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 俺は隅の広いテーブルに案内をされた。

 本当に俺を取って食う気がないのはわかったので、とりあえずはおとなしく座った。 軽く緊張しながら面接を受けるはずが一片、言いようもない緊張の座談会へと変貌した。

「ささ、適当につまんで食べてね」

 もはや面接もあったもんではない。

 チョコレートケーキや生チョコ、ショコラやチョコラスクなど、チョコレートを使ったお菓子がテーブルの上に所狭しと並べられている。

「あの、俺面接に来たはずだったんだけど」

 丁寧な言葉遣いも忘れて口に出す。

「うん。だからこれから面接するよ?」

 正面に座る少女はチョコレートケーキをフォークで口に運びもぐもぐと食べる。

 マジかよ……。

 左手にはパソコンを打鍵する女の子がおり、先ほどまで普通に椅子に座っていた女の子は二階から下りてきたふんわり女子高生の膝に無理矢理乗せられている。

 それでも構わずパソコンに向かうパソコン少女だが、ふんわり女子高生は頬を上気させながらパソコン少女の体の体に手を回す。

「ハァ……ハァ……葉月ちゃんはいつもかわいいね」

 危険な扉を開きそうな、いやもう既に開いている勢いでふんわり女子高生が葉月と呼ばれたパソコン少女を両手で抱きしめる。

「……小春、暑苦しい」

 鬱陶しそうにパソコン少女は体をよじらせるが、ふんわり女子高生は逃がす気がなく、いつのものことなのかそれ以上気にはせずノートパソコンのキーボードを叩く。 この空間にまともな人間はいないのか。

 爽やか店員は奥のキッチンに引っ込んで先ほどからコーヒーの準備をしている。

「じゃあ、面接しよっか。ご趣味は何ですか? 日頃はどんなことをして過ごされているんですか?」

「……帰っていいか?」

 なぜいきなりお見合いみたいな問答をしなければいけない。

 俺の回答が面白かったのか、正面に座る少女はお腹を抱えて笑う。

「ははは! 冗談だよ!」

 完全に遊ばれている。本当に帰りたい。

「じゃあ、あんまり時間もないから、さっさと済ませちゃおうか」

 自分から話を脱線させておいてどの口がそんなことを言うんだ。

「まず自己紹介するね。私はここの店長代理を任されている、阿良木円香っていいます。君と同じ高校二年生だよ。君のことは優羽って呼ばせてもらうから、私のことも円香でいいよ。これから一緒に働くわけだしね」

