はとても強い人だった。それこそヒーローみたいに。自分の弱さは見せずに、正しさと強さだけを表に出す人だった。


 髪を切られた時も空の方が怒っていた。



「宙!髪は女の命なのに!」

「良いのよ。坊主になったって私はかっこいいもの」



 虫と汚水を食べさせられた時も空の方が苦しんでいた。



「宙。何で言ってくれないの?」

「良いのよ。狭いコミュニティの中で何を言われようと、どうでもいいわ」



 暴力を受けた時も空の方が泣きそうだった。



「……そら」

「なんで空が泣きそうなの?私は大丈夫よ。本当に今が幸せなの」



 汚れた身体でマットに倒れていた時も空の方が縋っていた。



「宙…お願いだから守らせてよ」

「気持ちだけで十分よ。本当にいい男ね」



 そう言ってタオルで体を拭きながら空のこめかみにキスをする。こうやって正しく突き放されるから、空はそれ以上を言えなくなってしまう。


 ある日、遠くの方を見ながら宙は心底どうでも良さげに口を動かした。



「私ね、本当にどうでもいいの。子供じみた感情も、人らしい拒絶も。あとは、私自身の事も。興味がないの」



 いつもは言わない宙の本音。つい、息を詰めてしまう。



「感情が揺さぶられるのはもっと酷いことだけ」



 そこまで言って、無意識に口をついて出てしまったとばかりに宙は少し驚いた表情をして茶化すように笑う。



「例えば、ここまで信頼している貴方が裏切るとかね」

「そんな事しないよ」

「冗談よ」



 強くて、綺麗で、カッコいい人。スーパーマンだと思ってた。

 宙のお母さんが体調が優れなくなって、寝込むようになって、放課後に宙の弟妹2人を公園に連れて行った時だった。

 高校生最後の年で2人が1歳と4歳の時だった。



「あきちゃ」

「あきちゃん」



 空は宙も2人も好きだった。家族のように想っていた。


 3人を置いて自動販売機に飲み物を買いに行って、戻ったらアイツらがいた。

 友達なんかじゃない。嫉妬なんて感情で人を害することができる人を空は人とは思えない。友達が心配だと嘆きながら、友達の大切な人を追い詰めるヤツに、心なんか預けられるわけがない。


