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因果を越えて 4/災厄に挑む刃

 轟音とともに、崩れかけた第六技術棟が大地の呻き声を上げる。

 自身の一撃によって降り注いだ瓦礫と鋼鉄製のコンテナを押し退けるように――それは、ゆっくりと立ち上がった。


 黒崎悠介によって名付けられたコードネーム王骸(キングレイス)


 完全に起き上がったその姿は、かつて魔世界(デーモニア)で“オーガ・ロード”と恐れられた王の姿を彷彿とさせた。

 四メートルを超える巨体。

 黒鉄のような浅黒い皮膚には黒紫の魔紋が浮かび、脈打つたびに周囲の空気を軋ませる。


 顔には特徴的な刺青。

 両目の上下に、瞳と同じ幅の黒線が縦に走り、本来の双眸と合わせて“六つ目”のような異様な幻影を形作っていた。


 暗黒の眼底に沈む赤黒い瞳が動くだけで、背筋が凍る。


 先ほどまで薄布に覆われていた胸郭の中央には、鋼鉄の仮面を被せられた“人間の顔”が埋め込まれている。

 他の合成妖魔と同じ――制御核だろう。


 だが、そこから下は――もはや人、いやオーガではない。

 腰から下は、巨大蜘蛛の躯体と癒着した悍ましい姿へと変貌していた。


 八本の脚が不気味に床を這う。

 甲殻には禍々しい魔紋が走り、関節が軋むたびに石床が砕け、鋭い爪先が瓦礫を掴んでは粉砕した。


 人の上半身と蜘蛛の下半身。


 その異様な融合は、見る者へ本能的な嫌悪と恐怖を植え付けた。


 背中には無数の黒紫の魔力結晶が突き立ち、燐光(りんこう)を放ちながら鼓動している。

 脈打つ結晶の先端からは、粒子状の魔素が絶えず噴き出し、夜空を濁流のように染め上げている。

 それは装飾ではない。

 暴走する魔力そのものを外部へ逃がすための“噴出口”――


 その異様な姿は、まさにこの世の理から逸脱した災厄そのものだった。


「……なんて化け物だ」

 

 ジェイコブが思わず呻く。

 

 のしかかる重圧(プレッシャー)に呼応するように、抑え込んでいた紫電が自ずと爆ぜた。

 それは本能。

 眼前の異形が、自分たちを遥かに超える力を持つ存在だと、肉体が理解してしまったのだ。


 デルグレーネは目を細め、キングレイスの腰に巻かれたぼろ布を凝視する。


(デーモニアの文字……? あれ、どこかで……)


 脳裏に、霞んだ記憶がよぎるが、思い出せない。

 一瞬だけ思考を巡らせ――デルグレーネは首を振った。


 今は目の前の敵に集中するべきだ。

 この殺気が満ちた戦場では、余計な思考ひとつが命取りになる。


 彼女は黒炎を纏い、焔影刀(えんえいとう)を構える倫道の隣へ立った。

 

「あれは魔世界(デーモニア)から落ちてきた個体……多分、オーガ。 でも下半身は違う。あれは……アラクネ」


 煤に汚れた頬を汗が伝う。


「どっちも、とんでもない力を持った魔物だった……」


 デルグレーネはゆっくり息を吐き、倫道を見る。


「どんな攻撃をしてくるか分からない……。一瞬でも気を抜いちゃ駄目……」

 

 倫道は唾を飲み込み、腹の底から声を返した。

 

「ああ! 恐ろしさを、肌で感じてる! デルグレーネ(ラウラ)たちの足手纏いにはならない!」

 

 二人の視線が交差すると、ほんのわずかに笑みを交わし――その目は再び、災厄へ向けられた。


 カタリーナが胸へ手を当て、詠唱を紡ぐ。


「地、水、火、風、雷の5つの元素、世界の理よ、我らを癒したまえ。【エレメンタル・ヒール】」


 淡い緑光が、デルグレーネ、倫道、ジェイコブを包み込む。


 完全回復には程遠い。

 それでも裂けた傷が閉じ、失われた体力がわずかに戻っていく。


 カタリーナは血の滲む腕を押さえながら、毅然と声を張った。

 

「私が防御を引き受ける! 三人は前へ――全力で行きなさい!」


 まるで、その瞬間を待っていたかのように、キングレイスの口腔部が白く発光した。


 螺旋状に収束する魔力。

 次の瞬間――魔道砲が一直線に奔る。


「同じ攻撃ばかり―― 舐めるな! 【エレメンタル・シールド!】」

 