「ちょっと待てまだここで働くとは――」

「それで次に」

 俺の言葉がばっさりと遮られる。

「そこで興奮している子が、早乙女小春ちゃん」

 パソコン少女を抱えて興奮しているふんわり女子高生はこちらに視線を向けてぺこりと頭を下げる。

「早乙女小春です。お兄さんの一個下で高校一年生だよ。適当に小春って呼んでください。優羽先輩」

「お、おう」

「あ、でも」

 言い忘れたように小春顎に指を当て、が男を一発で落としそうなほど輝かしい笑みを浮かべた。

「私、男の人が基本的に大嫌いなので、あまり近づかないでください」

「……」

 何も言えなくなった。

「はい次ー」

 円香が小春の膝の上に座っているパソコン少女へ向けた。

「あなたに目もくれずにパソコンを触っているのが常磐葉風。私の妹分みたいなもんかな。あの子も葉月って呼んであげて」

 パソコン少女こと葉月が打鍵の手を止めてこちらに視線をやる。

「よろしく。優羽」

「こ、こちらこそ」

 小さく頷くと、葉月はもうパソコンに目を戻し自分の世界に戻ってしまった。

 人見知りなのか知らないけど、なんか俺が歓迎されてない感がはんぱない。

「ごめんね。二人も悪気があるわけじゃないだ。許してあげて」

 キッチンから爽やかヘッドホン店員が木製のトレイにコーヒーを人数分淹れて戻ってきた。

「僕は音無奏太です。優羽と同じ高校二年生だから、僕のことも奏太って呼んでもらって構わないよ」

 奏太青年はそう言いながらそれぞれの前にコーヒーを置いた。

「チョコレートがほとんどだから、砂糖やミルクはあんまり入れてないんだけど、苦いのは大丈夫だったかな?」

「あ、ああ、大丈夫だよ。ありがとう」

 ようやく、ようやくまともな人に会えた。

 喜びのあまり瞳から色々こぼれそうになってしまった。

「ちなみに、昨日優羽をひき殺しそうになった車を運転していたのは奏太ね」

 死んだ魚のように気分が沈んだ。

「ちょっと円香! 確かにそうだけどそうじゃないでしょ! あれは不可抗力だよ!」

「いや不可抗力以前にどうして高二が車を運転してんだよ。無免許運転だろ」

 俺はたまらず突っ込んだ。

 しかし奏太は首を傾げて言った。

「あれ、優羽は知らないのかな。この海神島では一六歳から車の免許を取ることができるんだよ。本土よりも試験はずっと厳しいけどね。ああでも、そっか。優羽はこの島に来てまだ日が浅いんだったっけ」

 ……そう言えばそんな話があったかもしれない。

 実に、人口の半数が学生の海神島では、学生と言えど立派な労働力だ。建造当初こそよかったものの、現在では島が広大になり立地も入り組んできたため、島内は車で移動することも増えていると聞く。

「いやぁ、でもあのときは焦ったよ。道に出てきた子どもを避けたら滑っちゃってね。もう少しで優羽をひき逃げすることになってたよ。逃げるかどこかに埋めるか迷ったんだけどね。ははっ」

 ははっじゃねぇよ。

 迷うポイントが常軌を逸している。

 自首をするという選択肢はそもそも頭にないらしい。

 あのままひかれていた今日の新聞の一面を飾っていたかもしれない。

 だがまあ、そんなことはこの際どうでもいい。

「冷める前にどうぞ」

 話をそらすように奏太に促され、俺は蒸気を上げているコーヒーに口をつけた。

 奏太の言うようにそれなりに苦いが、それでもさっぱりとした甘みがある。

 いつも自分が飲むインスタントコーヒーとは全く違う味だった。

 ついでに、手前にあった皿から生チョコを一つ手にとって口に入れた。

 舌の上で何もせずともチョコが溶けていき、口の中に甘みがいっぱいに広がる。

 いやしかし待てと、頭の冷静な部分が声を上げる。

 今はそんなことをしている場合ではないだろう。

 俺は気を取り直し目の前にいる円香に目を向ける。

「お前ら、ここはカフェか喫茶店かなんかだろうけど、昨日やっていたこともここの仕事の業務とかいうんじゃないだろうな?」

 円香の口がにんまりと歪む。

「わかってるじゃん。その通り、あれも私たちの仕事だよ。もっぱら、あっちが本業なんだけど」

「運び屋かなんかか? 物は金か薬か、はたまた銃や臓器か? 悪いけどそんな危ない仕事に首を突っ込むほど頭が狂ってるつもりはないんだ。仕事の件は他を当たってくれ」

 席を立とうとすると、円香が水晶のような澄み切った瞳でこちらを見返した。

「自分は善人だから、悪人みたいなことは、できないってことかな?」

 立とうとしていた足が張り付いたように動かなくなる。

 俺は正面から円香を睨み返した。

 円香は楽しげな笑みを浮かべると、自分もコーヒーを一口飲んだ。

「そんな怖い顔をしないで。別に、今優羽が言ったみたいな危ないものや違法なものを運んでいたわけじゃないから。私たちが運んでいたのは、今優羽が食べたものだよ」

 食べたもの。それは口に未だに強い甘みを残しているそれを指していた。

「ちなみにここにほとんどのお菓子は、昨日運んでいたもので作ったんだよ」

 ここにあるお菓子。

 つまり――。

「あのアタッシュケースの中身は、チョコレートだったってことか?」

「そ、チョコレートの塊」

 こともなげに言い放ち、円香はチョコレートケーキを再び口に運ぶ。

「なんでチョコレートごときを運ぶだけであんな大騒ぎになってたんだ? 下手をしなくても暴行事件だろ」

「チョコレートごとき、ね。まあ私たちからすればそうなんだけど、当事者たちは人生かかってただろうからね」

 そう言って、円香はこれまでの陽気な表情から一変させ、真剣な面持ちで話し始めた。

「今回の依頼は、お菓子屋さんのお孫さんから入った依頼だったんだ。この海神島ができた当初からある老舗だったんだけど、お店が潰されるかもしれないから助けてほしいってね」