 咄嗟に動いた体は、宙から今まで感じたことの無い圧に、幼子達を抱きしめる。そのまま手で耳を塞いで、ぎゅっと苦しく無いように、見えないように抱きしめる。

 初めて見た宙の感情の昂りに、その表情に空は2人を抱きしめたまま動けなくなる。



「空、何か歌っててあげて」

「……あるこ、歩こう私は元気」



 空が歌い始めると、宙はいつになく冷淡な顔をして、口を開く。

 普段も表情はないが、ここまで薄寒さを覚えるものではない。



「あのさ、超えちゃいけないラインがあると思わない?」



 豹変した宙に、怯えているのか何なのか。馬鹿は軽口を叩いている。



「なあ?ガキ巻き込むのは違うだろっってんだよ。あ?」



 ガンっと自販機を叩く音が響き、空気がピリつく。

 ようやく、これはマズイと勘づいた鈍臭い馬鹿が逃げ出そうとジリっと下がる。



「逃げんなよ」



 はあ、とため息をつくと、宙は髪をかきあげる。その妙な色気に、恐れと違う意味で動悸がする。



「お前らさ、私が何をしたら満足なの?」



 心底面倒臭いというその声に、少し緩んだ空気に、馬鹿どもの引き攣った声が出る。

 だがその音は言葉にならずに消えていく。



「目につくものを踏みつけて、下にしておかないとオナニーすらできねぇクソガキどもが」



 嘲笑うように馬鹿どもを見下す宙は、場違いにもカッコよく見える。



「ガキの頃に喧嘩なんかしたことねぇ温室育ちの甘ちゃんだからラインが分かんねぇんだな?」



 ふぅ、吐息を吐くと、宙は張り付けた笑みを作る。そして、名案を思いついたとでもいうように手を合わせて明るい声を出す。



「それならそれでなら良いわよ?一旦あなたたちのラインを踏み越えてみましょうか」



 全員の首根っこを引っ張ると、宙は5人の男女を連れて公衆便所に向かった。

 その隙に空は2人を家に帰し、寝かしつけ、公園に戻る。

 公園に戻ると、5人の男女が地面に座り込み、それを困った表情で見つめながら世話を焼く宙がいる。



「はい。湿布あるわよ」



 あちらこちらが腫れ上がり、アザだらけの馬鹿どもに宙は優しく手当てをしている。

 空が宙の手当てをするために持っていた救急箱から取り出したのだろう。

 馬鹿どものために買ったわけではないが、宙が使うなら何の問題もない。



「なんで泣いてるの?何が不満なの?手当てもしたし、服も貸したし、スマホも壊したし、SIMカードも折ったわよ?」



 空は、そこまで至れり尽くせりだったのか。と驚く。

 コイツらにそこまでする価値は微塵もないが、こっち側の証拠隠滅でもある。

 2度と2人の前に現れないようにするためなら仕方がないと、空も手当てを手伝う。



「全部元通りじゃない?」



 心底意味がわからないとでも言いたげに首を傾げる宙に、恐怖を浮かべた瞳が向けられる。



「もし、あなた達の目に悪魔が見えたなら今度から私の瞳を覗きなさい。そっくりそのまま映ってるわ」



 もっと醜悪なものが。

 そう言って笑った宙が綺麗で、空は静かに目を細める。

ヒーローだと思った。カッコよくて、我慢強くて、完璧で。



「俺は…あんたがキラキラしてて、あきらを取られてムカついて」

「ああ、そういうの良いわ。ラインさえ超えないなら、今まで通りでもいいわよ」

「宙」

「だってどうでもいいもの」



 せっかくイジメから抜け出せる機会に馬鹿なことを言う宙を咎めた空に、柔らかく笑みが帰ってくる。

 こうなってしまえば宙は頑固だ。踏み入るなという笑みに、空は押し黙る。



「あんたのそういうところが、嫌いだ」

「あらそう?私はどうでもいいわ。でも、やっと喧嘩できたわね」



 側をうろちょろして鬱陶しかった蝿をやっと潰せたとでもいうような軽やかさで、宙は言う。



「私としては喧嘩がしたかったなら普通に友達になってくれれば良かったのだけれど。まあ、今更ね。ここから起こる友情なんて冗談じゃないわ」



 顔を上げた元友人の前にしゃがみ込んで、にっこりと笑う。



「覆水盆に返らずって言うでしょ?起こしてしまった過去を消すことは出来ないのよ」

 


 正しい言葉で正しく抉る。

 怒っていても、最悪まではいかないように抑える。



「まあけど私、過ちの一つや二つを許せないほど狭量じゃ無いの。だけど、家族を巻き込むのは別。次ラインを踏み越えてみなさい。2度と日の光を浴びたいと思えなくしてあげる」



 踏みつけられた人達の、ヒーローだと思った。



 それから2ヶ月後、宙のお母さんが亡くなった。

 宙にも大地にも親父さんにも言わないけど、おばあさんが教えてくれた。産後うつと宙へのいじめの発覚と親父さんに秋波を送るおばちゃんの嘘話が重なって、心を病んでいた。親父さんの嘘話も最初は否定していても、ネガティブな時期と重なってしまい、裏切られたと思い込んでしまったそうだ。