 カタリーナの結界が七重に重なり、前方へ展開される。

 

「おおおおおおおおおおお――!」


 両腕を突き出し、絶叫する。

 障壁へ激突した魔道砲は、上空へ弾かれるように拡散した。


 閃光。


 戦場が白に塗り潰された数瞬後――視界が戻った時、地面には深い亀裂が刻まれていた。


 だが、結界は砕けていない。


「今よ! あいつ、連続では撃てない!」

 

 その声と同時に、デルグレーネが黒炎を噴き上げ飛び出した。


「分かってる!」


 ほぼ同時に、ジェイコブも紫電を拳へ纏わせて跳躍する。


「言われるまでもない!」


 雷を纏った拳がキングレイスの巨腕へ激突――轟雷。


 衝撃が空を裂き、研究棟全体が震える。


 そこへ、デルグレーネが背後へ回り込む。


 傷の癒えきらない漆黒の翼を広げ、黒炎を噴き上げた。

 

「【ゲヘナ・フレイム】! 焼き尽くせ――!」

 

 灼熱の黒炎が巨影の背を包み込み、魔紋を焼いていく。


 だが――


「グォオオオオオオオオ――!!」


 キングレイスは呻き声を上げ、巨大な腕が乱暴に振るわれる。

 

「くっ――!」

 

 爆風のような衝撃で黒炎が引き裂かれ、デルグレーネの身体が瓦礫へ叩きつけられる。

 さらに蜘蛛脚が唸りを上げ、ジェイコブを薙ぎ払った。


「ぬおっ……!」


 紫電が弾け、ジェイコブの巨体が床を滑る。


 その瞬間。


「うおおおおおおおお――!!」

 

 倫道が飛び込む。


 無防備となった胸元へ焔影刀を突き出し、金色の左眼が妖しく輝いた。


(見える。コイツの動きが)


 残像を引く右腕の一撃を紙一重で掻い潜り、黒炎を纏った刃が胸の仮面へ迫る――。


 だが。


 巨影が咆哮した。


 空気そのものが爆ぜる。


「がっ――!?」


 衝撃波が倫道を正面から吹き飛ばすと、身体が宙を舞い、そのまま瓦礫へ叩きつけられる。


「倫道!」

 

 カタリーナの結界が咄嗟に展開され、飛来する破片を防ぎ切る。

 しかし、その代償に彼女の魔力量が大きく失われた。


「まだ倒れられない……!」

 

 歯を食いしばり、カタリーナが叫ぶ。


 そこへ、ジェイコブが雷光を纏った拳を振り抜いた。


「おおおおおっ!!」


 雷撃がキングレイスの顔面へ叩き込まれる。

 紫電が刺青の“六つ目”を灼き、周囲の空気が焦げた。


 デルグレーネが即座に体勢を立て直し、倫道へ視線を送る。

 

「合わせて! 倫道!」

 

「応! 黒姫――!」


 二人の黒炎が共鳴すると、焔影刀に炎が吸い込まれ、刀身は夜空のように暗く輝いく。

 デルグレーネが両翼を広げ、黒炎の奔流を放つ。


「【ゲヘナ・フレイム】――!」

 

「うぉおおおお! 【焔裂剣(えんれつけん)!】

 

 黒煙は混ざり合い、振り下ろされた刃から、炎の斬撃が奔る。

 巨大な刃となり、キングレイスの片胸へ突き刺さった。


 轟音。

 

 巨影が仰け反り、胸の仮面が赤く点滅した。


「効いてる……!」

 

 倫道が確かな手応えに叫ぶ。


 だが次の瞬間、キングレイスの背に林立する魔力結晶が、一斉に脈動した。


 黒紫の魔法陣が空間を埋め尽くす。

 浅黒い皮膚に浮かぶ魔紋もまた、同じ色に発光した。


 巨体が大きく身を屈めると、嫌な予感が、戦場を貫いた。


「何か来るぞ!」


 ジェイコブが雷を溜め、カタリーナは全身の魔力を結界へ注ぎ込んだ。

 デルグレーネと倫道が後方へ飛び退いた、その瞬間――


「グォオオオオオオオオアアアアア――!!」


 天地を裂く閃光――放たれたのは、無数の光弾だった。


 全方位へ拡散した光の弾丸が、触れた瞬間に内包した魔力を解放する。


 連続爆発。

 