 なんでも、海神島ができると同時に一族全員でやってきたパティシエ一家とのことで、この島で知らない人はいないほど有名なんだそうだ。

 シェアしている割合も相当大きかったそうだが、一年くらい前に新規参入を狙って本土の大手菓子メーカーがきたことで状況が変わった。

 初めこそ、お互いに介入せずに続けていたそうだが、海神島の建造当初からあった老舗ということもあり、パティシエ一家の方が勝っていたそうだ。

 それから菓子メーカーからの露骨な妨害が始まったとのこと。

 作った物のイメージダウンになるようなことは当たり前で、本土のやくざ絡みの人間を使ったクレームや店先での営業妨害など、それこそ数え切れないことをされたらしい。

 お菓子がおいしければそれでいいなんてことはあるはずもなく、売り上げが低迷する日々。

 そして、その転機として訪れたのが、昨日海神島一のホテルで行われることになった、お菓子料理コンテストだ。

「元々、今回の件とは別にあった企画だったんだけど、新作のお菓子を出し合うってものだった。その子の家からしたら、起死回生のチャンスだったんだよ。大手のメーカーに無理矢理印象は悪くされてたけど、その子の家は確かな技術を持っていた。それは、まあここのお菓子を食べればわかるけど」

 言って、円香はチョコラスクをかじる。

 確かに、俺の素人目から見ても、ここにあるお菓子は本当においしいし、優れている物であることは容易にわかった。

「逆に最後のチャンスでもあった。その子の親や社長である祖父たちが、そのコンテストでいい結果が残せなければ、海神島での商売は諦めて本土に帰るって話になったらしい。その子も物心ついたときにはこの島にいたから、本土には行きたくなかったんだ。でも、そこでも相手メーカーから妨害があった」

「……材料の買い占めか」

「その通り」

 円香が満足そうに頷く。

 いくら技術があろうと、それは材料あってこそのものだ。材料がないことには何もできない。

「今月に入ってから、本土の仕入れ業者から材料が購入できなくなっていたんだ。相手メーカーの圧力でね。海上都市っていっても島だから、島内で材料なんてそうそう確保できない。やっとこさ社長が昔の付き合いでぎりぎり手に入れることができたのが、あのアタッシュケースの中のチョコレートってわけ」

 一瞬しょうもない話かと思ってしまったが、おそらく依頼主からしたら切実な問題だったのだろう。

 なにせ、暴力をいとわない相手だ。

 今聞いた話以外にも、相当な妨害があったに違いない。

 故郷にいたい。その思いだけで頼んだってわけか。

 俺とは大違いだな。

 内心苦い笑みをこぼしながら、俺も近くにあったチョコレートケーキを口に運ぶ。

 うっとりとするほどおいしかった。

「……話はわかったよ。それで、さっきから依頼って言葉を使ってるけど、お前たちのもう一つの仕事って、なんなんだ?」

 円香は得意げに口を緩める。

「私たちは仕事は、トラブルバスターみたいなもんだよ。ちゃんと海神島にも認められているから、給料もちゃんと出せるし、ブラック企業でもないよ」

 え? どの辺りがブラックじゃないの?