 その事で、宙は塞ぎ込んだ。親父さんも不安定になった。2人とも自分だけのせいだと思っているから。


 学校でのいじめは激減して、身体的なものは少なくなった。

 それなのに前よりも辛そうな顔をして放課後の公園でただ涙を流し続ける宙を抱きしめた。

 初めて、弱い宙を見て、ヒーローなんかじゃない宙を護らなきゃいけないと強く思った。


 その頃になると、心無い言葉に絶望を浮かべながら涙を流す宙に、周囲は距離をとった。

 反応がないからサンドバッグに出来ただけで、泣かれると罪悪感があるのか、いじめも徐々に落ち着いてきた。

 どの面を下げたのか、宙に殴られた馬鹿が話しかけてきた事がある。



「悲しいのか?俺……ごめん」

「どうでもいい」



 前と違う心底興味のないカラッとした言葉ではなく、湿度の高い、諦めと哀愁を含んだ言葉だった。


 親父さんが後を追った。大学受験を控えた最中だった。

 お婆さんに扶養してもらった宙達を支えたくて、空は残り半月というところで無理やり進路を変えた。

 恋とかじゃない。けど、側にいられるのなら形なんてどうでも良かった。


 親には反対されたし、泣かれたけど親に勘当される未来は想像できても、宙の側にいない事だけは考えられなかった。


 大学に入っても宙は薄く笑うだけだった。

 涙腺が馬鹿になったようにどこでも泣くし、目を離せば消えてしまうんじゃないかと思うほど痩せこけた。病気がちになったし、体力も落ちた。

 いつ、死んでしまってもおかしくなかった。


 だから空は完全に壊れてしまって、宙までいなくならないようにキスをした。

 お願いだから側にいて欲しい。届いて欲しい。そんなお願いだった。



「抱いて」



 宙から久しぶりに聞いた要望に応えた。

 痛くして、酷くして、繋ぎ止めた。それは、お互いに伝えるための行為だった。

 大事だよとか、辛いよとか、側にいるよとか、苦しいよとか。そういうものを。

 宙越しに見えた真っ赤な太陽に宙の痛みを見た。


 空の目が覚めた時に、カラッとした笑顔で起きていた宙はどこかスッキリしたように見えた。

 そこから宙はだいぶ回復した。

 宙に笑顔が増えて、下2人もそれに比例するように元気になっていった。


 20歳をすぎてすぐに、おばあさんが亡くなった。老衰だった。

 その前日、おばあさんにどうしても止まって欲しいと言われて宙の家に泊まった。おばあさんは分かっていたのかもしれない。宙を1人にさせたくなかったのだろう。


 宙は下2人を自分の扶養に入れた。

 親父さんが亡くなった時にお婆さんが引き取ると宣言するまでの親戚一同のあの争いようを見ていれば、2人を親戚の元に行かせるのは嫌に決まっている。


 2人は元気の有り余る歳になって、空も協力していたが、大変だった。

 ママとパパとばあばを捜して泣くは喚くは。

 ビックリしたのは、必修の単位を取るためにいつもいる時間に来てなくて、迎えに行った日。

 自分の事では滅多に負の感情が湧き上がってこない宙が、上を向きながら苛立ちを浮かべていた。

 しばらくしてからは苛立ちを通り越して無となっていたが、自分の事であそこまでマイナス方面に感情的になるのは抱いたあの時以降初めてだった。


 大変そうで宙には悪いが、嬉しかったのも事実だ。ようやく弱みを見せてくれて、頼ってくれて、カッコいい宙じゃない部分を見せてくれて安堵した。

 子育てをするシングルマザーの真似事の生活を続けるには、あの若さも長さも周囲の助けのなさも無理がある。

 いつか、全部を投げ出して急に消えてもおかしくないからこそ、そうならないように見せてくれる弱さに安心できる。


 宙が大変そうな時にはほとんど同居しているようなもので。大地が小学校に入る来年辺りからは一緒に住もうという話も出ていた。

 そうやって生活が安定してきていたのに。


 ある日の昼下がり、下2人だけが空のバイト先のコンビニに来た。



「宙は?」

「そらちゃん、あきとにいちゃんとしっぽりやってると」

「こらこら。そんな言葉どこで習うんだ」

「ご本!」

「そんな教育に悪い本はまだ読まないの」



 そんな言葉を交わして、2人を叱って、紙袋を買ってやった。

 まだようやく日が落ちてきた程度の明るい時間だった。



「大丈夫か?紙袋に入れておくぞ」

「ありがと!」

「大地。姉ちゃん守るんだぞ。ちゃんと家まで帰れよ」

「ん」

「気をつけるんだぞ」



 手を振って2人を見送った。


 ワンオペだろうが何だろうが、バイトなんか早退すればよかった。悔やんでも悔やみきれないくらいだ。

 バイトが終わってすぐ、宙に連絡したが、連絡がつくことはなかった。

 合鍵で家に入っても、海も大地も家に帰っておらず、警察に捜索届けをだして探し回った。



「そら!だいち!うみ!」



 いろんな場所を駆けずり回って、最悪を想定して草むらの中や廃墟も探して。

 こんな事なら宙の親戚が何を言おうと、GPSを共有してもらっておけば良かったと思いながらその親戚に電話をかける。何かあった時のために電話番号は共有されていた。



「いなくなった?アレの育て方が悪いからだろ」

「今はそんな時間はないんです。早く」



 空気も読めずに嘲る馬鹿を怒鳴り、教えてもらった場所に向かった。



「うみ!そら!だいち!どこだ!」



 半ば怒鳴るように声を張り上げるが物音ひとつ聞こえない。

 それでも反応はここからあったはずだと探していると、海と大地の靴が転がっていた。GPSはここに仕込んでいると言っていた。

 落胆と覚悟。こうなっているという事は最悪があるという事だ。だが、少なくとも体さえ見つかれば寂しい思いはさせないで済む。


 警察に報告してから空は再び3人を探し始めた。

 日が暮れて、登って、ジリジリと日差しが照らす中、空は歩き回った。

 空は周りが心配するほどに急激に弱った。大学で事情を説明すると、教授や大学で出来た友達が一緒に探してくれる事になった。


 捜索も5日目に入り、心配してくれた友達達と5人で探している時に「空」と呼ぶ宙の声が聞こえた気がした。

 疲労の末の幻聴かもしれない。ただの風の音かもしれない。



「空?」

「こっちから宙の声が聞こえたんだ」



 大学の友達の憐れむような視線を無視して、それでもはっきりと聞こえたそれを追いかけて、空は小さな小屋についた。

 そこからする腐臭に嫌な予感が立ち込める。



「何これ?」



 空が半ば確信を持って小屋を覗き込むと、海と大地がいる。

 足から崩れ落ちた空を、友達が慌てて支える。

 悲鳴が上がり、「警察?」「110だっけ?119だっけ?」とワタワタとする。



「どこにいるんだよ。宙」



 そこからの空はいっそ痛々しいほどだった。犯人が捕まったと聞いても上の空。

 唯一2人の遺骨だけは強い意志で親戚から譲り受けて、ペンダントにしまっている。

 それ以外はずっと心ここに在らずの空に、周囲は腫れ物に触るように扱った。


 空をこの世に縛り付けていたのは唯一の希望。宙が行方不明だという事。

 死体が見つからなければ、死んだとはいえない。

 家族から逃げ出したわけではない。そんな様子は微塵もなかった。

 いつか帰ってくるのだと宙を待ち続けた。

 自分に不幸を課しながら。

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