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(3)


 だが、結月の知る閑子とずいぶん様子が違っていた。

 白い頬はこけて、唇は色を無くしている。いつも綺麗に整えられている髪は艶もなく、ゆるく編まれてシーツの上に垂れていた。胸の上に組まれた手と腕は、枯れ木のように細い。


 ……まるで病人、いや、死人のようだ。


 亡くなった時の母の姿と被り、結月の背が粟立った。

 しかし、胸がかすかに上下していることが、閑子がちゃんと生きていることを示している。


「……生きて、る……?」


 結月ははっとした。

 ここにいる閑子は、呼吸をしていて、間違いなく生きている。死人のようであっても、死んでいるわけではない。これは、閑子の霊ではなく本体、肉体なのだとわかった。

 だったらなぜ、ここに肉体はあるのに、閑子はいつも幽霊の姿でいるのだろう。霊体であることを涼も漣も受け入れている。どうして――


「――結月くん」

「っ!!」


 声を掛けられて、結月は肩をびくりと跳ね上げる。急いで振り返ると、涼がすぐ後ろに立っていた。少し困ったように微笑みながら、こちらを見下ろしている。


「だ、旦那様……」

「ごめんね、客間に座布団は無かったことを思い出して。手間になったらいけないと思って呼びに来たんだ」


 言いながら、涼は切れ長の目を細め、結月の頭越しに部屋の中を見やる。


 死んだように眠る閑子と、部屋を埋め尽くす白い花。


「あの、申し訳ございません、私……」


 勝手に奥の部屋を見たことを咎められるかと思い、結月は青ざめた。

 慌てて謝るが、涼は特に怒った様子はない。すっと襖を閉めて閑子の姿を隠した後、苦笑を浮かべた。


「少し、話をしようか。……閑子のことについて」




 場所を変えようと涼に促されて、結月は書斎へと移動する。

 ぱたんと音を立てて扉が閉まると、妙に緊張してきた。

 涼と二人きりで話すのは久しぶりだ。夫をあの世へ連れて行こうとした妻の霊が、天方家にやってきた時以来だろうか。それ以外は、たいてい閑子が一緒にいた。

 だからだろうか。閑子が共にいる時の涼は柔らかく優しい気配がするのに、今は何となく、静かで冷たい感じがして……少し、怖い。

 結月の脳裏に思い浮かんだのは、紙子の言葉だ。


 ――どうぞ気を付けて下さいね。

 ――天方先生は優しそうに見えて、とても怖いお人ですから。


「……」


 違う、気のせいだ。きっと朗らかな閑子がここにいないから、そう感じるだけだ。

 汗の滲む手でぎゅっと前掛けを握る結月に、涼は落ち着きのある声で問いかけてくる。


「君は、あの部屋にいる閑子を見たかい?」

「……はい」

「ああ、別に咎めているわけではないよ。むしろ、今まで黙っていてすまなかったね。あまり知られたくなかったんだ」

「……あの、奥様は……」


 生きていらっしゃるのですか、とさすがに直接口には出せなかったが、涼には通じたのだろう。


「閑子は生きているよ。事情があって、今は眠らせている。……正確には、身体を封じて、魂を切り離している状態だ」


 あっさりと涼は答える。

 身体を封じて、魂を切り離す。普通なら信じられないことだろうが、涼の言葉が本当だと結月は分かる。実際、閑子は霊体であるのだし、肉体が客間にあることを結月はこの目で見た。


「なぜそのようなことを……」

「そうしないと、閑子が死んでしまうからね」


 死、という言葉に結月は息を呑んだ。


「っ、どういうことですか!?」

 思わず勢い込んで尋ねてしまう結月に、涼は静かに語り始めた。



***



 ――事の起こりは五か月前。

 外出から帰ってきた閑子が、玄関ポーチで倒れていたのが始まりだった。


 発見したのは家にいた涼で、家の周囲にいつも張っている結界が破れ、奇妙な気配を感じたと言う。


「その時、閑子はただの疲れで倒れたと言っていたんだ」


 すぐに意識を取り戻した閑子は、自分がなぜ倒れていたのかさっぱりわからぬ様子だった。

 特に病気を持っているわけでもなく、「疲れていたのかしらね」と苦笑して首を傾げていた。

 確かに、その頃は年末で、暮れから大掃除やおせち作り、来客への対応などに追われていた忙しい時期であったのだ。

 念のため病院にも連れて行ったが、異常は無かった。

 涼自身も、閑子に何か妙なものが――例えば霊が取り憑いたりしていないかと気配を探ったものの、その時は気配を感じられなかった。

 異変が起こったのは、それから数日後のことだ。


 台所で作業をしていた閑子が再び倒れたのだ。今度は意識があったのだが、困惑した表情の閑子は、急に右足が動かなくなったと言った。

 そして、涼は気づいた。

 閑子のほっそりとした白い右足が、赤黒く染まっていることに。

 怪我ではない。病気でもない。

 赤黒い文字のようなものがびっしりと、閑子の足を覆っていたのだ。


それは紛れもなく、“呪詛”であった。



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