 やーさんと立ち回りをしないといけない職場ってどうなんですかね……。

「輪を取り持つための組織。それで、サークルか」

 円香は満足げに微笑む。

 海神島の輪を取り持つためのチーム。

 聞かされても正直さっぱりわからない。

 何でも屋なんて非現実的すぎる。

 円香はケーキを一カット食べ終えると、コーヒーを一口飲んだ。

「でも、今サークルは人手不足でね。それで優羽はまだ仕事が決まっていない。だから、スカウトしているわけなんだけど」

 俺は目をすがめて聞き返す。

「別にそれ俺じゃなくていいだろ。お前ら、俺のこと調べているのに、なんでわざわざ俺をスカウトするんだよ」

 俺にスカウトメールを送ってきたことからも始まり、俺の年齢やいつ俺がこの島に来たかまで、こいつらは俺のことを調べている。

 どんな手を使ったのは皆目見当が付かないが。

「君じゃないとダメだよ」

 円香は笑みを浮かべたまま言う。


「このサークルには、善人も悪人もいらない。君のような人間、偽善者がこのサークルには必要なんだよ」


 偽善者。

 俺が最も忌み嫌う言葉だ。

 円香は、俺のことを偽善者と呼んだ。

 これまで幾度となく蔑まれてきたその名で。

 しかし、円香の言葉は嘲笑しているわけでも愚弄しているわけでもない。

 そのことに、怒りを覚えるよりも先に戸惑いが浮かんだ。

「何を、言っているんだ?」

 揺れる言葉が口から漏れる。

 この場で動揺しているのは俺だけで、奏太も小春も、円香が言ったことをさも当然のように受け入れている。パソコン少女葉風ちゃんはそもそも話を聞いていない。

 円香は穏やかな表情のまま口を開く。

「優羽は、過去に結構なことをやっている。百人聞けば百人が悪人と称することをやった。でも、私たちを昨日助けてくれたことからもわかるように、優羽は決して悪人じゃないと、私たちは思うわけですよ」

