第20階層 定休日と言ってもやる事はある
ローウィ「就職前は休日なんてありませんでした。主に家事と弟妹の世話で」
すったもんだあったけど、午前中の用事は無事に済んだ。
午後はリンクスが懇意にしている服屋に元の世界の衣服を見せ、上手くいけばベアングのおっちゃんと同じ形式での契約を結ぶことになる。
見せる予定の服はバリスタ風とウェイトレス風の二種類の給仕服、それと元の世界で着ていたブレザーの制服。
こっちに学校のような施設は無いけれど、だからこそ学生服という固定概念に囚われず、普段着として利用できるんだと先生が熱く語っていた。
もしもこれが流行ったら、あっちこっちで制服姿の人達が行き交う姿が見られるかもな。
「しかし改めて見ると、よくできてるな」
準備しておいた服を手に取り、マジマジと眺める。
女物だから着ようとは思わないけど、大した再現率だ。
「制服はマスターのを参考にして、給仕服はサトウさんが熱血指導してくれました」
「ふっふっふっ。作品を描くために衣装について色々と勉強したし、学生時代の友人が制服系のコスプレが好きで作り方や特徴を聞かされたからね。知識はあるのよ、知識は」
まさか先生のオタク趣味が、こんな形で有益になるとは思わなかった。
生憎と俺や香苗や戸倉は、こういったことには疎いからな。
「本当に知識は凄かったですよ。知識だけは」
「別に裁縫ができなくても、生きていくことに支障は無いわ!」
やたら知識を強調するリンクスと先生の発言からして、手伝おうとして失敗しまくったんだな。
「やっぱり先生は先生か」
「ねえ、それどういう意味!?」
そういう意味です。
****
昼食を挟んで少しした頃合いに、約束していた服屋の店長が尋ねてきた。
出迎えたリンクスに連れられてやってきたのは、狐の耳と尻尾を生やした色白で華奢な体格の可憐な若い女性。
居合わせたイーリアとローウィも見とれてしまっていて、言葉を失っている。
「マスター、紹介します。こちらがボクの知り合いの服屋の店長で、狐人族のレオンさんです」
「初めまして」
紹介されたレオンさんは深々と丁寧に頭を下げた。
声もなかなか綺麗で、元の世界だったら歌手になっていても……。
うん? レオン?
「あの……えっ? お名前、レオンっていうんですか?」
「はい」
「でもその、女性ですよね。どうして男性のような名前を?」
「あら。女性にしか見えないだなんて、嬉しいわ」
この人、この外見で男だったのかっ!?
両手を合わせて嬉しそうに笑う姿は、どう見ても女性にしか見えない。
思わぬ真実にイーリアとローウィも唖然としている。
「確かに私の本名はレオンと申します。ですが普段は、心の名前のシェリーって呼んでください」
「シェ、シェリー? 心の名前?」
要するに改名したんじゃなくて、勝手に名乗っているだけってことなんだろう。
本当に女性だったら似合いそうな名前だけど、生憎と男だ。
まさかリンクスと同じ趣味の人だったとは……。
「あっ、断っておきますが私は服装や外見だけでなく名前も女性のようになりたいだけであって、決して心まで女性という訳ではありませんからね。これでも三人の妻がいて、先月に第一子が生まれたばかりですので」
「ははは……。そうですか」
聞いてもいないのに自分の事を語った理由は分からない。
でもこういう人にも奥さんが、しかも三人もいるのはちょっと意外だ。
人の好みは様々だし、何かしらの理由があるのかもしれないから深くは気にしない。
さてと、そろそろ気持ちも落ち着いてきたからリンクスをちょっと睨んでおこう。
「フー、フー……」
はいそこの女装インキュバス、吹けもしない口笛を吹こうとしながら明後日の方向を向かない。
こっちを向け、目を合わせろ、こういう人だと事前に伝えていなかったことを詫びろ。
だけどリンクスはそっぽを向いたままだ。
仕方ない、いつまでもお客を立たせている訳にはいかないから、この件は後で追及させてもらうぞ。
「どうぞ、お座りください」
「失礼します」
一礼から着席するまでの動作や仕草でさえ、全てが女性らしい。
お茶を用意してくれたミリーナが、本当に男なのかとローウィに小声で尋ねているのが聞こえた。
確かめる術は無いけれど、嘘を吐く理由は無いんだから信じるしかない。
さて、レオン……じゃなくてシェリーさんのことはここまでにして、ここからは商談だ。
向こうの表情は既にその状態に入っている。
「本日は異世界の服を見せていただけると聞きましたが」
「はい。リンクス、出してくれ」
「承知しました」
