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第84階層 誕生

涼「とうとう俺も親か……」


 机を挟み、スーツ姿の女性二人と相対する。

 提出した資料に目を通す彼女達の様子を見ながら、反応を待つ。


「はい。確かに税金の支払いに問題は無いようですね」

「従業員への聴き取りによる、職場環境も問題ありません。これにて今回の抜き打ち査察を終了します」


 住人管理ギルドとダンジョンギルド、両方から職員が派遣されての抜き打ち査察が無事に終了し、ホッと胸を撫で下ろす。

 何もやましい事をしていないとはいえ、やっぱり抜き打ちでこういう事をされると緊張する。

 それにしても、従業員への聴き取りはいつの間に行われたんだろう。

 やっぱり俺がいないうちに、密かにやっていたんだろうか。


「こういう査察で引っかかる所もあるんですか?」

「そうですね。たまにですが、脱税をしていたり職場環境が悪い場所があったりしますね」

「他にも過重労働とか、勤務時間の誤魔化しとかもあります。看破スキルを持っている私達の査定を、誤魔化せる訳がないというのに」


 その時さえよければそれでいい、ていう考えでそういう事をしているんだろうな。


「では、私達はこれで」

「今後も頑張ってくださいね」


 引き上げる職員達を見送り、資料を片付けて司令室へ戻る。

 ラーナから引き継ぎを受けて仕事に入るけど、どうにも落ち着かない。

 どうしてもソワソワして、つい居住部の扉へ視線が向いてしまう。


「そんなに落ち着かないのなら、無理に仕事をしなくてもいいのでは?」


 ラーナからそう言われたものの、はい分かりましたという訳にはいかない。


「いやいや。この後で皆に仕事を押し付けるんだから、できるうちにやっておかないと」

「そうですか? なら止めませんが、気をつけてくださいね」

「分かってるって」


 と言いつつも、念のために見直しをしておこう。

 こうも落ち着かない理由は、出産予定日を二日過ぎた今朝、遂にエリアスに陣痛が起きたからだ。

 その時は思わず焦りそうになったのを、まだ慌てる段階じゃないとテレサさんとリネアさんに宥められ、どうにか落ち着くことができた。


『陣痛はまだ始まったばかりだから、すぐにどうこうってことは無いわ』

『でも今のうちに準備はしておいたほうがいいね。清潔な布はどこだい?』


 冷静に必要な物を準備していく二人を見て、この二人を雇っておいて良かったと実感した。

 出産が間近になったエリアスは部屋で大人しくするよう言いつけられ、室内待機。

 役に立たない俺は、陣痛の間隔がもう少し短くなるまで仕事をすることにした。

 抜き打ち査察が来た時は、なんでこんな時にと叫びそうになったもんだ。

 しかし落ち着かない。

 普段よりチェックを厳しくしているから、仕事での見落としやミスは今のところ無いものの、本当に大丈夫かと不安になる。


「マスター、さん。交代の時間、です」

「分かった。今のところは特に引き継ぐ事は無い。よろしく頼む」


 交代に来たアッテムに早口で引き継ぎをして、そそくさと居住部へ移る。

 部屋を訪ねた時は陣痛で苦しそうな表情だったけど、すぐに治まって穏やかな表情を見せてくれた。

 まだ大丈夫だと分かっていても、どうしても気持ちが逸ってしまう。


「そんなに焦るんじゃないよ。どうせこういう時に男ができるのは、無事な出産を祈って見守ることだけなんだから」


 傍に付いているリネアさんにそう言われ、分かっていてもちょっと傷つく。


「安心してください。あなたが祈ってくれるだけで、元気も勇気も意地も根性も、何倍にもなりますから」

