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海神島に吹く涼しい風が夏の暑さを帯び始めた四月の最終週。
俺は陽菜と円香を伴って、海神学園の端にある校舎の屋上にいた。
下は実習系授業の教室になっているが、昼を回った午後三時に使っている生徒はいない。
屋上は周囲を鉄柵によって囲われており、ベンチがいくつか置かれてはいるが、俺たちの他には人の姿はない。
「阿良木さん、こんなところに呼び出して、どうかしたの?」
陽菜は、手すりに腕を乗せながらスマホに視線を向ける円香に問う。
俺は円香の指示で陽菜をこの場に連れてきたのだ。
円香はポケットにスマホをしまい込みながらこちらを振り返った。
「今回の結果報告だよ」
「……わかったんですか?」
陽菜が驚いて尋ねる。
円香は春風に流される髪を押さえながら頷く。
「うん。わかったよ。誰が裏サイトにあの投稿を行っているか。百人を超える生徒の情報をネットに流し続けたのか」
陽菜は両手を強く握りしめた。
「裏サイトに生徒の個人情報を流していたのは、風紀委員会の人間だよ」
円香は、陽菜をまっすぐ見返してその真実を告げた。
陽菜はその言葉が信じられなかったのか、目を大きく見開いて口をわなわなと震わせていた。
「……ふ、風紀委員が?」
「うん。間違いないよ。といっても、風紀委員の人間全てが荷担しているわけじゃないよ。筆頭は、副委員長の武田君。それから他数名ってところかな」
俺たちが調べたところによると、風紀委員内はいくつかの派閥があり、主なところでは委員長の派閥と副委員長の武田の派閥。
今回裏サイトに関わっているとするのは、武田の派閥のようだった。
「風紀委員が怪しいと踏んで、奏太に委員長へと渡りをつけてもらったんだ。それで、風紀委員が使うパソコンを調べさせてもらうと、裏サイトへのアクセス記録。それから投稿履歴が残っていた」
この辺りは葉風があっという間に調べてしまった。
「自分のスマホやパソコンからアクセスしたんであれば、どこかで跡が付いて特定されるかもしれない。そういう心理から学園のパソコンを使ったんだろうね。灯台もと暗し。まさか堂々と学園のパソコンを使っているとは思わなかったよ」
投稿時間のほとんどが夕方に限定されていた理由。
それは、風紀委員会の活動が夕方までだからだ。
風紀委員に限らず、他の委員会も活動時間は基本的に午前から夕方までだ。
学園内で活動する組織であるから当然だが、学園内に先生たちが残っていないと活動できない。だから、先生たちが帰る夕方で活動自体が終わる。
「先生や他の委員会メンバーがある程度帰った後なら、パソコンの投稿を見とがめられることはそもそもないだろうし、ましてや風紀委員が風紀委員のパソコンを使っていても疑問に思われることはない。便利と言えば便利だね」
裏サイトに使われていた掲示板は、それほどセキュリティに優れたサイトというわけではなかった。
葉風はパソコンの扱いなら俺の理解が及ばないほど突出したものを持っている。
パソコンのアクセスログを追跡し、裏サイトへのアクセスと投稿履歴を割り出した。
円香にとってある程度のめどさえ立ててしまえば、犯人の割り出しは可能だったわけだ。
「海神学園の委員会にも裏サイトの情報が広がっていた。その情報源は風紀委員からだった。投稿されていた生徒に共通点があったんだよ」
「共通……点?」
円香は指を立てながら頷く。
「そ、投稿された人以外にも、過去に何かを抱えている生徒はいる。そう考えると、投稿された生徒はどういう理由で選定されたのかという問題が上がってくる。その理由が、風紀委員に取り締まられたことがあるということ」
天城が言っていたが、裏サイトに投稿される生徒は元々素行のよくない生徒が多く、しょっ引かれているとのこと。
そのしょっ引いていたのが風紀委員だということだ。
さらに、景山先輩は風紀委員に一度補導されていたことがあり、その直後に裏サイトに情報が上がった。
そこからヒントを得た円香が当たりを付けて調べたのだ。
「この海神島の風紀委員は取り調べを行う。それこそ、普通の学校が行わないようなことまでね。多くのことが学生を基盤に成り立っているこの学園では、生徒が積極的に働かないといけないから。そして、風紀委員は調べた情報を裏サイトにリークした。それが今回の顛末だよ」