 おどけて見せながら、円香はこちらを伺うような視線を投げる。

「優羽は、これまで何度も偽善者と言われきた。違う?」

「ああ……」

「優羽にとって、偽善者っていけないこと?」

「はぁ? 当たり前だろ。誰が偽善者って呼ばれて喜ぶ人間がいるんだよ」

 反射的に出た言葉。

 何度その言葉に傷つけられてきたかはわからない。

 誰が喜んでその名前で呼ばれようとするのか。

 幾度も犯したあらゆる罪は、俺がもう何をしようが消えはしない。

 さみしがり屋の過去は、いつまでもたっても俺の後ろをついて回る。

 こいつらが俺のことを知っていることがいい例だ。

 俺は、自分の過去を忘れたくてこの島まで来た。

 それだけが嫌で、ここまで逃げてきた。

 それなのに、もう追いつかれてしまった。

 本当に、嫌になる。

 心の中をどす黒いものが覆い尽くしていく。

「顔を上げて。優羽」

 いつの間にか俯いていた。

 自分の情けない顔を見られたくないがために。 

 少し顔を上げると、額を細い指で弾かれた。

 円香は、そのまま俺に得意げに指を突きつけた。

「安心して。ここにいる誰も、優羽のことを偽善者って責めたりはしない。だって――」


 私たち全員、偽善者だからね。


 円香が口にした、到底理解できない言葉。

 俺は耳を、そして目を疑った。

 何も、円香が自らのことを偽善者と言ったことについてではない。

 自らのことを偽善者と言っているにも関わらず、円香は、奏太は、小春は、それを負い目に感じるどころか誇るような表情でそこにいる。

 円香は立ち上がると、清々しいまでの笑みで言う。

「もうちょっとしたら次の依頼が来る。優羽、これから教えてあげるよ。私たち偽善者が、どう生きればいいかを」

 同時に、店の扉が開く。

「ちょうど来たみたいだね」

 チャイムが鳴り響き、一人の少女が現れた。

 弾かれたように立ち上がっていた。

 そこに現れた、信じがたい人間に。

 ワンピースにジーンズという出で立ちで、肩くらいで切りそろえた黒髪の少女。

 相手も驚いてはいたが、納得するように息を吐いた。

「優羽君……本当に、この島に来てたんだ……」

「陽菜……っ」

 円香を睨み付けるが、円香はこちらには意を介さず、営業スマイルので現れた少女を見ていた。

「ようこそ、宮村陽菜さん。えっと、こっちの優羽とは幼なじみってことでよかったんだよね」

 そうだ。

 彼女の名前は、宮村陽菜。

 住んでいた場所が近所だったため小学校からの付き合いで、中学まで同じ学校に通っていた。

 しかし、彼女は約一年前、俺たちが高校に入学する際に、長く住んでいた場所を離れた。

 その原因を作ったのが、俺だ。

 座る位置を変え、俺たちは陽菜と向かい合う。

 俺が座っていた側に陽菜が座り、その正面に円香、その左に俺、反対側に小春と葉風が座っている。

 奏太はぞろぞろいても仕方ないとのことで、席を外して店内の掃除をしている。

「優羽君はここで働いているの?」

「いや、俺は……」

 答えようとしどろもどろなまま口を動かすと、円香が遮って割り込んだ。

「優羽は今仮雇用中なの。でも、きっと力になるから。心配しないで」

「おい俺はまだ――」

 ごんと足を蹴られた。

 円香は笑みを絶やさないまま陽菜に視線を向けている。

 俺は小さくため息を吐き、違う話題を振る。

「俺も、お前が海神島に来ていたってことで十分驚きだ」

「そう?」

「そうだよ」

 陽菜は儚げに笑い、俺もつられて表情が緩んだ。

 こんな風に話をすることなど、二度とないと思っていた相手だ。

 憎まれても恨まれても仕方のない相手が、俺には幾人もいる。

 彼女はその一人だ。

 そんな相手と、誰も俺を知る人間がいない場所に行きたいと思ってきた場所で再会をした。

 あまりに間抜けな話だ。

「お取り込み中悪いんだけど、先にこっちの話を片付けちゃってもいいかな?」

「あ、ごめんなさい。舞い上がっちゃって」

 陽菜がしゅんと肩を落とすが、円香が笑いながら首を振る。

「こっちこそごめん。ただ、あまり遅い時間になっちゃうのはね。だから、早速本題に入るね」

 円香はそう断りを入れると、自分の胸に手を当てた。

「私たちはサークルです。私たちはあなたの依頼を遂行するために助力します。しかし、それは全ての依頼が該当するわけではありません。私たちは、私たちの倫理観でしか動きません。あなたが私たちの倫理観のもと、正当な依頼であると判断した場合、私たちは助力を惜しみません。ただ、あなたの依頼が私たちの倫理観から逸脱したものであった場合、私たちは依頼を放棄し、最悪、あなたの敵に回る可能性があります。わかっていますね?」

 言い慣れた文言であるためか、円香の口からすらすらと言葉が溢れ出す。

 陽菜は以前にも聞いたことがあるためか、言われていることに対して驚きも動揺も示してはいなかった。

 おそらく円香の言葉は、この場にいる俺に向けられたものだったのだ。

 陽菜は戸惑うことなく、力強く頷く。

「はい。お願いします」

 言って、深く頭を下げた。

 円香は満足そうに頷いた。



「私が依頼したいのは、これなんですけど」

 陽菜はそう言って、俺たちの前にスマホを差し出した。オレンジと黄色のマーブル柄のスマホで、指輪のストラップが付いている。

 円香がスマホの画面に視線を落とし、反対側から小春、そのさらに向こうから、機械系なら興味が湧くのか机に上がって葉風がのぞき込んでいる。

 俺はそのままそこまでがっつくことはせず、差し出されたスマホに視線を投げる。

 陽菜が差し出した画面には、なにやら掲示板のようなものが映し出されていた。

 黒い背景に黄や赤で毒々しく描かれた内容を見て、それがなんであるかぴんときた。

「学校裏サイト、かな」

 円香が呟くと、陽菜が頷きながらスマホの画面に指を滑らせる。

「そうです。これは今海神学園で流行っている学園裏サイトです」

 陽菜が滑らせると、いくつもスレッドが立っており、そのタイトルはどれも際どいものが多い。

「裏サイトって、なんですか?」

 円香の向こう側で小春が首を傾げている。

 俺はため息を吐きながら答える。

「ちょっと昔に流行った、特定の学校の話題を扱うサイトだよ。どこどこ中の誰々さんって感じでどっかのサイトに投稿しても埋もれて誰も見ない。でも、そのサイトを見るのはその学校の人間だけ。だからとんでもない拡散性を持っていて瞬く間に広がる。そういう悪質なコミュニティサイトのことだよ」

 たいていはパスワードが設定されている一部の人間しか見られないようになっていたり、特定の人間しかアクセスできないようになっかたりと、まあ匿名性を傘に内輪もめをするサイトとも言える。