「エリアス……。分かった、できれば立ち会いたいけどそういう訳にはいかないから、無事を祈ってるぞ」

「はい。ありがとうございます」


 笑みを浮かべていても表情は少し辛そうで、薄っすらと汗が滲んでいる。

 傍に手ぬぐいと水が入った桶があったから、手ぬぐいを洗って優しく拭ってやった。


「あらあら、羨ましいね。私は旦那にそんな事、一度もされたこと無かったわよ」


 羨ましそうに言うのは構わないけど、ニヤニヤ顔はやめてほしい。

 人前でこういうことやっておいてなんだけど、少し恥ずかしくなってきた。

 そんなやり取りをした数時間後、ついに来るべき時が来た。


「ご主人様。テレサさんがそろそろ助産師を呼んだ方がいいと」

「分かった。ユーリットが休憩中だったな、すぐに向かわせてくれ」


 こっちの病院はよほどの重傷者でないと入院できないから、家で出産するのは珍しくない。

 昔の日本も自宅出産が当然だったから、その点は気にしない。

 気にすべきは、子供が無事に生まれてくれることと、エリアスが無事でいてくれることだけ。

 すぐに司令室勤務をイーリアと代わってもらい、足早に部屋へと向かう。

 陣痛の間隔が短くなって痛みも強くなったことで、エリアスの表情は苦しそうだ。


「テレサさん、どんな感じですか?」

「落ち着いてください。主さんが焦っても、状況は変わりませんよ」


 分かっていても焦るんだって。

 深呼吸を何度繰り返しても、幾分かマシ程度にしかならない。

 リュウガさんやドゥグさんも、こんな気持ちだったのかな。


「今、リンクス君がお湯を沸かしていますから、大きめの桶を準備してください」


 ああそうだ。こういう時はお湯とかも必要だったな。

 元の世界じゃ、もうそういうのはやらないから失念していた。


「分かりました。すぐに持ってきます」


 ただ見守っているよりも、こうして何かしている方が気が紛れるかもしれない。

 そう思っていたのも束の間、事前に十分な準備をテレサさんとリネアさんがやってくれていたから、すぐにやる事が無くなってしまった。

 とりあえず傍にいてエリアスの手を握り、汗を拭ったり見守ってあげたりするしかない。

 そうしているうちに、ユーリットが助産師をしている天使族の女性を連れて来た。


「お待たせしました。奥さん、今の陣痛の間隔はどれくらいですか?」


 問診が始まると、男は出た出たリネアさんに背中を押され、部屋から追い出されてしまった。

 昔の日本もそうだったとはいえ、立会いが可能な時代から来たせいか無力感を覚える。

 

「……頑張ってくれ」


 閉じた扉の向こうへ一言呟き、リビングの椅子に座って必死に平静を保ちつつ無事を祈る。

 テーブルに肘をついて手を組み、そこに額を当てた体勢でひたすら待つ。

 少ししか時間が経っていないのに、それがとても長く感じる。

 退屈な授業で似たような感覚は経験しているものの、緊張感はこれまでに経験が無いぐらい凄まじい。


「ほら、これ飲んでちょっと落ち着けよ涼」


 そう言って香苗が置いたのは、ただの白湯。

 ありがたい。正直色々な感情がぐるぐるして気分が悪くなりそうな今の胃には、白湯ぐらいがちょうどいい。

 人肌ぐらいのそれをゆっくり飲んでいく。


「これがあの涼かぁ……」

「……なんだよ」

「いや、お前もこっち来て変わったなって思っただけだ」


 だよなぁ。

 大して面白くもなかったあっちでの日常が前触れも無く終わって、こっちの世界に来てからは人間の敵のような事をやって、モニター越しに人が苦しんで死んでいくのを見ても吐いたり気分が悪くなったりすることもなくなって、日常の一部みたいに受け入れている。