 世界そのものが砕け散るような破壊が、戦場を呑み込んだ。


 やがて光が収まると、そこに残っていたのは、原型を失った空間だった。

 壁も、天井も吹き飛び、瓦礫は赤熱している。


 だが――。


 沢渡が去っていった最奥の通路だけは、まるで別世界のように無傷のままだった。

 その異様さが、かえって不気味に浮かび上がる。


「オオオオオ――」

 

 キングレイスが低く咆哮する。

 八本の蜘蛛脚を突き立て、背の魔力結晶を脈動させながら、獲物を見下ろしていた。


 カタリーナの防御によって辛うじて直撃は免れた三人の背筋には、冷たい汗が流れている。


「なんてやつだ…… この力…… 本当に都市を消しかねない……」

 

 倫道が血に濡れた焔影刀を握り直し、苦渋に顔を歪めた。


 その瞬間。


 キングレイスの腹部が、大きく脈動する。


「避けて!」


 デルグレーネが叫ぶが――。

 直後、ジェイコブの腕へ、白い閃光が絡みついた。


「なっ――!?」


 それは蜘蛛の糸。

 鋼鉄をも凌ぐ強靭な糸が、空気を裂いて放たれたのだ。


「くっ……離せ!」

 

 雷を迸らせるが糸は焼き切れない。、ジェイコブの体を強引に引き寄せられていく。


「おおお! 切れろ!」

 

 倫道が焔影刀を振り下ろす。

 だが、甲高い金属音を響かせ斬撃は弾かれた。


「硬っ……!?」


 即座にデルグレーネも爪を硬質化し、黒炎を纏わせて斬りかかる。

 ようやく糸が焼き切れ、ジェイコブは拘束から解放された。


 だが腕には、深い裂傷が刻まれている。


「……ただの糸じゃないな」


 ジェイコブが荒い息を吐いた。


「奴自身の膨大な魔力が編み込まれている……」


 キングレイスが再び咆哮した次の瞬間――その巨体が消えた。


「っ!?」


 一瞬で三人の間合いへ侵入すると蜘蛛脚が唸りを上げ、暴風のように振り下ろされる。

 咄嗟の回避に成功し直撃は免れる。


 だが。


 脚が床を粉砕した瞬間、衝撃波が爆ぜた。

 倫道は焔影刀で受け止めるも、衝撃を殺しきれず、膝をついた。


「ぐっ……!」


 再び、キングレイスの胸が赤く発光すると、蜘蛛脚が構えを取り、次の突進を予兆する。


「くそ! 俺たちで必ず止めるんだ!」


「うん! まだ……戦える!」


「ふん! まだ大口を叩けるなら問題ないな!」


「みんな、その意気よ!」

 

 倫道が焔影刀を掲げ、人型の黒炎が刀へ吸い込まれ、刃が暗黒に染まる。

 デルグレーネが翼を広げ、漆黒の炎を渦巻かせる。

 ジェイコブの雷槍が大気を震わせる。

 カタリーナは全身の魔力を注ぎ込み、四人の周囲へ多重結界を展開した。


 ――黒焔と雷霆。

 結界と焔影刀。


 それぞれの力が重なり合い、災厄の巨影へ挑みかかる。

 

 だがキングレイスもまた、全身を震わせた。

 蜘蛛脚を高く掲げ、背の魔力結晶が脈動し、無数の光が収束していく。


 一進一退。


 雷と炎が激突し、結界が砕け、鋼糸が舞い、光線が乱れ飛ぶ。

 戦場そのものが、灼熱と雷鳴に覆われていた。


 誰が優勢なのかすら分からない。


 その激戦の最中――


 倫道の刃が、わずかに胸の仮面を掠めた。


 火花。


 そして、小さな亀裂。


「今……届いた!」

 

 倫道が叫ぶ。


 だが。


 キングレイスの咆哮が戦場を震わせ、衝撃がすべてを吹き飛ばす。

 四人の身体が再び散り散りに弾き飛ばされ、瓦礫の中へ叩きつけられた。


 息が荒い。身体は重い。


 それでも――。


 胸の仮面には、確かに傷が刻まれた。


 誰もが理解する。


 この災厄は、まだ終わらない。

 それでも――立ち上がり続ける先に未来が見えた。


「行くぞ……! ここで退けば、すべてが終わる!」


 倫道の叫びが、崩れゆく戦場へ響き渡った。

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