「優羽先輩、詳しいですね。もしかして優羽先輩もやってたんですか?」

 円香の後ろから小春が体を覗かせて尋ねてきた。

 俺も体を後ろにそらして答える。

「俺はやってたんじゃなくて、やられていた側。その辺りの経験はたいていしているから、なんでも聞いてきなさい」

「……」

 どん引きされた。

 陽菜が少し顔を暗くして俯く。

 しまった。調子に乗ったか。

 それに気づいた円香が再び話を振る。

「それで、これの何が問題なの?」

「あ、はい。ちょっと待ってください」

 陽菜は手元にスマホを引き寄せると、素早く操作をした。

「ちょっと、ここに来る前にまとめたものがあるんですけど」

 そう言って差し出されたのは、ある個人の名前とその人にまつわる話のようだった。 川辺徹。母親が狂っている。夜な夜な奇声を上げ、深夜徘徊の末、元いた場所から追い出されるようにして一人海神島に逃げてきた。

 鶴池真美。実の兄と付き合っている。現在兄の子ども三ヶ月を妊娠中。

 落合弘文。右足を引きずって歩く。本土で有名なサッカー球児だったが、周囲を見下し嘲るような態度を周囲の人間に疎まれ、足を砕かれ、選手生命を絶たれる。

 他にもいくつも、名前とその人物による顛末が書かれていた。

「これは?」

 円香は至って冷静に問う。

「裏サイトに投稿されている内容です」

 陽菜が言うには、これらの名前は裏サイトに上げられ、それを話題に裏サイトが盛り上がっているとのことだ。

 裏サイトとは、スレッドを立てて投稿するという形を取るため、当然相手の顔が見えない。

 だから投稿して誹謗中傷は当たり前。

 だが、陽菜の一覧に書かれている内容は全て具体的な内容が添えられており、俺が知っている裏サイトと比べても異質なものに見える。

「この投稿って真実なんですか?」

 不快感丸出しの顔で、小春が尋ねる。

「私が知る限り、正確なものが多いようです。といっても、偽りだということを証明しているわけでもないので、もしかすると」

「全部が真実である可能性もあると」

 円香がうなりながら腕を組む。

「あの」

 机の上に座っていたお行儀の悪い人形みたいな少女が手を上げる。

「このデータ、もらってもいい?」

 短く言いながら、陽菜のスマホを指さす。

「は、はい。もちろんです」

 これまで一切言葉を発しなかった葉月に、陽菜は一瞬どもりながらもスマホを差し出す。

 葉月はそれを受け取ると、指定されたデータをパソコンへと移動させ始めた。

「それで、あなたの依頼というのは?」

 円香が陽菜に尋ねる。

 陽菜は少し俯き、意を決したように顔を上げた。

「裏サイト自体は、別にどうこうしなくてもいいと思っています。さっき、優羽君も言っていましたけど、裏サイト自体は携帯電話が流行り出した頃に爆発的に増え、現在は目に見えて衰退しています。このサイトについても、これらの投稿以外目立って悪質な物というのはありません。あって悪口程度です」

 ただ、と陽菜は続ける。

「この裏サイトで現在頻繁に投稿されている内容は、少しずつ学生たちの間に広まりつつあります。このままでは、学生は暴かれたくもない過去を暴かれ、ここで生活ができなくなる人間も出てきます。そんなことあっちゃいけない」

 陽菜の言葉が確かな怒りを持っていた。

 意識の一端が、俺へと向けられているのを感じた。

 俺も自分の過去が白昼の下にさらされれば、どんな目で見られるかわからない。

 かつて、そうだったように。

「だから、絶対にこの犯人を見つけ出して、こんなことをやめさせてください。こんな、誰かを傷つけるだけの行動を許してはいけない」

「わかった」

 円香が迷うことなく頷く。

 円香が周囲のメンバーに目配せをする。

 小春や葉月、離れていた場所で掃除をしていた奏太が頷く。

 それを確認すると、円香は陽菜に向き直った。

「宮村さん。確かにあなたの依頼を受け取ったよ。この投稿者はこちらで必ず見つけ出す。そして、投稿をやめさせることを約束する」

 自信に満ちあふれた言葉で円香は言い放った。

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