 そんな俺も、妻の出産時にはこのザマか。


「しっかりしろって。人が死ぬのを見ても平気になったくせに、人が生まれる時はこの調子なんて」

「うるさい。慣れの問題だ、慣れの」


 子供が生まれるのにもいずれは慣れて、ここまで緊張しなくなる……はずだ。

 多分、おそらく、きっと。


「覚悟しておけよ。まだローウィさんにネーナさんもいるし、オレ達だっていずれはそうなるんだからな」

「分かってるって」


 嫁や愛人が出産する度にこんな緊張に襲われていたんじゃ、心臓がいくつあっても足りない。

 いや、逆にたくさんあっても鼓動の度にぶつかり合って、胸が苦しくなるか。

 そもそも骨格の中に収まるとは思えないし。


「……駄目だ」

「なにが」

「くだらないことを考えても、全く緊張がほぐれない」

「……大変だな、お前も」


 そうなんだよ。

 今の精神状態じゃ仕事をしていても手につかないだろうし、緊急事態に冷静な対処をできる自信がない。


「ふう……。あっ、そうだ。ロウコンさんに連絡しないと」


 生まれそうになったら連絡が欲しいって言っていたのを、緊張で今の今まですっかり忘れてた。

 ちょうどアビーラの手が空いていたから、オバさんに伝えに行ってもらう。

 連絡が遅れたから文句を言われそうだな。

 忘れてた俺が悪いから、仕方ないんだけど。


「……なあ、どれくらい経った?」

「時間か? まだ二十分ぐらいじゃね?」


 まだそれだけか。

 てっきり一時間は経っていると思ったのに。


「長い……」

「落ち着けって。らしくねぇな」

「できることが無いのが悪いんだ」

「どこへの責任転嫁だよ、それ」


 何にだっていいさ。

 この不安と緊張を少しでもほぐせるのならな。



 ****



 短い時間を長く感じながら待ち続ける。

 扉の向こうからは、時折辛そうな声が聞こえてくる。

 待つしかできないのが歯がゆい。


「旦那、ロウコン様をお連れしま――ぶっ」

「ヒイラギよ! もう生まれたか!?」

「落ち着けロウコン。君、大丈夫かい」


 アビーラを押しのけるオバさんをリュウガさんが宥め、転んだアビーラに手を指し伸ばす。


「まだです」

「そうか。ううむ、大丈夫じゃろうか……」


 来たばかりだというのに、もうウロウロソワソワと忙しない。


「こればかりは何度経験しても慣れんわい。自分が産んでいる最中とは、別の意味で疲れるのじゃ」


 なるほど、自分が出産経験者なのと、娘が出産中だからこその不安ということか。


「私はもう慣れたものだな。それでも不安なことは不安だ、出産は何が起きるか分からんからな」


 どっしりと構えつつも、正直に不安を口にしたリュウガさんの視線がこっちへ向いた。

 今のは義父としてのアドバイスのようなものなんだろう。

 分かりましたと伝えるように頷くと、向こうもよろしいとばかりに頷いてくれた。


「ところで、どっちの種族で、生まれるでしょうね」


 不意にアッテムが呟く。

 俺とエリアスの場合、俺が人間だからエリアスの持つ九尾の狐か竜人族か。

 個人的には竜人族かな、見た目的にカッコイイから。

 性別が男と分かっている以上は、そういう理由で種族を望んでもバチは当たらないだろう。

 とはいえ、どっちかでなくちゃいけないという事は無い。


「どっちでもいいさ。仮にエリアスと同じ混種のままだとしても、俺にとっては大事な子供だ」


 多少外見が悪かろうが、親なら全部受け止めてやる。

 だから無事に生まれてくれればそれでいい。

 勿論、エリアスも無事であってくれ。


(そうだ、生まれたらダンジョンキングのザラーヌさんにも――)