準備していた三種類の衣服が、畳まれた状態で並べられていく。
と思ったら他の服まで並べだした。
ファッションに疎い俺でも、それが何なのかは分かる。
どうして予定に無い体操服やナース服を並べるんだ。
思わずリンクスを睨むと、一瞬こっちを見たら即座に視線を外した。
これはさっきの件も含めて、後で追及させてもらおう。
「へぇ、随分種類があるんですね」
「こちらの二つが給仕服で、こちらは医療従事者向け、こちらは運動用です。どれも女性用で、男性用のは下がズボンなんですが、医療従事者向けの場合は」
記憶にある曖昧な知識を基に説明をしていく。
くそっ、給仕服と学生服はともかく他のは予定外だから説明が難しい。
こうなると分かっていれば、予め先生から知識を聞いておくか、説明役で同席させていたのに。
四苦八苦しながら説明をしている最中、シェリーさんは真剣な表情で服の検分をする。
途中でリンクスへ縫い方や布の合わせ方について話を聞き、さらにマジマジと検分していく。
やがてそれが終わり、衣服をテーブルの上に戻すと晴れやかな表情で告げた。
「大変良い物を見させていただき、ありがとうございます」
「どういたしまして。それで、如何でしょうか?」
「どれも製作は可能ですし、商品として売れると思います。是非、契約を結ばせて頂きたく思います」
おいおい、即決かよ。
「随分あっさりと決めましたね」
「良いと思ったら即断即決するのが、私のやり方ですから。ですが店の者と少し打ち合わせをしたいので、契約は後日ということでもよろしいでしょうか」
全然構いません。
向こうには向こうの都合が有るだろうから、そこらへんは配慮するつもりだ。
「分かりました。連絡をお待ちしています」
こちらの意思を伝えたらしっかり握手を交わし、帰って行くのを見送る。
さてと、ちょっとお話ししようかね。
こっそり逃げようとするリンクスの肩を掴んで引き留め、部屋へ連れて行く。
問い詰められるのは覚悟していたのか、直立するリンクスの表情には諦めが浮かんでいる。
「それで、どうして出す予定の無かった物まで急に出したんだ」
「えっと……」
言い辛そうに視線を泳がせているリンクスは、なかなか喋ろうとしない。
仕方ない、ここはこっちが一歩引くか。
「理由を言いたくないのなら、別に言わなくてもいいぞ」
「えっ?」
「俺が怒っているのは、理由が何であれ相談も無く勝手に予定外のことをしたからだ」
事前に相談さえしてくれれば、体操服やナース服についての説明がもう少し上手く出来ただろう。
紹介する品の説明が上手くいかないのは契約失敗に直結する可能性があるから、急な事で凄く不安だったんだぞ。
その辺りを説明し、相談も無しに勝手なことをした点を注意していく。
「次からはちゃんと相談しろ、いいな」
「……はい」
「今回の件は注意とお仕置きに留めておいてやる」
「はい……。お仕置き?」
「そっ。お仕置きのアイアンクロー1」
「へ? あぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
落ち込むリンクスの顔を掴んで指に力を入れる。
爪は昨日切ったばかりだから、それほど痛くないはずだ。
悲鳴を上げて痛がるリンクスへの罰は十数秒で終わらせ、アイアンクローから解放する。
「服の件はこれで勘弁してやる」
「……ひゃい」
掴んでいた箇所を押さえるリンクスは涙目だけど、まだお仕置きは終わってないぞ。
「後、これはシェリーさんの事を教えなかった分な」
「あうっ!」
ガラ空きの額へ利き手の左でデコピンを浴びせる。
どうだ、試験勉強中に寝落ちしそうな香苗を目覚めさせる一撃は。
「別に変な偏見とか持たないからさ、どういう人なのかはちゃんと教えてくれよ」
「はぁい……」
今度は額を押さえるリンクスを連れて部屋を出ると、神の束を抱えたユーリットさんが駆け寄って来た。
「マスター様。育成スペース産の薬草についての報告書ができました」
おっ、ということはある程度の研究は進んだんだな。
どれどれ? ふんふん……。
「今回は間引いた薬草を使ったのか?」
「はい。通常なら育ちきっていない薬草で作った薬はさほど効果が高くないのですが、育成スペース産の場合は品質が高いので試してみたところ、市販されてもおかしくない効果を発揮することが判明しました」
報告書にもそう書いてあるけど、それって凄い事だな。
間引いたってことは、完全に育ち切っていない状態ってことだ。
それでいて作った薬が市販品と遜色無いってことは、育ち切った薬草を使えばどれだけ効果を発揮するんだ。