陽菜は信じられないという様子で目を見開いていた。
今回裏サイトの調査を依頼してきたのは陽菜だ。きっとそこには、自分なりの犯人像を描いていたことだろう。
引きこもりのいじめられっ子、誰かを陥れることが好きな卑劣な人間、はたまた悪ふざけが過ぎたただのガキなど、世の中の犯罪に関わる人間は多岐にわたる。
しかし、裏サイトに個人情報を流すなんてことをやっていたのは、本来そういった悪を取り締まる側である風紀委員。
もちろん、警察組織などと言った真に正義を求める組織などではなく、あくまで学生が運営してきた風紀委員だが、そこにある責任や重圧は、風紀委員を任せられるというだけで俺たちのような職種よりもずっと大きいだろう。
その風紀委員が、犯人であった。
陽菜には到底受け入れがたい事実だろう。
不意に、後方に何かを感じて振り返る。
「一体、どうして風紀委員が……」
陽菜は震える口を必死に動かして円香に問うた。
円香は穏やかな笑みを浮かべ、陽菜の後ろ、俺の視線の先を見据えた。
「それは、本人に聞いてみるのが一番じゃないかな」
陽菜がその視線を追うと、先ほど俺たちが屋上にやってきた扉から、一人の男が出てきた。
大きな体付きは柔道や空手をやっている生徒を思わせ、二メートルにも迫ろうかという身長は山を彷彿とさせる。
ジーンズに黒いパーカーという出で立ちのその男の左腕には、緑色の腕章がはめられていた。
「ね、武田君」
つい先日初めてあったばかりのその生徒の第一印象は、いかにも規律を守っていそうな硬派な人間に見えた。しかし剥がれ落ちた仮面の下に貼り付けているそれは、他人を卑下する卑しい笑みだった。
「私が呼んでおいたんだ。ちゃんと、はっきりさせないといけないと思ってね」
陽菜を後ろに隠すように立ちはだかり、大木のようにそびえるそいつを睨み付ける。
「驚いたぜ。まさかそんなところまでばれているなんてな」
自分が犯人であることを言い当てられたにも関わらず、むしろ開き直って武田は笑う。
「お前、一体何なんだ?」
それは単純に純粋な質問だった。
未知な存在を前に、人は誰でも好奇心を覚える。
武田が円香に対して抱いているものはまさにそれだった。
円香がまとう異彩な空気。
自らが呼んだとしても、普通緊張する場面のはずだ。
現に俺も、胸が早鐘のように強く打ち、張り裂けんばかりに叫んでいる。
だがそれでも、円香は余裕の笑みさえ浮かべて、答える。
「私は、私たちはただの偽善者だよ」
あまりに意外すぎた答えに、さすがの武田もきょとんとする。
「君が自分の正義のために力を振るう善人なら、私たちはただ自分のために正義を振る舞う偽善者だよ」
そこに自虐も卑下も存在しない。
ただ自分を誇り、自分自身の信念を貫き、円香は言い放った。
「ははははははは!」
途端に、武田が笑い始めた。
「こりゃあ傑作だ。俺たちがやっている正義を、自分勝手な理由で邪魔をする。ああ、そうだな。まさに偽善者だ。本当に最低なクズどもだ」
武田の口から吐き出される暴力。
人の心を内から溶かし、犯していく猛毒の言葉。
これまで、その言葉を聞くだけで気分が悪くなり、怒りという真っ赤な感情が湧いてきた。
だけど、どうしてだろう。
武田な言葉を聞いても、落ち込み怒りが湧くどころか、限りなく冷静に冷たい視線さえ投げることができる。
心の中が、驚くほど凪いでいた。
「最低なのは、あなたじゃないですか」
代わりに怒りとともに言葉を吐き出したのは、俺の後ろに隠れていた陽菜だ。
「どうしてこんなことをしたんですか? 皆、この島で新しい生活を心待ちにして、自分の人生をやり直すためにきた人たちも、いっぱいいたんです。それなのに、あなたの心ない行動のせいで、どれだけの人間が傷ついてきたと思ってるんですか!」
ため込んでいたものを一斉に吐き出すように陽菜は言葉を紡ぐ。
純粋な怒りとともに疑問を投げつけられ、武田の表情が止まった。
そして、すっと無表情になる。
「お前は、宮村陽菜だな。この島にやってきた、ゴミの一人」
陽菜は胸を押さえて体を震わせる。
「お前も投稿してやったぜ。自分の知り合いを非難する生徒に対抗するために、相手の過去を暴き立てて周知の元にさらした」
陽菜の顔が泣きそうに歪む。
その表情に、俺の胸がずきっと痛んだ。
