第82階層 手が届くからこそ
イーリア「全員が妊娠して仕事に影響しないよう、徹底管理しています」
新たにテレサさんとリネアさんを雇ってから三ヶ月が経過した。
その間にリンクスがラビアさんと結婚式を挙げたり、ユーリットがテルミアーナを第二夫人として迎えたりと祝い事が続いた。
ダンジョンの方も、研修を終えた二人が立派に一人立ちしてくれたお陰で、上手く回せている。
妊娠状態のエリアス達のサポートもしてくれているから、助かる事この上ない。
だからといって仕事にだけ打ち込むことはせず、夫として妻達の相手もしている。
「これだけ大きくなると、さすがに少し重いですね」
妊娠七ヶ月目に入ってだいぶ腹が大きくなったエリアスを伴い、軽い運動がてら外を散歩中。
念のためにミリーナにも付き添ってもらって、ゆっくりしたペースで町中を歩いていく。
「無理はしなくていいからな。ゆっくりでいいぞ」
「はい。ありがとうございます」
しっかり手を握り、歩調を合わせて進む。
大事な時期に入ってきたからこそ、夫がしっかり付き添っていてあげるべきだとテレサさんとリネアさんに指摘され、長めに休憩時間を取れるようにシフトを調整した。
その休憩時間を使って、こうして一緒に散歩をしたり付き添ってやったり話し相手になったりと、できるだけエリアスとローウィの傍にいてやっている。
ネーナも生活拠点をこっちに移し、できるだけ毎日俺が送り迎えをするようにした。
帰って来てからも可能な限り傍にいてやり、農場の方にいる間は構えない分を構ってやっている。
他の嫁や愛人達との時間も定休日にできるだけ取っているけど、大抵は自分達はいいからエリアス達の傍にいてやってほしいと言われてしまう。
協力的な嫁や愛人達でとても助かっている。
「定期診断でも順調らしいですから、きっと元気な子が生まれますよ」
親としてはそうあってほしい。
順調にいけば、三ヶ月ぐらいしたら生まれるのか。
その後はネーナとローウィとの子供が生まれるし、その後にはイーリア達の誰かとの子供も作る予定だ。
一気に大人数が妊娠して仕事に影響しないよう、しっかり家族計画は立てているけど、嫁さんが多いとこういう事にも注意が必要になるんだな。
周囲からは、人員ならいくらでも貸すからガンガン作れって言われているものの、運営者としてはそんな簡単な話じゃないから困ったもんだ。
「あなた、もうすぐ休憩時間が終わりますよ」
「ん、そうだな。そろそろ帰るか」
もうそんな時間だったか。
直進しようと思っていた十字路を曲がって、来た道とは別ルートで帰路に着く。
「そういえば、お母様に渡した味噌と醤油とやらはどうですか?」
「あまり芳しくない感じだったな」
あのスーツ男と夢らしき空間で再会した際に、味噌と醤油を貰った。
そのうち半分をオバさんに渡して分析を頼むと、ドゥグさんを交えて味見をした途端に乗り気になって、全力で分析と研究をすると言って引き受けてくれた。
しかし、相手は異世界の調味料。
大豆を使った発酵食品ということ以外、詳しい作り方を知らないから完全に手探り状態で、研究は全くと言っていいほど進んでいない。
「だけど義母さんなら、いつか再現するだろ。発酵については先生も色々と教えてるし」
化学教師として先生にも知恵を出してもらい、発酵のメカニズムをオバさんに伝えておいた。
だけど正確な作り方は不明のままだから、手探りなのは変わらない。
その上、発酵するにはそれなりに期間を置く必要があるから、どうしても時間が掛かってしまう。
「気長にやってもらうしかないな」
「そうですか。いつになったら、毎日お味噌汁を飲めるのでしょうか……」
そうそう、貰った味噌で味噌汁を作ったら香苗と先生と戸倉が泣きだして、エリアスは毎日飲みたいくらい気に入ったんだよな。
実は俺も懐かしさで泣きそうだったよ。
「話に聞いたお肉の味噌漬けとか、味噌ダレというもので味付けした炒め物も、食べてみたいです」
言うなよ、食いたくなるだろ。
肉じゃなくて魚の味噌漬けに回鍋肉、単純に生野菜に味噌をつけるだけでもいい。
自分で研究してみてもいいけど、そのために何が必要なのかも分からないし、これ以上の副業の追加は目が行き届かなく恐れがあるからしたくない。
「ところで、以前におっしゃっていたデフレというものは、どうなりましたか?」
「一応は沈静化したようだ。第一エリアと第三エリアに多少影響が出たらしいけど、そこでどうにか治まったみたいだ」
だけど発生元の第二エリアは不況が続いていて大変らしく、近々全エリアの代表が集まって会合をするという噂がある。
まあそっちはエリア委員会に任せておくことで、首を突っ込む必要は無い。
「それよりも、今は子供の方が最優先だ」
「ですね。お父さんもお母さんも、早く会いたいですよ」
腹を撫でながら話しかける姿が、もう母親に見える。
果たして俺は父親に見えているんだろうか。
こういうのは自分じゃ分からないから、ちょっと気になるな。
「どうかしましたか?」
考え事をしているのを察したのかエリアスが声を掛けてきたから、なんでもないと返しておいた。
別にそこまで気にすることじゃないし、こういうのは自然にそうなっていくものだと思うから。
「あっ、新聞を買っていきますか?」
「新しいのが出たのか。だったら頼む」
「分かりました」
ミリーナが新聞を買いに走る。
ダンジョンタウンにも新聞は存在していて、数ページだけとはいえ、書かれている内容はダンジョンマスターにとって重要だ。
