【16話】小さな気持ちを持ち寄って
次の日の朝。
昨日作ったクッキーを籠に並べながら、私は少しだけ満足していた。
形は、まだ不揃い。
焼き色も少しずつ違う。
でも、それがなんだか悪くない。
店を開けてしばらくすると。
——からん。
「こんにちは!」
勢いよく入ってきたのは、ルゥだった。
「お久しぶりです」
「ええ。少しだけ」
私は思わず笑う。
ルゥは少し照れたようにつぶやく。
「……この前、リゼルさんが街に行ったじゃないですか」
「はい」
「あれを見てたら、その……私もちょっと行ってみようかなって」
「街に?」
苦手そうだったのに。
「すごく緊張しました」
ですよね、という感想しか出てこない。
「人、多かったですし……ちょっと疲れましたけど」
でも、とルゥは少しだけ胸を張る。
「これ、見つけました」
差し出されたのは、小さな瓶。
透き通った、やわらかい色。
「蜂蜜です。少し遠くの市場で」
「……蜂蜜」
「甘すぎなくて、お茶にも合うって聞いて」
私は瓶を受け取る。
ほんのり花の香り。
「……いいですね」
そのとき。
——からん。
「久しぶり」
静かな声。
ミアだった。
「森、奥」
それだけ言って、ことり、とカウンターに小さな包みを置く。
「これは?」
開くと、中には見慣れない木の実と、小さな蜜の入った瓶。
「花、多かった」
ミアは短く言う。
「木の実、焼ける。蜜、甘い」
「……」
街の蜂蜜。
森の木の実。
花の蜜。
私は昨日のクッキーを見る。
「……増えましたね」
「?」
ルゥが首をかしげる。
「作ってみたいものが、です」
三人分のお茶を淹れる。
今日は、昨日のクッキーも添えて。
「これは、昨日の試作品です」
「試作品!」
ルゥが嬉しそうに目を輝かせる。
ミアはひとつ食べる。
「うん」
短い。
でも、悪くない顔。
「おいしいです!」
ルゥも続く。
「……よかった」
私は、自分のクッキーを食べながら考える。
ここに蜂蜜を少し。
木の実を砕いて。
花蜜なら、もう少しやさしい甘さ。
「次は……」
「もう次ですか?」
ルゥが少し笑う。
「だって、気になるじゃないですか」
クッキーも上手く作ることが出来ていないのにもう、その先を考えている。
「蜂蜜入りもいいですし、木の実も。花蜜ならホットミルクにも……」
言いながら、止まらない。
「ハーブと合わせてもいいかもしれませんね。少し軽めのお茶なら——」
そこで、ふと気づく。
二人が、じっとこっちを見ていた。
「……なんですか?」
ルゥが、少しだけふわっと笑う。
「なんだか」
ミアも、静かに続ける。
「楽しそう」
「……え?」
「初めて会ったころより、ずっと」
その言葉に、少しだけ言葉が止まる。
初めて会ったころ。
静かな場所を探して。
あまり人との関わりを増やしすぎないようにして。
ただ、落ち着きたかった。
もちろん、それも本当。
でも今。
庭の花。
新しいお茶。
試作品のクッキー。
蜂蜜。
森の木の実。
花蜜。
気づけば、“次は何をしよう”が増えている。
「……そう、ですか?」
ルゥは大きく頷く。
「はい」
ミアも、いつもの短い言葉で。
「いい顔」
「……」
なんだか少し、照れくさい。
でも。
悪くない。
「……なら、次も頑張りましょうか」
「はい!」
「うん」
店の中に、お茶の香りが広がる。
テーブルの上には、少し不揃いなクッキーと、新しいおみやげ。
静かなだけだった場所は。
少しずつ。
やわらかく、広がっていく。
私は蜂蜜の瓶を光に透かして見ながら、小さく笑った。
「……しばらく、休みの日も忙しそうですね」
ルゥとミアが帰ったあと。
私は、いつもより少しだけ静かになった店の中で、扉に鍵をかけた。
——からん。
最後に小さく鳴った鈴の音が、夜の空気に溶けていく。
窓の外は、もう薄暗い。
庭先の席も、昼間とは少し違って見えた。
花は静かで。
風も穏やかで。
昼間のにぎやかさだけが、そこに少し残っている気がする。
「……楽しそう、ですか」
昼間の言葉を思い出す。
『初めて会ったころより、ずっと』
『いい顔』
私は、なんとなくカウンターに手をついて、小さく息を吐いた。
この世界に来たばかりのころ。
私は、とにかく静かな場所がほしかった。
誰にも急かされず。
誰にも振り回されず。
ただ、自分が疲れないためだけの場所。
前世では、それができなかった。
朝から夜まで働いて。
ちゃんとしなきゃいけなくて。
迷惑をかけないようにして。
頑張ることをやめるタイミングも、わからなくなっていた。
つらかった。
……たぶん、思っていたよりずっと。
でも、あのころの私は。
つらいと思うより先に、“まだやれる”って思ってしまっていた。
「……あまり、上手じゃなかったんですよね」
休むのも。
頼るのも。
自分を大事にするのも。
神様みたいなあの人に言われた。
今度は、自分を大事にしなさい、と。
最初は、正直よくわからなかった。
何もしなくていい時間。
失敗してもいい日。
急がなくてもいい毎日。
そんなもの、本当にあっていいんだろうかって。
でも。
ミアがハーブを持ってきてくれて。
ルゥが編み物を教えてくれて。
誰かが庭先で、少し息をついて。
私はクッキーを焼きながら、次は何を作ろうかなんて考えていた。
「……変わりましたね」
ぽつりと呟く。
少しずつ。
本当に少しずつ。
私は、“疲れないように生きる”だけじゃなくて。
“楽しく生きる”ことも、覚え始めている。
前世のつらかったことを、全部忘れたいわけじゃない。
苦しかったことも。
しんどかったことも。
きっと、消えない。
でも。
あの時間があったから、気づけることもある。
少し無理をしていそうな顔。
頑張りすぎていそうな空気。
もし、昔の私みたいな誰かが、この店に来たなら。
「……お茶くらいは、淹れられますしね」
大きなことじゃなくていい。
人生を変えるとか。
救うとか。
そんな立派なことじゃなくていい。
ただ、少し休める場所。
少し息を抜ける時間。
昔の私が、あったらよかったと思うものを。
今の私が、少しだけ渡せたら。
「……それなら、悪くありません」
私は、カウンターの上を見る。
ルゥの蜂蜜。
ミアの木の実と花蜜。
私の少し不揃いなクッキー。
次は、蜂蜜を少し入れてみようか。
木の実を砕くのもいい。
花蜜なら、ホットミルクにも合うかもしれない。
「……明日も、忙しそうですね」
そう言って、私は少し笑った。
前世の“忙しい”とは、きっと違う。
追われる忙しさじゃなくて。
楽しみが増える忙しさ。
店の灯りを落とす。
静かな夜。
明日は、何を作ろう。
どんな人が来るだろう。
どんな顔で、お茶を飲むだろう。
そんなことを考えながら眠れるなら。
きっと、今日も悪くない一日だった。




