クリスマスに歌を ≪ペット≫
二つ目は、ペットがテーマです。
↓どうぞ
私は空を見上げてため息を吐いた。
灰色の空からは白い雪が落ちてくる。
それがいくつも私の顔にひっつくので冷たくなり、またさっきと同じように少し俯いて家へ向かった。
図書館へなんか、寄るんじゃなかった。
私はマフラーで鼻まで覆い、早歩きで家へ向かった。
雪は嫌いだ。
……いや、ついこの間までは好きだった。
けれどそれも去年までの話だ。
――ユキが死んだ。
ユキは真っ白なふわふわとした犬だ。
雪の日に、私は彼を拾った。
ユキは大学進学のために一人暮らしを始めた私にとって唯一の心のよりどころだった。
どれだけ私が遅くに帰ってきても起きて、ずっと待っていてくれた。
悲しいときはユキが私を慰めてくれた。
そんなとき、決まって私はユキを撫でながら歌を歌った。
けれど三年後、ユキは出会った時と同じような雪の日に静かに息を引き取った。
病気だったらしい。
ユキがいなくなってしまうなんて信じられなくて、涙すら出てこなかった。
ユキは私の前に唐突に現れ、唐突にいなくなってしまった。
いつもの商店街を通ると、やけに賑やかだった。
ピカピカと光るイルミネーションに、クリスマスソング。
サンタの帽子をかぶったどこかの店員がチラシを配っていた。
そこで私はやっと気が付いた。
――今日はクリスマス・イヴだ。
周りの騒がしさとは裏腹に、私の心は沈んでいた。
雪の日は、ユキを思い出してしまう。
彼は私を何度も元気づけてくれた。
けれど、私はどうだったのだろうか。
彼に寄り添うだけで、彼には何もしていなかったかのように思う。
ジワリと涙が出そうになる。
「――どうしたの?」
「え……?」
そのとき、私は後ろから声をかけられた。
そこには暖かそうなダッフルコートを着た茶髪の青年が立っていた。
私より、いくらか年下に見えた。
「……泣いてるの?」
青年はよく整った顔で心配しているとでもいうように私を見つめた。
そして私の目からは涙があふれた。
人に話しかけられて、泣くまいとしていた気持ちが途切れてしまったようだ。
「ちょ……見ないで」
私は青年に見られないようにそっぽを向いて両目を擦った。
青年はただ静かに立っていた。
私が泣き止むのでも待っているのだろうか。
私は何故か寂しい気持ちになった。
少しでもユキの代わりに誰かといたかった。
「……ねぇ」
「え?」
「……今夜、暇なんだったらおごる代わりに付き合ってくれない?」
青年は少し驚いたという表情を見せた。
しかし、顔をほころばせて頷いた。
「いいよ。僕も暇なんだ」
私たちは適当なファミレスへと入った。
席は思いのほか空いていた。
クリスマスは家で過ごす人が多いのか、もう十二時を回っているせいなのだろう。
「……で、本当にいいの?」
「何が?」
「奢ってもらっちゃってさ」
「……私が誘ったんだから」
「じゃ、遠慮なく」
青年はメニューを開いて黙読し始めた。
私もメニューをみる。
「いつもこんなことやってるの?」
不意に、青年が口を開き半ば反射的に顔をあげる。
「こんなことって?」
「こうやって初対面の男を誘ってるの?」
「なっ……。違うから! 私は……」
「そっか。うん、ならいいや」
「……なんなの、貴方」
「え?」
「……。もういい」
私は再び目をメニューに移した。
なんだか調子が狂うなと思ったが、嫌ではなかった。
「貴方、いつまでに帰ればいいの?」
「僕? 気にしないでいいよ。家出してきただけだし」
「家出!? 小学生じゃないのに……」
「まぁまぁ、色々あるんだよ」
「……ふーん。見たところ、手ぶらなんだけど」
「手ぶらだからね」
「はっ!? 財布は?」
「ないよ?」
「ないよ? じゃないでしょ!?」
「奢ってくれるんでしょ」
「……そうね」
そもそも今夜きりの相手なのだから、この青年が何をしようと私には関係ないし、口出しする権利もない。