「薬草が育ち切るには、後どれくらいかかりそうだ?」
「ローウィさんによる育成スペースでの野菜育成記録を参考に予想すると、明日辺りかと」
「だったら明日のシフトは調整しておくから、それの採取と保管作業を最優先しろ」
「いいんですかっ!?」
「魔物に持たせるかもしれない薬なんだ、早めに効果を把握しておきたい」
「分かりました!」
研究に関わることを優先できるとあって、ユーリットの声は明るい。
「ところで、薬草の成長記録は取ってるか?」
「えぇ、一応」
「何かの参考になるかもしれないから、ローウィの野菜育成記録と合わせておけ。ローウィへの連絡も忘れるなよ」
「はい!」
情報の共有は大事だから、しっかりやっておかないと。
さっきリンクスを怒ったのは、それを怠ったからとも言える。
「そうだリンクス、土地が欲しいんだけど不動産をやっている知り合いっているか?」
リビングの椅子に座り、まだ頭を押さえたまま俯くリンクスに尋ねる。
「残念ながらいませんので、顔が広い父に相談してみましょうか?」
「頼む」
「分かりました。でも土地を買って何をするんですか?」
「前に伝えた直営の副業の件、農業と養蜂にしようと思ってな」
前日にイーリアからハチミツ絡みで問い詰められた後、直営の副業を計画していることは皆へ伝えた。
特に反対も無く、それどころか新しい案まで出されたものの、結局この二つに絞った。
「異界寄せ」はバレるだろうけど、それを恐れてばかりはいられないからな。
「養蜂、ということは蜂を扱うんですよね。大丈夫なんですか?」
「使役スキルを使って、外へ出るなって指示しておけば大丈夫だろう」
後は外敵に襲われない限り、攻撃はするなって指示も加えておくかな。
一応防犯についても考えるつもりだけど、万が一に備えてそうしておいた方が良いだろう。
「とりあえず、明日にでも父を尋ねて聞いてみようと思います」
「よろしく頼む」
土地以外は農家出身のイーリアや、色々な仕事をしていたローウィのお陰でなんとかなりそうだし、後は本当に土地だけなんだよな。
もしもリンクスの父親で駄目なら皆にも聞いて、それでも駄目なら料理を提供してでもオバさんに紹介してもらうか。
「そうだ、「異界寄せ」といえば今集分のはまだやってなかったな」
という訳で適当な木箱を用意して、その中に今回の「異界寄せ」で召喚する物を出現させた。
今回召喚したのはトウモロコシ。
初めて見たこっちの世界の住人達は首を傾げ、香苗達は目を輝かせて食べたい料理を口にする。
「先生、バターコーン食べたい!」
生憎とこちらにバターはありません。
「涼! コーンポタージュ作れるかっ!?」
悪いが読んでいた料理漫画にコーンポタージュは無かったから、再現は不可能だ。
「私はポップコーンがいい」
残念ながらこれは皮が柔らかい種類だから、ポップコーン向きじゃない。
それらを伝えて調理不可と告げると、三人は揃って肩を落とした。
恨めしい目を向けられても、無理なものは無理だから諦めてほしい。
それにトウモロコシを見るのも初めての人が多いから、今回はシンプルに調理したい。
「ミリーナ、塩茹でにするから準備してくれ」
「はい」
準備している間に栽培用と食べる用に分けて、栽培用は育成スペースの畑へ植えるようローウィに預けておく。
そして食べる用のは葉の部分を取って髭を切り取り、準備のできた塩入りのお湯で茹でる。
他には手を加えず、茹で上がったらお湯から出して皆の前に出す。
「できあがりだ。芯の部分は食べず、この黄色い粒の部分を食べるんだ」
実際に香苗達と食べて見せると、まずはローウィが恐る恐る口にした。
「美味しいっ!?」
味が分かるやいなや、トウモロコシを回しながら食べだした。
それを見た他の面々も最初は小さく一口食べ、そこからはローウィに負けない勢いで食べだす。
特にイーリアの食いつきが半端じゃなくて、まさに夢中になっている。
「ご主人様の世界には、こんな野菜があったんですか?」
「汁が、甘い、です」
「あ、あの、粒を取って匙で食べても?」
「構わないぞ。そういう食べ方する人もいるから」
食べ方の確認を取ったミリーナは皿の上で粒を全て外して乗せると、それを匙で掬って食べ始めた。
「んんん! この食べ方もいいです」
それを見たこっちの住人達は真似し、ハムスターのように口いっぱいに頬張っている。
気に入ってくれてなによりだけど、俺としては少々不満だ。
だって俺の好きな食べ方は、醤油を塗りながら焼くことだから。
醤油、欲しいな……。日本人だもの。