武田は口元をつり上げ、下卑た表情を陽菜に向ける。
「両親の不倫相手、両親とは実は血が繋がっていない、売春によって生まれた……そういった、親に関する秘密を暴露することで、自分勝手に他者を傷つけた。そんなことをしたお前が、俺を責めるのか?」
「……っ」
陽菜は言葉を詰まらせて俯いた。
そうだ。
陽菜は過去に取り返しが付かないことを犯した。
武田が言ったように、ある生徒たちを守るために、相手の情報を暴き立て、それを武器に戦った。
戦ってしまった。
本人すら知らなかった情報を短期間で見つけ出し、陽菜はそれを相手の前で掲げて見せた。
あなたたちの親はこんな人間なのに、彼らを責めることができるのか、と。
子どものいじめや喧嘩に、持ち出すべきではない情報の武器。
それは相手の生徒はおろか、その家庭すらずたずたに切り裂き、破壊した。
三人の生徒が、転校を余儀なくされた。
陽菜の放った小さな炎は瞬く間に燃え上がり、学校全体を巻き込む事態となった。
さらにそこから一つ事件を挟み、話題の中心が去った後、燃え上がった炎は全て陽菜へと戻っていった。
知り合いを守った正義のヒーローから、三つの家庭を破壊した最低な人間のレッテルを貼られた。
その結果、陽菜自信転校するしかなくなった。
陽菜が泣きそうに顔を歪め、崩れ落ちそうになる。
咄嗟に円香が進み出て、陽菜の体を支えた。
心が折れそうになっている陽菜を、円香がそっと抱きしめる。
「大丈夫だよ。宮村さんは、陽菜ちゃんは自分がやるべきことをやったんだよ」
そう言って、円香は陽菜を励ました。
「何がやるべきことをやっただ! 偽善者が!」
武田が怒りを露わにして叫んだ。
先ほどまでの卑しい笑みも空っぽの無表情もなりをひそめ、マグマのようにどろどろとした怒りが吐き出される。
「誰かを陥れるクズどもが! お前らみたいなゴミはこの島にいらねぇんだよ! この島はな、俺たちの島だったんだ! それなのに、外から来たゴミどもはヘドロと糞にまみれた足でこの島を歩く! 俺はお前らみたいな島を汚す奴らが大嫌いなんだよ!」
投稿された生徒の共通点。
それは、全員が海神島外部からの生徒のいうことだ。
武田はこの島ができた当時からの子どもだ。
まだ幼かった武田は、この島を生まれたときから見てきた。
愛着も好意もあるのだろう。
だから、この島にやってくる、何かを抱えてこの島に逃げ込んできた人間を忌み嫌う。
「この島にやってきて、好き勝手荒らすお前らは、とっとと島を出て行っちまえばいいんだよ! 苦しめばいいんだよ! この島に来るんじゃなかったと絶望すればいいんだ!」
武田は円香に支えられながら立つ陽菜を、再び睨み付ける。
「お前も犯罪者の息子を庇うからそんな惨めなことになるんだ! 自業自得だろうが!」
屋上を撫でるように冷たい空気が通り過ぎていった
「犯罪者の……息子?」
その疑問の声を上げたのは、円香だった。
「あ?」
武田はその反応をしげしげと見る。
そして、何かに気づいたように笑い始めた。
「はははは! なんだお前知らないのかよ。そいつがどんなやつを庇って前の学校を追い出されるようになったか。一緒につるんでいるくせにな。なぁ? 【虚目】?」
確認を求める黒い感触が肌を撫でた。
「……」
俺は口を閉ざしたまま、ただ武田を睨み返していた。
この島に来てから二度目。円香にも言われた、俺の昔の呼び名。
その反応が面白くなかったのか、武田は黒い感情を露わにして言う。
「椎葉優羽。お前のことはネットで調べたぜ。最近こそこそかぎ回っているみたいだから、何の気なしに調べてみると、名前が一発でヒットするんだからビックリしたもんだ」
反応すらしない俺に、武田は陽菜に視線を向ける。
「幼なじみを庇った宮村陽菜。その幼なじみと、まさか一緒にいるとは思わなかったぜ。犯罪者の息子にして、その息子も立派な犯罪者なんだから血ってのは面白いよな」
冷静を振る舞っても、手のひらが自然と汗ばみ、呼吸が速くなる。
頭がのぼせ上がるほど熱くなり、心臓が張り裂けんばかりに打っている。
そして、武田は言った。
「数え切れない同級生、そしてその友人に暴行を加え、数十人に障害を残した。てめぇほどのゴミは、探そうと思っても中々見つけられないぜ」
俺の過去が、言葉となって突きつけられる。