私は店員を呼んで注文をした。
……私の予想よりはるかに多く青年は料理を注文した。
「……結構食べるんだね」
「まあ、お腹減ってたし」
そのあと、私たちは「雪が降ってきたね」などのちょっとしたことを話して店を出た。
本当に青年は一人で料理を食べきってしまったので驚いた。
ファミレスを出るともう三時くらいになっていた。
雪はまだ止まない。
ユキのことがまた頭に浮かんだ。
もう、二度と帰ってこないユキ。
「寒いね」
隣の彼が笑う。
その顔が少し寂しそうだった。
「……帰った方がいいよ」
「え……?」
「私がこんなこと言う権利ないけど、帰った方がいい。絶対貴方を待ってくれている人がいるから」
そう、私もまだ待っている。
だから自分のマンションの部屋に置いてあるケージを片付けられない。
餌を毎日取り換えてる。
手入れもしている。
ユキが降る日、どこかにユキがいる気がしてしまう。
帰ってきたら優しく吠えてくれる気がしてる。
「……また泣きそうな顔してる」
青年は柔らかく笑った。
そして、急に鼻歌を歌いだした。
私はそれに耳を傾けた。
……ジングルベルだ。
「恥ずかしくないわけ?」
もう大人(見た目だが)なのにそんな風に歌っている青年をみているとおかしくてつい吹き出してしまった。
「……歌ってたでしょ?」
「え……」
急に歌を止めて、青年は私をまっすぐ見た。
「こっち」
青年は私の腕を引いて先へ進んだ。
そこは商店街の中央にある少し大きな広場だった。
そして、イルミネーションやライトアップされた大きなクリスマスツリーがある。
「メリー・クリスマス。綾」
「なんで、貴方が……」
私は自分の名前を呼ばれ思わず顔をあげた。
――なんで、貴方が私の名前を知っているの?
青年は私の腕を離して数歩、大きく下がる。
「ねぇ綾。歌ってよ。僕にはこの歌が歌えないんだ。……聞いていただけだったから」
かすかに向かい風が彼のにおいを運んだ。
動物のにおい。
「……だめ、か」
青年は残念そうに俯いた。
「今日は楽しかったよ。まさか、本当にもう一度会えるなんて思ってもみなかったから。……じゃあね」
そのまま立ち去ろうとする。
「まっ……待って!!」
私が叫ぶと、青年はピタリと足を止めた。
青年が振り返る前に私は彼の背中に抱きついた。
「ユキ……なの?」
「……」
青年は何も言わなかった。
つまり、それが答えだ。
涙は自然と流れていった。
「綾。僕は綾に拾ってもらえてよかった。本当に、楽しかったんだ」
「……うん」
冬なのに、ユキの体は暖かかった。
「もう一回、綾の歌が聞きたいよ」
ユキの体がスウっと空気に溶け始めた。
私は三年前、ユキに歌ってあげたようにジングルベルを口ずさんだ。
「うん、やっぱり綾の声は綺麗だね。……ありがとう、綾。さよなら」
歌の途中で、抱きついていたものが雪のように溶けてなくなってしまったのがわかった。
それでも私は目を閉じたまま歌い続けた。
人気の少ない広場に私の声が響いた。
歌い終わり、ゆっくりと目を開けた。
もう、どこにもユキの姿はなかった。
私は大人になってから初めて声をあげて泣いた。
かすかに残る懐かしいにおいが、ここにユキがいたことを教えてくれていた。
あれから一年の月日が経った。
私は今日もケージの手入れをする。
ここが日本海側だからか、ここ毎年イヴの日はホワイトクリスマスだ。
今日も雪が降っている。
もう、心を痛めることはなくなっていた。
むしろ今では雪を降らせているのはユキなのかもしれないとすら思えてくる。
私はケージの手入れをしながら歌を口ずさんだ。
「ジングルベル、ジングルベル……」
私が歌っていると、すぐそばでユキが笑ってくれているような気がした。
「歌って」
そう、声が聞こえる。
貴方のために。
遠くにいる貴方にも聞こえるように。
――クリスマスに歌を。
こちらの作者は…小倉秋奈さんでした!
ありがとうございました。