 連絡をしておかなくちゃと思ったのと、ほぼ同時にそれは聞こえた。

 最初は空耳かと思うほど小さな声。

 それが徐々に大きくなってきて、赤ん坊の泣き声だと分かると一気に力が抜けて泣きそうになる。

 ああ、無事に生まれてくれたか……。


「生まれたか! 生まれたぞ、おい! 新しい孫が生まれたのじゃ!」

「……はい」


 オバさんにバンバン叩かれている背中が痛いけど、それ以上に嬉しい。

 居住部にいる皆も自分の事のように喜びながら祝福してくれて、葵はダッシュで司令室へ伝えに行った。

 リュウガさんも肩の荷が下りたようにホッとしている。


「あ、あの……」


 お産の手伝いをしてもらっていたテレサさんが、何故か戸惑った様子で部屋から出てきた。

 えっ、まさか……。


「エリアスに、何かあったんですか?」


 途端にお祝いムードが一転、全員に緊張が走る。


「いえ、違います。奥さんは疲労こそしていますが、大丈夫です。ただ……」

「何じゃ? まさか赤子に」

「そちらも大丈夫です。元気な息子さんです。ですが……」

「ええい、なんじゃ! ハッキリせい!」


 今一つハッキリしない態度にオバさんが怒りを露わにする。


「落ち着けロウコン。それで、一体どうしたというんだい?」


 オバさんを宥めながらリュウガさんが問いかけると、テレサさんは助産師さんからタオルに包まれた子供を受け取り、こちらへ見せてくれた。

 泣き声を上げているその子を見て、俺も含めて全員が絶句する。


「こういう……ことです」


 戸惑いながらテレサさんが絞り出した言葉に、戸惑っていた理由が分かった。

 抱えられているのは、至って普通の赤ん坊。そう、普通の赤ん坊だ。

 九尾の狐の証である耳も尻尾も無く、竜人族の証である鱗も角も尻尾も無い。

 外見だけで判断するなら、至って普通の人間の子供。

 しかも薄っすら生えている髪の色は黒。

 目を閉じているから瞳の色までは分からないけど、もしかしたら黒いんじゃないかと疑ってしまう。

 唯一人間と違う点といえば、両手の甲にそれぞれ竜と九尾の狐のような紋様が浮かんでいることぐらい。


「これは……どういう事じゃ?」

「俺が聞きたいくらいです。どうしてこんな事に?」


 人間と亜人の間に生まれた子供は、必ず亜人側の種族として生まれていた。

 それは異世界人と亜人、人間と混種でも同じ。

 ただ、ここであることに気づく。

 調べた記録の中に、異世界人と混種の記録だけが存在していなかったことに。


(まさか、この事なのか?)


 俺とエリアスの間に子供が生まれたらダンジョンキングへ報せろというのは、これが理由だったのか?

 だとしたら、ダンジョンキングであるザラーヌさんと、元ダンジョンキングだというあのスーツ男はこの事態を予測していた?

 なんにしても、早く報せないと。


「義母さん。ダンジョンキングへ、ザラーヌさんへ連絡を」

「はっ?」

「忘れたんですか。生まれたら連絡しろと言われていたんでしょ。おそらくは、この事が理由ですよ」


 混乱していたオバさんは俺の指摘にハッとして、すぐに連絡を取ると言って飛び出して行った。

 それを見送った後、テレサさんから子供を受け取り、抱き方を教わりながら自分の子を抱く。

 ずっしりとした重みを感じていると、じわじわとよく分からない実感が湧いてくる。

 これが親になったって実感なのか?


「……エリアスに会えますか?」

「疲れているので、手短に願います」


 助産師さんに許可を得て子供を抱えて部屋に入る。

 ベッドの上には疲れきったエリアスが、こっちに気づいて笑みを浮かべてくれた。


「お疲れさま。そしてありがとう」


 何をおいてもまずは感謝の言葉を伝えるべきだと思い、それを告げる。


「見せてくれますか? 私達の子供を」

「分かった」


 抱えていた子供をそっとエリアスの隣に寝かせる。

 既に知っているのか、子供を見ても動揺も困惑もせずそっと手を添えた。


「やっと会えたね」


 感極まったエリアスの様子に、一度引っ込んだ涙がまた出てきそうだ。


「あなた。お母様は?」

「この子の件でダンジョンキングに連絡しに行った。ほら、生まれたら連絡するように言われていただろ」

「そういえばそうでしたね。おそらくは、この子が人間として生まれた事に関わっているんでしょうね」

「だろうな。でも、今は休め。後の事は俺達がやるから」


 手短にって言われたから、多少強引にでも話を切り上げて休ませてやろう。

 エリアスと子供は助産師さんとテレサさんとリネアさん、それとミリーナに任せて退室し、リビングで椅子に腰かけ息を深く吐く。

 隣に座ったリュウガさんに改めておめでとうと言われ、はいとだけ返す。

 その後はもう、皆から祝福の嵐だった。

 あの子が人間で生まれてきたことなんて気にせず、入れ代わり立ち代わりにおめでとうと言われ、香苗が呼んできた農業組もやって来て祝福してくれた。

 子供が人間だった事はさておき、今はこの祝福を受けて喜びに浸ろう。


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