足の指の形の良さ
パチ、パチ、という音で目が覚めた。
眠い目をこすりながら音の方を見てみると、隣のベッドでユウリがなにやら音を立てている。
足の爪を切っていた。
短パンからすらっと伸びた足を体育すわりっぽい体勢で壁に背をもたれて右足のつま先に爪切りをあてがっていた。
「おはよう」
僕の方から声をかける。
「おー、おはよう。起きた、ヒロオ?」
とても不思議な感覚だ。
ゆうべ寝入るときと同じく、僕の心はまったく波立たない湖面のように静かだ。
ユウリはそれを『ストイック』と表現した。
『そういう気持ち』は依然としてやっぱり起こらない。けれども、ユウリが爪を切っているその光景にはなぜか意識を持っていかれる。
なんというか。
ユウリの足の指の形がとても整っているのだ。
「きれいだね」
「え?」
「いやその。足の指が」
「ああ・・・手入れしてるからね」
「手入れ?」
「あれ? ヒロオ。走りが本業の人の反応とは思えないね。ランニングを生活の一部に取り込んでいる者ならば常識でしょ?」
「そ、そう?」
「うん。わたしは徹底して手入れしてるよ。シューズ履いたときに走りやすいように爪は常に短くしてるし。それから足ガサつかないようにローションも使ってる。実際に走るときはワセリン塗って靴ズレしないように気を配ってるし」
「そっか・・・僕が無頓着、ってことか」
「そーだよ、ヒロオ。反省しなよ」
「うん。陸上部らしからぬ意識の低さだった。ごめん」
「別にわたしに謝らなくても。どう? 参考までに確かめてみる?」
「なにを?」
「わたしの足の感じ。触ってみる?」
「え? い、いいよ。そんな・・・」
「まあまあ。恥ずかしがらずに、ほら」
そう言ってユウリは爪を切ったばかりの右足だけ伸ばして僕の前ににゅっと差し出す。
躊躇したけれども、結局僕は手を伸ばした。
つま先に、触れてみる。
「おお?」
「どう?」
「・・・いや、想像以上に滑らか」
「でしょう? このぐらいじゃないといいパフォーマンスは得られないよ。ほら、土踏まずのアーチのところとか、踵とかも触ってみて」
言われるままに手のひらでくるむように触ってみた。
「うーん。参りました」
「へへ。いーでしょ」
「うん。僕も以後は足のケアに気をつけるよ」
ほんとに足の皮膚とは思えないぐらいに適度な保水とすべすべした肌が維持されており、ついつい触り続けてしまっていた。
「もうやめて」
「あ、ごめん」
「ううん。そうじゃなくって」
「ん?」
「・・・くすぐったいんだよ! この、この!」
そう言って今度はユウリが僕の足裏をくすぐる。実は僕はくすぐられることが極端におそろしい。ほんの短時間のくすぐりでも呼吸困難に陥るくらいに過剰に反応してしまうのだ。
僕はユウリから必死で逃げる。彼女はそんな僕を執拗に追う。
「ひー。勘弁」
「ダメ。わたしがくすぐったかった分は最低やらせてもらう」
僕は非常な苦しみの中、朝ごはんを食べたら今後のことのために動き出さないといけないな、とごく事務的な、やたらと現実的なことを考えていた。