陥落する安息の時間
飯島とは別々に教室に入った俺はクラスメイトに挨拶もせずに、自分の席へとそそくさと移動する。
挨拶とは、自分と他人がお互いの存在を認知するために行うファーストステップだ。
だから、別に他人に存在を認知されたくない俺は誰かに挨拶する事はないし、周りも俺という存在に大して興味がないから挨拶してくるヤツもいない。
そもそも、クラスメイトが俺という個体を知っているかどうかさえも疑問だ。
コレはアレだ。同窓会の招待状が来たからなんとなく出席して、終わり際になっていきなり「あれ!? お前、居たの!? てか、同じクラスだったっけ?」とか言われるヤツだ。
「はぁ……自分で考えてて虚しくなってきた」
こういう時は読書に限ると思って、カバンから文庫本を取り出そうとした時、クラスがざわついた。
「相変わらず、人気な事で……」
今しがた教室に入ってきたのは、先ほどまで一緒に居た飯島 恵に他ならない。
たかが一人の人間が入室しただけでここまでざわつくんだ。俺なんかが一緒に入って来た日には、俺はクラスメイト(飯島を除く)全員から校舎裏とかに呼び出されてフルボッコに合いながら事情聴取をされる事だろう。
「おぉ、こわいこわい……」
触らぬ神に祟りなし、じゃないがこういうのは無暗に反応したりしない方がいいに決まっている。
そう判断して自分のカバンを漁る、どこにも文庫本はなかった。
おかしい。俺は、家でこのカバンを開けることはない。
よって、俺があの文庫本をカバンから取り出す事もない。
そう考えて居ると、コツコツと誰かが俺の席に近づいてきている音がした。
クラスメイトのざわつきも先ほどとは打って変わって疑心的な物になりつつある。
もう、嫌な予感しかしない。
背中には冷や汗を通り越した、何かヤバめの汗が流れ始めた。
下を向いていた俺の視界に誰かの上履きが入り込んでくる。
「神谷君」
ざわついている教室にもよく通る凛とした声。
この学校で一番美しい声であり、俺が今一番聞きたくない声でもある。
「飯島様が声を掛けたぞ……!」
「ちょっと、誰よアイツ!」
「てか、あんな奴クラスにいたっけ?」
クラスメイトのそんな声が聞こえてくる。
てか、最後のヤツ! お前、去年も一緒のクラスだったろ!
俺も名前は覚えてないけど、顔だけは覚えてるぞ!
「神谷君? 大丈夫?」
大丈夫じゃないですって言ってもどうしようもないんだろうなぁ……。
あ~、嫌だなぁ。反応したくないなぁ……。
でも、ここで反応しなかったら天下の飯島様を無視したとか言われてSSM《飯島様を見守る会》に目を付けられるんだろうなぁ。
あ、反応しても目を付けられるわ。
詰んだ。コレ、なんてクソゲー?
「お、おはよう飯島さん。俺に何か用かな?」
俺が返事をすると、教室の温度が一気に下がった気がした。
なんか、どっかから呪詛が聞こえて来たぞ!
「いえ、この前借りていた本を返そうと思って」
飯島はカバンから文庫本――先ほどまで俺が探していた本を取り出してこちらに差し出してくる。
コイツ、俺が寝てる間に抜きやがったな!
「とても面白かったわ。特に37ページとか、ね」
そう言って本を手渡してくる飯島。
それを受け取る俺。
周りから刺さる視線。
あぁ、俺の平穏はどこに?
「それじゃあね」
本を俺に渡すのと同時にそそくさと自分の席に行く飯島。
おい、この状況をどうにかしろ。
俺は、いろいろなところから刺さる視線をスルーする事をここに決めて本を開く。
先ほど、飯島は37ページをやけに強調していた。
つまり、37ページを見ろという事だろう。
「ん……?」
俺がそのページを開くと、そこには一枚の紙切れが挟まっていた。
しかも、ご丁寧に文庫本についている紐型のしおりに挟んで落ちないようになっている。
『お昼休みに屋上で待つ。遅れずに来るべし』
短いが内容がはっきりとしている文章。
「はぁ……」
俺は本を閉じて、未だに突き刺さるクラスメイトからの視線から逃げるように窓の外を眺めた。
その際、ガラス窓に写った飯島の顔は器用に俺だけが見える角度で『ニヤリ』としていた。
コイツ、一回しばいてやろうかと思いながら、唯一と言っても過言ではなかった安息の時間である昼休みでさえも脅かされているという現実に対して、もう一度ため息を吐くのだった。




