【54話】ゆるりと二年
朝、窓の外が白くなっていた。
雪だ。
いつの間に降り始めたのか、地面にうっすらと積もっている。
「……本格的に冬になったな」
息が白い。
店の中にいても、指先がかじかむような寒さだった。
開店の準備をしながら、今日はお客さんが来るだろうか、とぼんやり思う。
この雪では、わざわざ森の入口近くまで足を運ぶ人は少ないだろう。
案の定、開店してから昼過ぎまで、誰も来なかった。
風鈴だけが、冷たい風に揺れて、小さな音を立てている。
暇だな、と思いながら、カウンターを拭いたり、本棚の整理をしたりして時間を潰す。
そうしているうちに、ふと思い出した。
開店した頃も、こんな感じだったな、と。
最初のうちは、お客さんがほとんど来なかった。
一日誰も来ない日もあった。
それでも別に、焦っていたわけじゃなかった。
むしろ、誰も来なくてよかった、と思っていた気もする。
「……随分変わったな」
今の私は、お客さんが来ないと少し物足りない気持ちになる。
いつの間に、そうなったんだろう。
もうすぐ、この店を開いて二年になる。
二年。
言葉にしてみると、長いような、あっという間のような、不思議な感覚だった。
それより前のことは、もうあまり思い出せない。
ここに来る前に、別の場所にいたような気がする。
夢だったのかもしれないし、本当のことだったのかもしれない。
もうよくわからなかった。
ただ、ひどく疲れていたことだけは、何となく覚えている。
今は、あの頃の疲れが嘘みたいに、体が軽い。
「まあ、どっちでもいいか」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
昔のことより、今のことの方が、ずっとはっきり見える。
この店のこと。
ルゥのこと。
ミアのこと。
少しずつ増えていったメニューのこと。
何かを頑張って変えようとしたわけじゃない。
大きな出来事があったわけでもない。
ただ毎日、店を開けて、料理を作って、人と話して、それを繰り返してきただけだ。
それでも、気づいたら、最初とはずいぶん違う自分になっていた。
人と関わることを、避けなくなった。
やってみようと思えることが、増えた。
無理をしない、というのは、何もしないことじゃないと、今はわかっている。
やるかやらないかを、自分で決める。
それだけのことが、二年かけてようやく、自分のものになった気がした。
午後になって、ルゥが来た。
雪の中を歩いてきたらしく、肩に白いものが積もっている。
「おはようございます。……今日は静かですね」
「雪だしね。よく来てくれたね」
「ええ、まあ」
ルゥは少し照れたように視線を逸らして、いつもの席に座った。
しばらくして、ミアも裏口から顔を出した。
雪が降っているのに、いつもと同じ顔をしている。
「おはよう、ミア。寒くなかった?」
「平気」
「そっか」
ミアはカウンターの隅に座って、窓の外の雪をじっと見ていた。
「白い」
「うん、白いね」
三人分の紅茶を用意して、カウンターに並べる。
湯気がゆっくりと立ち上って、店の中がほんの少し温かくなった。
雪のせいで静かな店内に、風鈴の音だけが小さく響いている。
結局、今日はルゥとミア以外、誰も来なかった。
でも、悪くない一日だったと思う。
閉店後、私は店の灯りを落とす前に、窓の外をもう一度眺めた。
雪はまだ降り続けていて、地面の白さが、夜の暗さの中でぼんやりと光って見えた。
もうすぐ二年。
これからも、きっと大きなことは何もないだろう。
季節が変わって、新しいことを少し試して、また誰かと少しだけ近くなって。
そういう小さなことが、また積み重なっていくだけだ。
それでいい。
それがいい。
私は静かに、店の灯りを落とした。