なにせ捕まった侵入者達から仕入れた、地上の情報が載っているのだから。
自分のダンジョンの入り口が存在している付近の情報は、自分のダンジョンで捕まえた侵入者から仕入れられるけど、他所の情報は新聞でないとなかなか入手できない。
よほど大きな事態でない限り情報は外部に広まらないから、新聞で得る情報は割と大事だ。
ダンジョンでの収入だけでなく、場合によってはダンジョン自体の存亡にも関わるから、決して無視できる情報じゃない。
唯一この新聞に欠点があるとしたら、書くべき内容が少なかったり無かった場合は、広告記事でお茶を濁すということくらい。
以前、あまりの広告の多さに若干引いたことがある。
「特にうちと関係のありそうな地上の情報はありませんね」
ミリーナがそう言ってくれるなら安心だな。
生憎と俺は地上にいたことがないから、地上出身者がそう言ってくれると助かる。
俺も読んではいるけど、さっぱりな点が多いから。
「ダンジョンタウンも、引き続き平和なようだな」
当然のことだけど新聞には地上だけでなく、ダンジョンタウンの情報も載っている。
ただ、大きな事件とかは滅多に起きないから内容は平和そのもの。
新しく入荷した奴隷の情報とか、こっちならではの記事もあるけどな。
(そういえば、こっちに来たばかりの頃に……)
ダンジョンの準備期間中、新聞の記者が訪ねてきてインタビューを受けたことがあった。
他にもエリアスとの婚約が正式に決定した時や、アグリが起こした事件の時も記者が訪ねてきたっけ。
婚約の時の取材は、エリアスが混種の点について失礼な質問をされて、その場で終了して記者を追い出して新聞社へ抗議を入れたのも、しっかり覚えている。
後にその新聞社から正式に謝罪があったから手打ちにしたけど、本気で睨んで次は無いって言ってやったんだよな。
そんな出来事を思い出しつつ、新聞を眺めていく。
あっ、拡張工事に関する記事がある。
それとこの地上の情報は……。
「おいおい、この紛争まだ続いているのか」
「そのようですね。ですが、もう終局に入っているようです」
「確かそこの紛争は、お母様のダンジョンが繋がっている先と関係しているんでしたよね」
「ああ。それが原因で少し収入が下がっているって、前に愚痴ってたよ」
でも新聞で情報を掴んでいたから、副業の方に力を入れてダンジョンの収入低下を補ったらしい。
とはいえ、収入が下がったことは気に入らないと、作ってみせた味噌汁をカブ飲みしながら文句を言っていた。
「これが終われば、またお母様のダンジョンに人が来るでしょうか?」
「すぐには無理だろうな。焦らず、じっくり待つしかない」
紛争が終わっても事後処理があるし、人が戻って来るにはそれなりの時間が掛かるはず。
だからもうしばらくは、オバさんのダンジョンは収入低下状態が続くだろう。
とかなんとか考えているうちに、いつの間にか帰って来ていた。
「ただいま」
「お帰りなさい」
反応してくれたフェルトは、夕飯の仕込みなのか鶏を解体している。
手際よく捌かれた鶏が部位毎に分けられているのを見ると、今夜は部位別に焼くのかな。
「じゃあ、司令室にいるから、何かあったらすぐに言えよ」
「はい、あなた。いってらっしゃい」
いってらっしゃいと言われても、同じ建物内なんだけどな。
まあ気にしない、気にしない。
「入るぞ。報告を頼む」
司令室に入ってそう告げると、イーリアが不在の間の報告をしてくれる。
入手した物や捕縛者、回収した死体、特定の魔物の戦闘記録、そしてこちらの被害状況まで。
それらに関する報告書を受け取ったら、指揮を交代。
いつもの席に座り、倒された魔物を補充するために召喚を行いつつ、報告書を読んでいるとテレサが話しかけてきた。
「そういえば聞きましたか? 一部の拡張工事が終了して、その土地を販売しているらしいです」
ああ、さっき見た新聞にそんな記事があったな。
「この機に土地を買って、そこで何か新しい事業を始めませんか?」
「無い。ここと農場、今はその二ヶ所だけでいい」
テレサからの提案を一刀両断して、ダンジョン内の調整作業を進めていく。
即答されると思っていなかったのか、テレサさんはキョトンとしている。
「主さんは無欲なんですね。ソウスもケチャップも、発案料を受け取るより自分で製造と販売をした方が儲かるのに」
「儲けることばかりに気が行って自滅したら、本末転倒だろ」
職場を潰さず、それでいて外敵からダンジョンを守る。
それが俺のやり方だ。
金については赤字にならず、給料と税金を払えて生活が不自由しなければいい。
器が小さいとか野心が無いと言われようが構わない。
分不相応な事をやって自滅するよりは、何倍もマシだ。
「安心しろ。金ならちゃんと蓄えてあるし、現状の収入はこっちも農場も黒字だから」
そういう事を言っているんじゃないんですけどね、と苦笑いしながらテレサは仕事へ戻る。
分かっちゃいるさ。
でも黒字だからこそ、そういう新しい事業をしないかという話が出るんだろう。
金がなくちゃ、新事業の開拓も事業拡大もできないからな。
「マスター、新たな侵入者を確認。五人組パーティです」
「分かった。いつも通りに三層を突破するまでは、よほどの実力を有していない限りは普段通りにやれ」
さてと、副業についてはそろそろ頭から切り離そう。
ここからは本業のダンジョン運営、ひいてはダンジョン防衛に集中しますか。